1-2

道路灯の光が規則正しくダッシュボードに流れる。ガラス越しに見える街の灯は、剥き出しの回路のよう。

シルヴィアが用意した偽造ナンバーを付けたインスタントの大型SUVは新車とも中古車ともつかない匂いがした。

助手席のエルはアサルトライフルを手に、ぼんやりと窓の外を眺めて口を開く。

「目的地って、廃倉庫だったよね?」

カチン、と乾いた音が車内に響く。

「……ああ。NOVAの差出人が待ってる。受け取りが済んだらすぐに移動だ」

「ふーん。邪魔が入るかわからないけど、備えとこ」

マガジンを抜いて弾を確認し、手際よく戻す。その動作に無駄は一切ない。

数秒の沈黙。タイヤからのロードノイズだけが車内を満たしていた。

ラジオを付けようと手を伸ばした瞬間、エルがぽつりと声を上げる。

「ねぇミア、あの“スピンラテ”もう飲んだ?」

「……え?」

張り詰めていた空気が、一瞬だけ切り裂かれた。エルはにやりと笑い、端末を取り出して私に見せた。

「映画館の前の《グルーヴィービーンズ》のさ、新作。ほら、作るときに回転して泡立つやつ。銀色のボトルに入ってるやつだよ」

横目に見えたのはクリームの山と砕かれたナッツがこれでもかと乗ったドリンク。見るだけで胸焼けしそうだ。

「初めて見たよ。……あそこ、甘すぎるだろ。普通のコーヒーがいい」

エルは肩をすくめて笑い、ライフルを膝に置いたまま画面を指でなぞる。

「えー、美味しいのに。やばいくらい甘いんだけど、後味スッキリでね……カフェイン三倍だから、徹夜明けでも目が覚めるのよ」

「……甘いだけじゃないのか?」

「いやいや、違うって! キャラメルとナッツと、あと……チョコチップ?」

首を傾げて考え込むエルの仕草がバックミラーに映る。

「かなり甘そうだな…」

思わず息が漏れると、エルは肩を揺らして吹き出した。

「ミア、絶対一口でハマるって。帰ったら一緒に飲みに行こ」

そう言ってエルはシートに深く背を預け、ラジオを付けた。たまたまエルのお気に入りのバラードを流れていた。

私はハンドルを握りながら、前に集中する。

「……あぁ。ちゃちゃっと終わらせよう」

少しアクセルを強く踏み、エンジン音と歌声が響いた。

──しばらく走りハイウェイを降りて湾口を走る。倉庫や工場が立ち並ぶ通りの先、ヘッドライトが朽ちた標識を照らした。

「ここだ」

――立入禁止――の看板と倒れたフェンス。

かつて赤々と光っていたであろう警告。今や風雨に晒され、色褪せ、文字の輪郭さえ曖昧になる。

速度を落とし、無言で車を敷地内へ滑り込ませる。舗装が剥がれた地面、倒れたフェンス、斜めに歪んだ建屋。

助手席から身を乗り出したエルが、目を細める。

「うわ……完璧な廃墟って感じね。ホラー映画みたい」

軽口を叩きながらも、その視線は鋭い。

「何も出ないといいな。エルはホラーが苦手だから」

エルのふくれっ面と抗議の目を受け流しながら工場の廃墟の前に車を止めた。

月明りで廃墟は照らされていた。倉庫のようなトタンの壁と屋根の建物。放置されて長いようでところどころに穴が開いている。

ドアを開けると軋むヒンジ音が、廃墟の沈黙を乱す。足元では砕けた瓦礫がじりじりと擦れた。

風が抜け、どこかで一斗缶が転がる音がした。

手元の端末を確認。シルヴィアが送った座標はこの中を指している。

差出人がもう待っているはずだ。私はホルスターからハンドガン出し、エルはライフルのストラップをくいと引き上げる。

目を合わせた。

「とりあえずあの扉、開けてみる?」

エルが差した先には大きなシャッターの隣に半分空いた鉄扉がある。頷き、錆びた鉄扉に向かい、ドアノブに手をかけた。

扉が開いた瞬間、内側から湿った埃と油の匂いが押し寄せる。

「うわぁ……暗っ。マジで幽霊出そー。奥の部屋かな?」

エルが肩をすくめながらも、その足取りは慎重。

「多分な。気を抜くなよ」

エルとゆっくり進む。踏み込むたびに、廃材が割れた音が小さく響く。

高い天井に空いた穴から、月光が斜めに差し込んでいた。朽ちた機器たちの影が、黒く床に落ちている。

廃墟の内部は……異様なまでに静かだった。

かつてここにいた作業員たちの喧騒も、機械の轟音も、今ではすべてが風化していた。

残っているのは割れた窓ガラス。剥がれかけた配管と落下したトタン。

そして奥の部屋。成形部と書いてある。

この部屋の屋根はほとんどなく、月明りで錆びた機械やパイプが並んでいた。

そしてその奥、月明かりの届かない影の中で何かが動いた。

二人で銃を構える。鼓動する心臓、首元に一筋垂れる汗。トリガーに指をかける。

ひとつの人影が、ゆっくりと前へと現れる。暗がりから染み出すように。

「……黒く」

ヘルメットにタクティカルベストを来た男が拳銃を私に向けながら言った。

声は掠れ、弱々しかった。一目で異常だとわかった。片目は潰れ、肩から腹まで深く裂けていた。血はすでに黒く乾きかけている。

「塗りつぶせ」

シルヴィアが言った合言葉。私がそう言うと男はその場にへたり込んで機械の影を指さす。そこには銀色に光るアタッシェケースが見えた。

アタッシェケースは血に濡れていた。無意識にその重みを量る。冷たく、金属質で、……妙に重い。

「……アンバーシティの旧区画、三二号棟の六〇一だ。……絶対に…渡せ……行け」

男の声が、血反吐にまみれて震えた。エルが駆け寄ろうとすると男はそれを拒否した。

「…すべきことを…しろ」

その言葉と目を見て踵を返す。今彼を助けると、ここまでの彼の働きを無に帰す。

音もなく崩れ落ちたその体はこの廃墟の一部だったかのように、沈黙へと還っていった。

まだ僅かに呼吸が聞こえる。救援が早く来るといいが。

夜風が吹き込む。

その冷たさの中に殺気とは違う“予感”を感じた。NOVAの精鋭がなぜここまで追い詰められた?

何かが、始まる。これはただの“運び”じゃない。何かが介入し、狂い始めている。ヴォルフか?まだ確証はない。

アタッシェケースを強く握り直した。

「……急ごう」

言い終わった瞬間、乾いた空間に男の裂くように悲鳴と轟音が響いた。

脊髄が勝手に反応する。振り返る。二人で銃を構える。

視界の中で何かが――潰れた。

血飛沫。

空中に弧を描くように飛び散った赤。

それが何だったのか、理解するより早く視線が捉える。

潰された肉塊。NOVAの差出人。

そしてその胴を踏み潰す鉄の脚部。二足歩行型自立軽戦車──U-NP15。

戦車とは言え警備ロボットでよく使われているが。

息をのむ。皮膚の下で筋肉が収縮し、心拍音が聞こえる。汗腺が開き、呼吸が細くなる。

「……出るものが出たな」

金属の塊が低く唸るモーター音を響かせながらこちらに向いた。

異様な存在感。関節には古びたオイルがこびりつき、装甲の表面は錆びてまだらに剥がれ落ちている。

だが、その姿が逆に獣のように生々しかった。

「なーんか、めちゃくちゃ時代遅れのやつだね?」

エルが吐き捨てるように言うが、その目は既に切り替わっている。

「旧式のU-NP15。動きが重いな。いつ現れた?ここに放棄されたものか……?」

「かなぁ。で武装は……機関銃、かな? でも錆びすぎ。あれ、撃てるの?」

「……撃てたとしても、まともに飛ばないだろうな」

その言葉を証明するかのように機関銃は鈍い音を立てるだけで弾が放たれることはなかった。

だが次の瞬間、鋼鉄の脚が地面を蹴った。

「来るっ!」

衝撃音。

機体が跳躍と同時に、裂くような咆哮が響いた。錆びた機械をなぎ倒してこちらに飛ぶ戦車。その途中で機体の左腕が飛ぶように落ちた。

二人で横に跳ぶ。

着弾。

背後のコンクリート壁が砕け、粉塵が噴き上がる。破片が肌をかすめる。

「速っ……でも動きが雑ね!」

即座にエルは起き上がり弾を叩き込む。空薬莢が宙を舞い、鉛玉と鉄板が衝突する音が響く。機体の機関銃の右腕が千切れて落ちた。

私も構えて照準を一点に固定した。

──中枢部。視覚ユニット。装甲の合わせ目。唯一、外装が甘い戦車の“目”。

「……沈め」

呼吸を殺して引き金を二度引く。鋼鉄の仮面に弾が食い込み、火花を散らす。

機体が一瞬のけぞった。だが、すぐに立て直し、再び脚を振り上げる。

「糸通しの方がマシだな」

視覚ユニットを守る鉄板に弾痕が見えた。もう少し近づかないとな。

機体は擦り切れるほどにモーター音を上げて振動する。欠けたギアが耳障りな音を立て、火薬と焼けた金属の匂いが充満する。

鉄仮面から漏れる赤い光は私に向いている。どうやら狙いは私のようだ。

「ミア、こっちに誘導して!」

エルはいつの間にか機械の陰にいた。その声に即応して滑り込む。

「いつものいくよ」

エルはライフルを構えてウインクした。“いつもの”、それはストリートで喧嘩してた頃からの戦法。

巨体が地響きを立てて追いかけてくる。

そのとき──

「いくよ!」

エルが物陰から跳び出し、至近距離から右脚部関節に射撃。火花を上げて油圧の悲鳴が鳴る。

片足が折れバランスを崩し、機体がよろめく。

私の番だ。

その隙を逃さず、折れた脚部に飛び乗った。漏れた古いオイルの熱気と匂いがした。頭部に飛び、左手で鉄仮面を掴む。

機体が胴から回転する。振り回されながら視覚ユニットに銃を突っ込んだ。

「……大人しくしろよ。このポンコツ」

視覚ユニットに二発。

回転が急に止まり、頭部や胴部から金属の断末魔。重い軋みを残しながら機体はその場に崩れ落ちた。

油が床ににじみ出し、焼けた基板の臭いが鼻を突く。砕けたコンクリート。金属の死骸。

すべてが停止し、工場は静寂に戻った。

先ほどの差出人を見る。

もう遅かった。どうは大きく潰れ、胸は動いていない。瞳孔は、死を映して開いたままだ。

「……あれが動かなきゃ死ぬことなかったのに」

エルがそっとしゃがみ込む。私もその隣に立った。

「あぁ、運が悪い。悪すぎたな」

放置された警備ロボットに踏みつぶされるなんて。ただ、運が悪すぎた。この工場を所有する会社を訴えてもいい。まだ営業してればの話だが。

差出人の名札を読み上げ、開いた瞳に手を伸ばす。まぶたをそっと閉じた。それが、せめてもの弔いだった。

「でも…。何なんだろうね、この傷」

大小様々な傷。切られ、撃たれて、焼かれた。ただの“攻撃”ではない。刻まれたように深く、何度も。

この手の死体は見たことがある。頭がどうかしている連中の仕業だ。趣味や性癖に従って動くやつらだ。

「シルヴィアに連絡する」

電子音が廃墟に響き、静寂を乱す。無機質なその音が妙に耳についた。

「どうしたの?」

「差出人は死んだ。警備ロボットに襲われた、二足で歩くな」

短く要点だけを告げる。端末の向こうで、一拍、沈黙。すぐに、シルヴィアの低く落ち着いた声が返ってきた。

「あなた達は?」

焼けた樹脂と油の匂い。砕けたコンクリート。潰れた機体の残骸。血溜まりの中で沈黙する差出人。

「無事だ。それより気になることがある。差出人は襲われる前に既に瀕死だった、それも“特殊”な傷つけられ方で」

一瞬だけだが息を吞む音が聞こえた。

「穏やかではないわね。私からNOVAに話を付けておくわ、続けて」

淡々としたシルヴィアの声。だが珍しく感情がほんの僅かに見えた。

「あと、これからアンバーシティに向かう。……なぁ、ヴォルフ・プラトフだと思うか?」

「まだ何もわからないわ。ミア、くれぐれも気を付けなさい」

「あぁ、じゃあな」

そして通信はそれきり途切れた。短い沈黙。

エルがため息混じりに肩をすくめた。

「…なんだが嫌な感じだね」

足元の残骸を見下ろし、トン、と軽く蹴る。機体はすでに沈黙し、もう熱も冷め始めている。

血の滲んだアタッシェケースを握り直す。さっきよりも重く感じた。

エルもそれに続き、軽く肩を回す。

「…ヴォルフなのかな?」

エルの横で歩き出しながら、静かに返す。

「何もわからん。もしかしたら来る前にトラックに跳ねられてかも」

冗談ともつかない言葉が落ちたとき、夜風が廃墟を抜けた。鉄骨が軋み、どこかで割れた天井が鳴った。

冷たい風。何かの得体のしれないものの接近を告げるような。

無言のまま車へ向かう。

夜の帳がさらに濃くなる中、その背に誰かが見ているような感覚が、ひたりと貼りついていた。

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