転移少女の魔獣退治 ーその3ー

「あれです……」

 姫剣士の指し示す先に、青く茂った麦畑を悠々と進む、ひと群れのノジラの姿が見えた。

「……大きい……」

 ノジラを始めて見た少女の感想である。

「本当に……ナメクジですね」


 薄いピンクの地に焦げ茶の豹紋をてらてらと光らせ、踏み倒した麦にゆっくりゆっくり乗っていくのは食べているからだろう。

 時々、つのの付いた頭部を持ち上げて、ゆらりと左右に大きく振る。

 そのたび周りの麦が、ガササ、ガササ……と鳴っていた。


 少女を驚かせたのは、何といってもその大きさだ。

 群れの真ん中にひときわ巨大なのが一頭、五メートルは超えている。

 周りを囲むように、二~三メートルの中型が六頭……いや、七頭。

 最外周は一メートル前後の小型が十数頭うごめき前進して来る。


 少女たちが今いる場所は、麦畑の中に作られた少し高い広場だ。

 農作業の合間に休憩するようなところだろう。

 夏にはコメが作られるので、辺りは水田になる。そのため、高くしてあるのか。

 何本か生えた栗の木に馬をつなぎ止め、院長は、

「実験の舞台として好都合! 天恵だな!」と、上機嫌だ。

 少女の手を取り、慎重に馬から降ろしてくれると、そのままノジラたちの観察に入った。

 群れまでの距離は五十メートルほど、こちらにまっすぐ、ゆっくりと接近中だ。


「思ったより数がいるな……」

 院長がニヤリと不敵に笑う。

「あ、あ、あ、あれを退治するのですか……?」

 塩壷二つじゃ、とてもじゃないが足りない。少女が怖じ気づく。

「この人数であの頭数の処理は……無理ですね……」

 姫剣士も現実的な意見のようだ。


「塩がどれほど効果を見せるかの実験ですから、全滅させなくてもいいでしょう……ふむ……」

 群れを注視していた院長は、背中の短弓を左手に装備し、

「まず、普通の矢じりで試しましょう……君、記録を頼むよ」

「はい」

 ダミアンは院長の隣へすすッと移動し、嬉しそうにノートを綴る。


 腰の矢筒から一矢抜き取ると、弓へ番えキリリと引き絞り、少女から見ると『え、そんなに?』と思える程、群れの上空へ矢じりを向ける。

 ビンッ! 院長の弓から放たれた矢は、ゆるく放物線を描き、先頭を行く小型のノジラを撃つ。

「お見事!」

「おー」

 姫剣士は賞賛の、少女は感嘆のため息だ。


 矢は深く刺さらなかったようで、ノジラがうごめく度にグラグラと揺れていたが、やがてポロリと落ちてしまった。

 矢じりが錆びてしまったのだろう。

「うん、こんなものだろう」

 撃たれたノジラにダメージを受けた様子は無い。

 院長にも落胆の色はなく、さも当然といった表情だ。

「よし! 塩を試してやろうか!」

 瞳をギラリと輝かせた。


 壷からひとつかみ塩を取り、手のひらに乗せると、伏し目がちにじっと見つめる。

 院長の周辺の空気が、す……と変わっていくのが分かった。

「――あまつかみ、よもつかみ、おきつくにのせいれいよ……」と、何やら唱え始める。


 ――え……もしかして魔法ですか!?


 院長の手のひらの塩は一瞬輝いた後、ユラユラと宙に浮き、ひと固まりの球になった。

 液体のようだ……透き通り、時々揺らいでいる。

 矢じりの付いていない矢の先端を差し入れると、たちまち球は形を変え、矢じりの姿に結晶した。

 矢柄をクルクル回し、出来た矢じりを眺めながら、

「最初にしては上手くいったぞ」

 院長は満足そうに目を細めた。


 ――すごい……!


 この世界で初めて魔法を体験した少女が、瞳をキラキラさせて感動する。


 ――エリクサーの奇跡も凄かったけど……。


 大好きな院長が魔法を使った……少女にとっておおきな衝撃だった。


「素晴らしいです、院長」

 隣で見ていたダミアンも大いに感動したようだ。

「薬師を目指すなら、この位の精製は基本だぞ」

 言いつつ結晶の矢を番えると、キリッと弓を引き絞る。

「さっきの個体を狙う。ダミアン君、しっかり記録しろ」

「はいっ!」


 ビュン!

 先ほどより幾分かるい弦鳴りを響かせ山なりに飛んだ矢は、先頭の小型ノジラに、今度は深々と突き刺さる。

 途端。

 一瞬体を震わせたノジラが、やおら立ち上がり、天を仰ぐようにひと伸びすると、

 グズリ……。

 その場に溶けるように崩れ落ちた。


「おおっ!!」

「やりましたね! 凄い!!」

 歓声が上がる。


 仕留めた院長も唖然として、結果を見つめていた。

「こ、これは……想定外の効果だな……」


 少女も驚いた。あんなに小さな矢じりで、まさかの一撃必殺。

「――こんなに効くなんて……」


「一矢で心臓まで届いたか……素晴らしい!」

 院長は鼻息を荒くする。

「次は真ん中の大きいやつだ! はたしてどうか!?」


 実に楽しそうに塩壷に手を突っ込み、

「いくぞ~! いっちゃうゾ~!!」

 目をギラギラさせながら塩球を作り出す。


 ――え? 呪文は!?


 どうやら魔法の発動に呪文は必要ないらしい。さっきのアレは何だったのか?


 少し大きめの矢じりを完成させ、巨大ノジラに狙いを付ける。

 ブンッ!

 放たれた矢はノジラの背に深く突き立ったが、一瞬びくりと震えたものの、小型ノジラのように崩れ落ちることはなかった。

 嫌々をするように、その場で大きく頭を振っている。


「うむ、さすがに大型だと心臓までは届かないか……」

 院長はくじけず、次の実験をするようだ。

 塩壷に大きく手を入れると、山盛りの塩に魔法を込める。

 院長が作り出したのは、十センチ立方ほどの結晶だった。


「ダミアン君、これを大型ノジラの上空に飛ばせるかい?」

「あ、はい。やってみます」

 そう言うとダミアンは、馬をつないだ栗の木に走り、荷物の中から紐状の武具を持ってきた。かなり使い込まれた投石器である。


 結晶を受け取ると、投石器にセットし、院長の右横で構える。

 院長は普通の矢を番えると、

「大型の頭上で結晶を射抜く! 上空から大型の背に落ちるよう飛ばしてくれ! いけるか!?」

「いけます!!」


 ――ダミアンにそんな特技があったなんて!


 ただの若手職員では無かったということか。


 院長が弓を引き絞り、ダミアンが投石器をひゅんひゅん回すと、少女はあわてて距離を空け、避難した。

 姫剣士はそんな少女を見て、クスッと笑う。かわいい少女だ。


「君のタイミングでいいぞ! やってくれ!」

「はい!」

 シュッ! と軽快な音とともに、塩の結晶は高く飛んでいく。

 あっという間に見えなくなった。


 ――全然見えないんだけど……狙えるの!?


 と、

 ビン!

 院長が矢を放つと、

 ……タン……。

 大型ノジラの頭上にパッと白い煙が広がり、小さな破裂音が遠く聞こえた。

 煙はゆっくりと降下していく――そして。


 ――!


 左右に大きく頭を振っていた巨大ノジラが、がばっと体を起こし、高く高く伸びあがると、その姿勢のまま硬直した。

 腹をこちらに向けている。

 見ると大型の周りにいた何頭かも同じ姿で固まっていた。


「よし! これならいける!」

 院長は素早く結晶の矢を完成させると、大型ノジラの腹を射抜く。


 ドシャ!


 溶けるように……まさに溶けるようにして、大型ノジラはその巨体を崩していった。

 心臓に届いた小さな一本の矢で……。


「す……素晴らしい……」

 院長はわなわなと震えている。

 少女もダミアンも、姫剣士までもが息をのんでいた。

 対ノジラの画期的駆除方法の完成である。


「凄いです院長! あの結晶を射抜くなんて!!」

 少女が褒めちぎる。

「ダミアンさんも凄いです! 抜群の投てき技術じゃないですか!!」

「あ、いやいや……」

 ポリポリと首筋をかいて照れるダミアンめ……少しかわいい。

 背中の足跡が残念だ。


「わたくしの出番は無さそうですね……」

 姫剣士が腰のヒルデアイスをポンポンとたたき、つぶやくと、

「いや、もっと効果的な攻撃が有るかもしれません……近接戦も試してみたいし、ヒルデアイスの活用法も見つけたい……塩分の残留具合の検証も必要でしょう。」

 院長は、いまだ立ったままに硬直しているノジラたちを見つめ、

「もう少し付き合ってもらいますよ……」


 駆除方法の検証はまだまだ続く。


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