転移少女の魔獣退治 ーその1ー
異世界転移者の少女。この不思議な世界へやってきてから、一年と少し。現在は王立治療院で働いている。
院長は高位の治療師で、薬師のエルフ女性。美人でやさしい。
平和な治世の続く王国だが、日々是安穏というわけではない。
今も王国の第一王子が、治療院に入院中だ。
魔獣の大群に遭遇し、重傷を負って運び込まれたものだった。
幸い王子のケガは王国の国宝、神薬『エリクサー』の使用が認められて、すっかり完治している。
今は経過観察のために、検査入院中だ。
神薬の使用は、王国史上に記録がなかった。
検体としての務めを果たしているところである。
院長の診察を受けつつ王子は、
「院長……私はいつまで入院していなければいけないのです?」
「そうですねぇ……記録をしっかり残しておきたいので、切りの良い、あと二日ほどはデータが欲しいところですね。その後は一か月に一度、診察を受けてもらえれば……」
もうケガ人とは言えない王子の不満顔に、診察記録を付けていた若手職員がクスリと笑う。
院長も苦笑気味だ。
「……退屈ですか?」
「いえ……そういう訳では……」
少女はそんなやり取りを、シーツの交換をしながら聞いていた。リネン類の管理は大切な仕事のひとつだ。
真面目な王子である。検査にも素直に応じてくれている。ただ、健康な体を取り戻したというのに、何もできないでいる現状が不平の原因なのだろう。
「二日、ですか。あまりのんびりともして居られないのですが……」
「――若――」
傍に控えていた老騎士が口を開く。
護衛隊長兼、お目付け役の、立派な体格の老人だ。
「今は英気を養うべき時ですぞ。おとなしく静養していて下さい」
「しかしだな、じい。私は魔獣の討伐に失敗した挙句、国宝の『エリクサー』をも使ってしまったのだ……国民に何と詫びれば良いのか……」
王子は国宝の神薬を使って一命を取り留めたことを、ひどく気にかけていた。
「せめて、あの魔獣の大群だけでも何とかしたい」
「――おじいさま……わたくしは、王子の気持ちもよく分かります」
月の光のような美しい声の持ち主は、護衛隊長の孫姫様……王子の婚約者でもある。
「自身の雪辱を果たすため、再び魔獣の排除に挑む……立派です……」
このお姫様、なんと、王子の剣術指南役らしい。
王国でも指折りの女性剣士で、『ヒルデアイス』という神話クラスの魔剣を所持している。
均整の取れたしなやかな体つきは、きっと女性らしい格好も似合うのだろうが、動きやすいスポーティーな服装と軽鎧、艶やかな黒髪をポニーテールにまとめ、意志の強そうな太めの眉がキリリとしていて美しい。
王子のために、みずから海を渡り、貴重な治療薬を購入してくるというアクティブ派だ。
「次の遠征には是非とも参加します」
「姫が来てくれれば非常に助かる……が、あの数の『ノジラ』相手となると……」
隊長は浮かない顔つきだ。
「国軍の手配が必要かと……」
「あの穀倉地帯に軍を配置しては土地があれてしまう。」
王子が拒否する。
「焼き払ってしまうのが一番簡単なのだろうが、それはダメだ」
あくまで王子は国民の生活に重きを置く。じつに立派だ。
「少数部隊展開での各個撃破が理想なんだが……」
治療院がある王都の、北部に広がる大穀倉地帯。その一角に『ノジラ』と呼ばれる魔獣が大量に発生した。
王子が治療院へ運ばれてきたのも、このノジラの大群に遭遇してしまった結果である。
診察を続けていた院長も、いったん手を止め、それぞれに解決法を模索し始めた。
少女は『ノジラ』という魔獣の存在を知らなかった。
――聞いたことないね。
隊長に質問する。
「それは、どんな魔獣なのですか?」
「うん? ノジラかい?」
この国の『偉い人』達は、何故かフランクだ。
隊長も王子の護衛隊長だけあって、実は偉い騎士様のはずだが、気のいいお爺ちゃんのように説明してくれる。
「厄介で手ごわい相手だぞ。まず、刃物がダメだ」
本来なら下働きのような少女が、口を利けるような立場の人物ではないだろうが、治療院で何度も顔を合わせているうちに、今ではすっかり仲良しだ。
「刃物が通らないのですか?」
「傷付けられない訳じゃぁないが、すぐに錆びて使えなくなっちまう」
少し伝法な言葉になって続ける。
「傷を負わせると体液を飛ばすんだが、こいつが金属を腐食するし、体に付けば、大やけどだ。」
「弱点の心臓は体の下のほうにあって、狙うにはひっくり返さなければいけません」
と、お姫様が補足してくれる。
「動きは早くないのですが随分大きいので、大勢で太い木の棒を使って返すのです」
「私も故郷の森で何度か対処したことがある……一頭、二頭なら大量の油を使って焼き殺すのがセオリーなんだが……」
――院長に、そんな武勇伝が……。
「大群となると、大規模に焼き尽くさないと……」
穀倉地で結実し始めたばかりのところへ、それは、あまりやりたくない作戦だ。
皆、腕を組み、ふたたび「うーん」と、うなりだす。
「姿かたちはどんなですか?」
今度はお姫様に尋ねてみた。
すると、お姫様は途端に嫌な顔をして、
「あれです……あの、おぞましい……いやらしい」
「ああ、こう……ヌルっとして」
隊長もあまり好きではないようだ。顔の前に手を出して、指をワキワキ動かしている。
「一番近いのは『ナメクジ』だな。同じ軟体動物だ」
科学者らしく院長が説明してくれる。
「ナメクジ……なら……お塩で退治できるのでは?」
少女がポツリとつぶやいた。
「おしお……? おしおって『塩』の事かい?」
少女のつぶやきを拾ったのは王子だった。
「塩で退治できるのかい? ナメクジの弱点って塩なのか!?」
希望を見出したためか、少し興奮気味に周りに尋ねる。
――まあ、キラキラ王子だし……ナメクジ退治なんてしたことないよね。
「――さぁ?」
「聞いたことありませんね……」
――え?
隊長も、お姫様も顔を見合わせている。
「私も初耳だな……」
物知りの院長が知らないとは、少女もびっくりだ。
どうもこの世界では非常識なことらしい。
「君はそんな知識をどこで手に入れたんだね?」
「わ、私の生まれ育ったところでは、昔から……ナメクジ退治には塩が一番だと」
少女はワタワタと説明をする。
「どう使うんだい?」
「こう……ナメクジに……パッパッと……」
指先で塩を振りかける動作をする。
「それで退治できると……」
「の、ノジラに効果が有るかどうかは……わ、分かりません」
「ふむ……」
院長はあごをなでさすりながら
「検証が必要、だな!」
ニヤリと瞳を光らせる。
――院長が……何かやるようです
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