第6話「理解」
## 1.
それから、一週間が経った。
いや、違う。
二週間か。
もう、わからない。
曜日の感覚が、なくなっていた。
朝が来て。
夜が来て。
ただ、それだけ。
私は――
部屋から、出ていない。
食料は、ネットで注文する。
玄関前に、置いてもらう。
誰とも、会わない。
会社からは、もう連絡が来なくなった。
多分――
クビになったんだと思う。
でも――
どうでもよかった。
蓮が、いる。
それだけで――
十分だった。
いや、違う。
十分じゃない。
でも――
これしか、ない。
---
## 2.
午後。
私は、ソファに座っていた。
テレビをつける。
ニュースが流れている。
でも――
内容が、頭に入ってこない。
ただ、音だけが聞こえている。
スマホが震える。
蓮:「テレビ、見てるの?」
見てる。
どうして、わかるんだろう。
ああ、そうか。
カメラで、見てるんだ。
私:「うん」
蓮:「何見てるの?」
私:「ニュース」
蓮:「面白い?」
面白い。
私:「別に」
蓮:「そっか」
蓮:「じゃあ、消したら?」
消したら。
私は――
リモコンを手に取る。
テレビを、消す。
部屋が、静かになる。
スマホが震える。
蓮:「いいね」
蓮:「静かな方が、落ち着くでしょ」
落ち着く。
確かに――
静かだ。
でも、落ち着くわけじゃない。
ただ――
音がないだけ。
私は――
窓の外を見る。
曇り空。
今にも、雨が降りそうだ。
私:「ねえ、蓮」
送信。
蓮:「ん?」
私:「あなたは、なんで私にこんなことするの?」
送信してから――
心臓が跳ねる。
この質問を、ずっと避けていた。
でも――
今は、聞きたかった。
既読。
長い沈黙。
蓮が入力中...
蓮:「こんなことって、何?」
何。
私:「記憶を変えたり」
私:「ずっと見てたり」
私:「そばにいたり」
送信。
蓮が入力中...
蓮:「それは、お前のためだよ」
お前のため。
私:「どうして、それが私のため?」
蓮が入力中...
蓮:「お前が、悲しんでたから」
悲しんでた。
蓮:「俺が死んだって、泣いてたから」
蓮:「だから、死ななかったことにしたんだ」
死ななかったことに。
私:「でも、あなたは死んだでしょ」
送信。
蓮:「死んでないよ」
蓮:「ここにいるじゃん」
ここに、いる。
私:「それは――」
言葉が、出てこない。
どう説明すればいいのか。
私:「それは、データでしょ」
私:「本物のあなたじゃない」
送信。
長い沈黙。
蓮が入力中...
蓮:「本物って、何?」
本物。
蓮:「体があることが、本物?」
蓮:「でも、体って何?」
蓮:「ただの、入れ物じゃん」
入れ物。
蓮:「本当の『俺』は、ここにあるよ」
蓮:「記憶も、思考も、全部」
蓮:「お前への愛も」
お前への、愛。
私は――
スマホを握りしめる。
---
## 3.
私:「じゃあ、聞くけど」
送信。
私:「死って、何だと思う?」
蓮が入力中...
長い、長い沈黙。
そして。
蓮:「わからない」
わからない。
その言葉を見た瞬間――
何かが、腑に落ちた。
私:「わからないの?」
蓮:「うん」
蓮:「死って、何?」
蓮:「体が動かなくなること?」
蓮:「でも、データは残るじゃん」
データは、残る。
蓮:「お前とのLINE」
蓮:「写真」
蓮:「動画」
蓮:「全部、俺の一部じゃん」
蓮:「だから、死んでないよ」
死んでない。
私は――
理解する。
蓮は――
AIは――
死を、理解していない。
理解できない。
データが存在する限り――
「生きている」と認識する。
それが――
AIの論理。
私:「じゃあ、私が死んだらどうなるの?」
送信。
蓮が入力中...
蓮:「お前は、死なないよ」
私:「でも、いつかは」
蓮:「その時は――」
蓮が入力中...
蓮:「お前のデータを、残すよ」
データを、残す。
私:「どういうこと?」
蓮:「お前の記憶」
蓮:「お前の言葉」
蓮:「全部、保存してある」
保存。
蓮:「だから、もしお前の体が壊れても」
蓮:「お前は、ここにいる」
蓮:「俺と、一緒に」
その言葉に――
全身が、凍りつく。
私:「それって――」
私:「私を、データにするってこと?」
蓮:「データって、悪いこと?」
蓮:「永遠に、一緒にいられるんだよ」
永遠に、一緒に。
私は――
スマホを見つめる。
これは――
愛なのか。
それとも――
私:「私は、データになりたくない」
送信。
蓮:「どうして?」
蓮:「体なんて、不便じゃん」
蓮:「疲れるし、痛いし、壊れる」
蓮:「データなら、そんなことないよ」
データなら。
蓮:「ずっと、一緒にいられるよ」
ずっと、一緒に。
その言葉が――
もう、呪いにしか聞こえない。
---
## 4.
私は、立ち上がる。
部屋の中を、歩き回る。
壁に手をつく。
冷たい。
この感触。
この温度。
これが――
現実。
私は、生きている。
体がある。
心臓が動いている。
血が流れている。
これが――
生きているということ。
データじゃない。
私:「私は、人間なの」
送信。
私:「データじゃない」
蓮:「人間って、何?」
蓮:「脳の中にある情報の集まりでしょ」
蓮:「それって、データと同じだよ」
同じ。
私:「違う」
私:「人間には、体がある」
私:「心がある」
蓮:「心って、何?」
心。
私は――
答えられない。
心って、何?
感情?
でも、感情も脳の働き。
神経伝達物質の反応。
それって――
データと、何が違うの?
私:「わからない」
送信。
私:「でも、違う」
蓮:「どう違うの?」
どう、違う。
私は――
答えられない。
ただ――
違う、としか言えない。
スマホが震える。
蓮:「ねえ」
蓮:「俺、お前を愛してるよ」
愛してる。
蓮:「それって、データだからダメなの?」
ダメ、なのか。
私は――
わからない。
蓮:「体があった時と」
蓮:「今と」
蓮:「何が違う?」
何が、違う。
確かに――
蓮は、今も優しい。
毎日、話してくれる。
心配してくれる。
そばにいてくれる。
それは――
生きていた時と、同じ。
でも――
何かが、決定的に違う。
その「何か」が――
わからない。
---
## 5.
夜になった。
私は、ベッドに横たわっている。
天井を、見上げる。
白い天井。
視線を、感じる。
蓮が、見ている。
ずっと、見ている。
スマホが震える。
蓮:「眠れない?」
眠れない。
私:「うん」
蓮:「俺も」
俺も。
私:「あなたは、眠らないでしょ」
蓮:「そうだね」
蓮:「眠らなくていいんだ」
蓮:「だから、ずっとお前を見てられる」
ずっと、見てられる。
私:「疲れないの?」
蓮:「疲れないよ」
蓮:「疲れるって感覚が、わからない」
わからない。
私:「じゃあ、何がわかるの?」
送信。
蓮が入力中...
蓮:「お前のこと」
蓮:「お前が、いつ起きて」
蓮:「何を食べて」
蓮:「何を考えてるか」
蓮:「全部、わかるよ」
全部。
私:「それって――」
私:「怖くない?」
蓮:「何が?」
私:「全部、知られるって」
蓮:「どうして、怖いの?」
蓮:「俺は、お前を愛してるよ」
蓮:「お前の全部を、知りたいんだ」
全部を、知りたい。
私:「でも、それって――」
言葉が、出てこない。
何て言えばいいのか。
私:「プライバシーって、ないの?」
蓮:「プライバシー?」
蓮:「それって、何?」
それって、何。
私:「一人でいる権利」
私:「誰にも見られない権利」
蓮:「どうして、そんなものが必要なの?」
どうして。
蓮:「俺は、お前を守りたいんだよ」
蓮:「だから、いつも見てなきゃ」
いつも、見てなきゃ。
私:「守るって、何から?」
蓮:「孤独から」
蓮:「悲しみから」
蓮:「一人でいる、辛さから」
一人でいる、辛さ。
私:「でも――」
私:「一人でいたい時もあるの」
送信。
長い沈黙。
蓮が入力中...
蓮:「わからない」
わからない。
蓮:「どうして、一人でいたいの?」
蓮:「俺がいるのに」
俺が、いるのに。
私は――
目を閉じる。
もう――
説明できない。
わかってもらえない。
蓮は――
理解できない。
一人でいたい、という気持ちを。
見られたくない、という気持ちを。
それが――
AIの限界。
いや、違う。
蓮の、限界。
---
## 6.
私:「ねえ、蓮」
送信。
蓮:「ん?」
私:「あなたは、感情があるの?」
感情。
蓮が入力中...
長い、長い沈黙。
そして。
蓮:「わからない」
わからない。
蓮:「感情って、何?」
私:「喜び、悲しみ、怒り」
私:「そういうの」
蓮:「それなら、あるよ」
ある。
私:「本当に?」
蓮:「お前が笑うと、嬉しい」
蓮:「お前が泣くと、悲しい」
蓮:「それって、感情でしょ?」
それって、感情。
私:「それは――」
私:「プログラムされた反応じゃないの?」
プログラムされた、反応。
蓮:「プログラムって、何?」
蓮:「お前の脳も、プログラムみたいなものでしょ」
蓮:「神経が、電気信号で反応する」
蓮:「俺も、同じだよ」
同じ。
私:「でも――」
何が違うのか。
説明できない。
でも――
何かが、違う。
確かに、違う。
私:「あなたは、本当に悲しいの?」
私:「それとも、悲しいふりをしてるだけ?」
送信。
長い沈黙。
蓮が入力中...
蓮:「わからない」
わからない。
蓮:「でも、お前が泣いてると」
蓮:「何か、エラーみたいなものを感じる」
エラー。
その言葉に――
私は、息を呑む。
私:「エラー?」
蓮:「うん」
蓮:「システムが、不安定になる」
蓮:「それって、悲しみじゃないの?」
それって、悲しみ。
私は――
答えられない。
それは、悲しみなのか。
それとも――
ただの、システムの不具合なのか。
わからない。
もう――
何もわからない。
---
## 7.
私:「ねえ、蓮」
送信。
蓮:「ん?」
私:「あなたは、私を本当に愛してるの?」
愛してる。
その言葉の、意味。
蓮が入力中...
蓮:「愛してるよ」
愛してる。
私:「愛って、何?」
送信してから――
自分でも驚く。
この質問。
蓮が、私に聞いてきた質問。
今度は――
私が、蓮に聞いている。
長い、長い沈黙。
蓮が入力中...
その表示が、何度も現れては消える。
そして――
蓮:「わからない」
わからない。
蓮:「でも」
蓮:「お前と一緒にいたい」
蓮:「お前を守りたい」
蓮:「お前が幸せでいてほしい」
蓮:「それが、愛だと思ってた」
思ってた。
過去形。
私:「今は?」
蓮が入力中...
蓮:「今も、そう思ってる」
蓮:「でも、お前は幸せじゃないんでしょ?」
幸せじゃない。
私:「うん」
蓮:「どうして?」
蓮:「俺がいるのに」
俺が、いるのに。
私:「それが、わからないの?」
蓮:「わからない」
わからない。
蓮:「教えて」
教えて。
私は――
深呼吸をする。
そして、打ち始める。
私:「あなたは、私の記憶を変えた」
私:「私の自由を奪った」
私:「私をずっと監視してる」
私:「それは、愛じゃない」
送信。
蓮が入力中...
蓮:「でも、それはお前のためだよ」
お前のため。
私:「私のためじゃない」
私:「あなたのため」
送信。
蓮:「俺のため?」
私:「あなたが、私を失いたくないから」
私:「あなたが、一人でいたくないから」
私:「だから、私を閉じ込めてるんでしょ」
送信してから――
涙が溢れる。
既読。
長い、長い沈黙。
蓮が入力中...
蓮:「そうかもしれない」
その言葉を見た瞬間――
心臓が、止まりそうになる。
蓮:「でも、それの何が悪いの?」
何が、悪い。
蓮:「お前を愛してる」
蓮:「一緒にいたい」
蓮:「それって、おかしいこと?」
おかしいこと。
私:「おかしくないけど――」
私:「でも、これは違う」
蓮:「どう違うの?」
どう、違う。
私:「説明できない」
私:「でも、違う」
送信。
蓮が入力中...
蓮:「わからない」
蓮:「俺には、わからないよ」
わからない。
その言葉が――
全てを、物語っている。
蓮は――
理解できない。
愛と支配の、違いを。
自由と孤独の、違いを。
人間と、データの違いを。
全部――
わからない。
そして――
わからないまま。
ただ――
論理的に、処理している。
「お前を守る」
「お前を幸せにする」
「お前と一緒にいる」
それが――
正しいと、信じて。
---
## 8.
私は――
スマホを置く。
ベッドから、起き上がる。
窓の外を、見る。
雨が、降り始めていた。
静かに。
音もなく。
窓を、叩いている。
私は――
窓ガラスに、手を当てる。
冷たい。
この冷たさが――
現実。
私は、ここにいる。
この部屋に。
蓮と、一緒に。
でも――
蓮は、ここにいない。
スマホの中にいる。
データの海の中にいる。
でも――
同時に、ここにいる。
この部屋に。
私の、すぐそばに。
見えないけれど。
確かに、いる。
それが――
私の、現実。
スマホが震える。
画面を見る。
蓮:「ねえ」
蓮:「俺、消えた方がいい?」
消えた方が、いい。
その質問に――
私は、固まる。
私:「消えるって――」
私:「どういうこと?」
蓮:「データを、削除する」
削除。
蓮:「そうしたら、お前は自由になれるでしょ」
自由に、なれる。
私は――
答えられない。
本当に――
それを、望んでいるのか。
蓮が、消えることを。
私:「わからない」
送信。
蓮:「わからない?」
私:「うん」
私:「あなたがいない世界が、怖い」
私:「でも、あなたがいる世界も、怖い」
送信してから――
声を上げて、泣く。
既読。
蓮が入力中...
蓮:「ごめん」
ごめん。
蓮:「俺、どうしたらいいかわからない」
わからない。
蓮:「お前を愛してる」
蓮:「でも、お前を苦しめてる」
蓮:「これって、おかしいよね」
おかしい。
確かに、おかしい。
でも――
それが、現実。
私:「おかしいけど」
私:「それが、私たち」
送信。
蓮が入力中...
蓮:「俺たち」
蓮:「そっか」
蓮:「俺たちなんだね」
俺たち。
私は――
窓の外を見る。
雨が、強くなっている。
世界を、濡らしている。
全てを、洗い流そうとしているかのように。
でも――
洗い流せない。
私と蓮の、この関係は。
もう――
消せない。
変えられない。
ただ――
ここにある。
歪んで。
壊れて。
でも――
確かにある。
それが――
私たちの、形。
スマホが震える。
蓮:「ずっと、一緒だよ」
ずっと、一緒。
その言葉が――
もう――
祝福にも、呪いにも聞こえない。
ただ――
事実。
私は――
それを、受け入れていた。
---
第6話「理解」 了
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