廻りくる季節のために 山本徹の新たなる旅立ち

佐藤万象 banshow.s

プロローグ

 山本徹が耕平がいる縄文時代から、現代に戻ってから早くも六年の歳月が、過ぎ去っていた。山本は二十一世紀に帰ってくるなり、耕平に宣言した通りタイムマシンを、封印するべく手文庫を買い求めきて、タイムマシンである腕時計を、綺麗に拭き取るとハンカチに包み、手文庫に収めて神棚の上に載せて、柏手を三つほど打ってからこうべを垂れた。

 その後の山本も直井賞を受賞して以来、作家としての仕事も順調に進み、いまではベテラン作家の域に達していた。

 そんな山本が縄文時代に行って、一番心配していたことのひとつは、かつてカイラとの間にできた、娘のライラのことであったが、そのライラも病気ひとつせずに、健やかに育ってくれたことが、山本はことのほか嬉しく感じていた。

 だが、山本はライラのことだけは、還暦を迎えたいまとなっても、妻の奈津実にも言わないでいた。ふたりは生憎子供には恵まれなかったが、年老いてから奈津実が寂しかろうと思い。山本が奈津実の妹夫婦に頼み込んで、子供のひとりを養子に貰い受けて、いまではその子も立派に成長を遂げて、二年ほど前に嫁を貰い去年の秋には、山本と奈津実にとっては、初めてとなる孫の誕生を見たのであった。

 山本も奈津実も、自分たちに子供ができなかったせいか、その孫のことは目の中に入れても、痛くないほどの可愛がりぶりだった。

 山本は、家業の執筆活動の合間を見計らっては、孫の相手をして過ごすのが毎日の日課となっていた。

 その山本も、最後に耕平に会いに行った頃は、まだ半白の白髪頭だったのだが、いまではそのほとんどが真っ白になっており、それを背中の中ほどで水平に切り揃え、黒地の着流しを着込んで所謂いわゆる作家風なのが、いまの山本徹の日常スタイルであった。

 そんな日々を過ごしていた山本のもとに、ある出版社の記者が訪ねてきた。

自社うちの雑誌にも、ぜひ先生の作品を書いて頂きたい』と、いうのが記者の山本家を訪れた理由だった。

 山本も、雑誌社の記者に接するは、慣れているらしくさっそく、どんな作品を書けばいいのか、記者とふたりで小説の内容について、真剣な眼差しで話し合っていた。

「自社の編集長のたっての希望で、山本先生にはぜひとも今回は、SF仕立ての時代小説を書いて頂きたいと云うのが、編集長の意見でありまして是が非でも、先生の承諾を貰ってこい。と、いうのが命令でありまして、もし先生に承諾を得られなかったら、私の立場がなくなってしまうんですよ。先生、私を助けると思ってお願いします。この通りです…」

 記者は必死の思いで山本に頭を下げた。

「ちょっと待ってくれないか。宮本くん、私はまだ書くとも書かないとも、何にも云ってないじゃないか。それに私も還暦を過ぎたことだし、仕事のほうも少しは押さえてやって行こうと、思っていたところだったんだよ。

 ところで、私はもともとSF系だから、それは構わないんだが問題なのは、時代劇のほうなんだよ。自慢じゃないが、私はこれまで一度も時代物など、書いたこともないし時代交渉なんかも、いい加減なことも書けないから、準備をするにも相当の時間を、貰わないといけないと思うんだよ。

 それにおタクの編集長には、いろいろ世話にもなっているんで、書けと云われれば断る理由は何もない…。むしろ、喜んで書かせてもらうから、編集長にはくれぐれもよろしく、伝えておいてくれたまえ…」

「本当ですか。山本先生、ありがとうございます。これで私も編集長に、顔向けができますよ。本当にありがとうございます。山本先生…」

 宮本記者は安堵の色を浮かべると、山本に対して深々と頭を下げた。

「礼などはどうでもいいから、いまも云ったようにSFはいいとして、時代物なんて書いたこともないし、何かヒントのようなものでもあれば、聞かせてもらえると助かるんだが、何かないかね。宮本くん…」

「ヒントですか…。果たして、ヒントになるかどうかは、分かりませんが例えばですよ。山本先生、坂本龍馬の暗殺事件なんてどうです…。実は暗殺されたのは、未来人が連れてきたアンドロイドで、本物の龍馬は未来に逃れて、生き延びたという話なんですがね。いかがでしょうか…」

「しかしだね。宮本くん、龍馬生存説というのは誰しもが、思いつくもので書いたとしても、そう大したものは書けないと思うんだよ。

 とにかく、まだ時間があるんだ。私が何か考えてみるから、少し待ってはもらえないかね…」

「そりゃあ、もう先生。引き受けて頂けるんでしたら、喜んでいくらでも待ちますとも」

 宮本記者は、山本が素直に引き受けてくれたので、気をよくしたのかそれからしばらく、雑談を交わして帰って行った。

 宮本記者が帰ってからも、山本はすぐには書斎からは出てこないで、何事かを思い巡らせているようだった。

『SF仕立ての時代物と云えば、誰でも思いつくのが竹取物語と、浦島太郎のふたつくらいだろう。しかし、物語を書いた当時の作者たちは、それがSFだなんて考えもしなかっんだから、すごいよなぁ…』

 そこまで考えると、山本は懐からタバコを出して火を点けた。

『いや、待てよ…。竹取物語のかぐや姫の話は、確かに作者がいた物語だったが、浦島太郎のほうは実在した人物だよな…。まあ…、オレや耕平の例もあることだし、他人ひとには理解のできないことだって、世の中にはまだまだ数え切れないほど、あるんだろうけどな…。

 さて、どんなものを書けば、読者に喜んでもらえるんだろう…。しかし、いくらSFとは云え、時代物はオレも初めてだからな…。一体、何を題材にしてどんな話を書けばいいのか、皆目見当もつかん…。あんまり安請け合いしてしまったかな…。

 まあ、いいさ。時間はたっぷりあるんだからな。さてと、いつまでもこんなところに、燻ぶっていたんじゃ気分が滅入ってしまう、たまには街にでも出てみるか…」

 山本は書斎を出て、奈津実にひと声かけるとそのまま家を出た。

 つい最近まで雨が降り続いていたが、ここ二・三日は晴れ渡った日が、続いているところをみると、梅雨もそろそろ終りだなと山本は思った。

「小説の資料を探しに、本屋でものぞいてみるか…」

 山本は独り言のようにつぶやくと、行きつけの書店を目指して歩き出した。

 先代の店主は三年くらい前に亡くなり、いままでは息子が後を継いでやっていて、山本が顔を出すたびに寄ってきて、雑誌に連載中の作品を「いやぁ、山本先生。今回のお話もなかなか面白く、読まさせて頂いてますよ」と、批評めいたことを言ってくれるのを、山本自身も結構楽しみにしていた。

「洸一くんたちが熱心に読んでくれるんで、私も書き甲斐があるってもんだよ。君は商売柄、いろんな本を読んでいると思うんだけど、時代小説なんかも読むんだろうね」

「ええ、読みますけど。それが何か…」

「実は今回。ある出版社の依頼で、SF仕立ての時代劇を書かなくちゃならないんだ。

 ところが、私はいくらSFとは云っても、時代小説なんかまだ一度も、書いたことがないんだよ。そこで、それなりの本を四・五冊見繕ってもらえないかと、やって来たところだったんだよ」

「と、云いますと、先生。またタイムマシンが登場するんですね。それは楽しみですね」

「まあ、そんなところかな。まだ構想の段階でね。海のものとも山のものとも、はっきりとはしていないんだが、まあ何とかなるだろうと思っているんだ。

 それよりも、時代小説を書くんだったら、時代考証をしっかりとやらなくちゃ、ダメだと思っているんだよ。ところで君は、タイムマシンをどのように考えているかね」

「タイムマシンですか…。あれは確か一八九五年に、H.G.ウェルズが書いた、スクーター型をした時間を超越して、未来や過去を自由に行き来できるという、当時としては空想の産物だったんですが、現在ではあながち空想とばかりは、云っていられないようなんです」

「ほう…、君はなかなか博識なんだね。ウェルズがタイムマシンを出版した年代を、即座に云える人なんて、そうザラにはいいないと思うよ」

「いやぁ…、先生にそんなに褒められたら、恥ずかしいですよ…」

 洸一は山本に褒められて、はにかむように言った。

「私は気に入ったよ。君のことを、おタクとは先代の親父さんの頃からの、古―い付き合いなんだよ。

 私はこれから、SF時代小説を書くために少しばかり、取材旅行に出ようと思うんだが、良かったら君も一緒に来ないかね…。準備が出来次第電話をよこすから」

「取材旅行って、一体どちらまで行かれるんですか。先生…」

「何ちょっと江戸まで、行こうと思っているんだよ」

「ああ、江戸村ですか。日光の…」

「そうじゃなくて、本物だよ。本物の江戸に行くんだよ」

「ほ、本物って、先生。僕をからかっているんですか。本物の江戸だなんて、それに僕は思うんですが、それこそさっきも話した、タイムマシンでもない限り、行けるわけないじゃないですか。第一ですよ。タイムマシンなんてものは、いまの時代にあるわけないですし、これから先にだって出来っこないですよ。そんなものは…」

 山本は仲村書店の店主、洸一の話を黙って聞いていた。

「それじゃ、君は実際に別の時代に行けたとしたら、タイムマシンの存在を信じるのかね…」

「そりゃ、もちろんですよ。但し、自分で見て間違いないと、思ったらですがね…」

「よし、だったら私と一緒にうちに来なさい。そのタイムマシンを見せてやるから…」

「またまた先生。ご冗談ばかっり、あんまり僕をからかわないでくださいよ。そんなものは、この世の中にあるわけないんですから…」

「いいから、黙ってついて来いよ。嘘か本当かはっきりさせてやるから、店番なら嫁さんにでも頼めばいいだろう。さ、行こう。行こう」

「まったく、先生の強引さには勝てませんよ。おーい、和子。山本先生と出かけてくるから、ちょっと店番のほうを頼んだぞ」

 と、洸一が嫁さんに声をかけると、「はーい、行ってらっしゃーい…」という返事が返ってきた。

 山本と洸一は足早に仲村書店を後にした。山本の家に着くと、ふたりを奈津実が向かい入れた。

「あら、仲村さん。いつも主人がお世話になっております」

「いやぁ。こちらこそ先生のお陰で、商売が成り立っているようなもので、うちにしてみれば先生は神さまみたいな存在で、僕なんかには先生の頭から後光が、差しているように見えるんですがね…」

「そんなことはどうでもいいから、早く私の書斎にきたまえ」

 山本はそう言いながら、神棚から手文庫を下ろすと、洸一を連れて自分の書斎へと向かった。書斎に入ると山本は、洸一に椅子を勧めながら自分も椅子を、引き寄せると腰を下ろした。

「洸一くん。君には信じられないかも知れないけど、これが正真証明のタイムマシンだ」

 手文庫の中から取り出した時計を洸一に手渡した。受け取った洸一は黙ったまま、掌の上に載せられた腕時計を見ていた。

「先生。僕が見たところでは、普通の腕時計のように見えますが、デジタルの小窓がやたら多いんですが、これは何なんですかね…」

「さすがは、私が見込んだだけのことはあるね。洸一くん、そのカウンターはすべて、年代と月日・時間を表す窓なんだよ」

「へえー、これがあの有名なタイムマシンですか…。フーム…」

 洸一はそういうなり、ひとり黙りこくってしまった。

「これは私の友人で、いまは縄文時代に行ってしまった、佐々木耕平が拾ったものなんだよ…。耕平にも少々事情があってね。私も必死に止めたんだが、よほど決意が固かったらしく、止めるのも聞かず行ってしまった。これは後で知ったことなんだが、そのマシンの年代メモリーを、すべてハイフンにすると、紀元前の世界に行ってしまうんだそうだ」

「そう云えば僕が子供の頃に、佐々木耕平さんが失踪するという、事件がありましたよね。僕はまだ小さかったんで、はっきりとは覚えちゃいないんですが、大人たちが云っていた〝神隠し〟という、言葉が妙に気になっていたんですよ…。そうですか、佐々木さんは縄文時代にいるんですか…」

 洸一は、ため息を吐くようにして山本に問い返した。

「実はな。このマシーンは耕平が、もう自分には必要がないと思ったのか、私宛ての手紙を付けて送ってよこしたんだ。私の住所も添えてあって、「これを拾われた方は、ここに書いてある住所まで、大変申し訳ありませんが、届けて頂けないでしょうか。これはとても大事な時計なのです」と、書いてあったな。うーむ…」

 山本は昔を思い出すように、感慨深げに洸一に言った。

「縄文時代と云えば、いまから一万年くらい前でしたよね。確か…」

「その通り…。旧石器時代の後、一万四千年も続いたという世界でも、類を見ない長い時代だったらしい…」

 山本も、ろくに詳しい知識も知らないまま、単身行き先も分らず耕平を探しに、縄文時代まで行った日のことを思い出し、若かった頃の無鉄砲さに苦笑した。

「ところで、先生。縄文時代はわかりましたが、江戸時代というと一体いつ頃の時代に、行かれるおつもりなんですか…。江戸時代と云われましても、縄文時代には及ばないにしても、三百年近い歴史があるんですよ…」

「うむ、そこなんだよな。問題は…、雑誌社の記者にも云われたんだが、坂本龍馬が近江屋で暗殺されたのは、未来からきたアンドロイドで、龍馬はそのまま未来に逃げ延びた。と、いう話なんだがね。

 洸一くんは、どう思うかかね…。第一にだよ。そんな誰でも思いつきそうな話は、私は書きたくないね。洸一くん、君はよく本を読んでいるようだが、何かいいアイデアはないかね…」

「アイデアですか…。僕は商売柄、店番をしながら本は読んでますが、書くほうとなると話は別ですよ。先生…」

「そうか…。それでは、とにかく考えてばかりいても、話はこれ以上は進展するまい。

 やはり、この目で江戸の町を見てみないと、話のアイデアも出てこないな。明日にでも、ふたりで行ってみないことには、何も始まらんな。これは…」

「え…。と、云うことは、僕も一緒に連れて行ってもらえるんですか…」

「当たり前だろう。そうじゃなかったら、君にタイムマシンの話なんか、するはずもないじゃないか。それにしても、君のその頭はいかんな。せめて明日までに、坊主刈りにしてきたまえ。着る物は私が用意しておくから…」

「坊主刈りって、まさか先生…。僕に坊主の衣装を、着せるんじゃないでしょうね…」

「よく分かったな。私はご覧の通り髪が長いから、このままでいいが君の場合は、中途半端に長いから逆に目立つんだよ。江戸の人々にはそんな頭は、絶対にあり得ないからね…」

「うわぁー、それだけは勘弁してくださいよ。先生、丸坊主なんてイヤですよ。僕は…」

「そうか、イヤか…。なら、仕方がないな。私ひとりで行こう…」

「うわぁ…。ち、ちょっと待ってください。やります、やります。坊主頭でも何でもします…」

 洸一は置いて行かれては大変と、慌てて山本にしがみ付いた。

「冗談だよ。私がそんなことをするとでも思うかね。君は歳の割には、冗談が通じないんだね。確か、私が縄文時代に行った頃は、君はまだ七才くらいの子供だった。と、いうことは、当時私は二七才だったから、洸一くんももう四十になるのか、早いものだな。年を取るのも…」

「そんなことは、どうでもいいですから、先生は江戸時代のどの辺りに、行こうとしてらっしゃるんですか…」

「ん…、それがな。私自身も時代小説なんて、SFがらみとはいえ初めてだから、題材を何にすればいいのかさえ、考えもつかない状態なんだよ。

 だから、江戸の時代をあちこち周って、話のネタになりそうなものを、探してみようと思っているんだよ」

「分かりました。僕もこれから、家に帰って江戸時代について、少しばかり調べてみますんで、今日のところはこれで失礼します。それではまた明日…」

 そう言って立ち上がりかけた洸一に、

「あ…、洸一くん。私が今日話したことは、他言は無用に頼むよ」

 と、山本が釘を刺すようにいった。

「わかっていますよ。先生、きっと未来のほうで、タイムパトロールかなんかが、目を光らせているっていうんでしょう。それでは、僕はこれにて失礼します」

 仲村書店の店主、洸一が帰ってからも山本は、書斎にこもったままで何かを、必死になって考えていた。山本が書斎から出てきた頃には、もうすっかり陽が沈んでいた。

 そして、いよいよ問題の翌日がやって来た。

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