義妹を選んだ婚約者様、どうぞ堕ちてください
福嶋莉佳
第1話
エミリア・ホッチは、夜会の
会場となった王都第一公爵邸の
大広間を、ひとり静かに歩いていた。
金糸を織り込んだ深い蒼の
ドレスが、動くたびわずかに
光を返してきらめく。
「エミリア嬢はお一人?」
「婚約者がいたのでは?」
──本来なら、この場には
彼女の婚約者クロード・
レーヴェンが並ぶはずだった。
だが、その姿はどこにもない。
ヒソヒソと交わる視線と噂が
胸の底をざわめかせる。
そのとき、扉の向こうから
ざわめきが波のように走った。
「…クロード様では?」
「隣にいるのは…妹のシェリア嬢?」
豪奢なシャンデリアの光を受け、
クロードと、その腕を取るように
歩く義妹シェリアが現れる。
淡いピンクのドレスをまとった
義妹は、今宵の主役のように
まばゆく輝いていた。
会場の空気が一瞬で変わる。
「エミリア嬢を放置して?」
誰もが、婚約者が義妹を伴い
当の婚約者を置き去る無礼を
直感的に嗅ぎ取っていた。
(…やはり、シェリアを選んだのね)
エミリアは胸の奥に広がる
冷たいものを押し込み、
静かに一歩前へ進む。
「…クロード様、どういうことか
ご説明いただけますか?」
彼はわざとらしく肩をすくめ、
余裕の笑みを浮かべた。
「シェリアは一人じゃ
可哀想だろう?だから
エスコートしたまでだ」
そのとき、シェリアと目が合う。
彼女はふっと口角を上げ、
含みのある微笑を返した。
──もともとクロードは学園時代から、
女性の噂が絶えない男だった。
彼の傍にはいつも誰かがいた。
「彼女はどういう関係で?」と
尋ねても、“友人”という言葉を盾にし、
「誤解だ」と笑って済ませる。
気づけば“友人”の名のもとに
彼の周囲は女ばかり。
贈り物をもらった者たちは、
みな同じ言い訳を口にした、
『ただの友人ですわ』と。
そして最近、その矛先は
義妹シェリアにまで向けられた。
「君と違って、華やかで美しい」
そう言って、贈り物を贈っていたのだ。
香水、リボン、宝石の髪飾り…
どれも“妹への気遣い”という名目で。
エミリアが何度忠告しても、
「君は嫉妬深いな。
妹を気遣って何が悪い」
と笑い飛ばすばかりだった──
「婚約者の妹と親しくして
何か問題でも?」
今もクロードは余裕の笑みを浮かべ、
その場の空気をねじ伏せようとする。
「…たしかに、妹なら
仕方ないのかもな」
「家も近しいし、兄のように
接してただけかも」
「あれくらいの距離なら
“友人”とも言えるか…」
ざわり、と同調の空気が
人々の間に広がっていく。
クロードは勝利を確信したように、
胸を張った。
だが次の瞬間、シェリアが
小さく微笑み、一歩前へ出る。
「私は一度も、クロード様と
仲良くしたつもりは
ございません」
空気が、凍りついた。
「むしろ、言い寄られて
迷惑でした」
そしてシェリアの声は震わせ、瞳に
涙をにじませた。
会場がざわめく。クロードは
戸惑い、声を荒げた。
「シェリア!あんなにも
よくしてやったのに!」
「俺はただ…家の名に恥じぬよう、
優しくしただけだ!
エミリア、誤解だ!
お前までそんな目で見るのか!?」
エミリアは一歩前へ出て、
冷ややかに告げる。
「クロード様、以前から
申し上げていましたよね。
シェリアと距離を取りなさい、と」
「それでも“友人だ”と
聞き入れなかったのは、
あなたですわ」
「シェリア!君だって
贈り物を喜んで受け取って
いたじゃないか!?」
シェリアは涙を浮かべたまま、
静かに続けた。
「贈り物は勝手に届いただけ。
私は一度も使っていません。
でも、お姉さまの婚約者ですもの。
公爵家に無礼はできませんから…」
「シェリア嬢も被害者だったと…」
「なんてこと…」
周囲の囁きが、評価を塗り替える。
クロードは顔を真っ赤にし、
言葉を失って震えた。
会場奥の扉が、軋む音を
鋭く響かせて開く。
──エミリアは胸の奥で、
小さく息をついた。
本来なら政務の要人と打合せの
はずのレーヴェン公爵が、
姿を現したのだ。
彼女は数日前、公爵にささやかに
告げていた。「妹にまで不用意な
贈り物をしている」と。
「…クロード!」
父の声が大広間を切り裂く。
「ち、父上…!」
クロードが顔を上げると、
父の目は冷たい怒りで
息子を射抜いていた。
「婚約者を公の場で辱め、
その妹にまで手を伸ばし、
挙げ句の果てに我が家の金を
女に注ぎ散らしたとは――
恥を知れ、愚か者が!
レーヴェン家の名を背負う
資格などない!」
杖を床に叩きつける音が、
雷鳴のように響いた。
「この場をもって、
エミリア嬢との婚約は破棄する。
お前のような不見識を次代に
据えるわけにはいかぬ。
本日をもって嫡男の座を剥奪し、
レーヴェン家から出て行け!」
重圧に押し伏せられるように、
大広間は水を打ったように
静まり返った。
「父上、待ってください、
誤解です!」とクロードは叫ぶ。
「俺は悪くない!愛想を振りまいたのは
あの女のほうだ!俺は…!」
だが父は顔を背け、動かない。
護衛が動き、クロードは
引きずられるように
連れ出されていった。
重苦しい沈黙の中、シェリアは
そっとエミリアへ身を寄せ、
耳元で囁く。
「お姉さま、ようやく片がつきましたね」
シェリアは微笑みながら、
声を落とした。
「派手な女がお好きでしたから。
妹として少し愛想を振りまけば、
簡単に釣れましたわ。
…“友人”なんて、都合のいい
逃げ道ですよね」
その笑みは、さきほどまでの涙を
帯びた顔とは別人のように冷ややかで、
どこか誇らしげだった。
エミリアは妹の手を取り、
くすりと微笑む。
「ありがとう、シェリア。
あなたが味方でいてくれて、
私は誇りに思うわ」
「ええ、あの方の浅はかさには
助けられましたね。
少し仕掛けただけで、
自ら罠に飛び込んでくれましたもの。」
シェリアは小声で笑い、
ふとドレスの裾を揺らす。
「ところで、お姉さま。
あの山ほど届いた贈り物…
どうなさいます?」
「ああ、あれね。慈善団体へ
寄付してしまいましょう。
孤児院や女学会が喜ぶわ」
「素敵ですわ。悪趣味な
贈り物が無駄にならずに
すみますもの」
二人は顔を見合わせ、
クスクスと笑いながら
大広間をあとにした。
――後日。
慈善団体への寄付は瞬く間に
話題となり、姉妹の名は
社交界に広がっていく。
「気高く賢い令嬢」だと。
レーヴェン家の失態は長らく
語り草になった。
やがて姉妹には、次々と
良縁の求婚が舞い込み、
幸福な結末へと続いていく。
二人は、再び明るい未来へ
歩み出していった。
義妹を選んだ婚約者様、どうぞ堕ちてください 福嶋莉佳 @shiu-aruma
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