【1】砂上にて

 ――これは、その不死性を他者に利用されたナユタの話。

 

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、はるかミノスからやってきた不死の化生の見世物だ!

 西の戦乱も南の飢饉も北の疫病もお構いなし、たった一人で生き残ってきた、死なない人間だよ」

 澄み渡る青空と、灼けるような砂の間に、男の軽快な口上が響く。

 目抜き通りの広場に小さな舞台を組み上げて陣取り、鮮やかな衣装を纏った美しい娘が笑顔で道行く人々を魅了し足を止めさせ、そして男のその呼び込みを聞かせるのだ。

 世界の東西を貫くように繋ぐ、とある交易路の中間にある街だった。

 鉄や錫、そして塩などの隊商の中継地点として栄えており、大通りには東西それぞれからの露店がずらりと並び、交易路の果てを目指さずここで商売を済ませてしまう者も少なくない。

 宿は賑わい、酒場は騒がしく、世界中の様々な人々がそれぞれの目的のために絶妙な均衡を保ちながら共存する不思議な街だった。

 足を止める者が増えたあたりで、西方の礼服に似た服装をした見世物の座長らしきその男は、しなやかな脚を群衆に見せつけていた美女に目配せをする。

「お初にお目にかかります、わたくしレオナルド・アーキスと申す者。この見世物団の座長を務めております。

 さあさ、皆様お待ちかね、我がアーキス一座の目玉、世界の異端、生命の怪異、不死の怪人ナユタの華麗なる復活をほんの少しだけお見せして差し上げましょう」

 座長レオナルドの目配せで、美女がもったいぶった仕草で背後にあった布の覆いを取り払う。

 そうして人々の注目を集められるだけ集めた末に出てきたのは、若い男だった。両手を革の輪で拘束され足には頑丈な鎖の嵌まった枷をしている。

 それが、世界の異端っていうのかよ。ただの奴隷の間違いだろう。今にも死にそうじゃないか。ざわめきの中に観衆のそんな声が漏れ出す。

 確かに、男は怪異と言うほどの容姿をしていなかった。中肉中背に栗毛、人懐こい容貌で、通りのそこらを歩きながら露店で値引きの交渉に失敗していそうな、どこにでもいる男といった風体だった。

「ええ、ええ、皆様のおっしゃる通りでございます。このナユタ、特別見目が良いわけでも力が強いわけでも頭が良い分けでもございません。ですが――」

 そう言いながら、指を掲げ、自分に集まった視線を動かしながら人混みの中へと向けさせる。

 そこには、いつの間にか人混みの中に移動していた先ほどの娘が居た。たおやかな手を上げて周囲に挨拶した後、娘は懐からひとつのものを取り出し手にした。

 それが小型のナイフだ、と人々が気づいたころ――

 手首をすっとしならせ、娘はその凶刃を一直線にナユタに向かって放った。

 一瞬の後、目立つように鮮やかな柄をしたそれは、まるで吸い込まれるかのように『不死の怪人』の腹に刺さった。 

 どよめきは一瞬で悲鳴へと塗り替えられた。ナイフ投げの娘の周囲は逃げるように円状に人が退き、そのほかの人間は想像しえなかった事態に愕然としたまま、舞台上で腹から血を流している不死の怪人を見上げている。

 そして肝心の怪人本人はというと――見世物であるとは思えないほどの苦しそうな顔をしてふらふらと立っていた。

「まだまだ!」

 ぎょろりとした目により一層の禍々しい光を宿し、レオナルドが叫ぶ。

 それを合図に、娘は両手いっぱいにナイフを取り出し、次々にそれを怪人に向かって放った。

 狙いは正確で、右腿、左腿、右肩、左肩、と次々にナイフが刺さっていった。

 より一層の悲鳴が唱和する。逃げ出す者、怒る者、呆然とただ見ることしかできない者――動揺は伝播し、通り全てを巻き込んでの恐慌状態となっていった。

 そんな様子を眺め、座長は満足げに笑い、最後の合図を出す。

「さあ、とどめを!」

 そしてレオナルドの腕が振り下ろされると同時に、ナイフ投げの娘が腕を振り上げ――眉間にナイフを命中させた。

 それまでの五本のナイフに耐えた不死の怪人だったが、ついに目の焦点を失う。そしてゆっくりと、受け身も取らないままで後ろに倒れた。

 不死のはずの人間が、ナイフを次々刺されて血を流し苦しみ、そしてついに力を失い斃れた。

「ひ、人殺し――!!」

 誰かが叫ぶ。レオナルドに抗議し、娘に掴みかかろうとする者まで現れる。

 だが彼は動じることもなく、先ほどまでナユタにかぶせていた布を再び倒れた彼にかけ、そして、静粛を求めるようパンパンとやけに響く音で手を打ち鳴らした。

「さあ、ここからです! 皆様には特別に門外不出の秘蹟をほんの少しだけ垣間見せて差し上げましょう」

 そう言って、一歩を退き、背後を示す。

 その瞬間、怒りのどよめきは一瞬で鎮まった。

「死んだはずのナユタが、ほら、この通り!」

 その言葉の通り――そこには布を被せたままの中で、先ほど命を落としたはずの男が立ち上がり、布越しに手を振っていた。

「ま、まやかしだ。誰かと入れ替わったんだろう、中身を見せろ!」

「そうだ、そうだ!」

 先ほどまで泣きそうな顔をしておりようやく血の気が戻ってきたらしき若い商人が叫んでいるが、レオナルドは涼しい顔でそれを受け流す。

「明晩、外に設置したテントにて真実をお見せいたしましょう。アーキス一座、アーキス一座でございます。明晩興業を行いますゆえ、どうぞ皆様お誘い合わせの上、お越し下さいませ」

 青空の下、レオナルドの声が朗々と響く。

 誰もが布の中身に注目し、誰もがその言葉をしっかりと耳に入れた。

 アーキス一座の不死の怪人ナユタ。その噂は情報に聡い商人達の間に瞬く間に拡散されていった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「ごめん、肩のところ、ズレたでしょ。痛くなかった?」

「んー? 何ともないよ、ほら」

「そりゃ、一回死んだから、そうだろうけど……」

「リンちゃんのナイフはほとんど痛くないから、大丈夫」

「…………」

 大通りに馬車を無理矢理乗り付けさせ、荷台にナユタを放り込んで撤収したアーキス一座。広場から十分離れ、惨状を知る者が居なくなったあたりで被っていた布から頭を出すナユタ。

 すでに通りに露店はまばらになり、かわりに隊商向けの宿が多く立ち並んでいる。中心部ほど整備されておらず、街の外の砂が舞い込み埃っぽい風が吹いている。

もう少し進めば街の終わりが見えてくる。その先にはレオナルドの示唆したアーキス一座の巨大な天幕が一座を総動員して至急の設営をしているはずだった。

 荷台に同乗していたナイフ投げの美女、リンがなおも心配そうに覗き込んでくる。

蒼い瞳に輝く金髪をした彼女は、ナユタよりも少し若いくらいで、黙ってじっとしていさえすればどこかの姫君にすら見えかねないほどの佇まいだった。だがたいへんに気が強く、若い女だからと舐めてかかった者は漏れなく返り討ちに遭うこととなる。ナイフ投げの腕前も一流で、一座の中でもナユタに次ぐ花形とされている。

「大丈夫、大丈夫」

 納得のいかないというリンの眼差しに、枷のついたままの手を軽く掲げ、ナユタは苦笑する。

 リンはさらに少しの間じろじろとナユタを見ていたものの、やがて諦めたのか前を向き、御者をしていたレオナルドに声をかけた。 

「座長、どうしてこのまま今晩公演にしないの? その方がお客の集まりが良さそうだけど」

「実は今の宣伝は誰にも許可を取ってなくてな」

「あら」

「これから一晩かけてお役人様達に鼻薬をかがせてくる。王様にもお目通りが叶えばいいんだがな」

「王様?」

 素直に問い返し、リンが首を傾げる。

 ここはあくまで都市であり、独自の体制で自治を行ってはいるものの、国家として成立しているわけではない。

 するとレオナルドは首を巡らせ、リンを見やってきた。

「もともとこの街を設立したときの頭領の血筋のお人だ。今や王様とかわりない権力の持ち主さ」

「へえ。ま、頑張って下さいな」

「任せとけ」

 窪んだ眼窩に据わる黒い瞳をぎらつかせ、レオナルドが嗤う。そして馬車を広場まで繰ってきたとなりの男の肩を叩く。 

「その間設営の監督は頼むぞ、ガルド」

「はい」

 大柄で浅黒い肌をした用心棒上がりのガルドが低い声で返事をして頷く。その腰には立派な剣を佩いている。使い込まれた鞘と柄。見世物のためにリンが使いナユタに突き刺さるもののような鮮やかさなど欠片もないそれらは、ガルドという男の経歴をうかがい知ることのできる一端だった。

 

 

 やがて馬車は街の外に出る。

 そこは果てしなく広がる砂の大地だった。水気などどこにもなく、ただひたすら乾いた空気が砂を巻き上げ運んでいく。

 西の世界と東の世界を繋ぐ交易路。かつてはこの砂によって分断されていた二つの世界は、開拓者らの懸命の努力によってもたらされたオアシスを辿るルートによって繋がり、今に至っている。

 この街も、オアシスの豊かな水場を根拠として築かれたものだった。

「座長、柱が安定しません。座席などもこれでは……」

 レオナルドが馬車から降りるなり、テントの設営をしていた団員が困り顔をして駆け寄ってくる。

 見ると設営は遅々として進んでおらず、未だに大の男が十数人がかりで砂地に刺さり左右に揺らぐ太い支柱を支えている。

「柱は男衆を総動員してもっと深く叩き込め。座席の方は板を敷くしかないだろう。足りなかったら買い足せ」

「は、はい」

 舌打ち混じりにレオナルドが言うと、団員はこくこくと頷いて逃げるように現場に戻っていった。

「せっかくここまで来たのだ、何としても成功させる」

 苛立ちを隠さないまま、レオナルドは吐き捨てる。

 もともと西方でさんざん興業を行ってきたアーキス一座だが、贔屓にしてもらっていた王国の政情不安などもあり、栄えているという東方へ足を伸ばして興業の可能性を探ろうとしていたのだ。ここはその橋頭堡のようなものだった。東方から来ている商人達の反応を見て今後の方針を決めるつもりなのだ。

「ナユタ」

 ふんと鼻を鳴らした後、レオナルドはただ端的にそう言った。ナユタはそれだけで座長の言わんとしていることを悟り、大人しく荷台から飛び降りる。

「行くぞ」

 そして、連れ立って馬車の荷台を集めてある一角へと向かう。

 背後のリンとガルドが含みのある顔でそれを見送り、視線を交わしていたことに気づいた者は誰も居なかった。

 


「それじゃ、明晩は頼むぞ」

「へいへい」

 とある荷台の中。そこは部屋のごとく閉め切られていた。

 壁そのものは木製だが、鉄の棒をいくつも支柱にしており実質檻と変わらぬ堅固なものだった。内部には簡素な寝台以外には鉄の巨大な杭がいくつかせり出しているだけだった。

 座長レオナルドは慣れた手つきでその杭と、ナユタの手足の枷を繋ぐ。

 切ることも千切ることもできない、分厚い革の枷だった。湿らせており、すでに手足の先が鬱血するほどの強さで締めつけているのに、乾けば縮んでさらに圧迫が進むはずだった。

 たとえ締めつけすぎて壊死しようとも、いったん殺せば元通りになると知っているからこその、過酷な扱いだった。

 そして獣どころか道具をしまい込んだといった程度の扱いをした座長が分厚い扉をくぐって出て行く。直後にがちゃりと物騒な施錠の音がして、ナユタは完全に外界と隔てられる。

「さて、丸一日かあ」

 既に手足が痺れ、感覚が薄れている。だがそのくらいはもはや慣れたもので、ナユタは軽く嘯いた後、手足を投げ出し、その場に寝転がった。じゃらじゃらと無粋な音がついてくる。

 そうしてただ無為に時間を過ごしていると、不意に上から降り注いでいた光が陰る。檻の天井の隙間から入る光が何者かに遮られたのだ。

「ナユタ……いる?」

 その隙間に囁き落とされる女の声。ナユタは薄く笑い応じる。

「うん。どしたの、リンちゃん。そんなところに居たら見張りの人に怒られるよ」

「子供みたいに呼ばないで。それに、今は柱を立てるのに皆出払ってるわ」

 ナユタの檻には常に護衛の男が一人立っているはずだったが、テントの設営がよほどうまくいっていないようだった。

「そうかあ。そうは言っても子供だしなあ」

「……」

 ナユタの閉じ込められた荷台の上に居たのは、他でもないナイフ投げの娘、リンだった。

「ナユタ。話があるの。ちょっと聞いて欲しい」

「うん?」

「実は……」

 リンが深刻そうな声でささやきかけてきたそのとき、不意に横から鋭い声が飛んできた。

「リン、座長が戻ってくる」

「……っ」

 舌打ちの音とほぼ同時に、荷台が僅かに揺れ、人影が掻き消える。リンが素早く飛び降りたのだ。

 そして別れの言葉もなく、人の気配も薄れて消えた。

「ガルド君かあ、まあ悪くない、かな?」

 先ほどの声が精悍な男のものだと気づいたナユタは、少女の頃から見守っていた娘とその男を並べたところを想像する。

「まあ、いいんじゃないかな」

 半分は素直に、そして半分は自分に言い聞かせるように、ナユタは呟いた。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 そして、次の晩。結局支柱は安定せずじまいだったため、天幕をはらずに段差のある座席で舞台をぐるりと囲んだだけで興業を行うこととなった。

 夜空の下でありったけの火をともし、いつもと違う間合いに戸惑いながらも、猛獣使いの前座から始まり、一座のショーは幕を開けた。

 見世物の目玉であるナユタを用いた衝撃的な宣伝が功を奏したのか、満員御礼どころか立ち見で周囲が一杯になるほどの観客が一座の舞台へと押し寄せた。

 猛獣使いや綱渡りなど、本来ならばショーのメインとなれるはずの演目も、ここでは全て、ナユタの登場まで客を焦らすための前座だった。

 そうして客の鬱憤を溜めておきながら、満を持してレオナルドの宣言とともにナユタが引きずり出されてくるのだ。

「皆様、大変長らくお待たせしました、皆様のお目当て、ついに登場いたします! 不死の怪人ナユタでございます!」

 ぎょろりとした目に狂気に近い光を宿し、座長は叫ぶ。細身の中年だが、どこから出ているのか分からないほどその声は不思議と響き渡る。

 そして、ナユタは舞台の中央に立たされる。

 次いで現れるのは、ナイフを携えた美女、リン。男の目を引く衣装を纏い、笑顔を振りまき、肢体を見せびらかしながら、リンはナユタから少し離れたところで立ち止まる。

「まずはこの美しい花からの一矢を!」

 そうして――ショーという名を借りた、嗜虐が始まった。



 リンにより放たれたナイフが、すとんすとんと、いとも簡単にナユタの全身に刺さっていく。

 血が流れ、服が濡れ、それを見に来たはずの観客ですら次第に静まり息を呑んで成り行きを見守るようになる。

 やがて十数本のナイフを刺されたナユタがゆっくりと背後に倒れる。そこに座長がさっと布を被せる。不満の声が上がるが、レオナルドは焦らすようににやりと笑った後、布を取り去る。

 宣伝のときは見せなかった布の中。そこには、無数のナイフに刺されていたはずにも関わらずいつの間にか無傷に戻ったナユタがへらへらと笑っていた。

「まだまだ、これは手始めでございます。何か仕掛けがあるのではないかとお疑いの方もいらっしゃるようでございますね。では次こそはこの怪人が死に墜とされるところまでをお見せ致しますよ。どうか皆様瞬きもせず、つぶさにしっかりとご覧下さいませ。

 さーて、次はどの武器にいたしましょう。さあ、この怪人を殺してみたくはありませんか」

 言いながら、先ほどまで猛獣を扱っていた団員に、大きなカートを運ばせ、示す。そこにはあらゆる武器が、ナユタを傷つけ殺すための道具が載せられていた。

 酒でも飲んでいるのか顔を真っ赤にした客の一人が、叫ぶ。

「斧だ! 斧にしろ!」

 斧で殺せ。首をはねてしまえ。他にもそんな声が唱和する。

 レオナルドの目論見通りにすっかり嗜虐の雰囲気にのまれていった群衆が熱に浮かされたまま喚いている。

 ナユタは座長の掲げたその凶器に大げさに驚き退くふりをする。そして斧はやがて屈強な男の団員に手渡される。

 おどけた仕草で逃げ回るナユタ。だがそれを阻んだのは他でもないリンのナイフだった。

 ふくらはぎにナイフが刺さり、転ぶナユタ。

 そこに斧を持った男が迫り、鈍色のそれをゆっくりと振り上げる。

「いまだ、殺せ!」

 そんな声を浴びながら、斧はやがて鈍い音とともに振り下ろされ――ナユタの頭をかち割った。



 ナユタの人懐っこい顔がぐしゃりと砕けた様子を目の当たりにした客は流石に目を覆い戦くが、程なくして布を被せることもなく文字通り瞬きをする間に元通りに復活したナユタを見て、それまで以上のおおきなどよめきが起きる。

「これが、これこそが! 不死の怪人です! 何度殺しても死なないナユタの怪異でございます!」

 レオナルドが高らかに叫ぶ。観客達の歓声が、天蓋が無いにも関わらず響き渡る。

 全ての捌け口を整えて旅をする商人などほとんど居ない。死の危険すらある交易路を渡ってきた者達にとって、死なない男を嗜虐するというこの見世物は血潮を滾らせ鬱憤をはらす格好の的になったようだった。

 次は弓だ。剣だ。いっそ猛獣に食わせてしまえ。

 不死の怪人という存在を受け入れた人間達は、次々に残虐な要求を出し始める。そしてレオナルドはうんうんと頷きながらそれを実行していく。ナユタは幾度も傷つけられ命を落とし、それと同じだけ生き返った。纏っている衣装だけが嗜虐の証拠として破れ切られ傷んでいった。

 許される殺人。咎められることのない禁忌。人間のこころを絶妙にくすぐり満たすショーは大盛況の内に終わった。

 興奮を昇華しきった観客が満足そうな顔で帰っていく。汗が引いたのか、冷えてきた風にあたって身震いしながらそそくさと戻る者、同行者とともに笑い合いながら酒場にふけこもうとする者、そして、一番理性的ではあるのだが、気分を悪くして蒼白な顔でふらふらとぼとぼと歩く者。

 そんな人々の背をにこやかに見送るレオナルド。既に頭は銭勘定でいっぱいであることが団員達には丸わかりだった。ときおりナユタを譲って欲しいとでも言っているのか幾人かの商人が座長に耳打ちをしにきていたが、彼はけして頷きはせず、強面達に命じてそれらの客にも半ば強引にお帰りいただいてもらっていた。

 レオナルド・アーキス。四十ほどの齢の神経質な男。もとはただの雑伎団で先細りの一途だった一座を、ナユタを見出し取り入れたことにより破竹の勢いで発展させ百人近い大所帯へと生まれ変わらせた人物だった。

「ごめん、痛くなかった?」

 座長の後方で客に笑顔で手を振りながら、口だけを小さく動かしたリンが囁きかけてくる。

「リンは最近いつもそればっかりだ」

 同じく朗らかに笑ったままのナユタが同じように返す。

「そりゃ……ナイフを刺してるんだから心配するわよ」

「そんな心配しないでいいよ、俺の心配はいらない。どうせ死ねば済むんだし」

「そんなこと言わないでよ。心配させて。あんたがここにいることだって、あたしのせいなんだから」

「ああ、そんなことか。気にしないで良いよ、本当に」

「そんなこと……って!」

 思わず声を荒らげるリン。座長がぎろりと睨んできたので速やかに表情を戻し、華やかな紅一点として振る舞う。

 座長の背中からの冷ややかな気配を感じながら、ナユタは苦笑する。

「本当に気にしないでいいんだ。座長には昔の借りがあるし」

「……それが、わたしのせいなんじゃない」

 再び頬を膨らませようとするリンを横目で見やったナユタは、朗らかに笑う。つい先ほどまで行われていた言葉にできぬほどの理不尽な暴力のことなど無かったかのように。

「あんたは、行きたいところとか、やりたいこととか、無いの……?」

「んー、ミノスで昔世話になった人の墓参りかな、でもまあ生きていればいつか行けるし。ほら、笑顔笑顔」

 最後まで残っていた一団が、出口ではなく座長の方に向かってくるところだった。中に身分の高い人間がいるらしく、大柄な護衛数人に囲まれていた。座長が脱帽し地面に着きそうなほどの礼をして、商談のためか連れ立ってそそくさと自身の豪華な荷台へと向かっていった。

「どうやら、大物が釣れたようだ」

 自分を殺すショーを、まるで他人事のように呑気に言うナユタ。

「……あんたの頭が理解できないわ」

「せっかくの人生は愉しまないと」

 へらへらと笑うナユタ。リンはついに完全に笑みをそぎ落とし、改めてナユタに向き直る。

「……今、楽しいの?」

「!」

 貴石のような青い瞳が、ナイフのようにナユタを貫く。その目は僅かに滲んでいるようにも見えた。

「刺されて切られて叩きつぶされて……そんなことされるのが楽しいの?」

「どうだろうな~?」

 一瞬の動揺を押し隠しあくまで呑気に振る舞うナユタ。

「……ばかっ」

 ナユタが最後まで本音を漏らす気が無いことを悟ったリンが、吐き捨てるようにそう言って、大股でどこかに行ってしまった。

 公演はもう一晩続ける予定だった。今日の観客が噂を持ち帰りそれを耳にした新たな客を呼び込むためだ。設営はそのままに灯りだけが順に落とされていく。幼い頃から知る娘のしなやかな背が闇に消えるまでを見送ったナユタは、振り続けていた手をゆっくりと下ろし、そして苦笑した。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


 だが、何者かとの会談から戻ってきた座長の指示により、第二回の公演は中止となった。

 せっかく資材を買い足してまで舞台と客席を組み上げたというのに、僅か一晩、数刻の使用のみで撤収となってしまったのだ。

 翌朝。空の澄み渡る美しい朝だった。風も穏やかで、砂も舞っておらず、遠くの砂の稜線がはっきりと視認できる。そんななかで団員達がいささか疲れた顔で、昨日死にものぐるいでやったことの逆の作業に取りかかっていた。

 そのうんざりした雰囲気を感じ取ったのか、ナユタをはじめとして人使いのきわめて荒いレオナルドも流石に取り繕うように笑ってみせた。

「急ぐことはない、出立自体はまだ先だからな。じっくり片付けてくれ」

 珍しく作業を急かさず、上機嫌の座長を見て訝る者もいた。だが、どこからともなく「オアシスの王様からお声がかかってお屋敷で貸し切りのショーをやるらしいぜ」という耳打ちが伝わっていき、納得の末に嘆息し作業に戻る。そんな光景があちこちで散見された。

 昨晩座長を呼び止め商談をしていたのはその「オアシスの王様」の側近だった。ナユタの殺人ショーにたいそう感銘を受け主君にもお見せしたくなったと商談を持ちかけてきたのだ。

東世界への進出の手始めとして、この上ない申し出だった。団長は一も二もなくその申し出に飛びつき、そして二日後の夜、ナユタと数人の取り巻きの団員を引き連れて彼の館で直々に見世物を執り行うこととなった。

 そんな浮ついた空気の中で。解体、撤収作業の傍ら、密やかに目配せをしあう団員達が居た。木材を抱えながら、敷物を丸めながら、すれ違いながら、とある計画を水面下で進めていた。

 百人ほどの団員のうち、十数人がそうしてやや深刻な表情を俯きながら隠し作業に従事している。その中には寡黙な護衛の男ガルドと、一座の花形、ナイフ投げの女王ことリンも含まれていた。

 見目に気を遣いナイフを正確に投げるという主目的のためにそういった労働を免除されているリンだったが、今日に限っては他の団員に混じり軽い手伝いをし、そして特定の団員を見つけ耳打ちを繰り返していく。

 その合間、後方を――不死の怪人が手足をがっちりと拘束されてしまい込まれているであろう厳重な檻の方向を時折見やって、物憂げな表情を浮かべていた。

 


 その晩、吝嗇家の座長にしては珍しく、街中で買い込んだ酒と馳走が団員全員に振る舞われた。それどころか臨時の小遣いすらばらまかれ、街中に行って羽目を外してこいとまで言われる始末だった。

 この街の王様に直々に披露できることとなり、よほどの大金が手に入る算段となったのだろう。下働きの人足達も、猛獣使いの娘達にも、護衛の強面達にも等しく、日頃のねぎらいと称したものが舞台の撤収跡にずらりと並べられ、無礼講の宴が始まった。

 近くで野営をしていた他の隊商などが灯りと賑やかな雰囲気をかぎつけ、自ら酒を持ち寄って加わってくる者もいた。遠くの海で手に入るという珍しい魚の干物など、日頃ならば旅芸人が口にすることなどできないような珍味すら振る舞われ、笑顔と笑い声の絶えない宴となった。

 それは次第に輪を拡げ、人種も、言葉も、問わない盛大なものになっていった。皆して気を許し笑い合い、団員は簡単な芸を見せ、飛び入りの商人はちょっとした小物などを対価として差し出した。

 交易都市ならではの全てが混ざり合う愉快で幸せな光景だった。

 そんな中。宴の光からはずれた野営の片隅。宴に加わることができずふて腐れた護衛二人に守られ、一つの檻のような荷台が置いてあった。

 時折八つ当たりのように剣の柄でゴツゴツと叩かれ、返事のように内側からも音が返ってくる。

「クソ、もう交代の時間だろう、あいつら来やしねえ」

 片方が毒づき、もう片方が頷く。二人とも視線の先は宴の行われている明るい方だ。遠くのそれを悔しそうに睨みながら、だるそうに砂に腰をおろしていた。

「おい、生きてっか」

 男が苛立ち紛れに背後の壁を叩く。やがて『生きてるよお~』とくぐもった声が漏れ聞こえてくる。

「何かすげえ楽しそうだよなァ」

「……行くか?」

「行きてえのはやまやまだが……」

 一瞬よぎった甘い誘惑に揺らぐものの、背後を見やった護衛の二人は結局目を見合わせて嘆息する。

「ま、これを逃がしたらどうしようもねーからな」

「もう少ししたら呼んでくるか」

「戻ってこいよ、くれぐれも。そのまま酒飲むんじゃねーぞ?」

「はは」

 そうして不満を抱きつつも職務を続ける真面目な男二人の前に、軽やかな足取りで近付いてくる人物が居た。

「おう、リン。どうした」

「おつかれさまぁ」

 金髪を揺らしながらゆったりと歩いてきたのは、ナイフ投げの娘だった。長い足を見せびらかすようにしながら蠱惑的な仕草をした末、護衛の前に立ち、身を屈める。白い胸元を晒しながら、リンは掲げていた籠を示す。

「お酒、持ってきたわよ」

 その中には、二本の酒瓶といくつかの料理の皿が入っていた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 外のざわめきがかすかに聞こえてくるだけの、閉ざされた檻の中。

 灯りも無く、酒も馳走も勿論無く――ただ鎖と枷を友としたナユタが次の出番までを静かに過ごしている孤独な空間。

 先ほどまでは在室の確認のように時折外側から壁を叩かれていたものの、いつしかそれも止んでいた。

 いつも通りの窮屈な枷により、既に腕は痺れている。足はまだ痛みの段階だった。次の出番は二日後とのことだから、また壊死してしまうことだろう。

 安らぎに似た眠気の中、ただ静かに時を過ごす。夜の水に沈み込んでいくように、意識をゆっくりと沈降させる。

 仰向けに寝そべると、天井の隙間から僅かな月の明かりが漏れ入ってくる。優しい光だった。けして届かない、見ているだけで良い、見守っているだけで幸せなれる美しい金の光。ナユタは遠ざかっていくようなそれを見上げながら、ただ時間が過ぎるのを舞った。

 そんなとき、不意に、荷台が軋んだ。

 ぎ、と音がして、ナユタははっとして身を起こす。息を潜めて様子を見ていると、やがてナユタの居る隅の反対側の隅の床板の一つががゆっくりと浮き上がる。

 そして少しの間の後、ひょっこりと姿を現したのは、鮮やかな金色の頭だった。

「……おやおや。何年ぶりだ」

 嘯くナユタの目の前に現れたのは、他でもないリンだった。

 剥がせた床板は小さく、頭はともかく、そこから先が中々通らないようだった。まるで芋虫のように藻掻きながら、長い時間をかけて何とかリンが密室の中に入ってくる。

「大きくなったねえ」

 くすくすと笑いながらナユタがそう言うと、リンはふて腐れたようにそっぽを向く。

「……育ったのはここよ」

 そう言って胸元の柔らかい膨らみを示す。今度はナユタが苦笑して目を逸らす番だった。

「昔はするっと入れたのに、ね」

「……」

 服の埃を払ったリンが、ゆっくりとナユタの前に立つ。

 かつては座ったナユタほどの背丈しかなかった幼い少女が、今や目のやりどころに困るほど伸びやかな肢体と美しい容貌の持ち主となっていた。

「あれから……何年経っただろうな」

 その成長を、ナユタが我が子を見るように微笑みながら見上げると、しかしリンはその視線を跳ね返すかのように睨み付ける。

「……いま、座長は王様のところでおべっかを大回転させながら飲み食いしてる。ここの見張りも酒飲んで寝てる」

「ああ、それで外が静かになったの」

「……あたしたち、逃げることにしたの。皆が寝静まったら、行くわ」

「!」

「前から計画してた。皆で、バラバラに逃げるの。知り合いの隊商に混ぜて貰ったり、交易路から外れたり……」

「そうかそうか。結構キツいもんな、この一座」

「…………」

 リンの指がもじもじと握られている。言いにくいことがあるときの癖だった。ナイフの練習がうまくいかなかったとき、座長に叱られたとき――火傷が痛むとき。幼いリンは人目を盗み、この小さな隙間から入り込んでナユタの荷台にもぐり込んできていたのだ。そしてめそめそと泣き、人恋しさにナユタの胴にしがみつくことも多かった。

 長い沈黙と逡巡の末、リンは強い目をして、ようやく口を開いた。

「あんたも、逃げよう」

「おー?」

「もうこんな痛い思いしないでいいよ。あたしのせいでこんなことされて……」

「だから、気に病まないでいいってば」

「そんなの、無理よ!」

 身を切るような悲痛な声。いつしか、リンの目尻は滲んでいた。

「あたしのせいじゃない……あたしのせいで、こんな」


 ――かつて、アーキス一座には猛獣の扱いも体技も優れていない幼い少女が居た。奴隷として売られてきた彼女は、その見目の良さだけを見込まれ、危うい芸の的になり客の同情を誘う役を押しつけられていた。好事家の慰み者になるか、ここに立っているだけか、どちらかを選べ――と言われ、消去法として後者を選んだ結果だった。

 とある公演にて、燃えさかる櫓の上にくくりつけられ、空中ブランコで救い出す芸をした。だがブランコが破損し、彼女を救い出すはずの乗り手が転落し負傷した。必然的に少女は炎の中に置き去りにされた。

そのまま泣き叫ぶ少女。無為の死を思い観客どころか団員すらも諦観していたところに、一人の男が客席を飛び出し、炎に飛び込んだ。そして身体が業火に灼かれるのも構わず櫓を上り、そして少女を助け出した。

 少女は足と身体に火傷をしたものの、無事に生還した。だが、少女を助けた男は全身を焼き尽くされ、死に至り、そして、生き返った――


「あのときの賠償金なんて、あんたが背負う必要ないじゃない、あたしに危ない芸をさせないために自分がそんな目に遭うなんて」

「へへ」

 照れくさそうに頭を掻くナユタ。

「行こう、一緒に。ガルドも来てくれるって」

「ああ、一緒なのか。それは安心だ。気をつけてね」

「――ッ」

 その声色でナユタの意思を感じ取ったリンが顔色を変える。

「あんた、話聞いてたの! このままじゃ殺され続けるだけじゃない! あたしと一緒に――」

「俺が逃げたら、座長は死にものぐるいで逃げた奴らを探すよ」

「!」

「逆に、俺さえ残っていれば、二日後のこの街の王様のショーのために否応にもここに残る。

 だから、逃げるには最高の機会だと思うよ、いい考えだと思う。行っておいで」

「ばか!」

「うわっ」

 感情が臨界を越えたのか、涙をぽろぽろとこぼしながらリンが飛びついてくる。勢い余って後ろに転がり、ゴツンと頭をぶつけるナユタ。

 リンは転がったナユタに跨がり、真剣な目で見下ろしてくる。柔らかい重みが腹に乗る。蠱惑的な曲線が否応にも視界いっぱいに広がる。

「リンちゃん……さん?」

「逃げようって誘ったら、断られるとは思ってた。分かってた。

 でも、あたしの気持ち――知らないとは言わせないわよ」

 言いながら、いつしか一人前の美しい女となった、ナユタが炎から助け出した少女はナユタの服に手をかける。

「いや、そりゃ、分からなくはないけど……キャーっ」

「煩いわね」

「!」

 強引に上衣をめくりあげられたナユタが悲鳴を上げると、リンは覚悟を決めた顔でナユタの唇を自身のそれで塞ぐ。

「リンちゃんさん、あのだね、こういうことはとても大事だから事前に報告連絡相談をね」

「あたしが覚悟してこなかったとでも思ってんの」

「あ、はい」

 おずおずとされるがままになるナユタ。

「……もっと早く助ければ良かった、ってよく言ってたよね、あたしの火傷を見て」

「お、おう」

「こんなの、全然気にしてない。あんたが助けてくれなかったら、そもそもあのときに死んでたんだから。でも――」

 そして、自身の服をもどかしそうに脱ぎ去ったリンが、恥じらいと決意のない交ぜになった顔をして、ナユタの手を掴む。

「もし、あんたが少しでも気にしてるんだったら――触ってよ」

 ナユタによって命を救われ、ナユタに焦がれ、ナユタの死のショーの苦痛を少しでも和らげるためにナイフ投げの腕を誰よりも磨いた娘。ナユタのことを、きっと世界で一番気にかけ気を揉み愛してくれた女。

 その脇腹には、ナユタが庇いきれなかったために負った火傷の引き攣れた痕があった。

 ナユタはようやく観念し、力を抜く。そしてなおも必死の形相で自分を組み敷く愛おしい娘に向かって、笑いかけた。

「わかった。おいで。おれも、覚悟決めるよ」

「――っ」

 今度は逆にリンが照れて真っ赤になる番だった。

 そうしてほんの少しの月の光に照らされる仄明かりの中、必死な視線がしばらく絡み合った後――やがてその距離は狭まり、二つの影は一つになった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 夜通し続く朗らかな宴。地平線からのぼった月が空の反対側まで回り込んだ頃には、一人また一人と眠気と酔いで脱落していった。

その場で寝こける者、ちゃんと寝床に戻る者、はたまた意気投合した他の隊商の相手と連れ立って密やかにどこかの物陰にしけこむ者も。

 そんな中で、水面下で進んでいた計画を抱えた者達は、気取られぬよう少しずつ輪を抜け出していき、街の反対側の人目の届きにくい日陰にて集合をしていた。

 既に一人を除いて全員が辿り着いていた。まとめ役を買って出ていたガルドが身を乗り出して遠方を窺っていると、やがて外套を目深に被って小走りで、最後の一人――リンが現れる。

「遅いぞ」

「……ごめん」

「一人で来たということは……やはり、来なかったんだな」

「ええ。自分が逃げたら追っ手がかかりやすくなるから――って」

「そうか。彼には悪いがそうしてもらえると助かるな。

 じゃあ、行くぞ。知人の隊商がもうすぐ出発するから、途中までは皆でそれに同乗する約束を取り付けてある。もう待たせているから迅速に移動を」

 そう言って、ガルドはリンを伴って歩き出そうとする。だが、リンはその場から動こうとしなかった。

「あたし、やっぱり行かない」

「……今更、何を。ナユタのために残るっていうのか」

 信じられないという顔をするガルド。

「ううん。そうじゃない。でも、皆と一緒に行くわけにはいかなくなっちゃった」

 詰問されてすら穏やかな笑みを浮かべたリンは、別れ際に想い人と交わした言葉を思い出していた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 時はほんの少しさかのぼる。

「気をつけて行くんだよ」

「……分かってる」

 月の光が入らなくなり、すっかり暗くなり薄らとしか互いの姿を確認できなくなった、不死の怪人の檻の中にて。

 脱ぎ去った服を纏い直し、気恥ずかしさから目を合わせることができないリン。ナユタはそんな彼女に、先ほどまでと同じ優しい声で囁いてきた。

「どうしても逃げられないってときは、どこか追っ手のかからないようなところへ飛び降りればいい。きっと、助かるから」

「!」

 驚いて振り向くリン。向かい合ったナユタは、そんなリンに苦笑して見せた。

「まさか、」

「そういうこと」

 そして、鬱血して壊死しかねない自身の手をさする。何とか二日後までもたせるためだ。

「そんな……じゃあ、もしかして、あんたは、もう……」

 ナユタが言外にほのめかした事実に愕然とするリン。そしてリンの手を握り、祈りを込めるように額を押し当てる。

「ありがとう、リン。幸せになるんだよ」

「……あなたと一緒に、幸せになりたかった」

 目に涙を一杯溜めたリンがそう言うと、ナユタは彼女の手を解放し、そしてやんわりとその華奢な身体を押しやる。

 もう行くんだ――言葉で言えない代わりに、そっと行動で示す。

 そして、声を出さずに泣きながら抜け穴に戻るリン。何とか身体を押し込み、怪人の檻を脱していく。柔らかくしなやかな腰も、豊かな胸も、全て何とか通り抜け、最後に頭を残し、今生の別れになる直前――ナユタはそっと囁いた。

「俺は十分、幸せだったよ、今までずっとね。きみの成長を見守るのが楽しかった。きみが美しくなるのが誇らしかった。きみが俺を気にかけてくれるのが――嬉しかった」


 リンは返事をしなかった。ただ、荷台から抜け出し、泣きながら走った。この上ない幸せと限りない寂しさを抱え、リンは月下を走り――自分を救い、自分を育て、自分を愛してくれたひとから離れていった。



 月が沈む。漆黒の空が東の方から青みを帯びていく。

 夜が明けるのだ。宴が終わり、うやむやにしていたものが全て明るみに出る時間が間もなく訪れる。できるだけ早くこの街を離れなければならない。

「あたし、西に戻るわ。行きたいところがあるの。昔お世話になった人の墓参りに、ね」

 皆が正気を疑うような顔で覗き込んでくる中、そう言って、リンは力強く笑う。その目にはもう涙の跡は無い。ただ一人の女として、凜とした表情だけがそこにあった。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 団員達の脱走という事実が発覚したのは、日がすっかり昇ったあと、座長が戻り宴の後の惨状を見渡したときのことだった。

 団員の面子が足りないことに気づいたレオナルドは、まず血相を変えてナユタの檻へと向かった。そして中を覗き、誰よりも大事な商売道具が――かつて興業を台無しにしたといういわれの無い罪で捕え、とうてい贖いきれないような負債を被せ、それをかたにして酷使し続けている怪人がちゃんと残っていることを確認し、ようやく胸を撫で下ろした。その後取り巻きとともに逃げた人員を洗い出し、少しの間唸ってから、結局街の周辺を捜索させるに止めた。

 そして晩までかかって誰も見つからなかったという報告を受けると、ただ舌打ちをして、「馬鹿者どもが」と吐き捨て、それ以上の深追いをしなかった。一座の運営に支障が出るほどではなかった上、他の何よりも肝要な人物が残っており大口の商売を前にして必要以上に事を荒立てることはしなかったのだ。

 

 

 そうして、運命の日が訪れた。

 街の支配者たる男は退屈しているのだという。一歩外に出るだけで、砂ばかりが広がる広大な大地。東西の異文化が混ざり合い互いの良いところを取り入れ発展していく素晴らしい街。そんなところに居るにも関わらず、その男は、生まれたときからそれらに触れ続けていたためにもはや目新しさも無くただ溜まる一方の富を持て余しているのだという。

「とにかく、ご無礼のないように」

 王宮のごとき豪奢な館を前にして、似合わぬ正装をさせられた強面達とナユタにそう言い聞かせるレオナルド。ナユタは肩を竦めつつも頷く。

 拘束が強すぎた腕だが、何とか持ちこたえさせることができた。「一度死んでおくか?」と問われたもののこれなら大丈夫、と言って押し通すことも出来た。あとは、王様の前で残酷なショーを披露するだけだった。

 館の中に踏み込むと、美しい石造りの廊下には東西の文化が混ざり合った瀟洒な調度品が並んでおり、王様たる男の保有する莫大な富と権力を想起させた。

 一行は天井の高い一つのホールに通される。

「わたくし、レオナルド・M・アルクィスと申す者。このアーキス一座を率いてはるか西方よりやって参りました。この度はお招きに預かり至極恐悦、光栄の極みにございます」

「御託はいらん。それが死なない男か、早く殺して見せろ」

 朗々とした声が降ってくる。

 ナユタ達を平伏させたレオナルドが形式張った挨拶を宣おうとしたところ、数段上に玉座のように据えられた椅子に座している男がつまらなさそうに手を振りながらそう言ったのだ。

 まだ若い男だった。ゆったりとした衣装を纏い、肘をつき、どこかけだるげな様子で姿勢を崩している。常に何か目新しいことを探している「たいくつなおうさま」という童話にでもなりそうな佇まいだった。

「は、はい。かしこまりました。では、どの武器がお好みでしょう」

 そう言って、レオナルドは護衛に命じて持ち込んだ武器を床に広げる。剣に弓矢に錐に――どれもナユタを傷つけ殺したことのある物騒なものだ。男の側近たちが目を光らせるが、もちろん王様には向けませんのでとレオナルド座長は諸手を上げて害意のないことを示す。

 男は腕をゆっくりともたげ、そのうちの一つを指した。

「そうだな、最初はやはり、剣が良い」

「は、おおせのままに」

 そうして、ナユタは男の正面に立たされる。あなたの無聊を少しでも晴らせれば幸いです。そんな想いを込めて微笑みかける。

「死んでも生き返るというのはどんな気分だ」

「自分にはそれが普通なので、分かりませんね。今まで死んで生き返らなかったことがないので」

 即答すると、男は僅かに眉を上げる。

「面白い。お前、私に飼われるか? 今よりは楽しい暮らしをさせてやろう」

「そ、それは……」

 レオナルドが狼狽えるが、ナユタは苦笑して首を横に振る。

「いえ、有難い申し出ですが、この後の行く先は決まってますので。ね、座長?」

「あ、ああ」

「そうか」

 思いの外簡単に退く男。レオナルドがそそくさと用意をし、護衛の一人が剣を携え、ナユタの横に立つ。

「さあ、不死の怪人ナユタの秘蹟、とくとお見せしましょう!」

 高らかに宣言するレオナルド。振り上げられる剣。ナユタは不思議な多幸感に包まれ、虚空を仰ぐ。

 どうか、あの子に幸せな未来を――

 最期にそう願いながら、ナユタは永遠を失ったその身に、白銀の刃を受けた。

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