それでも貴方は、何も知らない顔をする
傘花
この上なく穏やかで咽返る朝とティーストレーナー
「それ、丁寧なくらしってやつ?」
唐突に
「何?」
「今時ティーパック使わない人とか初めてみた」
ぷはっ、と湯気の立つインスタントコーヒーを一口飲んで息を漏らした美来は、顎で俺の手元を示す。
俺の手元、キッチンの上には、ティーカップとティーポット、そしてティーストレーナーが置かれていた。
美来にはそれが「丁寧なくらし」に見えたのだろうか。
確かに、殺風景な男の一人暮らし部屋には似合わない。けれどもそんなこと、この女に言われる筋合いはない。
「というか、そもそも朝から紅茶って」
朝から何を飲もうが俺の勝手だろ、と喉先まで出かかって、けれど言葉にするのをやめる。
これから仕事だというのに朝から体力を消耗したくないし、きっと彼女にとっても、「思っていたのと違って幻滅した瞬間」だったのだろうから。
「もらい物なんだ。無理にでも使わないと、本当に使わなくなっちゃうから」
紅茶の缶を開けながら俺は答える。
ティースプーンで茶葉を取り出して、メッキの取れ始めた金色のティーストレーナーに少しずつ入れていく。
ティーポット型のティーストレーナー。繊細で、洒落ていて、「あの人」の感性がこのたった1つで伝わってくる。
「こぼれてるけど」
美来が背後から抱き着くようにしてキッチンを覗き込んでくる。
ティーストレーナーに上手く入らなかった茶葉が、キッチンの上にパラパラと零れ落ちている。
これでも少なくなった方だ。以前はティースプーンですくったその殆どを無駄にしていた。
「入り口が狭いせいだよ」
「使いづらそう」
「多少はね」
「それでも使うの?もらい物だから?」
「お洒落でしょ?」
茶葉を入れたティーストレーナーをポットへと入れる。お湯を注いで、後は少し待つだけだ。
透明なポットからティーストレーナーが見えて、まさにこれだけで「お洒落な丁寧なくらし」だ。
「あたしはいくらお洒落でも可愛くても、使いづらいものは使えないや。ズボラだもん」
「まぁ多分こういうのは、お客さんが来た時とかに見せ物用として使うんだよ。話のネタにもなる」
「本当だ。まんまと話のネタにしちゃった」
紅茶の完成を待つ間に、俺はくるりと背後に振り返る。すぐそこに猫のような愛らしい女がこちらを見上げていて、嫌に理性を刺激してくる。
「蛙化したんじゃないの?」
顔を近付けてくる美来に、俺はそう尋ねる。
「したよ。朝から丁寧に紅茶を入れて飲むキモい男」
「じゃあコーヒー飲んだらとっととお帰りください」
「でも、
唇が重なる。そのまま押し倒してこようとするから、俺は慌てて美来の体を持ち上げてダイニングテーブルの方へと移動する。
「ポット、倒れるから。危ないから。熱湯だよ」
意地悪そうに笑う彼女は、きっとわかっていてわざとやったのだろう。
「ねぇ。それ、洗うのちょっと大変そうだね」
美来が俺の肩越しにキッチンのポットに目をやる。
「そうだね。水分を含んだ茶葉は膨張するから、ストレーナーの中でパンパンになって、綺麗に掻き出すのに苦労する」
「なんかちょっとえっちだね」
「どこがだよ」
今日は仕事なんだけれど、と思いながら、甘い世界へと再び落ちていく。
お客さんが来た時の見せ物用。
その言い方ではまるで、この女がいたから用意してやったかのようだ。
けれどそういうことにしておいてもいいか。
こんな昨日の夜に初めて名前を知った女のために、綺麗に取っておきたい思い出を壊されてたまるかと思うから。
それは、決して叶うことのない、泥沼の地獄のような恋物語なのだから。
-この上なく穏やかで咽返る朝とティーストレーナー- 終
それでも貴方は、何も知らない顔をする 傘花 @kasahana
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