異世界転生×ユニークスキル【植物愛】で無双する!?

月神世一

EP 1

祝福と胎動

男の名は、赤井護(あかい まもる)。三十歳、外科医。

いつものように、朝の喧騒が残る道を愛車で駆け抜けていた。カーステレオから流れる当たり障りのないニュースが、思考のBGMになる。昨夜遅くまでかかった緊急オペの疲労が、鉛のように肩にのしかかっていた。

(今日の午前は外来で、午後は大動脈瘤の手術か……資料は昨日のうちに確認しておいて正解だったな)

商業高校から一念発起し、猛勉強の末に掴んだ医師免許。決してエリート街道ではなかったが、人の命を繋ぎとめるこの仕事には誇りを持っていた。趣味の料理をする時間もほとんど取れない多忙な毎日。それでも、患者が笑顔で退院していく姿を見るたび、この道を選んで良かったと心から思える。

ふと、交差点が視界に入る。信号は青。アクセルを踏み込んだ、その時だった。

左から、けたたましいクラクションと、地響きのようなエンジン音。

視線を向ける間もなかった。網膜に焼き付いたのは、信号を無視して突っ込んでくる巨大なトラックのフロントグリル。

――あぁ、ダメだ。

思考が凍り付く。コンマ数秒の世界で、脳裏を駆け巡ったのは、やり残したことの後悔。次の休みに試そうと思っていた新しいレシピ。退院後の経過が気になる、幼い少女の顔。

まだ、助けたい人がいたのに――。

鋼鉄が肉を裂く、凄まじい衝撃。世界がぐにゃりと歪み、赤井護の意識は、底なしの暗闇へと沈んでいった。

光が満ちていた。

空は遥か頭上、幾重にも重なる翠の葉が天蓋となり、木漏れ日が金色のカーテンのように揺らめいている。空気は清浄で、息を吸い込むだけで魂が洗われるような神聖さに満ちていた。

ここは、エルフの国シルヴァリアの最深部。人の踏み入ることを許されぬ、聖域。

その中心に、一本の巨木が聳え立っていた。

天を突き、雲を貫き、その枝は世界の理(ことわり)そのものを支えているとさえ言われる、偉大なる【世界樹】。

その荘厳な根元に、一組の男女が静かに膝をついていた。

男はルーク・クラウディア。かつて大陸に名を轟かせたA級冒険者。屈強な体躯には、歴戦の証である無数の傷跡が刻まれている。

女はマリア・クラウディア。パーティの命を幾度となく救ってきた元高位僧侶。慈愛に満ちたその瞳は、今はただ目の前の巨木に向けられている。

「マリア……もう、十分だろう。その身では、長く祈り続けるのは辛いはずだ」

ルークが妻を気遣い、優しく声をかける。だが、マリアは穏やかに首を横に振った。

「いいえ、あなた。もう少しだけ……。ここに来てから、ずっと心が温かいのです。まるであの木が、私たちを励ましてくれているようで」

三十歳。同い年の二人は、人として、冒険者として多くのものを手に入れてきた。名声、富、そして互いへの揺るぎない愛。

ただ一つ、どうしても恵まれなかったものがある。

子宝だ。

あらゆる治療を試し、神殿にも通った。だが、願いは届かなかった。

最後の望みをかけて、彼らはこの聖域を訪れたのだ。妻がエルフの血を僅かに引いていたこと、そして冒険者時代の功績が認められ、特別に世界樹への謁見が許された。

マリアはそっと自身の下腹部に手を当て、瞳を閉じる。

(偉大なる世界樹様。万物の母なる御神木よ)

(もし、このちっぽけな私たちの声が届くのなら……)

(どうか……どうか、私たちに新しい家族を……この腕に、温かい命を抱く喜びをお与えください)

それは、魂からの叫びだった。

その切なる祈りに、世界樹が呼応した。

ざわり、と。

数億、数兆の葉が一斉に震え、まるで歌を歌うかのように葉擦れの音を奏でる。幹の中心から、太陽のように眩い金色の光が溢れ出した。

「なっ……!?」

「まあ……!」

光の粒子が、まるで意志を持つかのように二人へと降り注ぐ。

特に、その光はマリアの下腹部へと吸い込まれるように集まり、ひときわ強く、温かい輝きを放った。

その瞬間、暗闇の只中にいたはずの「何か」が、意識の輪郭を取り戻した。

(……温かい? なんだ、ここは……)

死んだはずだった。トラックに撥ねられ、体は粉々になったはずだ。

なのに、今はどうだ。

まるで母親の胎内にいるような、絶対的な安心感と、心地よい浮遊感。全身を包む、優しくて、とてつもなく大きな愛情。

マリアは、はっと目を見開いた。

自分の体の中で、今まで感じたことのない、小さな、しかし確かな「胎動」が生まれたのを、はっきりと感じ取ったのだ。

「あなた……! 今……お腹の子が……!」

言葉にならない喜びと驚きに、マリアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。

ルークもまた、神聖な奇跡が起きたことを悟り、愛する妻を力強く、だが壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。

世界樹から放たれる金色の光は、ますますその輝きを増していく。

まるで、長い間待ち望んでいた我が子の誕生を、誰よりも喜び、祝福しているかのように。

こうして、赤井護の魂は、元英雄夫婦の待望の子「ミルマ・クラウディア」として、この世界に最初の産声を上げたのだった。

偉大で、少しばかり愛情が重すぎる神に見守られながら。

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