序章 03
「……と言ってもまぁ、すぐ忘れることになるんだけどね」
メグルはカバンの中から紫色の太いロウソクを取り出すと、手すりに乗り出し、眼下でひしめきあっている野次馬と警官たちに向かって叫んだ。
「みなさん! 注目ううぅ~っ!」
誘拐犯がいたはずのビルの屋上から、子どもが大声で呼びかけている。その光景に驚いた群衆は、火が着いたように騒ぎだした。
「なんであんなところでガキがうろちょろしてるんだ。まったく最近のガキは、時間も場所もわきまえねぇ!」
いかにも血の気が多そうな年配の警官が、
「おおい、そこの少年! きみも人質にされたのかぁ? それともまさかガキ、お前ガキの分際で、犯人の仲間じゃないだろうな?!」
警官の口汚い言葉に眉をひそめつつ、メグルは内ポケットをまさぐりマッチを取り出した。
「
そしてロウソクに火を着けると、みんなに見えるよう高く掲げた。
「みんな、これを見ろ!」
群衆が一斉に頭を抱えてしゃがみ込む。
誰もが息をのみ、辺りは一瞬、時が止まったかのような静寂に包まれた。
怒鳴り声を上げていた年配の警官が、そっと顔を上げて目を細める。
「なんだ……爆弾じゃないのか?」
となりにいた気の弱そうな若い警官が、双眼鏡をのぞき込みながらこたえた。
「ええと……ただのロウソクのようです」
とたんに年配の警官が、烈火のごとく怒鳴りだした。
「くらぁガキィ! 大人をからかうんじゃあないっ! お前らガキは夜遊びばかりして、いつも大人に迷惑ばかりかけやがって!」
ただのロウソクだとわかった野次馬たちも、再びメグルを指差しながら、がやがやと騒ぎ始めた。
捕われていた少女も、何事かと、わきからメグルをのぞき込む。
みんなが注目しているのを確認したメグルは、おもむろにロウソクに口を近づけ、ふっと、その火を吹き消した。すると突然、あんなに騒いでいた群衆がみなぽかんと口を開けて、文字通り火が消えたように静まり返ってしまった。
「……おほん」
メグルはひとつ咳払いをすると、水を打ったように静まり返る群衆をぐるりと見下ろしながら続けた。
「えー、お集りの皆様、ご安心ください。自殺志願の少女は考えを改めてくれたようです。一件落着でございます」
そう言って少女を手すりの前に押しやり、自ら拍手をした。
群衆は相変わらず、ぽかんとその様子を眺めていたが、構わず拍手を続けるメグルを見て釣られたのか、次第に
「がんばれよう!」
「人生捨てたもんじゃないぞぉ!」
などという声も上がった。
散々、怒鳴り散らしていた年配の警官も、拡声器を使って温かい言葉を投げかけている。
少女は訳がわからぬまま、そんな光景を眺めていたが、なぜかその気になり始めて、
「みんな、ありがとう……。わたし、もう一度がんばってみます!」
と涙をこぼした。
誰も誘拐犯のことなど口にしない。いや、誘拐犯など初めから居なかったかのように、彼らの記憶から消えていた。
メグルは
ふとふり返り、黒ぶち眼鏡を掛けて、そっと少女の頭上を見る――。
黒く濁っていた水晶玉のひとつが、淡い光を放ち始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます