番外編:ファルの日常?(フェリシア編)

二日間の移動を経て、辿り着いたのは小さな村――フェリシアだった。


見渡す限りの平原。

遠くを翔ける野ウサギ。

畑には、陽をたっぷり浴びて実った野菜が並んでいる。


小さな村とはいえ、人々の顔には笑顔が絶えず、

どこか懐かしい温もりに満ちていた。


「ただいま!」


サラが声を弾ませて村人たちに手を振る。

その声を聞いた人々が次々に振り返り、

まるで自分の娘や孫を迎えるかのように、あたたかく声をかけていた。


――そこに“俺”はいない。


それでいい。


そう言い聞かせて、

人の輪から少し離れ、畑の方へと歩き出した。


土の匂い、風に揺れる葉の音。

この静けさが――何よりも心地いい。


しばらく歩くと、畑で作業をしている老夫婦が目に入った。

腰を曲げ、汗をぬぐいながらも、二人の表情には穏やかな笑みがある。


声をかけようと近づいたその時――

先に、男性の方がこちらを見て声を上げた。


「こんな田舎に兄ちゃんみたいなのが来るなんて……その綺麗な服、お貴族様かい?」


少し警戒と遠慮を混ぜた視線。

“貴族”という単語が、昔の癖のように胸に引っかかった。

――昔も、こんな目で見られていたな。


「いえ、サラさんの帰省のお供で来ただけの魔術師ですよ」


できるだけ柔らかく笑って答える。

だが返ってきたのは――意外そうな沈黙だった。


老夫婦は顔を見合わせ、次の瞬間、ほっとしたように笑った。


「なぁんだ、そうだったのか。サラちゃんも年頃だもんなぁ」


その言葉に、思わず苦笑が漏れる。


どうやら“貴族”より“婿”のほうが、この村では歓迎されるらしい。


「そういう仲ではないですよ」


軽く肩をすくめて返す。

気にすることではない。

ただ――畑に目をやると、その広さに思わず眉が動いた。


「しかし、この野菜の数を二人で……」


口をついて出た感想に、老夫婦が少し照れくさそうに笑う。


「良かったら……手伝いましょうか?」


そう言った瞬間、二人の目が丸くなった。


「え、ええ? 魔術師さんが畑を?」


「……まぁ、できる範囲で、ですが」


そう言い残し、俺は老夫婦に少し待ってもらい、納屋の陰でローブに軽く触れた。


布が淡く揺らぎ、瞬く間に土仕事用の服に姿を変える。


外に出ると、またもや老夫婦が驚きの声を上げた。


「あんたみたいな兄ちゃんが、そんな服もってるんだなぁ」


「えぇ。――何事も、備えあればです」


軽く笑うと、老婦人が楽しそうに頬を緩めた。


「じゃあ、頼もうかね、魔術師さん。腰に気をつけてな」


「はい。……できる範囲で」


収穫に使う挟みを取り出した時、老夫婦は驚きを通り越して感心していた。


「若いもんは畑仕事なんて嫌がって、みーんな村を出てっちまうからなぁ。兄ちゃんみたいなのが誰かの婿にでもなってくれればいいんだけどなぁ」


「サラさんなら、良いお相手見つかると思いますよ?」


「ほぉ、随分とサラちゃんのこと詳しいように見えるなぁ」


老婦人の目が一瞬きらりと光った。


――しまった。妙な火種を落としたらしい。


「い、いや、そういう意味ではなくてですね……」


慌てて言い訳をしたものの、老夫婦は顔を見合わせて笑い出した。


「冗談だよ、魔術師さん。さぁ、あんたの腕前、見せてもらおうかね」


――まったく。どこの世界でも、老人というのは鋭いものだ。


だが、悪くない。

こんな時間も、悪くはない。


「さて、やりますか」



---


一刻目――

あっという間に収穫を終わらせ、納屋に野菜を運び終える。


「いや~、兄ちゃん凄いなぁ! 汗一つかかずにこんな短時間で!」


「お安い御用ですよ」


老夫婦は驚きと感謝で深々と頭を下げてくれた。

そして――ふと気づくと、隣の畑からじっとこちらを見ている男がいた。


「私に何か御用ですか?」


「いや、うちも息子が出ていかなけりゃなぁってな」


その男がぽつりと呟くと、すぐ後ろの畑からも、また別の声が飛ぶ。


「兄ちゃん、時間があるならウチの芋も掘ってってくれ!」


「こっちのもだ!体力余ってそうだから頼むよ!」


「うちはばあさんが腰を痛めちまって…!」


……気がつけば、視線が十、二十と集まっていた。


老婦人が笑いながら言う。


「こりゃあ村の救世主だねぇ」


「……やれやれ。これは“できる範囲”を少し誤りましたね」



---


二刻目――

ひたすら芋を掘り。


三刻目――

ひたすら稲を刈り。


四刻目――

村人たちと昼を囲み、笑い合い――。


気づけば、空が橙に染まり始めていた。


最後に手伝ったのは、ミレーネという老婦人。

笑顔が可愛らしく、野菜を育てることに関しては村一番だと皆が口を揃えて言う。


「では、これを運んだらおしまいですね」


「いやあ、本当に助かったよ」


そう言われて軽く会釈した、その時――


「……なにしてるの」


聞き慣れた声に振り向くと、

銀色の髪を風になびかせ、蒼い瞳を夕日に染めた少女が立っていた。


驚きと、少し呆れの混ざった表情。

けれど、その瞳の奥には――確かに、柔らかな光があった。


俺は、少しでも彼女の心に、

何かを残してあげられるだろうか。


たとえ、すぐにこの日が過ぎ去っても。

この夕暮れの匂いと笑い声が、

彼女の中で“温もり”として残るなら――


それで、いい。

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