第二十八話:ばかみたい…
朝の光が窓から差し込むより先に、私はぱちりと目を覚ました。
胸の奥がそわそわして眠っていられなかった。
「……今日、出来上がるんだ」
呟いただけで頬が熱くなる。
仕立て屋に頼んだ新しいローブ。今日、ついに受け取れる。
ただそれだけのことなのに、心臓が早鐘のように打っている。
鏡の前に立つと、そこに映るのは鮮やかな青の宮廷ローブを纏った私。
艶も色も衰えていないし、縫製だって完璧。
今でも十分に美しいと分かっているのに――不思議と“もう違う”と感じてしまった。
「……どうしてだろう」
布地を指で軽くつまみながら首を傾げる。
きっと、新しいローブを待ちわびる気持ちのせい。
いや、それだけじゃない。
鏡の中の自分と視線が合ったとき、胸がきゅっと詰まる。
(ファルは、見たら……なんて言うだろう)
「似合っていますよ」と穏やかに微笑む姿。
あるいは、少しだけ目を見開いて言葉を探す――そんな反応まで想像してしまい、思わず両手で頬を覆った。
そして仕立て屋で耳にした言葉が頭をよぎる。
『タリアーヌでは、女性が仕立て服の色に好きな男性の好きな色を選ぶと、それは告白になるんですよ』
(……あのとき、何も言い返せなかったけど……私、本当にそういう意味で選んだのかな……?)
胸の奥が熱くなる。
やっぱり、ただのローブじゃない。
今日袖を通すそれは、私にとって特別になる。
---
昼前、仕立て屋に到着すると、店員がにこやかに私を迎えてくれた。
奥から丁寧に包まれた布を運び出し、目の前で広げる。
「こちらが出来上がったローブです」
一目見た瞬間、息を呑んだ。
布地は選んだ通りの色合いで、滑らかな光沢があり、仕立ては想像以上に美しかった。
「……わぁ……」
思わず声が漏れる。
試着室で袖を通し、鏡に映る姿を確かめた。
身体にぴたりと馴染む着心地。動きを妨げない軽やかさ。
そして――胸の奥が熱くなるほどの高揚感。
「サラさん」
背後から呼ばれて振り向くと、そこにはファルが立っていた。
黒い瞳が私をとらえ、一瞬だけ、ほんの僅かに目を見開く。
(――っ!)
すぐに彼は微笑を浮かべた。
けれど、あの一瞬を私は見逃さなかった。
「とても、よく似合っています」
静かに告げられた言葉に、心臓が跳ねる。
ただ褒められただけなのに、胸の奥まで響いて離れない。
「……ありがと」
声が震えそうになり、慌てて視線を逸らした。
けれど頬の熱はどうにも収まらない。
(あの一瞬……ほんとに驚いてたよね?)
昼下がり、仕立て屋を出ると、石畳に柔らかな陽光が差し込んでいた。
新しいローブを纏った私は、歩くだけで胸が高鳴って仕方がない。
隣を歩くファルはいつも通りの黒いローブ姿。
けれど、黒と私の選んだ色が並ぶと、不思議と調和して見える。
その並びに気付いたとき、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「歩きづらくありませんか?」
「えっ、あ……ううん。すごく軽いから、動きやすい」
「それは良かった」
短いやり取りなのに、胸がいっぱいになる。
その時、露店の果物屋のおじさんがにやりと笑い、ファルに声をかけた。
「旦那さん、その綺麗な奥さんに何かプレゼントしてやんなよ。ほら、この果実なんて甘くて人気だぜ」
「……お、お奥さんっ!?」
思わず変な声が出て、顔が一気に熱くなる。
けれどファルは眉一つ動かさず、ただ穏やかに微笑んで言った。
「お気遣いありがとうございます。でも――贈り物は、もう渡しましたので」
「ははぁ、そりゃいい! 惚気ってやつだな!」
豪快に笑うおじさんの声に、私はますます俯いた。
(ちょ、ちょっと……! “奥さん”って言われたのに、否定しなかったよね……!?)
胸元のネックレスが太陽を受けて淡く輝く。
(やっぱり……このネックレスのこと、だよね……)
心臓が早鐘を打ち、頭の中が真っ白になる。
ファルは何事もなかったかのように歩き出したけれど、私はしばらく視線を上げられなかった。
---
宿に戻ると、私は部屋の鏡の前に立ち、改めて自分の姿を確かめた。
やっぱり――どこから見ても、ただのローブ。
魔術の力を増すわけでも、特別な機能があるわけでもない。
けれど私にとっては、かけがえのない一着だった。
鏡越しに思い出すのは、仕立て屋でのファルの一瞬の表情。
驚いたように、目を見開いたあの顔。
(……あれを見ただけで、もう十分だよ)
胸元のサファイアのネックレスにそっと触れる。
新しいローブと並んで、私を支える大切な証。
そして、そのすべてが――ファルに繋がっている。
まるで10代前半の少女のようになってしまった自分を自覚して、思わず枕に顔を埋める。
「……ばかみたい」
そう呟いたはずなのに、口元には笑みが浮かんでいた。
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