第二十七話:裁縫の街

バルストレッタを発って数日。

西にひたすら続く街道を馬車で進むうちに、鉄と煙に包まれた工匠の街の景色は、次第に遠い記憶へと変わっていった。

代わりに広がるのは、明るい草原と澄んだ風。

緑と花の匂いを運ぶ風は、バルストレッタの硬質な空気とは正反対で、心まで軽くしてくれるようだった。


「次に向かうのは、タリアーヌです」

揺れる馬車の中、ファルがそう告げた。


「タリアーヌ?」


「ええ。裁縫の街ですよ。衣服や布地に関しては、この大陸で右に出るものはありません」


私は思わず自分のローブを見下ろした。

深い青に金糸の刺繍。

帝国の宮廷魔術師団に属していた証であり、布地も縫製も最高級。見た目は今もなお十分に美しい。

けれど、それは「かつての私」を象徴する服でもあった。


(……綺麗だけど、私にはもう似合わない。あの場所から逃げ出した私には、重すぎる)


喉に小さな棘のような違和感が残る。

そんな私の気持ちを察したのか、ファルがふと笑みを浮かべた。


「せっかくですから、新しいローブを仕立ててみてはどうですか?」


「……いいのかな」


「もちろん。サラさんがサラさんであるために、必要なことですから」


その一言に、心が少しだけ救われた。



---


数日後、タリアーヌに到着すると、街は想像以上の華やかさだった。

石畳の大通りには布商が軒を連ね、風に翻る色とりどりの布が空まで続く虹のように揺れている。

露店では刺繍糸やボタンが山のように積まれ、路地裏に入れば、どこからともなく機織りの音が響いてきた。


「すごい……! まるで街全体が布でできてるみたい!」


「タリアーヌでは日常です。職人も商人も、皆が布と共に生きていますから」


ファルの説明を聞きながら歩いていると、すれ違う人々が皆、艶やかな服に身を包んでいることに気づく。

私の着ている青い宮廷ローブは美しいはずなのに――この街では妙に浮いている気がした。



---


ファルに案内されて入った仕立屋は、光を取り込む大きな窓と高い天井を持つ、まるで美術館のような場所だった。

壁際には反物がずらりと並び、深紅、翡翠、雪のような白、墨のような黒……色彩が波のように視界を埋め尽くす。


「うわぁ……」

思わず息を呑む。


「どんな色でも仕立てられます。布も形も、全て選ぶのはサラさんです」


「えっ、ぜ、全部……?」


「ええ。魔術師だからといって、決まった型に縛られる必要はありません」


そう言われて、胸が少し弾んだ。

帝都では「魔術師団員はこの色、この意匠」と決められていたからだ。



---


布を見て回るうちに、ふと足が止まった。

それは漆黒の布――まるで夜空をそのまま織り込んだように深く、艶やかだった。

私は思わず手を伸ばして、その滑らかな感触を確かめる。


(……ファルのローブの色だ)


指先が布に触れた瞬間、胸の奥がざわついた。

ただの布のはずなのに、どうしてこんなにも心が波立つのか分からない。


そのとき、そっと店の女主人が私に耳打ちしてきた。


「お嬢さん……これは最近の流行り話なんですがね」


「流行り……?」


「女性は、好きな男性の好きな色を自分の仕立て服に選ぶと告白の意味になる……。そして、男性はその逆――恋人に、恋人の好きな色を贈るのが粋だと言われてますよ」


「っ……!」


頬に一気に熱が上った。


「そ、そんな……!」


慌てて黒布から手を離す。

けれど、指先に残る感触が離れず、心臓の鼓動だけが大きくなっていく。


横を見ると、ファルはただ微笑んでいて――その表情がかえって心臓を締め付けた。



---


「サラさんには、こちらの方が似合うかもしれません」


ファルが差し出したのは、淡い蒼の布だった。

光に透けるとわずかに銀色が混じり、落ち着いた気品を漂わせる。


「……きれい」


自然に言葉が漏れた。


「蒼は清らかさと自由を意味します。この街でも特別に大切にされている色です」

「自由……」


胸元のサファイアと、淡い蒼布の輝きが重なった。

不思議と、運命のようにしっくりくる。


「これにします!」


私が勢い込んで言うと、ファルは穏やかに頷いた。


「ええ、きっとサラさんに似合います」



---


仕立てには数日かかるとのことだった。

寸法を測られ、布を選び、刺繍の模様を決め……気づけば日が暮れていた。


「新しいローブが出来上がったら、真っ先に見せてくださいね」


頬が熱くなった。


「……うん」


今日決めたこの一着は――「私が私のために選んだもの」だ。


ファルの隣を歩きながら、胸の奥で小さく呟いた。


(私……ファルが傍にいてくれるから、前に進めるんだ)


けれど胸の奥では、仕立て屋の女主人が小声で囁いた言葉が消えない。

――好きな色を贈るのは、恋人の証。


(……私が選んだ蒼を、ファルが“私に似合う”って言ってくれたのは……どういう意味なんだろう)


顔がまた熱くなるのをごまかしながら、私はタリアーヌの夜の街並みを歩いた。

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