第二十五話:募る戸惑い
工房街の朝は、夜明けと同時に始まる。
まだ薄暗い空の下で、すでに槌音が鳴り響き、火花が赤く空気を照らしていた。
宿の窓からその光景を眺めながら、胸の奥がざわつく。
昨夜の夢――どうしても頭から離れない。
(声も、瞳も……ファルにそっくりだった。
でも……夢は夢。そう、夢のはずなのに……)
胸元のサファイアを指でなぞると、温もりが広がり胸奥が熱くなるが、不思議と落ち着く。
それでも心の奥に残る違和感は拭えなかった。
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「おはようございます、サラさん」
扉をノックして入ってきたファルは、もう出立の支度を整えていた。
腰には昨日見つけた剣が下げられている。
「……その剣、持ち歩くんだ」
思わず口にすると、ファルは小さく微笑んだ。
「ええ。懐かしいものですから」
それ以上は語らない。
私は喉に言葉を詰まらせ、黙ってしまった。
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朝食を終えると、街の中心部へ向かった。
通りには大小の工房が軒を連ね、炉の炎が昼間でも赤々と燃えている。
鉄を打つ音、鋳型を叩く音、削る音。
その全てが混じり合い、街そのものが一つの大きな工房のようだった。
「ここでは何でも作れるんですよ」
ファルが解説する声は落ち着いていて、まるで案内人のようだ。
「武具も、道具も……」
露店には鉄細工のアクセサリーや精緻な工具まで並び、私は思わず足を止める。
「わ、すごい……! 本当に全部鉄で出来てるんだ」
「ええ。見ているだけでも飽きませんね」
穏やかに並んで歩く。
けれど、腰の剣が光るたび、昨夜の夢が頭をよぎる。
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昼下がり、工房広場で職人たちの模擬試合が行われていた。
火花を散らす槍と剣、観客の歓声。
私は夢中で見入っていたが、ふと隣のファルに視線を向けると――
黒い瞳が、遠い過去を映すように試合を見つめていた。
「……懐かしいんですか?」
恐る恐る問うと、ファルは一瞬だけ目を細め、それから柔らかく微笑んだ。
「いえ。ただ――こうして人が努力し、技を磨く姿は、いつ見ても良いものだなと」
(……答えてない……)
その笑顔に胸が温かくなる一方で、どこか引っかかる感覚。
私の問いかけは、また煙に巻かれたように消えてしまった。
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夜。
宿に戻り、寝台に横たわる。
まぶたを閉じれば、またあの夢を見てしまうのではないかと怖くて、なかなか眠れなかった。
(あの夢……どう見てもファルなのに…)
自分でも分からない感情が渦を巻く。
違和感と、ときめきと、不安と……。
胸元のサファイアをそっと握りしめ、私は静かに目を閉じた。
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白い大理石の回廊に、午後の日差しが降り注いでいた。
高窓から差し込む光が反射し、床に金の模様を描き出している。
その先に立つのは、黒髪に黒い瞳を持つ私の婚約者。
腰には煌めく剣を下げ、ゆったりと歩み寄ってくる。
「ソフィア」
呼ばれた名に振り向くと、若き皇帝アルヴィトが微笑んでいた。
その顔は威厳を帯びているにも関わらず、優しさに満ちている。
「また庭に出ていたのか?」
「ええ。噴水のそばは風が心地よいですから」
「まったく。この暑さなんだ。日差しに当たりすぎて倒れでもしたら…」
軽く眉をひそめながらも、その声音には本気の叱責はなかった。
ソフィアは小さく笑みを浮かべる。
「陛下はいつもご心配ばかり。けれど……そのお気持ちが嬉しくもあります」
陛下は一瞬言葉を止め、そしてふっと肩をすくめる。
「俺の気苦労を笑うな。心配性でいるのは、お前がいつも危なっかしいからだ」
「私よりアルヴィト様のほうが危なっかしいです」
「そうか?お前もヤツも見栄を張っては無理をする」
「……否定できませんね」
二人は思わず視線を合わせ、同時に笑った。
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やがて、陛下は腰の剣にそっと手を置いた。
その仕草には、威圧ではなく安心を与えるような静けさがあった。
「約束しただろう。お前を護ると。例え何があっても」
「陛下……」
ソフィアの胸に、熱いものがこみ上げた。
彼の声は決して大きくない。けれど、世界のすべてを包み込むように力強かった。
「だから、どうか――安心して笑っていてほしい」
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白い靄が広がり、回廊も光も溶けていく。
次に目を開いたとき、私は宿の寝台の上にいた。
胸の奥に温かな余韻を残したまま、天井を見上げる。
(また……夢を……)
胸元に下がるサファイアのネックレスをそっと指でなぞる。
(ファル……あなたは誰なの?)
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