第五話:教会の影
「では、報告を聞こうか」
その声に、部屋の空気が僅かに冷えた。
ルシアン隊長の声音はいつもより硬い。
私は一度、息を整えた。
「……精霊の森に“変化”はありました。でも、原因は特定できませんでした」
「どんな変化だ?」
ファルのことは伏せる。私は事実だけを並べた。
一部の景観が神秘的に変質していたこと。魔力の残滓は観測できなかったが、明らかな干渉があったと推測できること。
(どうして私は、彼の存在を隠すのだろう)
自分でも理由が分からない。ただ、口が動かなかった。
「ふむ……」
隊長は眉間にしわを寄せ、しばし沈黙した。そして、ふっと背もたれに身を預ける。
「それで報告はすべてか?」
「……はい」
(終わった──はず)
次の瞬間、隊長の眼差しが鋭くなる。
「監視の報告によれば、『森の中で誰かと会話していた』そうだが?」
「……監視?」
「二度目の調査をお前が志願したときからだ。最初の報告書も、随分と筆が重かったからな」
(見られていた。どこまで?会話は?顔は?)
鼓動がうるさい。指先が震える。
「た、隊長……私は──」
「古代魔術」
「……っ!」
(会話も、内容も──全部、知られている)
「その顔だ。報告は虚偽、で間違いないな」
「……あの……」
私が言葉を継ぐより早く、隊長が指を鳴らす。
扉の外に控えていた魔術師たちが雪崩れ込み、私は拘束された。
(言い訳が浮かばない)
連行される私に、隊長の低い声が落ちる。
「“ちゃんと報告しろ”と言っただろう、馬鹿者」
---
(懲罰房……初めてだ)
冷たい石の床。鉄の匂い。私は天井を見つめ、浅い呼吸を繰り返す。
音がない。
世界が私を見放したような感覚。
どうして私は、ファルを庇ったのだろう。
出会ったばかりの謎の魔術師。捕縛命令。
任務に失敗すれば、より上位の魔術師が動く──それで良かったはずだ。
(私は、何をしているんだ)
恐怖はあった。苛立ちも。
自信のあった魔術を消され、結界をも霧散させられ、死を覚悟した一瞬もあった。
それなのに、少し話しただけで……胸のどこかが、温かくなった。
もっと見たい。彼の魔術を。
もっと知りたい。あの理を。
そして──もっと別の、言葉にならない理由がある。けれど掴めない。
(……なんなんだろう)
恋でも憧れでもない。ただ、会わなければならないという衝動だけが残る。
(明日は……聴取か)
私は瞼を閉じ、意識を沈めた。
---
「もう!また喧嘩しているのですか!」
私の前で、黒髪に黒い瞳の男がふたり、向き合っている。
顔立ちは驚くほど似ているのに、言葉遣いは対照的だ。
片方の瞳には、金の縁飾りのような紋が揺れている。
「お前が選べ。どっちがいい?」
荒い口調が私を促す。
「私には決められません、と何度申し上げれば」
ため息まじりに言うと、もう一人が穏やかな声で重ねる。
「だが、決めなければならない」
どちらも譲らない。
私は二人の背に回り、背中を押す。
「まずは昼食を。話はそれからになさってください」
渋々と歩き出す二人は、なお言い合いを続けている。
私は知っている。
彼らが切り離せぬ絆で結ばれていることも、同じ一つを巡って争っていることも、そして──本当は兄弟以上に深く結びついていることも。
帝城の広いバルコニーに風が吹き、私の銀の髪を揺らした。
「ソフィア」
呼ばれて振り向く。
私が愛してやまない二人が、並んで立っていた。
やはり、私には選べない。
---
目を開ける。懲罰房の天井。
夢の輪郭だけが、霞のように残っていた。
足音が近づく。扉が開き、ルシアン隊長が入ってくる。
その背後に立つ二人の姿を見た瞬間、息が詰まった。
「なっ──」
一人は、ヴァルター・エーレンベルク公爵。帝国の重鎮にして魔術師団長。
もう一人は、純白の法衣に〈太陽を抱く龍〉の紋章──
エクレシア・ルミニス・バクリの象徴。
「こちら、アウレリウス・ノクス司教だ。今回の聴取に立ち会う」
隊長の紹介に、背筋が冷える。
教会が出てきた。つまり、これは古代魔術の領域に踏み込んだということ。
「来い」
促されて立ち上がる。通り過ぎざま、隊長が低く囁いた。
「……淡い期待はするな」
その一言で、すべてを悟る。
両脇を魔術師に固められ、私たちは歩き出した。
最悪の状況──それでも私は、虚偽の報告をしたことを不思議と後悔していなかった。
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