第二話:再び森へ
結界を指先ひとつで砕かれたあの瞬間。
名前を告げた男――ファルの笑みが、まだ胸を離れない。
しかも、森を出るまでに歩いた距離は、信じられないほど短かった。
行きではあれほど深く感じた森が、帰り道は半分も歩かずに外へ出てしまったのだ。
立ち止まって考えてみても答えは出ない。私は頭を振って思考を打ち切り、帝都への道を進んだ。
(……どう報告すればいい?)
胸の奥に重苦しい思いが沈む。
任務は調査と捕縛。それなのに、私は任務を忘れるほど現実離れした存在と対峙してしまった。
報告しても信じてもらえるはずがない。
それどころか──敵意を持たず、むしろ害意の欠片すら見せなかった彼の態度を思い出せば思い出すほど、言葉にできなくなる。
(……それに)
脳裏をよぎった感情を、私は勢いよく首を振って打ち消した。
今は報告が先だ。
---
帝城の敷地内にある魔術師団詰所に戻り、私は報告書を書いていた。
そこへ豪快な声が響く。
「よぉ、サラ! ずいぶん早い帰還だな!」
ルシアン隊長だ。年齢は四十八と聞くが、三十代半ばにしか見えない精悍さを持ち、砕けた口調ながら部下からの信頼も厚い。
「……隊長、声が大きいです」
いつものように注意すると、隊長は意に介さず私の報告書を覗き込む。
「要再調査、だと? サラにしては珍しいな。魔術師は見つからなかったのか?」
「……広い森ですから。そう簡単に遭遇できるものでもないでしょう」
「それもそうか!」
大声で笑いながら去っていく背中を見送り、私は思わず小さくため息をついた。
(ついでに提出してくれればいいのに……)
視線を報告書に戻す。
「要再調査」とは書いたが、次も自分に任務が回ってくるとは限らない。
(でも……会わなきゃいけない気がする)
理由の分からない衝動が胸を締め付けた。
---
休暇を得た私は訓練棟に足を向けた。
ここなら魔術を思う存分試しても外に被害は出ない。
氷の塊を空中に生み出す。
生成速度は悪くないはずだが、実戦で通用する規模にするには三秒はかかる。
(……あの人は、一瞬だった)
無数の属性魔術を同時に展開した姿が脳裏に焼き付いている。
結界術なら自信があった。師団長でさえ破れなかったものを、彼は指先ひとつで消した。
悔しさよりも、先の景色を見せられたような高揚感が残っていた。
掌を見つめ、胸が熱くなる。
(……もう一度、確かめたい)
そう思った瞬間、迷いは消えていた。
---
「隊長、お願いがあります!」
私は勢いよく隊長室の扉を開け放った。
机に突っ伏していたルシアン隊長が顔を上げ、不機嫌そうに睨んでくる。
「なんだぁ……気持ちよく寝てたのに」
「精霊の森の再調査、私に行かせてください!」
その言葉に隊長の目がわずかに見開かれる。
「ほう……お前が自分から任務志願とは珍しいな」
「どうしても、自分の目で確かめたいことがあるんです」
私の言葉に、隊長はしばし黙考し、やがて深いため息をついた。
「……分かった。二日後に調査を任せる。ただし、危険だと思ったら必ず引き返せ。あそこはまだ八割が未踏の地だ」
「ありがとうございます!」
深く一礼し、踵を返しかけたところで呼び止められる。
「サラ──次は、ちゃんとした報告をしろよ」
(……嘘の報告だと、気づかれてた?)
胸がちくりと痛んだ。だが同時に、隊長の信頼があってこその許可だと理解する。
私は再び一礼して隊長室を後にした。
---
調査前夜。
宿舎の屋上で、私は森のある方角を見つめていた。
約束したわけではない。再び会える確証もない。
それでも、不思議な確信があった。
──必ずまた、出会う。
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