第一章〜揺らぐ真実〜

第一話:杖なき魔術師

帝都ラーベルの南に広がる精霊の森。

捕縛命令を受けた私は、杖を持たぬ謎の魔術師と出会った。


「やっと見つけた!」


森の奥、私は馬から飛び降りて杖を構えた。

団長からの命令はただ一つ――この森に出入りする妙な魔術師を捕縛せよ。


目の前の人物は、黒地に金糸を織り込んだローブをまとい、深くフードを被っている。

ただ、一つだけ決定的におかしい。


「……杖を持ってない?」


魔術師が杖を持たぬなど、あり得ない。

魔術は杖を媒介にしてこそ発動するのに。


「あなた、最近この森に出入りしている魔術師よね? 杖を持っていないのはどういうこと?」


問いかけると、男は自分の手を眺めながら、のんびりとした声で答えた。


「ああ、そうですね。……なぜでしょうね?」


「……ふざけないで。捕縛命令が出ているの。私に従って」


「それは困りますねぇ……」


顎に手を当て、本気で悩むような仕草。あまりの調子に、こちらの警戒すら削がれそうになる。


「理由を言いなさい。なぜ森に?」


「ん〜……散歩です。ダメですか?」


「ダメに決まってるでしょ! ここは精霊の森。帝国の許可なしに入るのは禁止よ!」


「ああ! そのローブ……帝国の魔術師ですね」


まるで今気づいたかのように明るい声をあげる。返答にならない態度に、とうとう私は杖を突きつけた。


「これ以上ふざけるなら、力づくで従わせる!」


「戦いは好みじゃないんですが……」


肩をすくめる男。私は氷刃を放つ。


だが――


氷の刃は男に届く前に砂糖菓子のように砕け――光の粒となって散った。

まるで、最初から存在しなかったかのように。



「……っ!?」


続けて炎を放つ。しかし炎もまた、空気に吸い込まれるように消え、草一本焦がさない。


「森で火を使うなんて、危ないですよ」


軽い声に反して、胸を支配するのは恐怖だった。

魔術が暴走したのではない。消えたのだ。完全に。


「……お手本を見せましょうか」


男が指先を動かした瞬間、杖もなく複数の魔術が放たれる。

慌てて結界を張る。私の誇る絶対防御――破られたことは一度もない。


だが――


「素晴らしい結界ですね」


彼が触れた瞬間、結界は光の粒子となって霧散した。


「……嘘でしょ……」


膝が震える。これほど理不尽な力、見たことがない。

戦意を失い、杖を下ろす。


「……私の負け。……あなた、いったい何者なの?」


「捕縛対象の魔術師ではないんですか?」


とぼける声。だが、やがて彼はフードを外した。


現れたのは二十代前半ほどの整った顔。

黒い髪が肩甲骨の下まで流れ、漆黒の瞳はすべてを見透かすように輝いている。


思わず見惚れる私に、彼は優雅に一礼した。


「魔術師の、ファルと申します」


気づけば私もお辞儀を返していた。


「……ラーベル帝国魔術師団、サラです」


警戒も恐怖も、不思議と消えていた。この人は敵ではない――そう確信していた。


ファルは背を向け、森の奥へ歩き出す。


「今日はこの辺で失礼します」


「……はぁ」


気の抜けた返事を返す。振り返った彼が、一瞬だけ笑みを見せた。

その後ろ姿はすぐに森の闇へ溶けていった。


「不思議な人……。でも、また会う気がする」


そう呟いた言葉が、風に溶けて消えた。

けれど、胸の奥で何かが微かに脈打っていた。

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