████村

根根

████村

「報告書に異常が生じているのです」


私は衛星電話の向こうの上司に告げた。時刻は午前3時。████村到着から72時間が経過している。


「具体的にどのような異常か」

「説明しづらいのですが…文字が勝手に変化します。書いていない言葉が混入し、意図しない感情が溢れ出す。そして…」


言葉を探す間にも、舌の先に甘みの幻想が広がった。


「そして?」

「…何も。撤収の許可をいただきたいのです」

「調査は完了したのか」

「いいえ。しかし、もう遅いかもしれません」


電話の向こうで長い沈黙があった。


「あなたは今、どこにいるのか把握していますか?」上司の声が変わった。

「はい、もちろん」答えながら、自分がどこにいるのか本当はわからなくなっていた。


────


調査の発端は匿名の通報だった。「████村の住民が変容している」というだけの短い文面。


村の入り口には朽ちかけた鳥居が立っていた。神社もないのに、なぜ鳥居だけがあるのか。最初の違和感はそこから始まった。


道なりに進むと、田畑が広がっていた。六月の陽射しの下、作物は異常なほど生い茂り、特に一角に植えられたスイカ畑が目を引いた。厚い緑の外皮に守られたそれらは、まるで秘密を抱え込んだ村のようだった。割れたものもあり、その断面からは異様に鮮やかな赤が覗いていた。外の世界の緑と内なる世界の赤。その対比が不自然なほど鮮明だった。


「ウェルカム〜✨ マジ待ってたんだけど〜」


振り向くと、畑の中から現れたのは一人の老婆だった。しかし容姿と言葉遣いがあまりにも乖離している。まるで声と体が別々の存在のようだった。


「あたし田中ハナっていうの♪ あっちサイドから来た人、ようこそ〜マジ感謝♡」


老婆の目が私の制服を舐めるように見た。その瞳の奥に、若い女性の影が揺らめいているように感じた。


「この村の調査に来ました」

「あ〜、またこの季節きちゃったじゃん。リピってる感じ、エモい〜」老婆はそう言うと、ふと手を止めた。「喉カラッカラじゃない?なんか飲む?食べる?イケるっしょ〜?」


老婆の手には何も持っていなかったが、彼女が口を開くと同時に、畑の奥から甘い香りが風に乗って漂ってきた。


「いえ、大丈夫です」

「マジ遠慮しないでよ〜」老婆は微笑んだ。その表情の下に、別の顔が透けて見えるようだった。


「ほらこれ、マジ今摘みたてだからサイコーにフレッシュなんだけど〜✨」


老婆は畑の脇に置かれた籠の中から、つややかな緑の縞模様が鮮やかなスイカを取り出した。その丸みを帯びた形は両手で抱えるほどの大きさで、日差しを受けて表面が艶やかに輝いていた。


「この緑のアウター破って中の赤いやつ食べたら、全部わかっちゃうよ?なんでアタシたちが自分であって他人でもあるかとか、めっちゃディープな話✨」


老婆は言葉を途中で切り、空を見上げた。「あ、なんでもない、ガチでw 」


「なんかさ〜、スイカってどこまでが食べれる?どこからがNG?みたいな、夏至の時期ってそーゆーボーダーがマジ曖昧になっちゃうの〜。ほら、今のうちに何か食べちゃいなよ〜マジウマだから♡」


彼女の言葉には警告と勧誘が同居していた。それがどちらなのか判断できなかった。


────


村長との面会は不可解なものだった。


「これマジでヤバいんだけど…言葉にするの超むずくない?」村長は途中で言葉を切り、窓の外の畑を見つめた。その視線は熟れゆく縞模様の実に注がれていた。

「アタシたちって、ゴリゴリに育ちすぎた実がパカッて割れちゃうみたいに、自然の流れに身を任せてるだけなんだよね〜まさに『摂理』な感じ♡」


「摂理とは何ですか?」


「皮の中でじっくり育って、そんで殻をブチ破るの。ハードな外側とジューシーな中身、それが時々…ヤバくない?」


村長の表情が揺らいだ。皮膚の皺が波打ち、まるで内側から何かが押し出されるかのように。


「古より伝わる定めじゃ。実が熟せば割れ、種は新たな地に根付く。外の模様が消え、内の色が滲み出る。それがこの・・・」突然、押し黙り、込み上げた胃液を飲み込むような、苦悶の表情をしたかと思うと、彼の目が変わった。虹彩の緑が退き、瞳孔が広がる。


「特に、実りの季節は~・・・マジやばみなワケ✨」


────


村の中央広場では、老人たちが何かの準備をしていた。円環状に石が配置され、その中央に果実が並べられている。緑の縞模様の外皮と、覗き見える赤い内部。それはまるで村そのものを象徴しているようだった。


「えー、マジ神ってるんですけど〜!?ありえなくない?」

「今年はマイ推しの絵文字スイカにしようよ〜、エモすぎるしマジ鬼リピ案件なんだけど〜」

「まじまじ?この赤のアクセントカラー、ガチでエグいくらいインスタ映えするんだけど~」


七十代と思われる老婆たちの会話に耳を疑った。最新の若者言葉が、まるで本来の言語であるかのように自然に発せられる。


彼女たちの影が地面に落ちる様子に奇妙な違和感があった。老婆の姿なのに、影は若い女性のシルエットのように見える。


「観察されていますよ」


振り返ると、少女が立っていた。現代的な装いながら、どこか古めかしい佇まい。


「美咲です。あなたは『記録者』ですね」 「調査員です」 「呼び方は時代によって変わります。でも役割は同じ。『内』と『外』の境界を記録する人」


少女は何かを口ずさみ始めた。古い旋律と新しい言葉が混ざり合う不思議な歌。


「何を歌っているのですか?」

「私にもわかりません」彼女は首を傾げた。「ただ、この時期になると体が覚えているのです。指先が、喉が、血が」


少女の指先が赤く染まっていた。スイカの汁のようにも、血のようにも見える。


「この村で起きていることを説明してください」 「説明できることなら、あなたを呼ぶ必要はありません」


夕暮れになると、村人たちは広場に集まり始めた。最初は伝統的な太鼓の音だったが、いつしか現代的なリズムに変わっていった。しかし叩いているのは同じ老人たちだった。


「始まるわ」美咲がつぶやいた。 「何が?」 「あなたにも見えるでしょう。色が溶けていくのが」


確かに、空の茜色が地面に滴り落ち、人々の影が伸びて混ざり合っていくように見えた。現実と非現実の境界が曖昧になっていく感覚。


「夏至の夜は特別なの。『内』と『外』の壁が最も薄くなる」


地面に置かれたスイカから、赤い液体が滲み出し始めた。


「彼らは誰なんです?」私は震える声で尋ねた。 「私たちは『内』。あなたは『外』。でもすぐに、その違いはなくなる」


美咲の瞳が、老婆のものに変わった。


「バランスは常に保たれなければならない。世界の秩序のために」


その時、全てのスイカが同時に割れた。赤い汁が大地を染め、人々の足元まで流れ込んでくる。私は逃げようとしたが、足が地面に根付いたように動かなかった。


「抵抗しても無駄よ。流れに身を任せなさい」美咲の声が、田中ハナの声と重なった。


意識が遠のく中、私の頭には見知らぬ記憶が流れ込んできた。三百年前の村の風景。代々続く祭りの記憶。そして毎年繰り返される「██████」の儀式。


同時に、私自身の記憶が少しずつ溶けていくのを感じた。


────


目が覚めると、朽ちかけた鳥居のふもとにいた。

「よく眠れましたか?」隣にいたのは美咲だった。しかし彼女は昨日と違う顔をしていた。


「ここで…何が…」 「あなたは私たちの記録者です。毎年この時期に来て、変化を記録する人」


それは正しいように思えた。だが何かが欠けている感覚。


「この報告書は…」手元には完成した報告書があった。しかしそれは見慣れた字ではなかった。 「毎年同じことを書いています。『異常なし』と」


遠くで電話が鳴っている。おそらく上司からだろう。


「答えるべきでしょうか?」 「あなた次第です」美咲は微笑んだ。「『内』になるか、『外』に戻るか」


電話に手を伸ばした刹那、口の中に甘い味が広がるのを感じた。まるでスイカを食べたような。




でも・・・ウチはスイカを食べていない。 食べてはいない。 そう思う。

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████村 根根 @nenenovel

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