第7話 神の眠る場所
夜明けの空を裂くように、七本目の糸が輝いていた。
その先は、東の果て。
地図には名もなく、霧と風しかない世界の境界。
そこが“神の眠る場所”――最初の祠の在処だった。
ルークとエンデは馬を降り、徒歩で進んでいた。
風は柔らかく、土は温かい。
これまでの荒野や氷とは違い、この地だけはどこか懐かしい匂いがした。
草がさざめき、鳥の声が遠くから響く。
「ここだけ、息をしてるみたいですね」
ルークの言葉に、エンデが微笑んだ。
「この旅の果てが、死ではなく“息”とはな」
二人の前に、巨大な岩山が現れた。
山肌には七本の線が刻まれ、それぞれが祠の象徴を表している。
頂に近づくほど、線は一つに収束し、やがて中央の洞窟へと続いていた。
その奥から、かすかな脈動の音が聞こえる。
――どくん。
世界の心臓が、静かに拍動していた。
*
洞窟の中は薄明るかった。
壁には祈りの文字が刻まれ、光る苔がその輪郭を照らしている。
進むたび、過去の声が流れ込む。
――神々は土を作り、人に息を与えた。
――だが人は、自らを神と呼び、息を奪い合った。
――だから神々は眠り、息を託した。
ルークは立ち止まり、胸に手を当てた。
「託した……僕たちに?」
声は洞窟に吸い込まれ、かすかな響きとなって返ってくる。
やがて、巨大な扉が現れた。
白い石でできた二枚の扉。
中央には、見慣れた紋が刻まれている――輪と線。
ルークの胸の紋と同じ形だった。
「ここだな」
エンデの声が震えている。
ルークは深く息を吸い、両掌を扉に当てた。
掌の光が流れ込み、扉が静かに開いた。
*
中は広大な空洞だった。
天井には星が瞬き、地面は透明な水で覆われている。
水面の下には、巨大な影――
眠る神の姿があった。
だが、その神はもう、完全な形ではなかった。
半ば崩れ、光と闇が入り混じっている。
声が響く。
――ようやく、来たか。
「あなたが……神ですか」
――違う。私はこの世界そのもの。
――神とは、世界が名を与えた“呼吸”の一つにすぎぬ。
ルークの目に涙が浮かぶ。
「どうして……世界は、息を止めたんですか」
――人が、神を見上げることをやめたからだ。
――そして、見下ろすことしか知らなくなった。
エンデが唇を噛む。「……あの教団もか」
――そうだ。祈りを奪う者たち。
――彼らは“呼吸”を支配しようとした。
――お前は、それを取り戻した。
「僕は、ただの無能です。神なんかじゃない」
――だからこそ、お前は息を継げた。
――無能とは、“完成していない”ということ。
――未完成の者だけが、世界を変えられる。
静寂。
水面が揺れ、七本の糸が光を放つ。
それぞれの祠の欠片が、水に浮かび、円を描いて集まっていく。
ルークの掌の光が、その中心へ吸い込まれた。
――七の祠、息を継ぐ。
世界が、息を吸った。
風が洞窟を駆け抜け、天井の星々が明滅する。
崩れていた神の影が溶け、光の粒となって空に散った。
ルークの体がふわりと浮かび、光に包まれる。
彼の中に、世界の声が流れ込んでくる。
――大地の声。
――海の鼓動。
――人の笑い。
全てが重なり、ひとつの言葉になる。
――ありがとう。
眩しさの中、ルークは微笑んだ。
「こちらこそ。もう、眠らないでください」
*
目を開けると、洞窟は静かだった。
水は消え、ただ柔らかな草地が広がっている。
空には七本の糸が弧を描き、やがてゆっくりと一本に重なっていく。
新しい朝日が、その糸を金色に染めた。
エンデが隣に立っていた。
「終わったのか?」
ルークは頷いた。「はい。世界が息をしました」
「じゃあ……神は?」
「もういません。けれど、どこにでもいます」
ルークは胸に手を当てた。
「僕たちが、神の息を継いでるから」
風が草を揺らし、鳥が飛び立つ。
エンデは笑い、肩をすくめた。
「結局お前は、“無能”のままだな」
「ええ。でも、それでいいんです。
完璧な世界より、不器用に息をする方が好きだから」
二人は並んで歩き出した。
背後では、七本の糸が完全に一本となり、空の彼方へと消えていった。
大地は静かに、しかし確かに呼吸している。
――土は眠らず、息を継ぐ。
その言葉が、世界の新しい祈りとなった。
(完)
無能と蔑まれた少年、神々の血統だった〜辺境で育てた村が、いつの間にか神話の舞台に〜 妙原奇天/KITEN Myohara @okitashizuka_
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