第7話 神の眠る場所

 夜明けの空を裂くように、七本目の糸が輝いていた。

 その先は、東の果て。

 地図には名もなく、霧と風しかない世界の境界。

 そこが“神の眠る場所”――最初の祠の在処だった。


 ルークとエンデは馬を降り、徒歩で進んでいた。

 風は柔らかく、土は温かい。

 これまでの荒野や氷とは違い、この地だけはどこか懐かしい匂いがした。

 草がさざめき、鳥の声が遠くから響く。


「ここだけ、息をしてるみたいですね」

 ルークの言葉に、エンデが微笑んだ。

「この旅の果てが、死ではなく“息”とはな」


 二人の前に、巨大な岩山が現れた。

 山肌には七本の線が刻まれ、それぞれが祠の象徴を表している。

 頂に近づくほど、線は一つに収束し、やがて中央の洞窟へと続いていた。

 その奥から、かすかな脈動の音が聞こえる。


 ――どくん。


 世界の心臓が、静かに拍動していた。



 洞窟の中は薄明るかった。

 壁には祈りの文字が刻まれ、光る苔がその輪郭を照らしている。

 進むたび、過去の声が流れ込む。


 ――神々は土を作り、人に息を与えた。

 ――だが人は、自らを神と呼び、息を奪い合った。

 ――だから神々は眠り、息を託した。


 ルークは立ち止まり、胸に手を当てた。

 「託した……僕たちに?」

 声は洞窟に吸い込まれ、かすかな響きとなって返ってくる。


 やがて、巨大な扉が現れた。

 白い石でできた二枚の扉。

 中央には、見慣れた紋が刻まれている――輪と線。

 ルークの胸の紋と同じ形だった。


 「ここだな」

 エンデの声が震えている。

 ルークは深く息を吸い、両掌を扉に当てた。

 掌の光が流れ込み、扉が静かに開いた。



 中は広大な空洞だった。

 天井には星が瞬き、地面は透明な水で覆われている。

 水面の下には、巨大な影――

 眠る神の姿があった。


 だが、その神はもう、完全な形ではなかった。

 半ば崩れ、光と闇が入り混じっている。

 声が響く。


 ――ようやく、来たか。


「あなたが……神ですか」

 ――違う。私はこの世界そのもの。

 ――神とは、世界が名を与えた“呼吸”の一つにすぎぬ。


 ルークの目に涙が浮かぶ。

 「どうして……世界は、息を止めたんですか」

 ――人が、神を見上げることをやめたからだ。

 ――そして、見下ろすことしか知らなくなった。


 エンデが唇を噛む。「……あの教団もか」

 ――そうだ。祈りを奪う者たち。

 ――彼らは“呼吸”を支配しようとした。

 ――お前は、それを取り戻した。


「僕は、ただの無能です。神なんかじゃない」

 ――だからこそ、お前は息を継げた。

 ――無能とは、“完成していない”ということ。

 ――未完成の者だけが、世界を変えられる。


 静寂。

 水面が揺れ、七本の糸が光を放つ。

 それぞれの祠の欠片が、水に浮かび、円を描いて集まっていく。

 ルークの掌の光が、その中心へ吸い込まれた。


 ――七の祠、息を継ぐ。


 世界が、息を吸った。


 風が洞窟を駆け抜け、天井の星々が明滅する。

 崩れていた神の影が溶け、光の粒となって空に散った。

 ルークの体がふわりと浮かび、光に包まれる。

 彼の中に、世界の声が流れ込んでくる。


 ――大地の声。

 ――海の鼓動。

 ――人の笑い。


 全てが重なり、ひとつの言葉になる。


 ――ありがとう。


 眩しさの中、ルークは微笑んだ。

 「こちらこそ。もう、眠らないでください」



 目を開けると、洞窟は静かだった。

 水は消え、ただ柔らかな草地が広がっている。

 空には七本の糸が弧を描き、やがてゆっくりと一本に重なっていく。

 新しい朝日が、その糸を金色に染めた。


 エンデが隣に立っていた。

「終わったのか?」

 ルークは頷いた。「はい。世界が息をしました」

「じゃあ……神は?」

「もういません。けれど、どこにでもいます」

 ルークは胸に手を当てた。

「僕たちが、神の息を継いでるから」


 風が草を揺らし、鳥が飛び立つ。

 エンデは笑い、肩をすくめた。

「結局お前は、“無能”のままだな」

「ええ。でも、それでいいんです。

 完璧な世界より、不器用に息をする方が好きだから」


 二人は並んで歩き出した。

 背後では、七本の糸が完全に一本となり、空の彼方へと消えていった。

 大地は静かに、しかし確かに呼吸している。


 ――土は眠らず、息を継ぐ。


 その言葉が、世界の新しい祈りとなった。


(完)

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無能と蔑まれた少年、神々の血統だった〜辺境で育てた村が、いつの間にか神話の舞台に〜 妙原奇天/KITEN Myohara @okitashizuka_

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