「8話 – ルビーの心臓」

DECG本部の最上層。

数十階を突き抜けて上昇した専用エレベーターの扉が開くと、冷たく無菌処理された空気がルビルビの頬をかすめた。

壁はすべて銀白色の合金で仕上げられ、天井には心臓の鼓動に合わせて点滅する薄いライトパネルが並んでいた。

表向きは病院のようだったが、ルビルビの目には監獄にしか見えなかった。


ここは単なる医療スペースではない。

彼女の存在価値、生存時間、そして歌う権利さえも計算される心臓検査室だった。


ベッドに腰を下ろすと、自動で機械のアームが近づき、細いセンサーパッドを首・胸・手首に貼り付けた。

冷たく粘つく感触が皮膚に密着し、彼女の心臓リズムがモニターに鮮明な曲線として浮かび上がる。


ピッ……ピッ……

規則的な電子音が部屋を満たした。


「心臓伝導率、96%。」

人工知能の無機質な声が読み上げる。

「合金安定度、良好。次の交換周期まで残り48日。」


48日。

その言葉を聞いた瞬間、ルビルビの目がわずかに揺れた。

舞台上で華やかに笑う彼女はいつも永遠のように見えたが、実際には彼女の時間は切り取られた数字としてしか存在しなかった。

時計の針ではなく、「48」という数値。47、46、45……毎日削られていく機械的なカウントダウン。


ルビルビは無理やり口角を上げてつぶやいた。

「……じゃあ、今日も舞台に立てるのね。」

だが指先は微かに震えていた。その震えは鏡に映る自分にすら悟られたくなかった。


その時、扉が開き一人の人物が入ってきた。

紫色の巻き髪を結んだ医師、ビオレッタ。無表情の顔に細い眼鏡をかけた彼女は、マネージャーでもファンでもなく、ただの資産管理者だった。


「合金の状態は安定しています。」

ビオレッタはクリップボードをめくりながら乾いた声で言った。

「ただ、最近の歌詞に不要な感情表現が増えています。精製されていない感情は装置に負荷をかける可能性があります。」


ルビルビは反論しかけて、うつむいた。

「……あれはただの詩的表現です。」


ビオレッタは首を振らなかった。ただ無表情のまま心臓モニターを見つめ、一言だけ落とした。

「心臓は資産にすぎません。機械が止まれば、歌手も終わりです。」


冷たく切り捨てられた言葉は刃のようだった。


ルビルビは無理に笑みを作ったが、胸の奥で静かに心臓を握りしめた。

薄い皮膚の下で人工心臓が微細に振動し、肉と金属を同時に震わせていた。


その瞬間、幼少期の記憶のように幻影がよぎった。

白い病室。冷たく光る注射針。腕にびっしり残る痣の跡。血を抜かれ、また注入された記憶。

しかしそれが現実だったのか、それとも幻覚だったのか、確信は持てなかった。


「……どうしてこんなものが見えるの?」

胸の奥に押し込めた疑問は喉を塞ぎ、心臓をさらに速く打たせた。


点検が終わると、自動で動いた機械アームがパッドを剥がした。

ルビルビはゆっくりと立ち上がった。顔に貼り付いた笑顔はそのままだったが、それは自分を支えるためだけの仮面にすぎなかった。


外の廊下からは次の舞台を準備するスタッフたちの足音が響いていた。

ルビルビは小さく息を呑み、心の中でつぶやいた。

「今日も舞台は待っている……そして私は、まだ生きている。」


DECG本部の最上層。

数十階を突き抜けて上昇した専用エレベーターの扉が開くと、冷たく無菌処理された空気がルビルビの頬をかすめた。

壁はすべて銀白色の合金で仕上げられ、天井には心臓の鼓動に合わせて点滅する薄いライトパネルが並んでいた。

表向きは病院のようだったが、ルビルビの目には監獄にしか見えなかった。


ここは単なる医療スペースではない。

彼女の存在価値、生存時間、そして歌う権利さえも計算される心臓検査室だった。


ベッドに腰を下ろすと、自動で機械のアームが近づき、細いセンサーパッドを首・胸・手首に貼り付けた。

冷たく粘つく感触が皮膚に密着し、彼女の心臓リズムがモニターに鮮明な曲線として浮かび上がる。


ピッ……ピッ……

規則的な電子音が部屋を満たした。


「心臓伝導率、96%。」

人工知能の無機質な声が読み上げる。

「合金安定度、良好。次の交換周期まで残り48日。」


48日。

その言葉を聞いた瞬間、ルビルビの目がわずかに揺れた。

舞台上で華やかに笑う彼女はいつも永遠のように見えたが、実際には彼女の時間は切り取られた数字としてしか存在しなかった。

時計の針ではなく、「48」という数値。47、46、45……毎日削られていく機械的なカウントダウン。


ルビルビは無理やり口角を上げてつぶやいた。

「……じゃあ、今日も舞台に立てるのね。」

だが指先は微かに震えていた。その震えは鏡に映る自分にすら悟られたくなかった。


その時、扉が開き一人の人物が入ってきた。

紫色の巻き髪を結んだ医師、ビオレッタ。無表情の顔に細い眼鏡をかけた彼女は、マネージャーでもファンでもなく、ただの資産管理者だった。


「合金の状態は安定しています。」

ビオレッタはクリップボードをめくりながら乾いた声で言った。

「ただ、最近の歌詞に不要な感情表現が増えています。精製されていない感情は装置に負荷をかける可能性があります。」


ルビルビは反論しかけて、うつむいた。

「……あれはただの詩的表現です。」


ビオレッタは首を振らなかった。ただ無表情のまま心臓モニターを見つめ、一言だけ落とした。

「心臓は資産にすぎません。機械が止まれば、歌手も終わりです。」


冷たく切り捨てられた言葉は刃のようだった。


ルビルビは無理に笑みを作ったが、胸の奥で静かに心臓を握りしめた。

薄い皮膚の下で人工心臓が微細に振動し、肉と金属を同時に震わせていた。


その瞬間、幼少期の記憶のように幻影がよぎった。

白い病室。冷たく光る注射針。腕にびっしり残る痣の跡。血を抜かれ、また注入された記憶。

しかしそれが現実だったのか、それとも幻覚だったのか、確信は持てなかった。


「……どうしてこんなものが見えるの?」

胸の奥に押し込めた疑問は喉を塞ぎ、心臓をさらに速く打たせた。


点検が終わると、自動で動いた機械アームがパッドを剥がした。

ルビルビはゆっくりと立ち上がった。顔に貼り付いた笑顔はそのままだったが、それは自分を支えるためだけの仮面にすぎなかった。


外の廊下からは次の舞台を準備するスタッフたちの足音が響いていた。

ルビルビは小さく息を呑み、心の中でつぶやいた。

「今日も舞台は待っている……そして私は、まだ生きている。」


待機室は本来、眩しい照明や華やかな衣装で満たされる舞台裏の空間であるはずだった。

だがDECG本部の舞台は違っていた。

壁は半透明の防音パネルで囲まれ、床はむしろ軍事格納庫に近い黒い合金で覆われていた。

「待機室」という名はついていたが、実際には「作戦準備区域」に近かった。


ルビルビは全身鏡の前で赤い衣装を整えていた。

刺繍には淡く光る微細な合金が織り込まれており、単なる舞台衣装ではなく装置の伝導率を調整する役割も担っていた。

鏡の中の自分はいつも通り華やかに見えた。

だが瞳の奥には冷たい影が漂っていた。


「持続可能時間……短縮されました。」

背後からシャフィナの声がした。

彼女はいつものように淡々と報告した。その口調は軍事報告に近かったが、視線はルビルビを案じるように揺れていた。


ルビルビは一瞬動きを止め、無理に肩をすくめて答えた。

「いいの、気にしないで。観客の前じゃ……誰もそんなこと知らない。大事なのは……私たちがどう歌うか、でしょ。」


シャフィナは頷いたが、視線を逸らさなかった。

彼女の衣装はルビルビよりずっと質素だった。黒のラインと白のベースが交差する冷たいデザイン。

だが肩の上に浮かぶ小型ドローン――S2、T2が彼女の状態をスキャンしている様子は、彼女もまた「ただの歌手」ではないことを示していた。


ルビルビは裾を直しながら、ふっと笑った。

「今回の歌詞は自分で書いたの。聴かせてあげる。」


シャフィナは意外そうに目を見開いた。

ルビルビが「自作」という言葉を口にするのは珍しかった。

DECGの歌詞はほとんど徹底管理されていたからだ。


「歌詞の表現が少し強い、という報告がありました。」

シャフィナは短く言った。


ルビルビは唇を上げ、からかうように囁いた。

「詩的な表現にすぎないわ。問題ある?」


シャフィナは答えなかった。ただ一瞬、ルビルビの手首を掴んで、すぐに離した。

それだけで言葉以上の意味が交わされた。


照明が瞬き、舞台開始10分前を知らせた。

扉脇のパネルにはタイマーが大きく刻まれ、無慈悲に数字が減っていた。


ルビルビは思わず胸を押さえた。心臓が冷たく震えていた。

「……心臓が止まる前に。」

その呟きがシャフィナの耳に届いた。


「今、なんて?」

「なんでもない。準備しましょ。」


ルビルビは首を振り、鏡の中の笑顔をもう一度整えた。



待機室の空気は冷たく、妙に湿っていた。

その中で二人の呼吸音だけが密やかに混じり合っていた。

舞台までのカウントダウンは、ただの公演ではなく、生存と抵抗の始まりを告げていた。


♪♪♪


リハーサルステージは空っぽだった。

だが「空」であることが「自由」を意味するわけではなかった。

観客席の代わりに数十台の監視ドローンが静止飛行し、あらゆる角度からルビルビとシャフィナを記録していた。

照明はまだ半分しか点灯していなかったのに、黒い合金の床には舞台全体がくっきりと浮かび上がっていた。


ルビルビはマイクを握った。

それはただの公演用ではなかった。彼女の人工心臓と直接接続され、呼吸の一つひとつが伝導率データに変換され、DECGのデータベースに記録されていた。


「リハーサル開始。」

管制塔に座る職員が冷たく宣言した。声には一切の温もりがなかった。


最初の音が流れ出した。

ルビルビの声が静かに空間を満たした。


ここは、星の深く

光さえ届かない場所


スクリーンに波形が浮かび上がった。担当エンジニアが眉をひそめる。

「……歌詞の強度がやや高すぎる。」


「問題でも?」ルビルビは笑顔を見せて問い返した。

その笑顔は眩しかったが、声の奥には鋭い挑戦が潜んでいた。


「これは……ただの詩的表現なのですか?」

「もちろん。」ルビルビは肩をすくめて言った。

「感情のない歌なんて、誰が聴いてくれるの?」


シャフィナは無表情のまま目を閉じた。

何も言わなかったが、指先が微かに震えていた。

ルビルビが歌詞に「心臓」という言葉を織り込んだのは、単なる比喩ではなく、彼女自身の生存と直結する告白だった。


ルビルビは歌を続けた。


閉じ込められた装置じゃない

冷たいラボの産物じゃない


監視ドローンが一斉に微細な振動を記録した。

DECGの職員たちの間にざわめきが走る。


「これは……従来のフォールドウェーブとは違う。」

「単なる感情波形じゃない……?」


だがルビルビは気にしなかった。

目を閉じ、手を胸に当てる。

彼女の心臓は合金に支えられていた。

けれど今この瞬間だけは、人間らしい震えを生み出していた。


心臓が育つ夢を見たの

設計図もないままに


その囁きがステージを震わせた瞬間、照明が赤く閃いた。

職員たちは互いに目を見交わした。

彼女の歌の中に「暗号」が隠されていることを理解しながらも、誰も公然と止めることはできなかった。

彼女が持つ象徴性と資産価値は、監視すら凌駕するものだった。


最後の一節を終えると、ルビルビはマイクを下ろした。

息は浅く、それでも瞳は強く燃えていた。


「リハーサル終了。」

管制塔の声が響いたが、今度は職員たちの表情が揺らいでいた。


シャフィナが静かに近づき、囁いた。

「……誰かが、きっと聴いています。」


ルビルビは一瞬目を伏せ、そして無理に笑った。

「そうでなくちゃ。私がまだ生きている証拠だから。」


♪♪♪


ジンは待機中の機体の中から、巨大なサイエンスキャンプの会場を見下ろしていた。

遠くに見える舞台は一見ただのショーのように見えた。

だが彼はもう知っていた。

ここで響く音楽は決して「ただの歌」ではないことを。


「……始まったな。」

低く呟いた声に、心臓がわずかに速く脈打った。


J-COREが静かに割り込んだ。

「ジン、波が検知されてるゲコ。以前の曲とは違うゲコ。これは――意図的に調律された信号だゲコ。」


HUDの隅に小さな波形グラフが現れた。

赤い曲線が静かに揺れ、規則的に震えていた。

それは単なるサウンドウェーブではなかった。

感情を伝達するための、誰かからの「暗号」のようなリズム。


ルビルビの声が空間を切り裂くように響いた。


ここは、星の深く

光さえ届かない場所


その瞬間、HUDの色調がかすかに揺らいだ。


「……何だ?」

ジンは目を細めた。

ソフトの不具合にしてはあまりにも鮮明だった。

画面の上に虹色の波形が一瞬広がり、すぐに消えた。


J-COREが解析を追加した。

「フォールドウェーブ信号に似てるけど、完全には違うゲコ。誰かがジンを狙って送ってるみたいだゲコ。」


ジンは呼吸を整え、続く歌詞を耳にした。


閉じ込められた装置じゃない

冷たいラボの産物じゃない


その言葉が胸を突き刺した。

途端に、かつて夢の中で聞いた反響が蘇る。

冷たい白い病室。腕に残る注射痕。

忘れたはずの幻影が不意に浮かび上がった。


「……なぜ今……」


HUDの上に再び波形が重なった。

紫と赤の線が交差し、まるで心電図のように脈を打っていた。


[Heart Sync / 38%]


ジンの肌に鳥肌が立った。

舞台を見つめる瞳が揺れた。


(あれは……ただの舞台じゃない。誰かが、俺に何かを伝えようとしてる……)


J-COREの声が一層深刻になった。

「ジン、この波はただ感情を煽ってるんじゃないゲコ。メッセージだゲコ。聴け、理解しろ――そう仕組まれてるゲコ。」


ジンは無意識に胸へ手を置いた。

心臓が、ルビルビの歌と歩調を合わせるように脈打っていた。


「……俺に、なぜ……」


遠く、スクリーンに映るルビルビと視線が交わった。

彼女は観客に微笑んでいたが、その笑顔はどこか切迫していた。

一瞬、ジンは錯覚した。

彼女が自分だけを見て歌っているような錯視。


ここは、星の深く

光さえ届かない場所


その最後の一節が響いた瞬間、HUDが閃光を放ち、大きな波形を描いた。


[Heart Sync / 51%]


ジンは息を呑んだ。

この数値の意味は分からない。

だが一つだけ確かだった――これはただの公演ではなかった。


「……なぜ、俺が反応してる……?」


J-COREは答えなかった。

ただ小さな沈黙に包まれながら、ジンの心拍とHUDの数値を記録し続けていた。


公演が終わると、数百機のドローンがゆっくりと停止していった。

宙を彩っていたキューブスクリーンの光も一つ、また一つと消え、まるで夢から覚めたように会場は冷たく静まった。

残ったのは拍手も歓声もなく、ただ金属的な残響だけだった。


ルビルビは舞台裏の狭い廊下を歩いていた。

つい先ほどまでは華やかな赤のドレスをまとい、数千の視線を浴びていた。

だがカーテンをくぐった途端、その笑顔は音もなく崩れ落ちた。


「……はぁ。」

深く、浅い吐息が混ざった。指先が胸へと上がる。


金属フレームの奥から、妙に規則的な振動が伝わってきた。

それは心臓ではなかった。心臓の代わりに埋め込まれた合金装置が、まるで拍子を刻むように軋んでいたのだ。

公演中はアドレナリンと音楽の波動に覆い隠されていたが、今は痛みが鮮明に戻ってきた。


「心臓伝導率、96%。異常なし。交換周期まで――48日。」

先ほど検査室で聞いた医師の声が耳に残っていた。

冷たく無表情で、それでいて残酷なほど正確な声。

その数字は、彼女に残された生存時間を意味していた。


ルビルビは壁にもたれ、静かに笑った。

無理に口角を持ち上げた笑みは、公演中と変わらない。

だが瞳は完全に冷めきっていた。


「……48日間は、“アイドル”でいられるのね。」


彼女はバッグから小さなメモ帳を取り出した。

そこには自ら書き留めた歌詞の断片がびっしりと並んでいた。


ただ感情ひとつで咲いた花


それは、今日のステージで歌った 『Seed Code: R』 の一節だった。


指先が震えた。

それは単なる創作ではなく、ジンへの暗号だった。


――聞こえたでしょう? あなたが反応したのを、私は見た。


ルビルビは舞台を去るとき、無意識にジンの方へ視線を投げていた。

その一瞬の交差の中で、彼女は確信した。


ジンも、この波動を感じたのだと。


「心臓が止まる前に……伝えなきゃ。」

低く呟くと、胸の奥で合金装置が鈍く鳴った。

もしそれが人間の心臓なら、震えるように脈打っていただろう。

だがこれは冷酷な金属の響きにすぎなかった。


それでもルビルビは、その金属をまるで本物の心臓のように両手で抱きしめた。


「……歌だけが、私が生きている証。」


再び歩き出す。

廊下の果て、赤い照明が落ちたステージ裏の扉へ。

歩みは軽やかに見えたが、刻一刻と響く金属音が彼女の命をカウントダウンしていた。


舞台マネージャーが駆け寄る。

「ルビさん、次のステージの準備が――」


「後で行くわ。少し……息を整えてから。」


マネージャーが下がると、彼女は小さく独り言を続けた。


「……心臓が止まる前に、残せるのは歌だけ。

 そしてその歌は――必ず、誰かに届かなくちゃ。」


その瞬間、廊下の奥の闇の中で、一つの言葉が反響のように蘇った。


『心臓は感情を記憶する。』


かつて紫の髪の医師が書き残した言葉だった。


ルビルビは目を閉じた。

「……覚えていたい。愛したことも、失ったことも。」


再び赤い照明の方へと歩み出す。

観客はもういなかった。

だがステージに立つとき、彼女の顔には再び“アイドルの笑顔”が浮かんでいた。


「もう一度、歌わなきゃ。生きていることを忘れないために。」


♪♪♪


舞台の照明は燃えるようなルビー色に揺らめいていた。

数百台のドローンカメラが互いの軌道を交差させながら彼女の動線を追い、

華やかなホログラム装置が観客席の上空に花火のように散りばめられた。


「今夜、星の光よりも強いもの――それは、私の心臓!」


ルビルビの声が空気を震わせた。

観客たちは歓声とペンライトで応えた。

それはDECGが計算し、企画した“完璧なステージ”だった。


だが照明が落ちた瞬間、彼女は指先で胸を押さえ、長く息を吐いた。



楽屋。

冷たい照明が反射するガラステーブルの前に、紫の巻き髪の医師が座っていた。

彼女は無表情のままタブレットを開く。


「心臓伝導率96%。異常なし。合金の摩耗率は先週比0.2%減少。

 次の交換周期まで48日。」


ルビルビは無理に笑みを作った。

「48日……十分ね。今日もステージに立てる。」


「はい。」

医師は短く答えた。

だがその瞳には、記録係だけでは見せない複雑な感情が一瞬走った。


ルビルビは鏡に映る自分のドレスを撫でた。

宝石のように輝くルビー色の衣装。

しかしその下には、ストネン合金で補強された人工心臓が埋め込まれている。

メンテナンスが絶たれれば――彼女は即座に舞台から消える存在だった。


公演直後、DECG本部の会議室。

ルビルビはシャンパングラスではなく、ぬるい水の入ったコップを握っていた。

幹部たちが書類を回す中、自動ドアが開き、新しい人物が入ってきた。


その少女は静かに歩み寄った。

首には金属のカラーがはめられ、瞳は空っぽのガラスのように揺らぎがなかった。

感情も、表情もなかった。


「シャピナ候補。」

幹部が言った。

「実験後、生存率安定。感情反応は抑制状態。」


ルビルビは眉をひそめた。

「感情が……ないって?」


紫髪の医師が淡々と説明した。

「鎮痛剤と抑制剤の過投与です。固定と統制を目的としました。

 身体は生きていますが、感情回路は遮断された状態です。」


シャピナは沈黙したまま、操り人形のように立っていた。


ルビルビは無意識に拳を握った。

「この子……生きているって言えるの?」


医師はしばらく彼女を見つめ、乾いた声で答えた。

「生物学的には、はい。だが人間としては――判断が難しいですね。」


ルビルビはシャピナの空虚な瞳を見つめながら、舞台裏で耳にした話を思い出した。


ラボ9の実験棟。

白いガラスカプセルが壁一面に並んでいた。

その中にはシャピナと同じ遺伝子を持つ実験体が保存されていた。

すべて女性型。だが結晶化が進み、衝撃を加えれば粉々に砕け散るほど危うい存在。


「64番、失敗。」

医師の冷徹な記録が響いた。


カプセルの中の少女の体は、ゆっくりとひび割れ、光の破片となって散っていった。

生きた人間ではなく、研究室で造られた一つの部品のように。


そのとき、ルビルビはシャピナ――65番の瞳を見た。

空虚だった。だがほんの一瞬。

恐怖が走り抜けた気がした。


数日後、最初のテストステージ。

観客はいなかった。

センサーと装置、そして数十台のモニターが彼女を囲んでいた。


シャピナはマイクの前に立った。

唇がわずかに開いたが、声は出なかった。

代わりに、機械が位相データを強引に補正し、かすかな波動を送出した。


【波形分析:不安定 / 感情値 – 0】


幹部が満足げにうなずいた。

「いい。ルビルビの華やかさと対比する無彩色。二つは組み合わされねばならない。」


ルビルビは歯を食いしばった。

「これ……歌じゃない。ただの機械ノイズよ。」


しかし、モニターに小さな変則が走った。

シャピナの波動に、ごくかすかな“ノイズ”が混じったのだ。

まるで誰かが囁くような、短く不完全な震え。


「あなた……今、歌ったの?」


シャピナは答えなかった。

だが瞳が、ほんのわずかに揺れた。


会議室に残ったのは、ルビルビとシャピナ、そして医師だけだった。


ルビルビはシャピナを見つめ、低くつぶやいた。

「あなたは今、何者でもない。なのに……なぜ私は、あなたを見て震えているの?」


医師は何も言わなかった。

だがモニターには、確かに記録が残っていた。


【非公式記録:共鳴波形を検出】


シャピナは依然として感情のない顔で立っていた。

けれども、その瞳の奥で――ごく小さな光が揺らめいた。


それはいつか、

〈愛・おぼえていますか〉を口ずさむ日を、

ほのかに予兆しているかのようだった。


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