「5話 – 共鳴テスト」

ニュコアの太陽は荒涼として熱い。

だが、ジンが所属する企業〈DECG〉は、その灼熱さえも「祭り」に仕立て上げる術に長けていた。


普段の任務地である採掘場から遠く離れた、ニュコア惑星で最も輝く都市外縁。

真っ白に塗られた建物の屋上に、大きな看板が煌めいていた。


【夏の科学キャンプ – 科学と未来、そしてあなた】


広大な敷地にそびえるその建物は「科学館」と呼ばれていたが、

実際には巨大な展示ホールと研究棟を合わせた複合施設だった。


終わりの見えない広場の上空には、数十機ものドローンが浮かび、

地面には透明な案内パネルが流れるように文字を映し出していた。


「科学と夏が出会うとき、より大きな明日がひらかれる!」

「DECGと共に体験する青少年サイエンス・アドベンチャー!」


子供たちは列を作り、色鮮やかな制服を着たスタッフが笑顔でパンフレットを配布する。

パンフレットの表紙には、明るく笑うルビルビとシャピナの姿。


『モスナインと特別ステージ!』

『あなたの心臓に共鳴を届けます。』


親たちはシンボルの前で写真を撮り、子供たちは輝く目で館内を覗き込んでいた。

模型ロケット、太陽光パネル、生体センサー体験装置――

外から見れば、科学館は夢と希望で満ちあふれていた。


しかしジンの目に映る光景は、少しだけ違っていた。


彼は灰色のパイロットスーツの上に、観覧者用のジャケットを羽織っていた。

首から下げたネームタグには、ただこう記されていた。


【体験参加者 – ジン】


無表情なアンドロイドの受付がタグをスキャンする。

「体験参加者確認。B-3区画『共鳴体験室』へ移動してください。」


柔らかな口調ではあったが、どこか乾いた響きがあった。

ジンは無言で頷き、歩を進める。


内部は外よりさらに華やかだった。

天井はドーム状に設計され、人工空は青く輝いている。

足元はガラスのように光を反射し、ラインに沿ってホログラム展示が立ち上がっていた。


「うわぁ!ほんとに星みたい!」

はしゃぐ子供たちの声が響く。


ジンの視線は一瞬だけ、【関係者以外立入禁止】と書かれた扉に釘付けになった。

その横には軍服の兵士が無表情で立っていた。


――本当にこれは「宣伝イベント」なのか?

ジンの眉間がわずかに寄る。


体験参加者控室。

白い壁、白い椅子、一定の空気循環。


子供たちは笑いながら座っていたが、どこか統制の匂いが漂っていた。


スピーカーから案内音声が流れる。

「まもなく〈共鳴体験〉が始まります。

あなたが感じるのは、単なる物体ではなく――〈共鳴〉です。」


子供たちは顔を見合わせて笑う。

「共鳴? なにそれ?」

「知らない!ゲームみたいなやつじゃない?」

「歌を真似するんじゃない?」


ジンは腕を組み、天井を見上げた。

後頭部が妙に熱い。

HUDはオフのはずなのに、内側で波動が揺れている気がした。


廊下の奥、巨大な鉄扉。


その上には大きな文字が浮かんでいた。


【共鳴体験ゾーン】


扉の前にもまた軍服の兵士。

子供たちに笑顔を見せながら、ジンを見た瞬間だけ無表情で言った。


「ワスプ――」


ジンの息が止まる。

だが兵士はタグをスキャンし、言葉を変えた。


「……体験参加者。入場を許可する。」


重厚な扉がゆっくりと開く。


内部は巨大な円形ドーム。

壁一面にスピーカーと透明パネルが並び、天井には監視用レンズを備えたドローンが規則正しく並んでいた。


「わぁ!ほんとにコンサートホールみたい!」

子供たちが歓声を上げて駆け込む。


ジンの目には、スピーカーのアンテナと、監視ドローンのレンズがはっきり映っていた。


「……これが、科学体験か。」


彼の胸奥で、誰かが遠くから鍵盤を叩くような――正体不明の〈波動〉が脈打っていた。


子供たちが駆け込むと同時に、背後の鉄扉が音を立てて閉じた。

ドーム内部は一瞬で闇に沈み、空気が重たく張り詰めた。


直後、天井に並んだドローンが一斉に光を放つ。

中央には透明な足場が浮かび上がり、円形に配置されていく。


「うわぁ!ゲームが始まるんだ!」

「すごい!ほんとにステージみたい!」


歓声を上げながら子供たちは足場へ飛び乗った。

ジンも誘導ラインに従って歩みを進める。

足を乗せた瞬間――わずかな震動。


単なる機械的な振動ではない。

胸の鼓動と同調するかのような、奇妙に規則的な拍動だった。


スピーカーから案内の声が響く。

「参加者の皆さん、ようこそ。

これから体験していただくのは――ただの遊びではありません。

〈共鳴〉です。」


子供たちは雰囲気に飲まれ、手を叩いて喜んだ。

ジンだけが首をかしげる。

〈共鳴〉――いったい何と共鳴するというのか、説明は一切ない。

それが、ただの科学体験にしてはあまりにも不穏だった。


天井のドローンがゆっくりと位置を変え、パターンを描き始める。

やがてドームの上部が開き、遠くの空に無人機が浮かぶのが見えた。


そして、スピーカーから雑音まじりの声。

「……テスト送信を開始します。」


耳をかすめた瞬間、ジンの後頸部にぞくりと鳥肌が走った。

次の瞬間、空気を切り裂くように流れ込んできたのは――聞き覚えのある旋律。


「――俺は本物だ、Do you believe in the truth?」


空間を貫くその歌声に、子供たちは一斉に歓声をあげる。

「モスナインだ!」

「ルビルビの声だ!」

「ほんとに生歌!?」


ジンの胸が一気に冷え込んだ。

――モスナインの楽曲、《イミテーション・ルミナス》。


単なるショーではない。

彼のHUD――本来オフのはずのインターフェースが、勝手に点滅を始めた。


【Heart Sync 信号検出】

【共鳴反応係数:上昇中】


ジンは拳を握りしめた。

「……歌が、機体を動かしてる。」


子供たちは笑顔で歌を口ずさむ。

すると、足元の透明な足場が一つずつ違う色に輝き始めた。

赤、青、緑――まるで各々の心臓の鼓動が可視化されるかのように波形が浮かぶ。


「見て!光ってる!」

「ぼくのが一番きれい!」


足場を踏み鳴らして喜ぶ子供たち。

だがジンの足場だけは異質だった。


虹色の波動が渦を巻き、周囲にまで広がっていく。

その瞬間、天井のドローンが一瞬だけ動きを止めた。


スピーカー越しに制御室の声。

「9486番、感応数値急上昇。ログを分離して保存。」

「共鳴係数140%突破。異常値だ。」


だが場内アナウンスは平然と響き渡る。

「ご覧ください。あなたの心が光へと変わっていきます。

科学は、いつもあなたと共にあります。」


観覧席で子供を見守る親たちは笑顔でビデオを回していた。

虹色の光に子供たちは歓声を上げる。


――誰一人として、この現象がただのショーではないことに気づいていなかった。

ただ一人、ジンを除いて。


歌はさらに高らかに続く。

「Twilight 星を踏みしめた爪先に―― Stardustのように砕け散るemotion!」


HUDの上に虹色の波形が重なり合った。

【共鳴可視化:起動】


心臓の鼓動がリズムを刻み、歌声と完全に同期する。

息苦しいほどの解放感、同時に夢の断片がよみがえる。


――458。

――カノン。

――赤い識別ID。撃墜。そして、閃光。


ジンは反射的に操縦桿を握ろうとした。

だが、そこにあるのはただの「体験用シート」。

ここは戦場ではなく、科学館のイベント会場のはずだった。


だが身体の奥底ははっきりと知っていた。

――これは戦闘機の感覚だ。


歌の波が、彼を再びコックピットへ引き戻していた。



ドームの外、管制室。

分厚いガラス越しにモニターが並び、軍服を着た兵士と白衣の研究員たちが忙しなく動いていた。


「9486番、反応係数――最高値を突破。心臓同調率、87%。」

「これはただの体験データじゃない。分離チャンネルを起動、上層部に送れ。」


冷ややかな声が飛び交う一方で、場内アナウンスは依然として朗らかだった。

「皆さんも感じていただけますか?

これこそが科学です。歌と光、そして心の共鳴――」


ジンは歯を食いしばり、低くつぶやいた。

「これが……科学だと?」


足元の足場が低く震えた。

子供たちは歓声を上げて手を振っていたが、ジンの目は冷え切っていた。


足場の下から機械音が轟き、あるパターンを描き出していく。

――リズム。

操縦桿を握った時に指先に伝わる、あのエンジンの脈動と同じ。


「次のステップに移行します。」

アナウンスが響くと同時に、透明な足場がゆっくりと沈み込む。

代わりに金属フレームとシートがせり上がった。


「わあ!ロボットみたい!」

「すげぇ、座っていいの!?」


子供たちは興奮してシートに飛び乗った。

即座にハーネスが肩と腰を固定し、眼前には透過式のHUDが展開される。


ジンも指示に従い腰を下ろす。

すると首筋のインターフェースが微かに震え、シートと同期した。

HUDには自動的に文字が浮かぶ。


【パイロット認証 ― Wasp】

【テストモード:共鳴シミュレーター】


ジンの喉が詰まった。

「……やはり。」



音楽が再び流れ込む。

「――俺は本物だ、Do you believe in the truth?」


ルビルビの声がホール全体を満たした瞬間、HUDが大きく揺れる。

虹色の曲線――心拍と完全に同期した〈共鳴可視化〉のグラフが踊る。


「見て見て!光ってる!」

「ぼくのも波形が出た!」

「科学ってほんとにすげぇ!」


子供たちは単なるゲームのように歓声を上げた。

だがジンのHUDだけは暴風のように波打っていた。


【感応率:93%】

【実験モード:起動】


「……実験、だと?」


彼の呟きは、子供たちの笑い声にすぐかき消された。



HUDに新しいターゲットが次々と浮かび上がった。


【Target A ― ドローン模型】

【Target B ― 小型衛星モデル】

【Target C ― 仮想機体】


「うわっ! ぼくの機体、飛んでる!」

「レーザーが出たぞ!」


子供たちは歓声を上げ、楽しげにジョイスティックを動かした。


ジンも無意識に指を動かす。

瞬間、HUDの照準線が自動的に揃い、標的をロックオンした。

そのタイミングで――

『イミテーション・ルミナス』のドラムビートが轟き、リズムと同期するように照準が揺れた。


ジンの息が荒くなる。

「……なぜ、狙いが歌に合わせて動く?」


胸の鼓動までもがテンポを刻むように跳ね上がった。

操縦桿は存在しないはずなのに、彼の指先は確かに戦闘機の感覚を覚えていた。


虹色の波形がHUD全体に広がっていく。


【感応率:98%】

【同期 ― 危険閾値突破】


「……まただ。」


夢で見た光景が蘇る。

458。

赤いID。

カノン。

撃墜と閃光。

そして、けたたましい目覚ましの音。


ジンの視線が震えた。


歌が最高潮に達した瞬間、HUDに歌詞が字幕のように流れ込む。


『…目を閉じても 鮮明な lie lie lie…』

『…Twilight 星を踏みしめた爪先に…』


呼吸が止まる。

歌がただの音楽ではなく、データとしてHUDを覆い尽くしていた。

それは――命令だった。



ドーム外の管制室では声が飛び交っていた。


「9486番、反応係数――最高記録を更新!」

「共鳴感度、実験対象基準を完全に上回った!」

「すぐにデータを封印しろ。外部流出は絶対に許されない。」


その一方で、ホール内のスピーカーからは依然として穏やかなアナウンスが響いていた。


「皆さん、楽しんでいただけましたか?

これこそが科学と夏が出会う瞬間です!」


子供たちは歓声を上げ、保護者たちはカメラを構えて笑顔を撮った。

しかしジンのHUDは――波形で埋め尽くされていた。


彼は荒い息を吐き、唇を震わせながら呟いた。

「……これは、科学なんかじゃない。」


その瞬間、ホール中央の足場が眩く輝いた。

『イミテーション・ルミナス』のサビが最高潮に達すると同時に、全ての足場が光を弾けさせた。


「わあ! ぼくの波形、虹色だ!」

「嘘つけ! おれのHUDの方が光ってた!」


子供たちは笑いながら競い合い、保護者たちはその姿を誇らしげに記録した。


だがジンのHUDには――


【感応率:112%】

【共鳴係数:臨界値突破】

【心拍 ― 音楽と完全同期】


胸の鼓動がリズムと完全に重なっていた。

息が詰まるほどの圧迫感、だが同時に痺れるような解放感が彼を覆った。


彼は直感した。

これは単なる体験ではない。

機械と人間、歌と心臓――すべてがひとつの回路に結ばれている。



管制室の空気は一層張り詰めていた。


「9486番、確定。対象は有効だ。」

「上層部へ報告しろ。『プロジェクト・ハートシンク』、初の成功例だ。」

「データは暗号化チャンネルで即時送信。」


軍服の幹部らしき男が低い声で言い放った。

「今日の体験は広報ではない。――実験だった。そして結果は成功だ。」



一方、ホール内では依然として柔らかなアナウンスが響いていた。


「皆さま、本日の体験にご参加いただき誠にありがとうございました。

科学と未来は、いつもあなたの隣にあります。」


子供たちは歓声を上げ、保護者たちは笑顔で写真を撮った。

光に包まれた足場は静かに沈み、まるで何事もなかったかのようにショーは終わった。


だがジンの耳には、まだ残響が消えなかった。

胸の奥で――確かに、歌の波動が鼓動と重なっていた。


ジンは静かに顔を伏せた。

楽しげに退場する子供たちとは対照的に、彼だけが席に残り、低く呟いた。


「……これは武器だ。科学という名で飾られた――歌う兵器。」


指先はまだ震えていた。

HUDはすでに消えていたが、波動は消えていなかった。

それは確かに彼の体内に残っていた。


ドームの照明が徐々に落ちていく。

子供たちの歓声が続く中、歌が止んだ瞬間、空気の震えは逆に重くなった。


スピーカーから再び機械的な案内が流れる。

「これにて共鳴体験を終了いたします。皆さまの未来は、いつでも科学と共にあります。」


子供たちは互いに競い合うように叫んだ。

「俺の波形が一番大きかったんだ!」

「嘘つけ! 俺のHUDは虹色だったんだぞ!」


親たちは笑顔でカメラを構え、子供たちはポーズをとった。


だが、その光景を茫然と見つめていたジンは、静かにシートを外した。

ハーネスが解けた瞬間、首の後ろのインターフェイスが一拍遅れて震えた。

――他の誰にも聞こえないリズムだった。



通路へ向かう途中、子供たちはまだ興奮冷めやらぬ様子で騒いでいた。

「本当にゲームみたいだった!」

「心臓と一緒に動くなんて、すげー!」


その後ろを歩くジンの足取りは重かった。

耳元にはまだ歌の残響がこびりついていた。


「……目を閉じても鮮明な lie lie lie…」


声が、耳の奥でこだまするように響いていた。



リセプションホールの壁面ディスプレイが一瞬だけ点滅した。


[参加者: 9486 – 体験終了]

[記録: 削除]


偶然それを見たジンは、データが消える瞬間を確かに目撃した。


低く呟く。

「……削除。」


そこへ近づいてきたアンドロイド職員が、不自然なほど作り笑いを浮かべて言った。

「楽しい体験になりましたか? 本日の記録はすべてセキュリティのため自動削除されました。」


ジンは冷たく問い返した。

「……なぜ削除する?」


予想外の質問に、アンドロイドは一拍遅れて答えた。

「共鳴は繰り返すことのできない体験です。記憶はそれぞれの心にだけ残ります。」


台本のように機械的な返答だった。


だがジンの体には確かに残っていた。リズム、震え、そして波動。

それはただの記憶ではなく、肉体の奥に刻まれた反応だった。



建物の外に出ると、夏の風が吹き抜けた。

都市の空気は鉱山の粉塵でざらついていたが、頭上のドローン広告は明るく輝いていた。


[モスナイン、あなたの明日に響きを!]

[今日もDECGと共に、科学の未来を!]


子供たちは軽い足取りで両親と帰っていき、手には蛍光色のパンフレット、カバンには記念品。


ジンはふと立ち止まった。

空に漂う無人機から、ごく微かにあの残響が聞こえた。


「……俺は本物だ。Do you believe in the truth?…」


心臓が一拍遅れて反応する。

残響は確かに残っていた。


♪♪♪


管制室。

平凡な建物に偽装されたその内部で、研究員たちの声が飛び交っていた。


「9486番、確定。対象反応係数は歴代最高値。」

「データは封印保存、参加者記録は完全削除。」

「外部発表は『青少年サイエンスキャンプ大盛況』でまとめろ。」


一人が口元を歪めて笑った。

「科学は、いつだって煽動のための便利な仮面だ。」



ジンはホールを離れながら低く呟いた。

「……これが、科学か。」


その瞳は空虚でありながら、どこか揺るぎなく硬かった。

胸の奥で鳴り続ける波動は、消されることも、削除されることもなかった。


その場に立ち尽くしたまま、彼はしばらく動けなかった。

体内に刻まれた共鳴が、心臓を打ち続けていたからだ。


その瞬間、視界がぐらりと揺れた。

現実ではない、幻覚か――あるいは失われた記憶の断片。


冷たい病室。

絶え間なく響く機械音。

自分の腕を見下ろすと、数え切れない注射痕が並んでいた。

皮膚は痣だらけで、指先は氷のように冷たかった。

血が抜けていくかのような奇妙な眩暈まで襲った。


「……これは……なんだ。」


ジンは荒い息を吐いた。

幻覚はすぐに消えた。

だが腕の感覚はまだ残っていた。

注射針も痣も存在しないのに、確かにあったかのように痺れていた。


顎を固く結び、独り言を洩らした。

「……こんな記憶は、ないはずなのに。」


ポケットに突っ込んだ拳を強く握った。

心臓が再び、歌に合わせて鼓動した。


「……歌が、武器なら。」

唇がわずかに震えた。

「じゃあ、俺は――何者なんだ。」


夜が訪れると、都市の灯りはますます華やかになった。

ネオン、広告パネル、ドローンのライトショー――

すべてが歌の波動に侵され、揺らめいているように見えた。


ジンは立ち止まり、再び呟いた。

「本当に……誰も聞こえなかったのか?」


だが返答はなかった。

残ったのは胸の奥で鳴り続ける共鳴だけだった。

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