二年後〜シロ〜
ぼくとセルと、双月堂にて
その教会――「双月堂」は、そんなに大きくはなく、古く、こじんまりとしていた。
植え込みで囲まれた大きな敷地の中にあって、町の大通りに面している。教会のそばには学校のような建物やそのほかの建物が並んでいて、窓からちらちらと子どもたちが顔を出していた。
教会からは、紫色の服を着た、白髪混じりの神父さんが出てきた。モーヴさんというらしい。
「うちの探索隊員とその友人だ」
バーミリオンさんは、短く伝えた。
「これは……毒ですか」
レモンを見た神父さんの顔色がサッと変わった。
「こちらの少年は魔力切れでしょう、オリーブにまかせましょう」
まずはレモンが、バーミリオンさんによって大聖堂に運ばれた。バーミリオンさんが出てきたあと、神父さんが大きな扉を閉めた。
「モーヴ神父に任せれば大丈夫だ、治癒系の魔法において、この島で、彼の右に出る者はいない」
不安なぼくの視線に気づいて、バーミリオンさんはそう言った。信じるしかなかった。
ぼくは、教会の端にある部屋に案内された。そこにはベッドがいくつか並んでいて、バーミリオンさんはそのベッドにセルを寝かせた。
「あらあらあら」
どたどたと、緑色の髪の小太りの女性が走ってくる。バーミリオンさんは、
「オリーブ、この二人を休ませてやってくれ」
と言って、部屋を出て行った。
「あ……」
ぼくは、ありがとう、と言いたかったんだけど、
「あらあらあら、こんなによごれて、大変だったでしょう?お風呂入る?何か飲む?ミルクがいいかしら?」
オリーブさんがどんどん世話を焼いてくれている間に、バーミリオンさんはどこかに行ってしまった。
「あなたいくつ?洞窟の深くまで行ったなんて、すごいわねえ。大変だったでしょう?よくがんばったわねえ。あ、無理に答えなくてもいいのよ、疲れてるでしょうから」
オリーブさんは、しゃべりながら、てきぱきとぼくの体を拭いて、あたたかいミルクを飲ませてくれた。少し騒がしいけれど、とても優しい人だった。
いい匂いもするし、なんだか懐かしい感じ。
「お母さん」がいたら、こんな感じなのかな。
用意してもらったベッドはとても気持ちよくて、ぼくはぐっすり眠ったらしかった。
ふと起きると、もう朝日が昇っているようで、日差しが窓から差し込んでいる。
「あ、シロ……」
セルの声に振り向くと、セルがベッドの上で起き上がり、こっちを見ていた。
「セル!よかった」
ぼくはホッとする。
「ええと、ここは……」
セルは戸惑っているようだ。
「教会だよ、町の。バーミリオンさん――島主さんが、運んでくれたんだ」
「えっ……ええと、俺、どうしたんだっけ」セルは頭を押さえる。「たしか、一層に登って……」
「魔力切れだって。セル、倒れたんだよ」
ぼくの説明に、セルは驚いたような顔になり、
「えっ、あ、レ、レモンは!?」
さっと顔色が青くなる。ぼくはなるべく安心させるように、
「大丈夫だよ、レモンは別の部屋で、神父さんの治療を受けているよ」
と言った。
「そう……えっ、シロが、運んでくれたの?」
セルは混乱しているようだったので、ぼくはもう一度、バーミリオンさんに出会ったこと、彼がここまで二人をかついで運んでくれたことを説明した。
セルは考えこむような顔をして、黙ってしまった。
「おはよう!あら、目が覚めた?」
明るい声がして、オリーブさんが入ってきた。
セルはビクッとして、あわてたように布団をかぶり直す。
「おはようございます」
ぼくはあいさつした。
オリーブさんの後ろから、チラチラと二、三人の子どもがこちらをのぞいている。
「朝ごはん置いておくわね。服も洗ったのが置いてあるから、着替えてもらって大丈夫よ。あ、お風呂入る?」
オリーブさんはぼくにタオルと着替えを渡してくれて、それからセルの方のベッドを、ひょいとのぞきこんだ。
でもセルは黙っている。
どうしたんだろう。
オリーブさんは気にする様子もなく、セルのベッドの足元にタオルと服を置いて、「ご飯食べ終わったらそのテーブルにでも置いといてねー」と言って去っていった。
パタン、と扉が閉じる。
はあ、とセルがため息をつく。
「えーと……セル、あの人はね」
ぼくが言いかけた途端、
「あらあらあら、もういいのね、よかったわあ」
去っていったはずのオリーブさんの声と、ドタドタという足音がして、セルはまたビクッとして布団をかぶり直した。
バタンと扉が開き、レモンを抱きかかえた神父さんと、それを支えるオリーブさんが立っていた。
「レモン!」
ぼくは思わず声を上げる。セルもゴソッと布団から顔を出す。
オリーブさんはしーっと人差し指を口に当てて、
「大丈夫よ、よく寝てるから」
そう言って、ぼくとセルの奥のベッドに、レモンを寝かせた。
そうして、セルのベッドとレモンのベッドの間に、カラカラカラと間仕切りのカーテンを転がしてきた。
「お部屋ここしかなくてごめんねー、女の子なのにね。もう少し元気になったら寮の部屋に移れるからね」
眠るレモンにそう話しかけ、ぼくとセルににっこりと安心させるように笑いかけて、オリーブさんは出ていった。
神父さんもぼくらに会釈して出ていき、扉を閉める。
「…………」
ぼくとセルはおそるおそるレモンの寝顔をのぞきこんだ。
すやすやと眠っているその頬はピンク色で、唇にも血の色が戻っている。
「……よかったねえ」
ぼくがささやくと、セルもうなずいた。そして、カーテンをそっと動かして、レモンが見えないようにした。
オリーブさんが持ってきてくれたパンとスープは、とてもおいしかった。パンはふわふわで、ナッツが入っていた。スープはあたたかくて、口に入れると、炒めた玉ねぎとバターの香りが口中に広がった。ぼくは夢中で食べたけれど、ふと見ると、セルはパンをひとかけらちぎったまま、何か考えている。
「……セル、まだ食欲ない?」
そっと聞くと、セルは首を横に振り、パンを口に入れた。
「…………」
食事が終わっても、ベッドに座って壁にもたれ、セルは黙ったまま、虚空を見つめている。
「……あのう、セル」ぼくはそっと話しかけた。「ごめんね、ぼく、セルにたくさん、無理させて……」
セルはふっとぼくを見て、
「……シロが謝ることは何もないよ」
と、少しだけ笑った。
よかった、いつものセルだ。
「セルは、何を考えてるの?」
ぼくは聞いてみた。セルは、「え?」と虚をつかれたような顔をしたあと、ふっと視線を布団にやり、
「……なんだろう。自分の、不甲斐なさとか、かな」
と答えた。
「え?セルの?なんで??」
ぼくは予想外の答えに思わず聞き返す。
「不甲斐なさなんてなかったよ、セル、すごくて」
「どこがすごいんだよ!」
突然の強い語気に、ぼくは言葉を止める。
セルは「ごめん、でも」と首を振り、
「情けない。自分の魔力も体力も限界がわからないで、ちょっとうまくいったからって調子に乗って、レモンやシロを危険にさらして」
と、せきを切ったように言い、ぐっとひざを抱えこんだ。
「ぼくなら大丈夫だよ、スライム、追っ払えたよ」ぼくはあわてて言った。「レモンもちゃんと助かったし」
「バーミリオンさんがたまたま来てくれたからだ」セルの声は少し震えている。「それがなかったら、レモンは……助からなかった」
ぼくは息をのむ。
たしかにそうだ。セルが倒れたら、生命琥珀の魔法は消えてしまう。ぼくにはレモンを助ける手立てがなかった。
でもそれは、セルのせいじゃないのに。
「もう……イヤなんだ」セルはつぶやく。「俺はやっぱり、人と何かするのは向いてない。自分のことしか見えてない。無理なんだ。わかってたのに……」
「……セル……」
ぼくは何と言えばいいかわからなくて、言葉を探す。
「……ぼく、魔法があんなに、体力を消耗するなんて……倒れちゃうこともあるなんて、知らなかった」
ぼくの言葉に、セルはそっと顔を上げて、ぼくを優しい目で見て、ぽつりぽつりと、話し始めた。
「うん、倒れることは滅多にないんだ、本当は。普通はそうなる前に、対処するから。それに俺の魔法は……ちょっと、変わってるし。あの時は、後先考えずに、魔力を大量消費する魔法ばかり使いすぎた」
「魔法によって、使う魔力の量って違うの?」
「うん。
「そうだったんだ」
ぼくは思い出す。セルはずっと、生命琥珀を光らせて、レモンの命をつないでいた。それをしながら、幻影水晶や胆礬や、珪化木の魔法を使っていたんだ。魔力が切れてきていることにも気づかないくらいに、集中して。
「そんなに大変なのに、どうして、幻影水晶を使ったの?」
ぼくはふと疑問に思った。生命琥珀は必要だからしかたなかったにしても、幻影水晶は……ほかに何か、
「無理矢理眠らせるとか、ほかに方法はなかったのかな……あ、でも、レモン、あの時、薬飲めなかったもんね……」
「うん……」セルは考える。
「まあ、ほかにいい方法がなかったってのもあるけど……なんだろう。見てられなかったっていうか……放っておけなかったんだよ」
「そうなの?」
あの時、レモンはうなされていた。
でも、しょせん夢だ。命の危険はなかったはずだ。
「気持ちは……わかるから」セルはつぶやいた。
――ごめんなさいごめんなさい……やめてやめてやめて……
――チャコ……行かないで……カーマイン……置いていかないで……
レモンの苦悶の表情を思い出す。
レモンは、前に、チャコールがいなくなったのは自分のせいだと言っていた。眠ってる間にカーマインがいなくなったと言っていた。
それは、どんな気持ちだったんだろう。
……セルも、置いていかれたような気持ちなのかな。
「――それって、やっぱり」
ぼくはうなずいた。「レモンが助かったのは、セルのおかげだね」
「いや、シロとバーミリオンさんのおかげだ」
セルは頑固だ。「それと教会のその、神父さん」
「モーヴさんっていうんだって、あの神父さん」
ぼくは昨日聞いた名前をセルに伝えた。
「さっきの女の人は、オリーブさん」
「ああ……やっぱり」
セルはその名前を聞いて、つぶやいた。
「知ってるの?」
「ずっと前に、チャコールから聞いたことがある。チャコールが育った寮の……寮母さん」
「そうなんだ」
ぼくは少し驚いて、そして納得した。きのう、なんとなく「お母さん」っぽいと感じたのも、あながち的はずれではなかったみたいだ。
「優しそうな人だよね」
「……そうだね」
セルはうなずく。ぼくはホッとして、
「ねえ、あとで話しに行ってみようよ。チャコールの昔の話、聞いてみようよ」
と言った。でもセルは、気が進まない様子で、「んー……」と黙りこんでしまった。
「……セル、もしかして、あの人……苦手?」
ぼくは、そっと聞いてみる。
セルの肩がピクッと動く。
セルは、はぁー……とため息をついて、ごろんと寝転んで枕に顔をうずめた。
「…………正直、苦手」小さな声で言う。
「ふーん……」
なんでだろう?あんなにいい人なのに。
ふと、レモンのベッドの方に目をやって、ぼくはあっと思った。
カーテンの隙間から見えた、レモンの目が開いていた。
チラリとぼくを見て、口に人差し指を当てる。セルには黙っておけ、ということらしい。
ぼくは小さくうなずき、とりあえず、布団に入り直した。
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