チャコール・グレイと朝の町

 朝の冷たい海風を胸いっぱいに吸い込んで、パン籠をかつぐ。

 石畳の坂を、走り出す。

 今日は洞窟に行くのはお休みだ。

 双月祭が近いからか、早朝だというのに、町はどことなく騒がしく、人の姿があちらこちらに見える。

「おっはよーございまーす!」

 チャコールは元気な声を張り上げた。


 教会のステンドグラスが朝日を反射して、赤、青、緑色にキラキラと光っている。

「おはよう、チャコー!!」

「パンだ、パンだー!!」

「こどもの寮」の子どもたちが、わあっと集まってくる。

「おはよう、チャコ。今日もありがとうね!」

 バタバタと、緑色の髪の毛を揺らし、オリーブが走ってくる。

「オリーブさん!今日は、オリーブさんが好きな黒麦パンもあるよ!」

 チャコールは満面の笑顔で言う。

 オリーブはニコニコとパンかごを受け取り、年長の子どもに渡す。そしてふとチャコールに向き直り、

「大丈夫?」

と聞いた。

 チャコールはドキッとする。

「なにが?」

 明るく返すが、オリーブの目からは、かすかな心配の影が消えない。

「チャコールは、時々がんばりすぎるから」

 優しい言葉に、ぎゅっと胸が詰まる。

「うん、あのね――」

 言いかけた時、

「オリーブさーん!!」

 子どもたちが二、三人、どんっとオリーブの背中やお尻にしがみついてきた。

「はやくはやく、パン食べようよー!!」

「あのクッキーまたつくろー、レモンのクッキー!」

「はいはーい、朝の洗濯が終わったらねー」

 オリーブは笑って、「すぐ行くから、先にお皿並べててー」と言い、チャコールの方を向く。

「レモンのクッキー……」

 チャコールはつぶやく。

「そう、この間ね、レモンさんに教わったの、作り方。バターは高いから、ちょっと控えめにしちゃうんだけどね、それでも子どもたちに大人気なのよ」

「そうなんだ……」

 なんとなく、さびしいような。心にすきま風が吹いたような。

 けれどなんとなく、ああそうか、と、安堵するような感覚があった。

 ここは、あたしの、あたしだけの家ではないもんな。

 色々な人の出会いがあって、色々な料理ややり方が、引き継がれていく。

 あたしはこんな「こどもの寮」が好きだった。

 今だって、あたしのパン、レモンのクッキー、おんなじように、受け入れられていく。

 たくさんの子どもたちが、入れ替わり立ち替わり、オリーブの、モーヴ神父の、この町の優しさに触れて、育っていく。

 だから――

「オリーブさん、早く行ってあげて。あたしは、元気だから、大丈夫だよ」

 チャコールは、にっこりほほえんだ。

 オリーブを、安心させるようにほほえんだ。

 オリーブは、少し心配そうな目で、それでもホッとしたように、

「ねえチャコ、また、遊びに来てね」

と、チャコールの頬を、その温かい厚い手のひらで包みこんで、優しく言った。


「おっ、チャコ!」

 パン屋に戻ると、カーマインが買い物をしていた。

「カーマイン。それお昼?」

「そ。今日は親、いないから」

 パン屋のそばの通りの、海側の柵にもたれ、どちらともなく、早めの昼食を食べ始める。

「チャコ、なんか悩んでんの?」

 いきなり聞かれて、チャコールはむせた。

「えっ?」

「や、なんかこないだレモンに話してたじゃん」

 聞かれてたのか。

「んー、まあね、大したことじゃないんだけど……」

 少し考えて、レモンに話した程度のことなら話していいか、と思い直す。

「なんかさ、セル……セルリアンにさ、話しやすいからさ、ついつい、いつも話しかけちゃうんだけどさ……」

「へえ、話しやすいんだ、いいじゃん」

 カーマインは意外そうな顔をする。

 そういえば、カーマインはセルと面識があるんだっけ。残念ながら、お互いあんまりいい印象ではない面識が。

「あたし的にはね、あたし的には話しやすいよ」チャコールは言い、ふっと空を見上げた。「でもさ、最近愚痴ばかり言っちゃって……よくないなーって思ってるんだけど」

「ふーん、愚痴なんか言ってんの?チャコが?想像つかねー」

 カーマインは笑う。「チャコらしくないじゃん、どうしたん?」

 いや、誰のせいだよ。

 チャコールは心の中でつっこむ。

「オレでよければ聞くけど?」

 カーマインは優しい。けれど、とてもじゃないが、カーマインに話せる内容ではないのだ。

 それに、大したアドバイスは期待できそうにない。多分、「まあ考えすぎんなって!また探検行って、わーっと遊んで、発散しようぜ!」と言われて終わる気がする。

「……あたしらしいって、何」

 チャコールがつぶやく。カーマインは「え?」と聞き返す。

「あたしらしいって、何?」

 チャコールはまっすぐ、カーマインの目を見た。

「笑ってたって、愚痴ってたって、どのあたしも、あたしだよ?」

 カーマインのことが好きなのも。

 レモンとのことを思って、黙ってるのも。

 いろいろ、いろいろ考えていることも。

 その上で笑っていることも。

 精一杯、思いをこめて、カーマインを見つめる。

 カーマインは、少し黙った後、

「オレは難しいことはわかんないけど……」

 頭をかいて、

「どんなチャコールも、チャコールらしいって思うよ」

 と言った。

 チャコールは思わず笑ってしまう。

「ついさっき、らしくないって言ったくせに!」

「そうだっけ?」

 カーマインはまた頭をかいて、笑った。


 カーマインと別れて、洞窟へ向かう。

 セルリアンに、昨日のことを謝っておこうと思ったのだ。

 手土産に、こないだと同じ、手作りのナッツとハチミツのクッキーを持って。


「……あれ?」

 洞窟の入り口を入って間もなく、チャコールは意外な光景を見て、足を止めた。

 一層「萌葱の層」入り口近くの明るい、開けた岩場。

 いくつかのお店や、飲み屋が、点々と並んでいる。

 そこで、セルリアンが、お店の人と何か話をしていた。

「……珍しい……」

 お店の人は、中年の男性だった。薄汚れてはいるがピシッとした服を着て、メガネをかけている。

 耳をすますと、ボソボソと会話が聞こえてくる。

「……この出来栄えなら……相場はこのくらいでして……」

「けど……ここに水晶をはめ込んであって、……なので、もう少し価値は高くなるかと思うのですが……」

「……なるほど、この技術は……ふむ……そうですね……」

 なんか、難しそうな話をしているな、とチャコールは思った。

 正直、店主の男性は、チャコールには、少し怖そうに見えた。見た目で人を判断してはいけないということはわかっているつもりだが、ニコリともせずに、メガネの奥の厳しい目でセルリアンと、セルリアンの手元の宝石を見ている。まるで、一点の隙も見逃さないというかのように。

 それでも、セルリアンは臆する様子もなく、淡々と話している。そして、沈黙が続いても、一歩も引く様子がない。

 なんだ、セルも、他の人と、それもあんな大人の人と、うまくやってるんだな……と、チャコールは少しホッとした。

 そして、少しさびしい気持ちにもなった。

 セルはチラリとこちらを見て、あ、というように眉を上げた。チャコールは軽く手を振る。

 しばらくやり取りを続け、お金を受け取りお辞儀をして、セルリアンはチャコールの方へ歩いてきた。

「チャコール、来てたんだ」

 目元が優しく笑みを作っている。チャコールは少しホッとする。いつものセルだ。


 洞窟の中、苔むした道を、二人で歩く。

「あの人に、宝石を売ってきたの?」

 チャコールが聞くと、セルリアンはうなずいた。

「こないだ磨いた紅玉と、あと、大理石に水晶をはめこんだ小箱」

 ――いくらだった?

 そう聞くのはなんだか下世話な気がして、チャコールは少し考えて、言った。

「ああやって……売ってるんだね」

「うん、たまにね……今回は、新しい本がほしくて」

 セルリアンは答える。チャコールは、

「ああいうお店、町にもあるよ。洞窟でとれた石とか、買い取ってくれるの」

 自分のお得意先を思い出して言う。

「チャコールは、そこで売ってるの?」

 セルリアンの問いかけに、チャコールはうんうんとうなずいた。

「そうそう、お店の人も、昔から町にいてよく知ってる人でさ、いい人なんだよ」

「そうなんだ」

 セルリアンは納得したようにうなずく。

「セルは、さっきの、あのお店がお得意さんなの?それとも、その時々で変えてるの?」

「俺はいつもあそこだよ。あの店が一番……誠実だから」

「そうなんだ……」

 セルがそう言うのなら、あの店主は見た目ほど怖い人ではないんだろうな、とチャコールは思う。

 年下だし、あまり他の人と話してるのを見ないから、こんなに大人相手に堂々と商売できるなんて、思ってもみなかったな。あたしが知らなかっただけで、セルってやっぱり、すごいんだなあ。

 チャコールは、自分が思い上がっていた気がして、少し恥ずかしくなる。

 前を歩くセルリアンは、初めて会った頃に比べて、背がちょっと伸びたと思う。

 少しだけ、セルリアンを遠くに感じた。

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