チャコール・グレイとレモンの見舞い

 教会のモーヴ神父の祈りのおかげで、体のしびれはだいぶとれた。

 オリーブはたくさん、毒消しのハーブをくれ、ハーブティーも入れてくれた。

「あとはよく休んで、体の回復を待つだけよ」

 オリーブはチャコールの頭をなでた。小さい頃のように。

「チャコ、がんばったのね」

 チャコールは、えへへ、と笑った。


 家の小さな木のベッドで布団にくるまる。

 このベッドは、一人暮らしをする時に、オリーブがくれたものだ。古い棚を壊して、知り合いの大工さんが作ってくれたらしい。

 ところどころささくれているが、ほのかに木の匂いがして、チャコールは気に入っている。

 コンコン。

 ノックの音に、チャコールは目を開けた。

「チャコール、入っていい?」

 レモンの声だ。

 チャコールは「うん」と返す。


「具合はどう?」

 レモンは一人だった。チャコールは少し意外に思う。てっきり、カーマインと一緒に来るだろうと思っていたからだ。

「もうけっこう元気だよ」

 チャコールはレモンに笑いかけた。本当は右手はまだ少ししびれが残っていて、あまり力が入らない。それでも、軽く動かすくらいはできるようになっていた。

「これ、つまらないものだけど」

 レモンが果物を差し出す。翡翠メロン。島内では滅多に手に入らない、高級なフルーツだ。

「どうしたの……これ」

 チャコールは息をのむ。

「実家から送られてきたの」

 レモンは言う。「うちの母の好物なの」

「へー、そうなんだ。レモンの地元って、北方大陸だっけ」

 チャコールはふにゃりと、ぎこちない笑顔を作る。「でもこんな高価なもの、もらえないよぅ」

「そんなこと」

 レモンは目をぱちくりさせる。

「いや、だってさぁ」

 チャコールは少し困ってしまう。メロン自体、最後に食べたのは何年前だろう。

「……じゃあ、一緒に食べましょう」

 レモンは気を悪くした様子もなく、「ちょっとキッチン借りるわね」と、キッチンに向かった。

 あ、散らかってるからちょっと恥ずかしいな。

 チャコールはそう思ったが、やはり翡翠メロンへの期待が勝る。大人しくベッドで待つことにした。

 

「どうして、あんなことしたの」

 左手で慣れない手つきでメロンを口に運ぶチャコールを見ながら、レモンはポツリと言った。

 チャコールはメロンを咀嚼する口を止め、レモンを見た。

「う、もめん、あたひ」

 ごくりとメロンを飲み込む。

「ごめん。あたし、よけいなことしちゃったよね」

「あ、ううん、違うの」レモンはあわてて首を振る。

「言い方が悪かったわ。ごめんなさい」

 そして視線をふっと足元に落とした。

「守ってくれて、ありがとう。でも……わたしなら大丈夫だから、もう、あんなことしないで」

「うーん、ごめん」チャコールは頭をかく。「でも、レモンまだ、傷痛いんじゃないかって思っちゃって」

「そんなこと……」レモンは困ったように首をなでる。「……まあ、少しは、ヒリヒリしてはいるけど」

「でしょ?」

「でも、これくらい影響ないから」

「うん、だから、ごめんね」チャコールは笑う。「なんかさ、レモンって、強く見えるし、すごく頑張ってるから……」

「そんなこと……」

 レモンは少し驚いた表情でチャコールを見、困ったようにほほえんだ。

「チャコールの方が、よっぽど頑張ってるわ」

「あたし?」

「そうよ。いつも、すごいなって思ってる。剣もとても上手になったし」

 レモンはまわりを見回す。

「それに、一人でここに住んでるんでしょう?」

「あ、うん」

「料理もするのね。洗濯も。バイトだって」

「それは……」チャコールは苦笑いになる。「しないと生活できないから」

「うん、でも、すごいことよ」

 レモンはまっすぐチャコールを見た。

「わたしが泊まってる宿の方も言ってたわ。チャコールが掃除に来てくれると、宿が明るくなるって」

「ほんと?」

 チャコールは少しうれしくなる。レモンが泊まっている宿は、町の中では大きい所だ。

「あ、でも、家の掃除は全然だけどね。はは」

 チャコールが笑うと、レモンは「そうだ」と立ち上がる。

「お詫びに、おうち、掃除するわ」

「えっ!?悪いよ」

「大丈夫、わたし掃除得意だから」

 レモンはにっこりほほえんだ。


 雑然としたキッチンがあっという間にきれいになっていく。

 床も、ベッドやテーブルの下まで、ほうきではいてくれる。

 チャコールはなんだか落ち着かず、ベッドの上でそわそわしてしまう。

「あのう、レモン、やっぱりあたしも……」

「ダーメ。チャコールはそこで休んでて」

 レモンはそう言って、ふとベッド脇の棚を見た。

「わあ、かわいい。これ、チャコール?」

「あ、うん」

 母が、赤ん坊のチャコールを抱いている写真だ。

「この方がお母さん?今はどこにいらっしゃるの?」

 レモンの何気ない質問にチャコールは、

「そう、あたしを産んですぐ死んじゃった」

と答え、答えてからあっと思った。

 案の定、レモンの顔がサッと青ざめ、

「え、あ、そんな、ごめんなさい」

 あわてて謝る。

「え、全然! 気にしないで」

 またこのやり取りだ。小さい頃から、いろんな人としてきたやり取り。

 もう。カーマインのやつ!話しといてくれよ。

 理不尽とは思いつつ、心の中でカーマインに悪態をつく。

「あ、これ、ほら! この写真も気に入ってるんだ」

 空気を変えようと、チャコールは隣の写真を指さす。

 青脈洞の前、三人で笑っている写真。

 満面の笑顔のカーマイン。きれいな笑顔のレモン。ぎこちない笑顔のチャコールは、顎が少し見切れている。

「あ、これ、初めて一緒に洞窟に行った時の写真よね」

 レモンが笑顔になり、チャコールはホッとする。

「そうそう、自撮りで撮ったんだよね」

 今ならもっとうまく笑えるんだろうけどな。

 それでもレモンは、

「本当にいい写真よね、飾ってくれてたんだ」

と、優しくホコリを払ってくれた。

 

「チャコ、これ、きれいな石」

 チャコールの机を片付けていたレモンが、チャコールに話しかける。

 いつの間にか、チャコ、と呼んでくれている。

 チャコールは少しうれしくなる。

「あ、それね。テキトーに置いといて」

 セルリアンにもらった石細工だ。

「箱とかに入れておいたら?ホコリをかぶらないように。わたし、透明の箱持ってこようか」

 レモンが言うが、チャコールは、

「うーん、いいよ」

と答えた。

「そう?じゃあ、ここに並べておくね」

 レモンは雑巾を固く絞り、机を拭きはじめた。


 ものの三、四十分で、チャコールの家はだいぶきれいになった。

 ありがとう、ありがとうと、チャコールはレモンにたくさんお礼を言った。

「また遊びに来るわね」

 レモンは笑顔で手を振り、帰って行った。

「……ふう」

 チャコールは、きれいになった家に戻る。

 なんとなく、落ち着かない気がする。

「……あ」

 机の上の石細工は、棚に移動され、きれいに並べられていた。

「……うーん」

 テキトーに置いといて、って言ったんだけど。

 これがレモンにとっての「テキトー」のようだ。

「……これが初めてセルから買ったやつで、これが……」

 チャコールは一つづつ手に取り、机の上に「テキトー」に戻した。

 なんとなく、その方が落ち着く気がした。

「……セルの家も散らかってるから、それを思い出すからかな」

 チャコールは一人クスッと笑い、ベッドに戻った。

 とはいえ、床がきれいだと気持ちがいい。

 この腕ではしばらく掃除はできなかっただろうから、本当にありがたい、とチャコールはレモンに感謝した。

 まあ、腕がすっかり治っても、自分では掃除はしなかっただろうけど。

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