ミルキーワームとの戦い

「――赤く燃えたぎる炎の渦よ、深き光の奔流よ」

 レモンが唱える。早口で、しかしはっきりと。

「我がもとに集い、その怒りを燃やせ」

 朱色や橙色の光が渦巻き、レモンの杖とそれを持つ腕の周囲に集まってくる。

「炎と風の舞、灼熱の紅き焔。緋色の翼を持つ鳥よ」

 レモンはよどみなく続ける。

「全てを一つに――ルミニ・ルベル・フラエレ!!」

 レモンの杖と腕まわりの空間から、一斉に、燃える光のような炎の渦が、ギュルルルルと音を立てそうな勢いで、ミルキーワームを襲った。

 ――が。

 バチン!

 ミルキーワームは体をくねらせ、炎をはじき飛ばした。

「……うそ。強くなってる……」

 レモンはつぶやく。

 ミルキーワームの体の表面が、てらてらとぬめり、光っている。

「あの粘液が、壁になってるのか……」

 セルが、そばの棚から何かを手に取る。

「――うまくいくといいけど」

 小さな声でつぶやき、手に持った透明な結晶をかざす。

「その身を崩せ、石英クォーツ――姿を表せ、珪石シリカ

 手の上の結晶石がふわっと輝き、次の瞬間、サラサラと崩れて粉になった。

「――えっ?」

 レモンが驚いて振り返る。

 セルは気にかける様子もなく、その粉になった結晶をバッと空中に撒いた。

 ぱあっと粉が空中に広がり、

「その白き身をもって、潤いを奪い渇きを叫べ――珪石シリカ

 セルの静かな声と同時に。

 広がった粉が一瞬にして、ミルキーワームのまわりに集まり、その長い体を覆った。

 ギエエエエ……

 ミルキーワームが叫び声のような音を立て、体をよじらせる。

 ――効いてる?

 そう思った、次の瞬間。

 ミルキーワームが大きく頭を持ち上げ、こちらを向く。

 口のような丸い穴が、パカッと開く。

「危ない!!」

 レモンが叫び、飛び上がる。

 ぼくも慌てて飛びのく。

 次の瞬間、さっきまでぼくがいた場所に、大量の消化液が飛んできた。

 鼻の奥が焼けるような酸っぱい匂いが鼻をつく。

「うっ……ゲホゲホッ」

 セルが咳き込む。見ると汗をびっしょりかいている。さっきの魔法のせいだろうか。

「……くそ、きりがないな」

 セルのつぶやきにあわててミルキーワームを見たぼくは、目を疑った。

 ミルキーワームの体の表面に、どんどん粘液が流れて、白い粉を押し流してしまったのだ。

「水分を奪ってもダメか……あれ、ただの水じゃないな」

「……そうみたいね」レモンがミルキーワームをにらんだまま返す。「二年前はあそこまで強力じゃなかったはずなんだけど、あの粘液、どうやら消化液のような、強酸性の体液みたいで」

 ベチャッ!

 消化液が木の棚にあたり、置いてあった銀色の石が溶けた。

「……アルミが」

 セルが青ざめる。

 ゴトゴト、ガタン!

 ミルキーワームが、棚を押し倒して進む。セルのベッドのそばまでぬらりと進み、そばの棚にのしかかり、上に置いてある石を食べ始めた。その拍子に、

 ゴトン。

 棚から石でできた何かが落ちた。

「――やめろ!」

 セルがひきつった声で叫び、走り寄ってその落ちたものをバッと拾いあげた。

「な――馬鹿!」

 レモンが悲鳴をあげる。

 べちゃり。

 ミルキーワームがセルの方を向く。

 あっと思った瞬間、

にび色の岩よ。すべてを跳ね返す壁となれ。グリセオ・ペトラ・ムルス!」

 レモンが短い呪文を早口で唱えた。

 ドドッ!!

 セルとミルキーワームの間に、一瞬にして壁が立ち上がる。

 セルはへたっと尻もちをついた。両手にはさっき拾いあげた、青っぽい石の板みたいなものを抱えている。

「――バカ!なにやってるの!!」

 レモンが叫ぶ。「危ないじゃない!!」

「うるさい!」

 セルがバッとレモンの方を振り向きにらみ、声を荒げる。「俺の家だぞ!!」

「それはそうだけど」レモンはため息をつく。

「もういいわ、とにかく黙って動かないでいて。わたしがやるから」

「は?」セルはカチンときたようで、表情を硬くする。「……何様だよあんた」

「あなたこそ、何様のつもり?」

 レモンはセルをにらみつける。「これ以上家をめちゃくちゃにされたくなければ、よけいなことせず黙っててって言ってるんだけど。わからない?」

 ぼくはハラハラして、二人とミルキーワームを交互に見る。

 ケンカしてる場合じゃないと思うんだけど……。

 ミルキーワームがぐるりと身体をひねり、壁の向こうから顔を出す。

 あぶない!

 ミルキーワームの口が開き、消化液が飛んでくる。

 ぼくは夢中で、二人の前に飛び出して、ミルキーワームの方向に向けて剣を突き出した。

「止まれ!!」

 消化液が、剣の手前でピタッと止まる。一瞬の後、ボタボタとその場に落ちた。

 セルとレモンが目を丸くして見ている。

「えっと……ケンカはやめた方が」

 ぼくが二人を振り向いた瞬間。

 レモンがハッとして叫ぶ。

「よけて!」

 次の瞬間、右からすごい衝撃がぼくを襲う。

 体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。

 全身を強い痛みが襲う。

 ミルキーワームの長い体に跳ね飛ばされたのだ、と遅ればせながら気づいた。

「あぁ……うう……」

 なんとか体を起こそうとするが、視界が、頭が、ぐわんぐわん揺れていて、動けない。

「――白花色の光よ、黄金色の手を差し伸べよ。このはらからの傷を癒せよ。サナ・レプティ・ルミネ」

 レモンの詠唱が響く。

 ぼくの体を光が包む。

 ――少し痛みがやわらぎ、視界がはっきりしてくる。

 レモンは心配そうな目でぼくを見た後、セルを見た。

 セルは青ざめた顔で、凍りついたように固まったまま、ぼくを凝視している。

「セルリアン」

 レモンが呼びかけるとセルの体がびくっと跳ねる。

「あ……」

「話し合いは後にしましょ、とりあえず聞いて」

 レモンはミルキーワームを見据え、早口で続ける。

「ミルキーワームの体液・消化液は酸性。体を覆う体液に触れるだけでもやけどする」

 ぼくは自分の手を見る。赤くなっている。この痛みはやけどの痛みもあるのか。

 ……気づいてしまうと、じんじんと痛みが増してきた。

「体を覆っている液だけでもすこしでも引き剥がせれば、皮膚自体は粘膜みたいに柔らかく弱いから、やっつけられると思うんだけど」

 レモンは眉をひそめる。「ここ二年でどんどん体液の鎧が強固になっていて、攻撃が中まで届かなくなってるの。光にも弱いはずなんだけど、目が見えないのか、反応も鈍くなってる」

「……酸性……粘膜……消化液……」

 セルはつぶやくと、そばの引き出しからガラス瓶を出す。

 中に、銀色の液体が入っているのが見えた。

 ――なんだろう?

 レモンも戸惑ってセルを見る。

「え、何するつもり?」

「どいてて、危ないから」

 セルはそう言って蓋を開ける。その表情はもう、いつも通り冷静で、動作にも迷いがない。

「――頼むぞ」

 ボソッと聞こえないくらいの声でつぶやき、

「そのしろがねの血でもって、腐食せよ――水銀マーキュリー

 セルがそう唱えた、次の瞬間。

 銀色の液体が瓶から溢れ出した。

 とろとろと、ミルキーワームに向かって、床を滑るように流れていく。

 通り道に転がっていた金の塊が、飲み込まれるようにして消えた。いや、溶けた。

 レモンがひゅっと息をのむ。

 セルは気にとめる様子もなく、流れていく銀色の液体を見つめている。

 ミルキーワームが、気づいたように、少し身を引く動作をした。

 レモンがすかさず詠唱する。

「黄金色の天の灯よ。金色の光の雨よ。暗闇を裂き、その身をもって、罪なき者の道を照らせ。アウレア・ルクス!」

 パッとあたりにまぶしい光が満ちる。

 ミルキーワームの動きが一瞬止まる。

 そこへ、銀色の波が襲いかかった。

 ジュッ、と煙が上がる。

 ギィエエエエ……

 ミルキーワームの、耳をつんざくような、聞くに耐えない悲鳴が上がる。

 体を覆う粘液がみるみる黒ずみ、はがれていく。

 ――すごい。

「黄金色の天の灯よ。

 お前は道を示す者。

 我が掌に宿りたまえ」

 レモンは詠唱を続ける。歌うように。

「金色の光の雨よ。

 お前は道を照らす者。

 暗闇を裂き、その身をもって、

 罪なき者の道を照らせ」

 ドサリと、セルが床に尻もちをつく。

 ハアハアと肩で息をしている。汗びっしょりだ。

 さっきから立て続けに魔法を使ったせいだろうか。

 一方、レモンは顔色一つ変えない。

「一閃の裁きをもって、打ち砕け。

 アウレア・ルクス・イクティス!!」

 レモンの魔法が炸裂する。

 ミルキーワームの体が真っ二つに裂け、ドシャリ、と床に落下し――動かなくなった。

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