外伝1 皇女の過去

炎の光。硝煙の匂い。

崩れ落ちる城門と旗。響き渡る無数の悲鳴。

そして――あの、不気味な片目の男が私へと向ける剣先。

私は王宮の大広間の絨毯の上に尻もちをついた。

ふわりとした毛並みの感触が、温かい液体でぬめり、重たくなっていく。

絨毯の色は本来、豪奢な深紅であったはずなのに、目の前で倒れ伏した父王の血と混ざり合い、濁った黒に染まっていた。

「どうして……父上を殺したの?」

私は信じられない思いで、父王の亡骸を見つめた。現実が受け入れられなかった。

「従兄様は……約束してくださったのに……!」

片目の男は私の言葉など意にも介さず、冷たく一瞥をくれたあと、部下に手を振った。

「この女を連れて行け。皇太子殿下のご命令だ、生かしておけ。」

「いやっ!触らないで!」

自暴自棄に暴れた。兵たちは「生かしておけ」との命令を恐れてか、力づくで押さえつけようとはしなかった。

だが、その片目の男だけは表情ひとつ変えず、血に濡れた剣を持ち、ゆっくりと私へ歩み寄ってくる。

「こ、来ないで!」

必死に叫んだ。

「もし私に何かあったら、従兄様があなたたちを許さないわ!」

――けれど、従兄様は本当に私の味方をしてくださるのだろうか?

父王でさえ、彼の差し向けた者に殺されたというのに。

次は、私の番なのか。

恐怖が体を震わせた。

「もう無駄な抵抗はやめろ、反逆の王女。」

意外にも男は、あと数歩の距離で剣を鞘に収めた。

「おとなしく俺様と共に帝国へ戻れ。その後のことは、皇太子殿下がお決めになる。」

「信じられない!」

私は思わず胸元を押さえた。そこだけが、夢と現の境を繋ぐ最後の糸のように思えた。

「従兄様は……私を女王に戴冠させると、そう約束してくださったのよ!キャストレイの――あっ、離して!」

言い終える前に、男の手が私の手首を荒々しくつかみ上げた。ほとんど持ち上げるようにして、割れた窓際まで引きずられる。

「自分の目で見ろ。」

その大きな手が私の頭を押さえつけ、無理やり下を向かせた。

鎧と肉片が折り重なり、流れ出た血が石壁を暗い赤に染めている。

「今日をもって、キャストレイ王国は滅びた。女王など、どこにもいない。」

絶望の涙が、数珠のように頬を伝い落ちた。それを見た男は、嘲るように冷たく笑った。

「そ、そんなはず……こんなこと……ありえない……!

 わたくし……あなたたちを……憎んでいます……!」


帝国に来ておよそ一年が経つというのに、今でも何度もこの光景を夢に見る。

この枕に残る涙の跡は、いつになれば乾くのだろう。

余分な涙をぬぐい取り、侍女を呼んで枕カバーを洗わせる。

新しい礼服が手元に差し出されたところで、私はようやく思い出した。

明日は従兄様が定期的に見舞いに来られる日――月に一度、繰り返される儀式のような日だ。

最初にここへ連れてこられたとき、私はキャストレイへ逃げ戻ろうとした。

だが、私を支持する者はあまりにも少なく、計画は稚拙すぎた。

守衛の兵たちは、皇太子殿下への報告を待つまでもなく、すぐに私を捕らえ直した。

彼が私に会いに来たとき、私はなぜこんなことをするのかと問いただした。

その眉のあいだからはいつものように穏やかさがにじんでいたけれど、瞳の奥はどこまでも淡く、冷え切っていた。

「過去の怨恨は忘れて、帝国の皇女として、兄である私と共に生きればいいではないか。」

彼はいつもそう言う。

けれど、私は知っている。

今の私は、彼の手の中で思いどおりに動かされる、美しい人形にすぎない。

彼が自らの利益のために私の国を滅ぼしたその瞬間、私たちの間にあった兄妹の情は完全に絶たれたのだ。

いつか、彼は私の婚姻を交渉の札として、机の上に並べるのだろう。自分が目をかけている貴族勢力を取り込むための、取引材料として。

そんなことは、分かっていた。

それでも、私はまだどこかで期待していた。

彼が本当に、私と共に生きたいと思っているからこそ、あんな言葉をかけてくれたのだと。

――だって、私はあの人を、心の底から愛していたのだから。

「どんなことがあっても、私は君の味方だ。」

あの騒がしい喧噪の中でも、

その声だけは宝石のように澄みきっていて、温かく響いていた。

私を見てくれたのは、彼だけだった。

――だって私は、あなたと同じ血を分けた従妹なのですもの。


私の母后――現帝国皇帝の実の妹は、嫁ぐ前には「エシュガード帝国の掌上の珠」と呼ばれていた。

人々はよく、私が若い頃の母后にそっくりだと言った。

彼女と同じく、エシュガード皇室に代々伝わる金の髪と青い瞳を持っていたからだ。

乳母の話によれば、母后はもともと明るく快活で、太陽のように人を照らす女性だったという。

けれど、私の記憶の中の母后の顔は、いつも霞がかかったようにぼやけている。

父王に外に愛妾がいると知ってから、母后は深く心を痛め、病に伏したまま二度と立ち上がることはなかった。

私がまだ何も知らない年頃に、彼女は煙のように消え、静かにこの世を去った。

母后……どうして私を一人残して、この底の見えない王宮の闇に置いていったのですか。

王妃とはいえ、父王は彼女のために盛大な葬儀を行った。

帝国や他国からも多くの親族がキャストレイ王都に集まり、かつてエシュガードが誇った最も美しい薔薇に最後の別れを告げた。

そのとき、帝国の代表としてエドワルドも弔問に訪れた。

遠くから見た彼は、銀の薔薇を模した胸章をつけ、痩せた体に黒い礼服を纏い、いっそう細く見えた。

長い葬儀が終わるや否や、私は彼のもとへ駆け出した。

父王と新しい王妃にうんざりしていた私は、ただ彼と言葉を交わしたかったのだ。

「従兄様!」

あの頃の私は幼く、何を言いたいのか自分でも分からなかった。

ただ会いたかった。

「来てくださったんですね! ずっと……お会いしたかったんです!」

「セモニエ。」

私だと気づいた彼の瞳には、一瞬のためらいが走り、それから柔らかな光が戻った。

「久しぶりだね。ずいぶん大きくなった。」

彼は私には少し大きすぎる黒いヴェールをそっと持ち上げ、迷いもなく小さな私を抱きしめた。

その体温のぬくもりと、鈴蘭のような清らかな香りが私を包み込む――まるで、生前の母后のように。

そう思った瞬間、堰を切ったように涙がこぼれた。

私は彼の肩に顔を埋め、声を殺して泣いた。弱みを狙う人々に悟られたくなかったのだ。

母后がいなくなることは分かっていた。彼女と約束もした。強く生きると。

それでも、私はまだ幼く、現実を受け止めきれない子どもだった。

「従兄様……わたくし……」

「分かっているよ。」

彼は私の小さな体を抱き上げ、まるで生まれたばかりの子をあやすように背中を優しく叩いた。

「分かっている。」


二年前、帝国が南部貴族の反乱に見舞われたとき、エドワルドは刺客の追跡を逃れるため、一時的にキャストレイ王宮に滞在していた。

その頃、母后はまだ健在で、いつも私を彼のもとへ押しやっては「もっと一緒に遊びなさい」「学びなさい」と言っていた。

最初、私は彼が好きではなかった。

彼はいつも一人で静かに物思いにふけっていて、もともと血の気の少ない顔色が、心労のせいでさらに青白く見えた。

だが、ある日を境に、彼は私が回廊の柱の陰からこっそり覗いていることに気づいたらしく、自分から話しかけてきた。

何を話したのか、具体的なことは覚えていない。

けれど、私は夢中で聞いていた。

彼は古代の神話や、建国時代の英雄譚、帝国で流行している新しい遊びや道具など――どんな話題でも、まるで光を宿したように語ってくれた。

そのたびに、私は胸を高鳴らせ、彼の話の中の世界へ引き込まれていった。

ときおり時勢の話になると、彼の目に一瞬陰が差した。

けれどすぐに笑って、話題を変えるのだった。

その意味を理解するには、私はまだ幼すぎた。

ただ「悪い人が従兄様を狙っているから、だからここにいるのだ」と、それだけを知っていた。

ある日、彼は突然「もう帰らなくては」と言った。

私は泣き喚いて、彼が行かないようにと駄々をこねた。

「もし従兄様が行かないなら、わたくしが大きくなったら、従兄様をキャストレイの国王にしてあげます!」

彼は珍しく吹き出して笑い、私の頭を軽く撫でながら、冗談めかして言った。

「それなら行かないでおこうかな?けれど、どうしても果たさなければならない務めがあるんだ。そして君も同じだよ、セモニエ。

 君が成長したとき、きっと分かるだろう……王族として背負わねばならない宿命というものが。」


「従兄様……どうか、ずっとキャストレイにいてください。ずっとわたくしのそばにいて……」

幼いながらも、王宮に生きる私はめったにこんな我がままを口にしなかった。

だがそのときだけは、母后を失った悲しみが大きすぎて、取り繕う余裕などなかった。

彼の袖をつかみ、離すまいと抱きついた。

母后のように、彼まで突然いなくなってしまうのが怖かった。

「やれやれ……セモニエ、愛しい妹よ。」

彼は優しく背を撫でながら言った。

「だが、間もなく出立しなければならない。……帝国の政が落ち着いたら、また会いに来るよ。約束する。」

「異国にいるから、いつも君を守ってあげることはできないけれど……何か辛いことがあったら、私に手紙を書いてほしい。」

彼は私を下ろし、透き通るような青い瞳でまっすぐに見つめた。

その眼差しは真摯で、少しも揺るがなかった。

「誰かにいじめられたら、その相手に伝えるんだ。『帝国皇太子の私が、必ず報いを与える』とな。……それと、これをあげよう。」

そう言って彼は、胸につけていた銀の薔薇のブローチを外し、私の手にそっと乗せた。

ひんやりとした重みが、今でもはっきりと思い出せる。

「まあ……なんて綺麗なブローチでしょう。ありがとうございます、従兄様!」

私は涙を拭いながら笑い、そのブローチを大切に指でなぞった。

銀の薔薇は永遠に咲き続け、その中心の淡い青い宝石は、私たちの瞳の色と同じだった。

「このブローチは帝国皇室の象徴だ。君がこれを身につけている限り、君を傷つける者は帝国そのものの敵となる。君の父王も、継母も、今の帝国の力を分かっている。――だから、もう酷く当たることはないだろう。」

「従兄様……やっぱり、わたくしに優しいのはあなただけです。本当に、今のわたくしには従兄様しかいません。」

彼の優しさに胸を熱くしながらも、父王に冷たく扱われていることを思い出し、心の中は複雑だった。

「いつか父上も、あの女の本性に気づいてくれればいいのに。」

「ふふ……私も、父帝の愛妾をどうすることもできない身だからね。」

彼は同じように苦笑し、軽くため息をついた。

「結局、帝王も人間だ。七情六欲は避けられない……だが、徳を伴わぬ者は、いつか必ず自らの愚かさに滅ぶだろう。」

幼い私は、彼の心に宿る暗い影など理解できず、ただ真似をして「従兄様の言うとおりですわ」と頷いた。

彼は一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべた。

そして、私の髪を軽く撫で、話題をそらした。

結局、私は彼を引き止められなかった。

その後、彼が政務で忙しいと知るのは少し大きくなってからで、

そのとき届いた手紙に、帝国の情勢が書かれていた。

彼は帝国の皇太子。

内乱がようやく鎮まり、ヴィリウス皇帝は政務を託し、若き彼に国を任せたという。

翌年、彼は北方の公爵令嬢と婚姻を結び、帝国内での地位をさらに固めた。

体調は不安定だったが、皇帝の一人息子であり正統な後継者である以上、誰も彼に異を唱える者はいなかった。

まして、南部の反乱を鎮めたのも彼自身が率いた軍だった。

私は手紙を読みながら、咳をしつつ「討て」と命じる彼の姿を想像した。

きっと、どこかで良い剣を手に入れたのだろうと。

けれどまさか、その剣が――のちに私へと向けられるとは、夢にも思わなかった。


若き日の私にとって、従兄様から届く手紙だけが生きる支えだった。

父王がたまに私のもとを訪れるときは、決まって継母を受け入れるよう説得するためだった。

継母は私に嫌がらせをする。

だから私は病気のふりをしたり、変装して城を抜け出し、平民の町にある宿に身を隠したりした。

他の貴族たちが私に会いたがるのは、たいてい贈り物を差し出したあと、「王の前で我々のことを少し良く言ってほしい」と頼むためだった。

そして重要家門の令嬢たちは、ほとんど継母の手配で、彼女の実の娘の取り巻きにさせられていた。

知りたくもなかったが、口の軽い侍女から聞いた。その王女は血を分けていないにもかかわらず、とてもおとなしく、父王の寵愛を一身に受けているのだと。

「本当の王女はあなただというのに。あの娘に負けてはなりませんわ、殿下!」

「でも、あの女の顔を見るだけで吐き気がするの。一つ屋根の下で息をするのも耐えられないのに、どうして取り合うなんてできるのかしら。父上からの俸禄もあるし、静かに暮らすほうがまだましよ。」

そうして私は、宴にも顔を出さなくなった。

それで権力者との繋がりを失っても、気にはしなかった。

私の望みは別にあったからだ。

――従兄様は手紙に書いていた。

「時が来たら、軍を出して君を支える。君をキャストレイの女王にする」と。

その時が訪れれば、出自の卑しい継母も、その娘も、紙のように脆く崩れ去るだろう。

そのとき父上もきっと、私の存在の重みを思い知るに違いない。

私には従兄様がいればそれでよかった。

孤独な私を理解してくれるのは、彼だけだった。

キャストレイの建国祭になるたび、奇跡のように彼が現れた。

ある年のこと、彼は来訪した使節団の中に紛れ、顔を覆い、商人の姿に扮して私に会いに来た。

彼が面紗を外した瞬間、私は嬉しさのあまり泣き出しそうなほど笑った。

「遠路はるばる来たからね、可愛い従妹に帝国で流行っている服を少し持ってきたんだ。」

彼は後ろの小さな荷車からいくつか取り出し、侍女に渡した。

本物の商人のように見えて、思わず吹き出しそうになった。

「従兄様が来てくださるだけで、私には最高の贈り物ですわ!」

その年、私は珍しく建国祭の宴に姿を見せた。

帝国で流行している、まだキャストレイには知られていない新しい型のドレスを身にまとい、

従兄様と並んで父王に挨拶をした。

遠くで、継母が「皇太子と大王女は、まるで本当の兄妹のようだわね」と歯ぎしりする声が聞こえたが、

私は完全に無視して、従兄様の腕を取ってその場を離れた。

見なくても分かる。あの女の顔は、今ごろ怒りで真っ青だろう。

「帝国とキャストレイの建国祭が重ならなくてよかったですわ!そうでなければ、従兄様は来られませんもの!」

私は彼とともに人けのない鐘楼へ登り、涼しい夜風に吹かれながら胸を躍らせた。

「もう三年目でしたっけ?それとも四年?毎年こうして来てくださって……」

けれど、私はずっと思っていた。

いつか私が大人になれば、彼はもう来てくれなくなるのではないかと。

結局、私たちは従兄妹。血の繋がりがあるとはいえ、本当の兄妹ほどには近づけない。

「来年も来てくださいますか?」

私は少し寂しげに、独り言のように言った。

「お暇なときは、シャリン女公爵様とお過ごしになるべきですわ。お二人にお子が生まれたら、きっともう私のことなんて……」

「ん? 何を言うんだい、そんな馬鹿なことを。」

彼の柔らかな金髪が夜風に揺れた。

「……少しだけ秘密を教えよう。彼女はね、私と結婚する前からもう心に別の人がいたんだ。」

「そんな……!」

あまりにあっさりと言うので、私は息をのんだ。

けれどすぐに思い直した。

政略結婚なのだから、愛がないのは当然だ。

玉座に就いた王たちが次々に新しい妃を迎えるのも、そのためなのだろう。

「でも、なぜ別の方と結婚なさらなかったのですか?」

「シャリン女公爵は、当時もっともふさわしい結婚相手だった。父上とアスカーナ公国の間で、すでに話が決まっていたからね。」

彼は顎に手を当て、少し考えるように言った。

「それに……私は他に想う人がいなかった。」

「なるほど……。わたくしは、いつお嫁に行くのでしょうね。」

私は大人びたふうにため息をついた。

「でも今のところ、あの忌々しい王女に代わりに政略結婚させるのも悪くないですわ。今や彼女は、キャストレイ中の貴族たちが媚びへつらう中心ですもの。」

「ほう? 私はむしろ、彼女たちが君と同じことを考えているように見えるがね。どうして、彼女たちが君を替え玉にしないと分かる?」

「そんなことをしたら、結婚式で泣き叫んでやります!」

「はは……。じゃあ、もし私が君を無理やり嫁がせようとしたら、どうする?」

彼のその一言に、私はしばらく言葉を失った。

「従兄様は、私に優しい方ですもの。無理やり嫁がせるのには、きっと理由があるはず……。でも、そんな日なんて来ませんわよね?」

私は立ち上がり、足元に広がる灯りを見下ろした。

胸の中には希望しかなかった。

「いつか私が女王になったら、自分で夫を選びますわ!」

エドワルドは驚いたように私を見た。

何かを言いかけたが、その言葉を飲み込み、「それも悪くない考えだね」と、ただ小さく首を振った。


十四歳のとき、キャストレイ王国の国境が帝国軍に侵された。

胸がざわついた。きっと、従兄様が手紙で言っていた「行動」が始まったのだと思った。

だが当時の私は、戦争というものをまったく理解していなかった。

彼が父王を退位させるために軍を動かしたのだと、ただそれだけだと信じていた。

戦争の二年間、私は多くの過ちを犯した。

あの男の言うとおり、私は祖国を裏切ったのだ。従兄様の勝利を早めたい一心で、私は彼に多くの情報を流した。耳にした噂も、知っている地図も、すべてを彼に伝えた。

だが、帝国の兵が王城に突入したそのとき、ようやく理解した。

自分がどれほど愚かだったかを。

父王は、最後まで私をかばい、身を挺して私の前に立ちはだかった。

「逃げろ」と叫んだその声を聞く間もなく、温かい血潮が私の頬に飛び散った。

どれほど憎んでいたとしても――

私は、父上が目の前で倒れることだけは、決して望んでいなかった。

その瞬間、押し寄せたのは、計り知れない後悔と無力感だった。

一体どこで間違えたのだろう。

どの一歩から、私は道を踏み外してしまったのだろう。

その後に起きたことは、今も私の悪夢に焼き付いている。

父王が倒れたあと、城の兵たちは抵抗をやめ、次々と降伏した。

私はあの男に腕をつかまれ、引きずられるように連れ出され、そのまま帝都へ向かう馬車へ押し込まれた。

「無駄な抵抗はやめろ。皇太子殿下の命令がなければ、俺様はとっくにおまえを気絶させている。」

彼が従兄様の名を口にした途端、私は少しだけ大人しくなった。

大丈夫。帝都に着いたら、従兄様がすべてを説明してくださるはず。


「彼女には、あまり自分を責めすぎるなと伝えてくれ。帝国の立場から見れば、戦を起こすのは時間の問題だった。それに、あの王国は内側からすでに腐っていた。帝国に従うことを選んだ者は多く、彼女もまた正しい判断をしたにすぎない。」

エドワルドは盤上の駒――馬を王の隣に進め、油断した相手の車を一気に取った。

「来年の戦勝祝宴では、彼女を帝国の皇女として叙する予定だ。これからは、実の妹も同然の存在になる。女王と呼ばれても差し支えない。」

「おいおい、自分で説明しに行かないのか?どうせまた俺の前で泣かせるんだろう?面倒くせえな。」

「やれやれ……」

ルドヴィクスは、ランスヴィルが不機嫌そうに立ち去るのを見送り、からかうような口調でエドワルドに言った。

「殿下は本当に見事な手並みですな。可哀想な従妹に対しても、そこまで冷酷になれるとは思いませんでしたよ。」

エドワルドの瞳に、わずかな揺らぎが走った。だがすぐに、いつもの微笑――刃を隠したような笑みが戻る。

「お互い様だろう。」

彼は茶を一口含み、ルドヴィクスの次の手を見守った。

「ヴァレン卿も同じく。可愛い妹君を、私に売ったではないか。」

「私は彼女のためを思ってのことだ。皇太子様のように……あーあ、家族ごと潰しておいて、よくもまあ従順を求めるもんだな。」

その言葉に刺されたように、エドワルドは珍しく眉をひそめた。

ルドヴィクスは自分の象を引き下げ、王を守る位置に戻した。

「はあ、もうこの勝負はやる気が失せましたよ。封地で暇を持て余していた頃に、もっと将棋を練習しておくべきでしたね。」

「ヴァレン卿は私と皇女の過去を知らない。軽々しく口にしないほうがいいと思いますよ。」

「ふん。口にさせてくださらないのは、やはり何か後ろめたいことがおありなのでしょう?」

盤上でも劣勢を悟り、皇太子殿下に軽くたしなめられたルドヴィクスは、渋々ながらも肩をすくめてため息をついた。

「まあ、私たちの協力関係に支障がなければ――殿下に“妹君”が何人いらっしゃろうと、私は口を挟むつもりはございません。」


「まあ、そんなところだ……あいつに頼まれて、そう伝えに来ただけだ。」

その言葉を聞いた瞬間、私はその場に崩れ落ち、呆然とした。

思考がぐるぐると渦を巻き、何も考えられなかった。

片目の男――ランスヴィルはちらりと私を見やり、見張りの兵にいくつか指示を出すと、無言で去っていった。

帝都に連行された私は、静かな離宮に軟禁された。食事も衣も、王国にいたころとさほど変わらなかったが、この数日、皇太子殿下はあらゆる理由をつけて私との謁見を拒み、さらに重兵を配して私を閉じ込め、外へ出ることを許さなかった。

――私はいったい、誰を憎めばいいのだろう。

あの無情な剣か。

その剣を振るう残酷な男か。

それとも、陰で剣を操り私のすべてを奪った従兄様か。

私は床に座り込んだまま、長いあいだぼんやりと彼の言葉の意味を考え続けた。

どれほどの時間が過ぎたのか分からない。

ようやく侍女の声が聞こえ、我に返った。

「皇女様、先ほどお召し物をお洗濯しておりましたところ、このようなものをお見つけいたしました。」

銀の薔薇のブローチが、再び私の手に戻された。だが、その花弁には黒い染みが浮かんでいた。

私はかすかに笑い、力いっぱいそれを投げ捨てた。

思い出と憎しみを込めて、あのブローチは花々の影の中へと沈んでいった。

「……もう、こんなものはいらないわ。」

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