第05話 ままならない@再起動

「いろんな物が散らかってて歩きづらいけど、ごめんね。捨てられない性格で、つい溜めちゃうんだ。」


 ハンペンが照れ笑いしながらそう言った。バイザーを上げ、明るい照明の下で顔を見合わせたふたりの頬は、どちらもわずかに赤らんでいた。


 ハンペンの後ろを、まりかは慎重になぞるように歩いた。足元には古い機材の部品、折れたモニターアーム、ふにゃりと膨らんだパック食品の容器が転がっている。


「同じ場所を通らないと、崩れてきそうだね……」


《キャピラリー》

「はい、ぼくっちの計算では、崩落確率が──」


「そんな計算はいいから、君は電話が使えるか調べなさい!」


 まりかがぴしゃりと命じると、キャピラリーの音声はぷつりと止まった。


「この辺りで見た記憶があるんだけど……どうだったかな」


 ハンペンは周囲のガラクタをどかしながら、手探りで探し始めた。


「あ、ハンペンさん。私のキャピラリーが探してるから大丈夫です」


 まりかがそう言うと、衛星ドローンがふわりと浮きながら、光を点滅させながら部屋の中を調べている。


「さっきから思ってたんだけど……すごいガジェットだね。この深海にもいろんな物が落ちてくるけど、それは初めて見るよ」


「そうかもね。これは私が作ったものだから、売っていないのよ」


「それはすごいな。僕も一応、宇宙機械エンジニア……になりたいんだ。

 だから、まだ勉強中なんだけどね」


 ハンペンは照れくさそうに笑いながら、配線が絡まった古い通信機をどけた。


「ハンペンさんは空を目指してるのね。いいと思うな。

 私は正確にはAIデザイナーなのよ」


 少し慌てたように、衛星ドローンが戻ってきた。するとその本体から青白い光が放たれ、部屋の空間全体に薄く半透明のスクリーンが展開される。配線図のようなものが立体的に浮かび上がった。


《キャピラリー》

「まりかっち、いい物見つけたっち。これを見るっち!この住居に供給されてる電力ケーブル、かなり古い物だっちけど、関東電力が『キタカラフト』から引いて来たやつだっち!」


「それがどうしたの?」


《キャピラリー》

「見ててほしいっち。ほら、関東側は切れてるけど……キタカラフト側はまだ繋がってるっち!調整すれば、『アクシオメ・オルピス』を海面まで浮かせられるかもしれないっち!」


「……え? こんな細いケーブルでそんな大電力が?」


 まりかは目を見開いた。ハンペンも思わず顔を近づけ、スクリーンをのぞき込んだ。


《キャピラリー》

「これは、採算度外視で作ったKANTO-003って型番だっち。今は使われてないけど、なぜか『キタカラフト』にある核融合炉77番炉に直結してるっち」


「それなら、データも流せるんじゃない? 状況がどうなってるか調べてみて」


《ウィンド》

「了解でちゅ。でもビリビリのノイズだらけでちゅ~」


《クラポティス》

「まずは『アクシオメ・オルピス』の修復が先決であります。量子磁力バリアを通さなければ、信号の減衰率は89.2%であります」


「おいおい、とんでもない電気が流れて来るぞ……」


 ハンペンはスクリーン上の数値を数えている。


「驚いちゃうのは私のほうよ。このケーブルも沈んできたの?」


 まりかは首をかしげながらスクリーンを見つめた。


「そうだね。どこから来たのかは分からないけど、弱電流が流れていたから、便利に使かってたんだ」


 ハンペンはケーブルの模型図を指でなぞりながら、少し照れたように笑った。


「たぶん、どこかで引っかかって回収できなくなったから、切り離したはずなのに……」


「向こう側でちゃんと切断処理してなかったのね。この程度の漏電じゃ検知に引っかからなかったのかも」


《クラポティス》

「量子磁力ルートが出来たであります。量子磁力圧送も出来たであります」


《キャピラリー》

「この出力、30ギガワット必要っち。でも安心してっち--必要なのはたった7秒だけっち」


「7秒?」


《キャピラリー》

「『アクシオメ・オルピス』のコアを一回叩き起こすだけでいいっち。あとは内部の自己循環に切り替わるっち!」


「まるで……心臓ショックかけるみたいね」


《キャピラリー》

「その通りっち。量子磁力バリアは初動が命っち!」


 まりかがふと目をやった先、壁にある小さな観察窓の外に、思わず息をのむような光景が広がっていた。


 深海とは思えない――

 まるで昼の空が深海に落ちてきたかのような明るさが、そこにはあった。崖の中腹に巨大な構造物が引っかかるようにして留まっており、その外壁から白い光が溢れ出ている。


 その光は深海を柔らかく染め上げ、崖の輪郭すらくっきりと浮かび上がらせていた。


「……あれが、『アクシオメ・オルピス』……?」


 ハンペンの声は、ガラス越しの水圧に押し潰されていそうなほどかすれていた。


『アクシオメ・オルピス』は、命を取り戻したように再び光を放っていた。


《キャピラリー》

「コア起動確認っち。自己循環モードに入ったっち! 損傷率12,1%今も回復中っち。海上まで問題ないっちね」


《スウェル》

「さっきのデータから浮上ルート考えたのよ。でも上層の情報が足りないの。

 破片の位置も不明だから、浮上速度は控えめにしたのよ。無理して突っ込んだらまた痛いからなのよ」


「ハンペンさん、あなたに出会えなかったらどうなっていたか……この恩は、絶対に返します。……だから、待っていてください」


 まりかが目を潤ませたまま頭を下げると、ハンペンは少し照れくさそうに笑いながら、肩をすくめた。


「……あのさ、僕も一緒に行っていいかな?」


「え?」


 まりかが顔を上げる。ハンペンの問いは冗談めいていたが、瞳の奥は真剣だった。


 しかし次の瞬間、ケーブルの奥から鋭い唸りが響く。予兆もなく、高電流が『アクシオメ・オルピス』に流れ込んだようだ。


《キャピラリー》

「ま、まずいっち! 制御できないっち!」


《クラポティス》

「高サージ電流が到達寸前でカット出来たであります、しかし、外部で小規模の爆発を感知したであります」


 振動が軽く足元を叩いた。スクリーンには『アクシオメ・オルピス』の状態が映し出されてる。


《キャピラリー》

「それより大変っち『アクシオメ・オルピス』沈下中っち、沈下速度不規則、計算不能っち!」


《クラポティス》

「17秒後に量子磁力固定が外れるであります。その時点で帰還不能確率――99.9%であります!」


 カウントはすでに減り続けていた。モニターの隅で残り時間が赤く点滅する――10秒。


 まりかの瞳が大きく見開かれる。


「10秒じゃもう、どうしようもないじゃない!」


 *****


 どんな時でも「何とかなる」と思っていたまりかは、この時、心の中で叫んでいた。


「――お願い、何とかしてよ!」


 いつもなら家の中で全て解決できたはずなのに、今はただ、無力感に苛まれるだけだった。


 まりかは外の映像を映すスクリーンを、ただ見つめることしかできなかった。


 その隣で、ハンペンも丸い体を硬直させ、画面の中で不規則に傾きながら沈んでいく『アクシオメ・オルピス』を凝視していた。

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