第三話 かわったもの

 バイクを走らせていた矢上は神居市区の廃ビルが見える距離に至った。そうして走ってどうにかなる辺りで停留させた。


 バイクの音が近くで聞こえれば奴らが警戒が強まるだろうから。


 ―――時間は22時。廃ビルの高層では10人の誘拐犯が武装をしている。

 集まっているメンバーの多くはブラック・フラッグに身を寄せて調子づいた犯罪者で実力者の数は係長格の1人を除けば大したことは無いだろう。


 しかし、桜子という人質が居るとなればその命を守ろうとする限りは迂闊に近づけない程の脅威にはなっていただろう。


「おい!どういう事だお前。この女は誰だ!」


 人質として下っ端の男が連れてきた女の姿を見るなり係長格の男の怒号が響き渡る。

 人質として連れて来られたはずの人物は桜子では無く背格好の似た別人だったのだ。

 これではせっかくの人質も意味をなさない。


「ひっ、こいつが春日井のヤツの娘じゃないんですか」


 全身を怯ませた下っ端は歯をガチガチと鳴らしながら両腕はロープで、縛られ意識を失ったままコンクリートの上で倒れた心春の頭を掴み見る。


「違ぇ、違ぇ違ぇ違ぇ!春日井の娘はなぁこんな整った顔はしちゃいねぇんだよ!よく見ろ!ホクロの位置も数も目の大きさすらも一致しちゃいねぇだろこのアホが!」


「ゆ、許してくださいぃぃいい」


 怒鳴られる下っ端を係長格の男が怒鳴る光景を他の下っ端らはただ見守ることしか叶わない。口を出そうものなら攻撃が飛んでくるかもしれないのだ。


「だぁぁあぁ!やめだやめだ!この女を口封じに殺して撤退するぞ。ここはもう秘密基地にはならねぇからなぁ。……なぁ、テメェの失態は自分でやりな?」


「はい、では……その、武器を誰か」


 誘拐犯として実行した下っ端はスタンガンしか武器を保有していない。だから刃物でも要求しよかとそんな事を言うが……。


「何言ってんだ?殴れよ。殴って、殴って殴ればよぉ良いんだよ。俺らはお前を既に信用していない。そんなお前は今ここで信用を取り戻さなきゃいけないんだ」


「は、はい!分かりました!殴ります」


 そうして下っ端が立ち上がった時―――


 その身体は横に勢いよく吹き飛ばされた。


「な、なんだ」「誰だ!」「おいおい」


 3人の下っ端が突然の事態に動揺をする。


 暗い廃ビルには微かながらの月明かりが差し込んでいるがそれに照らされる事も無く、服も黒を基調にされているため、全体を闇に紛れさせたその姿は他の誰からも見えていないのだ。


 そうして続け様に左手に立ち尽くす男から左足を首目掛けて上段から振り下ろすと勢いよく体を落とすと頭をコンクリート目掛けて思い切り強打させた。そのまま身体を下げた状態から身体を上に起こす勢いのまま右手の男に顎へ掌底を入れて震盪を引き起こす。


 ここで漸く下っ端らの意識が急に現れた敵への臨戦態勢へと移行して影目掛けて駆け寄る。


 ―――が、それは悪手であった。右手に釘バットを持って走り寄ってきた太り体型の男であったが短い足を絡め取られるとバランスを崩し大きな音と共に倒れる。男の右手を蹴りバッドを遠くへ飛ばす。


 この時点で4人がやられた。下っ端ら5人は動く事に躊躇を始め日本刀や銃を構える。


「―――おい!ちょこまかとうぜぇんだよ!」


 しかし、係長格の男がそこで大きく声を上げた。この威圧により場の空気が揺らぐと、下っ端らはようやく平然を取り戻し、闇に隠れるように見えた影の正体を認識する。上げられた髪によって顕となった横一文字の傷が額ついているのが特徴的な男の姿。

 係長クラスの男にとっては因縁深い人物であり、かつては無駄口を叩きながらも背中を預けたこともある。


「そうか、矢上よぉ。久しぶりだなぁ!覚えてるかぁ俺をよぉ?」


「向井……彰。なぜお前がこんな事をしている!」


 係長格の男―――かつてのライバルのその変わり果てた姿を前に矢上は柄にもなく声を震わす。


「か、係長!こいつと知り合いなのですか?」


「うるせぇアホ!黙れアホ!」


 質問をした下っ端はその言葉通りに黙らせれてしまう。


「俺はよぉ。足りねぇんだよ!金はまだまだあるはずなのにお前と会ってからずっと、ずっと足りねぇんだ。兵士の頃は自分が特別だって思えてたになぁ……何かが足りねぇ」


 向井が顔を歪ませながら憎しみを吐き出す中、矢上は呆然と聞くしかない下っ端達の首に手を当てがい意識を奪っていく。


「傭兵として俺が出向いて救った奴の数の方が多いのに満足出来ねぇんだ。それも、これも!あの人が亡くなったからかなぁ?俺さぁきっとあの人に褒められたかったんだよぉ」


「褒められたかったって……なんだ」


 そうして向井がまるで泣くように叫ぶその場で立っているのはいつの間にか向井と矢上だけ。


「お前はアホだからいいよなぁ……なーにも知らないんだ。俺がどれだけ頑張って、認められたかったか。ただの1回、お前と同じようになれたら良かったのに」


「ほんとに……何言ってるんだ。ただの1度だって俺も褒められなんて」


 脳内を駆け巡るは雪の降った矢上が30歳の日の戦場。


 雪に震えるあの男の姿。ついに彼が犠牲になった日。豪雪に視界を歪ませられ、撃たれ死んだ。悲鳴を上げ、額に銃弾がかすりながらも己の手で敵を殴り飛ばした。


「アホアホアホ!なんで見えねぇんだよ……見てただろ!お前を見るあの人目はずぅっとお前を認めてた!俺には分かる。俺には向けなかった目だ」


「違う、そんな事は……お前も俺も、見られていた。あの人は」


 倒れた男の腹部は既に血に塗れていて、そんな身体の上には異様に早く雪が積もっていた気がする。

 そして手を握って願うようにしていた矢上に彼が最後言った言葉は。


「そうだ……あの人は最期『あったけぇな』って言ってた」


「は!?知らね!俺の力を求める組織に入ったらお前を殺せるチャンスが来たってことはそういうことだろ?認められたお前を殺せば俺も認めてもらったもんだ。俺はお前の死を望むよ」


 もはや、向井に矢上の言葉は届かないようだ。


「バカだな。俺がアホならお前はバカだよ。俺から見えてもん向井、お前にだって見えてなかったんだもんな!」


「アホがぁ!」


 逆上した向井はマンベレを取り出す。

 複数の刃を持ち不気味に曲がる形をした長いナイフはどの角度に当たっても相手に傷を与える。銃のような武器を器用に使えないが、敵に簡単に致命傷を与えられ、距離という保険を望む向井の武器だ。


 マンベレの塚には結ばれた固く縄が巻きついており、何時でも引き戻せる様になっている。


 そうして最初に投げられたマンベレは一方に首目掛けて投擲された。矢上は即座にしゃがむとと横へ転がり込む。


「チッ!」


 マンベレはあまりにも攻撃的な武器である。1度喰らえばそれだけで戦況は振りに傾く。しかし、向井と共に戦場を駆け回った矢上にはあまりに相性が悪い武器でもある。


「よ、避けるなぁ!」


 当然に避ける。マンベレでは1体1の戦場で、それも向井のような近接を拒む性格をした物では矢上には勝てないのだ。乱雑に投げる軌道であれば矢上も危険を感じざる得ないが、それをすれば向井本人に跳ね返る危険性がある。


 向井がするのは正確に捉えた敵を狙う攻撃。

 傭兵時代からそれを何度も見てきた矢上にとっては容易く見切れる。


「避けるに決まってんだろバカ!」


 そうして、矢上の拳が既に向井への攻撃範疇に移行した時、瞬時に動いた力強いパンチが右頬から思い切り吹き飛ばした。

 矢上は床に倒れ込むとその場で泡を吹くようにして意識を手放す。


「……あの頃、どれだけ貴方と一緒に戦ったと思ってるんですか。この、馬鹿野郎」


 そうして倒れた向井を見る矢上の顔はどこか、哀愁が漂っていた。


 ―――それから10人もいた誘拐犯らは全員制圧されるとマンベレの縄を利用して全員纏めて柱に縛り付けられた。

 これだけすればもうこれ以上は自分達の介在する余地はない。警察に通報し、心春を連れてこの廃ビルを去るだけだ。


 変わってしまった向井をみて、何処で道を行き違ったのかと思う。

 犬猿の仲ではあったかもしれないが、それでも守りたい物は互いにあったはずなのに。


 こうして、勘違いから始まった誘拐事件は幕を下ろした。














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