第17話 心の痛み

「グベエェェェェ」


 すごい勢いで、リアラが床に顔面から突っ込み、苦痛に耐える声を発した。

 さっきまで嘘のように前は進まなかった足は、みらいの姿が見えなくなってから、普通に動くようになっている。

 二度三度と爪先を床に当て、足の感覚を確かめるがおかしな所は見当たらない。


「イテテ……。鼻打って、涙出てきた」


 ぶつけた鼻からは血は出ておらず、赤くなっているだけで済んでいるようだ。


「それにしても、マズイ事になった。ミキが巣喰われた……。早く何とかしないと」


 そうだ。動けるようになったなら、みらいを探しに行かないと。


 突然、ドサッっていう音が聞こえた。音の発信源はおばさんだ。足腰が震え、まともに立てないのだろう、壁に背を預け、割れた窓を見つめていた。


「どうしよう、まずは警察に……。でもこんな事話しても信じて……」


「大丈夫だ、ミキのママ」


 混乱している、おばさんにリアラは優しく語りかける。それこそ、天使が人を導くように。


「ミキは絶対に連れて帰る。だからさ、これは悪い夢だ。起きたら、何もかも良くなってるから、今は眠っててくれ」


 弱く光る人差し指を、おばさんの額に当てる。するとおばさんは、安心しきった顔で眠りに落ちていた。


「おばさんは、眠ってるのか?」


「どう見ても、眠ってるだろ。久々にこの天術使ったわ。最後に使ったのはいつだったかな。確か私にちょっかいかけてきた天使に、イタズラとして使った以来だった気が」


 うんうん、首を振り昔を懐かしんでいる。


 とりあえず、床で寝ているおばさんをこのままにしておく訳にもいかず、みらいのベッドまで運んだ。


「おばさんの事はありがと。それで、説明はしてくれるのか?」


「さすがに、しない訳にもいかないよな。そもそも、内側に悪魔を逃した尖兵隊が悪いし、私がユウに言ったって、問題ないはず!」


 自分への罪悪感を消そうと、一人ブツブツと言って、ようやく覚悟が決まったのか、俺に今のみらいの状態について話してくれた。


「ミキは今、悪魔に巣喰われてるんだ。簡単に言うと、魂を食われてる。魂が無くなると、ミキは死に、その身体を悪魔に奪われるって感じだ」


「なら、急がないと! 何か助ける方法あるんだよな!」


 じゃなかったら、おばさんに絶対に連れて帰るなんて言わないはずだ。


「あるけど、ここからはユウの覚悟と時間との勝負になる」


 リアラがポケットから多次元収納ボックスを取り出し、その中からある物を取り出した。それは弓に用いられる矢の形をしている。


「これはな心願の矢って言って、使い方は簡単だ。ミキとユウを同時に貫けば良い。あ、私は弓とか使えないから、自分の手でやってくれよな」


「貫くって……」


「だから言ったろ。ユウの覚悟次第だって。この矢は人を傷つけない、貫いた者同士の心を繋ぐんだ。だけど、そう分かってても躊躇する人だっている。なんせ、自分の身体に刺すんだからな」  


 なら良い。みらいの身体が負傷しないなら、助けられるなら、躊躇なんてする訳がない。


 俺は、リアラから心願の矢を受け取る。


「覚悟は決まってるようだな。後の問題はミキがどこに行ったかだけど……。早く見つけないと手遅れになっちまう」


「……今のみらいの意識は、悪魔なのか? 魂が食われたら、身体を奪われるって言ってたろ。まだ完全に食われてないなら、あいつの意識は残ってるんだよな?」


「多分な。確証はないけど、まだミキの意識は残ってるはずだ」


 なら、見つけ出せるかもしれない。毎年、みらいの誕生日の日には、二人で行く場所がある。本当だったら、今頃その場所に向かっているはずだったんだが。


「なら、一つ当てがある」


「どこにミキがいるのか、分かるのか?」


「あぁ。アレクモールに行く途中に、公園あったの覚えてるか? みらいはあそこにいるはずだ」


「なんで、公園なんかに。確証はあるのか? いや、今は時間が惜しいし、早く行かないとな。っと、その前に電話だけさせてくれ」


 スマホに似た機械を多次元収納ボックスから取り出し、どこかへ電話をかけ始める。


『あ、私だ。お前達、悪魔を内側に逃したろ? んあ! マジか……。そ、それは私のせいだな。今はそんな事話してる場合じゃないんだ。色々あって大変だから、来てくれ』


 途中、リアラが気まずそうな顔で、ここの住所を聞いてきた。その顔からして、何かあったんだと察しは付く。


「よ、よし。外にいる尖兵隊をここに呼んだから、辻褄合わせとかは問題はないだろ。ミキのママには、悪い夢って事にしておきたいしな!」


 電話を終えたリアラは、手をバタつかせ、顔に大量の汗をかいていた。


「どうした? 挙動不審になってるぞ」


「そ、そんな事今はどうでも良いだろ! 早くミキを迎えに行くぞ!」


 そうだな、今はみらいの事を優先しないと。


 部屋を出る前に、ベッドで寝ているおばさんに誓う。絶対にみらいを連れて帰るからと。


 外に出て公園に向かおうとした所で、リアラに服を掴まれた。

 

 今度はどうした?


「ユウ、私をおぶってくれ。アレクモールの近くまで走り切れる自信がない」


 それ、先日の体育の時間にも言われたぞ。確か、あの時は無視したんだよな。


「…………」


 リアラが背中に乗れるように、膝を曲げ身体を低くする。

 今回は時間もないし、なにより悪魔なんていうのが相手なんだ、リアラを置いていく訳にもいかない。


「ほら、乗れよ」


「やっと、私の言うことを聞く気になったのか! ありがたく乗せてもらうぜ」


 ずしりと背中に重みを感じたが、何せ乗っているのは、子供の体型をしたリアラだ。走るのに、何の問題もないぐらいには軽かった。


「公園に向かうぞ。ミキがいなかった場合も備えて、なるべく早くな!」


「あぁ。分かってる」


 リアラの言う通り、みらいがあの公園にいるっていう確証はない。だけど、俺は確信している。どうしてかと言われると、言葉に表せないが、みらいは俺を待っているって。


 リアラを背に乗せ、走ること数十分。息の苦しさなんて忘れ、ただひたすらに公園に向かっていた。


「なんだありゃ!?」


 突如、後ろから驚き声を上げるリアラ。


「いきなり大声上げるなよ。転びそうになっただろ」


「あれ、見えないのかよ……? もしかして人には見えないのか?」


 何が……。前を向いても、いつもと変わらない街並みが広がってるだけだぞ。


「あっちの方に、どでかい結界が貼ってあるんだよ! あんなの並の天使じゃ……。天術で貼ってあるから、ミキに巣喰ってる悪魔でもないし」


「その結界とやらを誰が貼ったか、考えても仕方ないだろ。大事なのは、それにみらいが閉じ込められてる可能性だ」


 ただ、閉じ込められてるだけなら良い。でも、その誰かが、悪魔に巣喰われてるみらいを危険視し、逃がさないよう結界を張ったのなら、危害を加えてくるかもしれない。


「みらい、無事でいてくれ」


 リアラの指示の元、結界が貼ってある場所に向かった俺は、やはりと安堵していた。そこは、思っていた通り、アレクモール付近の公園。その中心に、蒼いドレスを着たみらいが立っている。


「ハァハァ……良かった。ここにいた……」


 みらいの姿を見てホッとしたのか、先程まで走っていた疲れが一気に押し寄せてくる。だけど、ここからだ。巣喰った悪魔を、みらいから引き離さないと。


「なるほどな。この結界、閉じ込めるんじゃなくて、認識を阻害するもんだ。誰もこの公園には、近づく理由がないって感じの」


 平日とは言え、周りに人の姿が見えないのはそのせいか。


「なら、理由があると認識してる俺達は、問題なく、公園内に入れるってわけだよな」


「だな。とっとと、ミキを救って帰ろうぜ」


 公園に足を踏み入れ、みらいの前に立つ。その表情は悲しんでいるような、それでいて怒っているような、そんな顔をしていた。


「祐くんそれにリアラも、よくここが分かったね……」


「当たり前だろ。俺、みらいの事なら何でも知ってるからな」


 下校中に、みらいに言われた言葉を思い出す。そのお返しだ。


「知ってる……? 嘘。知ってるのはわたしみらいじゃなくてわたしみきの方でしょ」


「やばいぞ! ミキの奴、口調が変わってやがし、言ってる事がめちゃくちゃだ!」


「わたしを未来みきって呼ばないで!」


 肌を刺すような風が吹いた。これが自然による風だったら、気にも留めなかっただろ。だが先程から、皮膚が脳が心が、ジリジリと痛み出す。


「痛い、痛い、痛い! うぅ、無意識に悪魔の力を使いやがって、あれじゃすぐに魂が食われちまう」


「……この矢を俺とみらいに突き刺しさえすれば、この状況を何とか出来るんだろ?」


「正気か! どんどん風が強くなって、痛みだって増してるんだぞ! ミキに近づくなんて自殺行為だ」


 風が発生している中心地に、みらいはいる。最初は緩やかに流れていた風も、時間が経つにつれて、今や強風レベルにまでなっていた。それに伴い、痛みも強くなっていく。


 だからどうした。きっとこの風は──この痛みは、みらいが心に負っている傷そのものだ。だったら、全部受け止めてやる。


 強風の中、痛みに耐え一歩ずつ進んでいく。


「どうして、こっちに来るの! わたしは未来みきじゃないんだよ!」


「知ってるよ! だから助けに来たんだろ!」


 更に風が強くなり、身体の痛みが増していく。


「絶対に嘘! 祐くんはわたしの面影に、いつも未来みきを見てた!」


「それは否定しないし、するつもりもない」


 あと、数歩でみらいに手が届く。


「だったら、わたしに名前みらいなんて、贈らないでよ!」


「俺さ、こんな状況になっても、みらいに名前を贈ったこと後悔してないんだ」


「え……?」


 俺はみらいを力強く、抱きしめた。きっと、不格好に違いない。なんせ、異性を抱きしめたのなんてこれが初めてだ。その辺は許してほしい。


「確かに、俺の人生は後悔だらけだ。でもな、あの日、病室でみらいが嬉し泣きしたのを見て、救われた気がした」


 きっと、あの涙を見た時なんだろうな。みらいへのを自覚したのは。


「だから、今度は俺に救わせてくれ」


 右手に持っていた心願の矢で、みらいの背中越しから俺ごと貫いた。

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