断章 回想 終

正一との約束した時間も差し迫ってきたので、一階の待ち合わせ場所に向かう二人は、手を繋ぎ歩いていた。しかも恋人繋ぎで。


 店に向かう時は、何も言わない祐に不機嫌感を出していた未来だが、今は上機嫌だ。祐からの初めてのプレゼントがよほど嬉しかったらしい。鼻歌混じりで祐をリードしている。


「次の祐の誕生日には、わたしも何かプレゼント用意しなきゃね。何がいいかしら?」


「え、いいの?」 


「えぇ。だって、一番大切な友達の誕生日には、プレゼントを渡すもんなんでしょ? なら、わたしも祐の事は大切だし、問題ないわ」


「……うん!」


 まるで、告白をしているかのような会話。だが、まだ恋愛感情を知らない二人にとっては、これは大切な約束としての部分が大きい。果たして、お互いの心が成長する頃には、その想いに気づく事が出来るのか。


 待ち合わせ場所まで着くと、すでに正一が待っており、こちらに気づいたのか手を振っている。


「良かった、迷わずに戻って来れたね。二人でいる間、何もなかったかい?」


「それがね、パパ聞いて! 祐が誕生日プレゼント買ってくれたのよ!」


 懐中時計をポケットから取り出し、正一に見せると、興味深く蓋に刻まれていた文字を見ていた。


「幸せな未来か。未来みきちゃんにピッタリな贈り物だね。それに結構いい懐中時計だ。祐君、娘への誕生日プレゼントをありがとう」


「ううん。未来にはいつも助けてもらってるし、大切な友達だから、誕生日プレゼントを渡すのは当たり前だよ」


「そっか。祐君は将来、紳士な人になりそうだね。成長した姿が楽しみだ。って事で記念に一枚」


 パシャリと。いつの間にか手に持っていたカメラで、恋人繋ぎをしている祐と未来を撮る正一。


「だから、撮る時は一言声掛けてってば!」


「ごめんね。でもいい写真撮れたから許してほしいな。さーて、買い物も終わったし、帰って誕生日パーティーの準備しなきゃね」


 未来は不服そうにしていたが、誤魔化すように話題を変え、帰路につく。


 モールのからの帰り道、近くには公園がある。道路を挟んだ先で、祐と未来の遊び場の一つだ。二人がモールに行った帰りは、決まってここの公園に寄って行く。だから、今日も例に漏れず公園へ向かってしまった。


 青信号になり、正一を先頭に横断歩道を渡って行く。前からも、スーツを着た男が小走りで走って来ており、ぶつからないよう、少し横にズレようとした三人だったが、未来は間に合わず軽くぶつかってしまった。


「あの、ごめんなさ──」


 ぶつかった事を謝ろうとしたが、男はよほど急いでいたのか、足を止める事なく去って行ってしまう。急いでいるのなら、しょうがないわね、と気にせず、横断歩道を渡りきった。さっきぶつかった衝撃で、ポケットから懐中時計を落とした事も気づかずに。


 ふと、未来が、ポケットが軽くなったなと触ると、そこにあるはずの時計の感触がなかった。後ろを見ると、横断歩道の中心辺りに落ちているのを発見し、まだ、青信号だという事を確認し急いで取りに戻った。


「良かったわ、近くに落ちていて……。きっと、さっきぶつかった時ね……」


未来みきちゃん!!!!」


「え…………?」


 何故か、正一が走って来て未来に覆い被さる。次の瞬間、激しい衝撃が二人を襲った。かなり威力で、二人とも吹き飛び、全身をアスファルトに打ち付ける。


 青信号が変わるか、変わらないかのタイミングで発進したのであろう、車の衝突事故。


 打ち付けられた身体からは、赤い液体が溢れ出す。それを見て、祐は何が起こったのか理解できなかった。否、理解したくなかった。ただ茫然と立ち尽くす事しか出来ない。


「救急車!! 救急車を早く呼べ!!」


「きゃー!! 事故よ!!」


 事故に気づいた周りの人達が、こちらへ近づいてくる。その人の波に、祐は飲まれるしかなかった。


        ※※※※

 

 暗い廊下の中、手術室と書かれた赤い表示灯を見つめる三人の影。祐とその母、咲耶さなと未来の母であり、正一の妻であるめぐみだ。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 ひしゃげた懐中時計を手に、祐はひたすら謝っていた。自分が誕生日プレゼントなんてあげたから……。渡そうとか考えなかったら、未来とおじさんは轢かれずにすんだのに……。そんな言葉が永遠に頭でループする。


「祐、自分を追い詰めるな。祐のせいじゃない。悪いのは全部、信号を無視した、運転手なんだから」

 

 咲耶は祐を抱きしめ、落ち着かせようとする。


「そうよ……。祐……君は、悪くないから……」


 手術室の方から目を離さず、ぽつりと恵が呟いた。自分が一番辛いはずなのに、祐に一声かけてくれる。だが、その声は今にも消えてしまいそうな声音をしていた。


 ここに着いた時、恵は泣いていなかった。それが酷く心配で……。そんな、恵に咲耶は何て声を掛けて良いか分からずに、時間だけが過ぎ去って行く。


 一体何時間経ったのか、手術室のランプが消え、中から手術衣を着た先生が出て来た。


「あの! 夫と娘は……無事ですよね……?」


 恵が飛び掛かかるぐらいの勢いで、先生に聞く。だけど、先生の表情は一向に硬いままだ。つまり……。


「お父様の方は、最善を尽くしましたが助ける事が出来ませんでした。申し訳ありません……」


「あ……あ……。あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 あまりのショックからか、その場に立てなくなり、廊下に座り込んでしまう。そして、今まで堪えていた涙の最初の一粒が零れると、そのままボロボロと溢れていった。


 先生は座り込んだんだ恵と、目線を合わせる為に腰を低くすると、次は未来について語った。


「娘さんは、お父様が命を賭けて守ってくださった為、頭を強く打っていますが、命に別状はありません」


「未来ちゃん……は……無事……なの……?」


「はい。娘さんは生きてます」


「よ、良かった……。未来ちゃんが生きてて本当に良かったよぉぉぉ」


 まるで、子供みたいに泣きじゃくっていた。だが、これは親として当たり前の行動だ。


 祐も未来の無事を聞いて、泣いていた。目を覚ましたら、まずは謝らないと。それから、また未来と遊ぶんだ。


 だけど、現実は非情である。


 手術が終わってから数日、未来の意識が戻ったという連絡を受け、咲耶と祐は入院先の病院へ向かった。


「いいか、祐。今の未来は意識が混濁としていて、昔のになっているらしい。だからな……」


 その先の、言葉が出なかった。もし自分たちの事を忘れてても取り乱さないでくれ。なんて言えるはずがなかった。


「分かってるよ。俺は大丈夫だから……」


「そうか」


 未来がいる病室前。祐は一呼吸した後、ノックをした。中から恵さんの「はーい」という声が聞こえて、扉が開かれる。


「祐君……。咲耶ちゃん、祐君連れて来ちゃったのね……」


「祐経っての希望だ。安心してくれ。ちゃんと説明はしてある」


「そっか。うん分かったよ。二人とも入って」


 中に入ると、よく知った顔の女の子がベッドで座っていた。頭には包帯を巻いており、長かった髪はものすごく短くなっている。


 その姿を見て、少し怖気付いてしまったが、祐は勇気出して話しかけた。


「未来、調子はどう?」


「あの、誰ですか……? わたし覚えてなくて……」


 結果から言って、未来は頭を強く打った衝撃で、記憶喪失になっていた。祐の事はもちろん、自分の両親の事さえ忘れている。


「…………」


 祐は咄嗟に、自分の名前が答えられなかった。咲耶から聞いてはいたが、実際に覚えていないと言われると、辛いものがある。


「未来ちゃん、この子は祐君よ。覚えてない……?」


「ごめんなさい」


 未来が謝った。それは肯定の意味であり、謝罪の意味でもある。その謝罪の言葉を聞いた祐は、居た堪れなくなり、病室から出て行ってしまった。


 (何で、未来が謝るんだよ……。謝るのは俺の方じゃないか)


 廊下を少し歩くと、休憩スペースを発見して、そこに座る。ポケットに手を突っ込み、ひしゃげた懐中時計を出すと、蓋に書いてある文字を読んだ。ほとんど、時計とは思えない形に変形しているが、刻まれた文字の所は、辛うじて読めるぐらいには原型を保っていた。


「幸せな未来か……。俺が未来みきの幸せを奪っちゃった……」


「祐、大丈夫か? 辛いなら家に帰っても良いが……」


 いきなり飛び出した祐が心配で、追いかけてきた咲耶。その顔は悲痛な面持ちをしていた。


「大丈夫だよ。うん……大丈夫。さっきは少し驚いちゃったけど、未来が一番苦しい時に、落ち込んでられないよ」


 この時、祐は一つの決心をした。未来の幸せを奪ったのなら、今度は幸せになるまで守ってあげなくちゃと。


 それからというもの、祐は毎日、未来の病室に来ていた。学校のある日や休日も欠かさずに。そんなある日、恵が病室から離れ、未来と二人きりになる日があった。


 その日の未来は、記憶を失う前の写真やビデオを見ていて、記憶を取り戻そうと努力をしていた。だけど祐には、それが意味のない事に思えて……。


「未来は何で、昔の写真とかを見るの?」


「何で? が、記憶を取り戻すキッカケになればって、渡してくれたから……」


 未来は自分の母親の事を、お母さんと呼んだ。だけど、記憶を失う前の彼女は、ママと呼んでいて。これを聞いた祐は、もう自分の知ってる未来は居ないんだなと、心のどこかで思ってしまった。


 だから、こういう行動に移ってしまっても仕方がない。


 端末から流れるビデオを止め、写真を未来から遠ざけた。


「どうしたの……? 


 未だに慣れない、名前のくん付けに少し動揺してしまうが、祐は次の言葉を放った。


「──ッ! こんな事必要ないよ。だって、今の未来みきは──なんだから」


「みらい……って?」


「君の名前だよ。君は未来みきじゃない。だから昔の事なんて、もう思い出す必要なんてないんだ」


 嘘だ。本当は思い出して欲しい。祐との思い出を。一緒に過ごしてきた、何にもない日常を。でも、写真やビデオを見ていた未来みきは、どこか、他人を見ているような気がして嫌だったんだ。


「そっか……。わたしの名前か……。わたしの、みらいっていう名前かぁ……」


 未来みき──いや、みらいの瞳から、一筋の涙が頬を流れる。

 

「ご、ごめん! 泣かせるつもりは……」


「え、わたし泣いてる……?」


 頬に手を当て、指が涙で濡れた事を確認する。


「ほんとだ、泣いてる……。何でだろう、嬉しかったのかな」


「嬉しいのに泣いてるの?」


「うん。だってね、わたしがわたしで良いって、認められた気がするから」


「そうだよ。みらいはみらいだよ」


 祐はベットに座っている、みらいの頬に手を置き、指で涙跡をなぞる。未来みきだったら、文句の一つぐらい飛んできそうなもんだが、みらいは何も言わずに祐の隣で泣いていた。


「でも、この事はお母さんに内緒にして欲しいんだ。お母さんはきっと、未来みきに帰って来てほしいと思ってるはずだから……」


「……分かった約束する」


 これが二人で交わした、初めての約束。


 その約束を、病室の外で聞いている人がいることに、二人は気付くことがなかった。

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