10-3


 腹立たしい。腹立たしい。腹立たしい。

 頭から布団に包まり、少年は恥辱に震えていた。

 一体何だってこんなことになってしまったのか。自問しても当然答えは出ない。

「……いい加減出て来たらどうだ」

 上掛けの外から困ったような声がする。誰の所為だと思っているのだ。少年は布団の隙間から碧の瞳を覗かせ、傍らの男を睨み付けた。

 良いように少年の下半身を弄んだ男は、白濁で汚れた掌を濡れたタオルで拭うと、何故か少年の部屋に居座っている。気拙い、恥ずかしい、腹立たしい。さっさと出て行けば良いものを、そのまま少年の身すら清拭しようとするので、布団に包まり防ぐ羽目に陥ったという訳だ。

 下半身がべたべたして気持ちが悪い。だと言うのに男は去ることもせず、あろう事か少年の布団に手を掛けた。

「出る訳! ねーだろ! っつーか布団剥ごうとすんな、さっきそれであんなことになったんだろ!! 反省しねーのかあんた?!」

「反省はしない。いいから見せろ、傷が悪化していたらどうする」

「っだから、止めろって!!」

 またもや強引に、頭から被っていた上掛けを剥ぎ取られる。包帯は白濁にまみれ、ズボンの裾から引きずり出された性器は既に力なく垂れ下がっている。余りにも惨めな下半身を晒すことになり、少年はぎりぎりと奥歯を噛み締めた。

「何で待てが聞けないんだ、あんたは! 躾のなってない犬かよ!」

「見せてみろ」

 少年の皮肉など意にも介さず、男は少年の汚れも厭わず包帯に手を掛ける。最早抵抗するのも虚しく、少年は包帯が解かれていくのを只見ていた。

 濡れた包帯を床に放り投げた男の手が、腹部をなぞる。既に発情の余韻すらもなく、ひたすらくすぐったいだけの感触に、少年は渋面になった。

「……何だよ」

「いや……きちんと塞がったな、と」

 男の指先が傷跡をなぞる。でこでこと盛り上がった皮膚は既に塞がり、皮下の痛みは既にない。

「何だ、嬉しくなさそうだな」

「……べっつにー……あんたの言う通りになって、癪だとか思ってる訳じゃねーし」

「癪なのか」

 くつと男が喉を鳴らした。驚いて見上げる先、無骨な口の端が仄かに持ち上がっている。不器用な笑顔だった。

 じんわりと、男の触れた腹部が熱くなる。欲情ではないそれが、何なのか。考えるのは今の混乱した頭では無理そうだ。少年は金髪の頭をがしがしと掻いた。

「もういいって、離せよ、レオニード」

「……レオ、」

「え?」

「レオ、でいい」

「……あっそ、……じゃあ、離せよ、……レオ」

 改めて呼ぶ名は気恥ずかしく、少年は顔を逸らす。苦笑の気配と離れていく掌が、やけに物悲しく感じられた。

 レオと呼ばれた男は、ふと身を屈め少年に顔を近付ける。

「それで……お前は何と呼べば良いのだ、第三聖女」

 何気なく聞かれたようで、言葉の裏に真剣さが滲んでいる。漆黒の獣の何処か緊迫した居住まいに、少年も身を強張らせた。応じなければならない。だが、何と言えば良い。

 かつてはその男の失望を恐れていた。侮られ、軽視されることを恐れていた。だが今はどうだ。

 憐れまれること。愛されたことのない子だと知られること。それが何より、耐え難くなってしまっていた。

 返答のない少年に、傍らの気配がふっと離れる。俯いた少年はその顔を直視出来ない。

「いや……いい。言いたくないのならば、無理には」

 平静を装った口調に僅か感じられる堅さが、また二人の距離を作り出すのだと感じられた。それは嫌だった。嫌なのに、言葉が出ない。そんな自分が、一番嫌だった。

 

「ごめ……ごめん、なさい」

 絞り出した声音は震えている。惨めだった。余りにも。

 こんな身でありたいなどと思ったことなど一度もない。娼婦の子として生まれたことも、捨てられたことも、聖女の〝ギフト〟を持って生まれたことも、全て少年が望んだことではない。親の借金を背負ったことも、見知らぬ男たちの性を処理して金を稼いでいたことも。何一つとしてこの身が少年の思い通りになったことなどないのだ。

「ごめ、ん……言え、ない……っ」

 喉に詰まった声は掠れ、消えきらない傷跡に落ちる。惨めだった。ぐしゃぐしゃの下半身よりも何よりも、己の存在が一番惨めったらしい。

 唇を噛み締める。涙は出ない。

 腹部に冷たい感触がする。濡れたタオルが柔らかく腹部を拭う。何かを飲み込む気配が、傍らからした。それが諦めなのか失望なのかは、分からない。

「……無理に聞きたい訳ではない。言えない理由があるのならば、構わない」

 柔らかな声音の奥にほんの少しの寂しさを、見出してしまうのは少年の心根の所為だろうか。ごめん、謝るのも違う気がして、少年は小さく首肯する。

 いつか言うから。小さく呟いた言葉は届いたかどうか分からない。

 言えるのかどうかも分からない。愛のない結婚だった。なまえが欲しいなどと、願えた立場ではないのだから。

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