5

 光の射し込む中庭で子供たちが駆け回っている。

 よたよたと芝生を頼りない足取りで歩んでいた幼子が、不意にバランスを崩す。転び掛けた所を、後ろから慌てた女の子が腰の辺りを抱き抱えた。幼子は何が楽しいのかけたけたと笑う。釣られて女の子も、きゃはきゃはと甲高い笑い声を上げる。その周りを何が楽しいのか、ぐるぐるぐるぐる、いつまでも子供たちが走り回っていた。

 長閑な光景を前に、少年は目を眇めた。余りにも眩しい。弾んだ子供たちの声に小さく嘆息する。それが耳に入ったか、隣に並んで庭を眺めていた院長が、申し訳なさそうに眉を下げた。

「ありがたいことですな、聖女様もお忙しいでしょうに。こうして、個人的に慰問に来て頂けるとは」

「……別に、偶々通りがかっただけだし」

 孤児院の院長は、ぶっきらぼうな少年の返答に、柔和に頬を緩ませた。王都の中心部に位置するこの孤児院は、これまでにも第二聖女と共に幾度か慰問で訪れたことがあった。

 ぶらぶらと市街地を歩く少年も、流石に一人で中心部から離れる愚行を犯しはしない。シルヴァリル王国の王都アルビアナは、中心部から外側へと広がっていった発展都市だ。王宮とそれに連なる神殿のある第一市街地を中心とし、人口の増加と共に内壁で区切られた地区が段々に連なっている。当然、王宮から離れれば離れる程、土地は安くなりその分治安は悪くなる。

 少年が過ごした孤児院は、王都の外れの貧民街と呼ばれる地域にあった。そこでの暮らしが少年には当然であったし、そこから抜け出す術も知らなかった。

 だが、王宮に程近いこの孤児院では、古いが立派な建物の中で、子供たちは笑顔で過ごしている。身嗜みは清潔で、膨らんだ頬は血色も良い。少年の隣に並んだ孤児院の院長は、いかにも子供好きそうな貌をした好々爺で、実際に子供たちに好かれている。

「院長せんせーい、一緒にあそぼー!」

「第三聖女様も! ね、いいでしょ第三聖女様、あそぼーよ!」

 眺めていた筈の子供たちはいつの間にか倒けつ転びつ、こちらへと近寄って来た。

 幼い男の子が、満面の笑みで少年の手を取る。労働を知らない、柔らかくなめらかな手だ。触れられた手のひらが余りに温かく、少年はたじろいだ。子供特有のぬくもりが心の内の何処か柔らかい部分に触れそうで、思わず振り払うように手を引く。

 細く骨ばった少年の手は、その柔らかさを持たない。

 少年の挙動に勘違いしたのか、困ったように眉を下げた院長が柔らかく取りなす。

「ほら皆、第三聖女様に無理を言ってはいけないよ。それにもう直ぐ、凱旋パレードの時間だろう? 見に行くならそろそろ準備をしなければね」

「そうだった!!」

 院長の言葉に、弾かれたように子供たちは一斉に駆け出す。

「……凱旋パレード?」

「ええ、北部の魔獣討伐部隊を率いておられたアンドリュー王太子殿下が凱旋されるそうですね。王宮でもパーティが行われるとか?」

「ああ、そういう式典は大司祭とか大司教が出るから。俺ら聖女は実務専門だから」

「実務、ですか」

「そ、実務」

 今正に実務たる朝の祈祷をサボっている所ではあるのだが。分かっているだろう院長は苦笑しながら、続ける。

「今回のパレードは新たな辺境泊のお披露目も兼ねているようですね」

「辺境伯?」

「ええ、極北のノルデュール領の領主が此度の魔獣討伐で逝去されたそうで……ご子息が伯爵位を継承するそうですよ」

「ほーん」

 全く興味のない少年は、適当な相槌を打つ。王太子の凱旋ともなれば相当な規模のパレードとパーティになるだろう。道理で朝から神官たちが煩かった訳だ。来賓もあるだろうし、はみ出し者の第三聖女とはいえ真面目に祈祷に参加して貰わなければ困るのだろう。少年の知ったことではないが。

 大聖女ともなれば王宮にも招かれるのだろうが、少年には関係ない。だから王太子だろうが辺境伯だろうが、興味はなかった。


 適当に話題を切り上げて孤児院を去ろうかと考えた時だった。

 孤児院の建物からパタパタと、若い女性が走って来た。孤児院の職員だろうか。息を切って院長の前に駆けて来た女性職員は、焦ったように言葉を紡ぐ。

「っ第三聖女様、御前失礼します! 院長、クライヴを見かけませんでしたか?」

「クライヴ? 皆と共にお出かけの準備をしていませんか?」

「それが、見当たらないんですよ……今、皆で探してるのですが、建物内にも庭にも、何処にも……」

「まさか、一人で外に……第三聖女様、申し訳ありません。私はここで失礼します」

「ああ……見つかると良いな」

 深く礼をした院長たちを見送り、少年も孤児院を後にする。

 見当たらなくなったクライヴという子供も、大方待ちきれなくて一人で外に出てしまったのだろう。後で大目玉を食らうだろうが、それで済むのだから御の字だ。

 泡を食って探し回る職員たちのありがたみを、幸福な子供たちはきっと知らないでいる。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 パレードは昼過ぎから行われるようだ。

 少年が孤児院で過ごしている間に街中は人でごった返していた。

 人混みが苦手な少年は辟易しながら人並みを縫って歩く。大通りは既に人で溢れていた。外郭から王宮まで繋がる大通りの左右、今か今かと待ち望んだ人垣が幾重にも並んでいる。急いた人が通りに溢れ出ないよう、そこかしこに衛兵が配置されていた。

 少年の顔を知っている者がいたら面倒臭い。王宮に帰るのを諦め、少年は道の端に目を走らせた。大通りに面した飲食店は、当然パレード待ちの人たちで二階席まで埋まっている。その内の一軒、店先に無造作に酒樽の並んだ酒場に少年は目を付けた。既に存分に酒が振る舞われているのか、二階席まで乱痴気騒ぎの客で溢れている。多少頭上で音がしたとしても、一切気にすることはないだろう。

 酒場の裏手に回った少年は、人目を避けて非常階段を上る。上った先、扉を開けば二階の店舗だが、無論中には入らない。階段の欄干に足を掛ける。よっ、と声を上げると、そのまま身軽に屋根の縁に手を掛け、飛び乗った。

 群衆は大通りを通る行進を待ち構えていて、こんな屋根の上など注視する者はないだろう。念の為姿勢を低く、少年は傾斜状の屋根に寝そべった。

 人々のざわめきが遠く小波のように耳を打つ。護衛兵のゴルドーは、今頃少年を探し回っているだろうか。それとも既に見つけて、また陰ながら見守っているのだろうか。

 神殿に戻ればまた大司祭に小言を言われ、神官たちから冷遇され陰口を叩かれることだろう。その煩わしさを思うと直ぐに戻る気には到底なれない。後の面倒は一端忘れ、少年は暫し、瞼を下ろした。

 

 わあと歓声が上がる。少年ははっと目を開けた。

 いつの間にか微睡んでいたらしい。半身を起こしながら少年は長い金髪を掻き上げた。じんわりと頭皮に汗を掻いている。気付けば陽は天頂まで昇り、燦々と少年に降り注いでいた。

 昼頃に王都の門をくぐった行進は、遂に王宮へ程近いこの大通りへと至ったようだ。眼下に長く伸びる行列を、少年は見るともなしに見ていた。どうせ行進が終わらない内は動けない。ならば精々、楽しんだ方が得と言うものだ。

 先頭を歩くのは白と真紅の騎士服を纏った歩兵だった。王国の騎士団、その中でも花形とされる第一騎士団だ。王族貴族の身辺警護を担う騎士団員は、当然のように高位の貴族の子息らで締められている。

 先頭の騎士は猛る獅子の印された旗を高々と掲げている。このシルヴァリル王国の国旗だ。真紅の美旗が通り過ぎる度に、人々は熱烈な歓声を上げる。そこから三列、見事に足を上げた行進を行う騎士の後ろ、白馬に乗った貴人の姿が見えると、群衆はいよいよ熱狂した。

「ほーん、あれが『王太子』様、ねぇ……」

 屋根の上からその優美な姿を見下ろし、少年は独り言つ。現女王たるエヴェリン女王陛下、その二人いる王子の内の、長子である。名は確かアンドリュー王太子殿下、と孤児院の院長は言っていたか。少年には興味も縁もない相手だ。

 白馬に騎乗した王太子が手を振ると、黄色い声が上がる。日頃王族など眺める機会のない庶民の女たちは、見目麗しい王子様に夢中だ。


 煌びやかに眼下に迫り来る隊列を眺め、少年は目を細めた。陽光に輝く赤銅の髪の下、紅蓮の瞳が衆目を集めている。一度微笑めば、沸き上がる嬌声は酷く姦しい。

――北部の魔獣討伐部隊を率いておられたアンドリュー王太子殿下が凱旋されるそうですね。

――ノルデュール領の領主が此度の魔獣討伐で逝去されたそうで……

 孤児院の院長の言葉を思い起こし、少年は薄く笑った。ノルデュール領は北の隣国との間に険しい山脈を臨んだ王国最北の地だ。山脈には魔獣が多く住んでいて、季節の変わり目になると人里へ下りて来ようとする。それを防いでいるのがノルデュール領主の治める最北のヴァルグリム砦だ。

 領主が亡くなりその息子が継いだ。そう院長は言っていたのではなかったか。それだけの激しい戦いになった筈なのに、眼下で爽やかに手を振る王太子は疲労も目立った外傷も見当たらない。

(士気を上げる為の『お飾り』って奴か)

 誰に聞き咎められるでもないだろうが、少年は心の内で呟く。流石に王族に対する不敬は叱責だけでは済まされない、そのくらいのことは分かっているので。

 王太子とそれを取り巻く第一騎士団だけの凱旋パレードならば、少年もそうは思わなかっただろう。しかし行軍の後ろ、異様な一団を目にしては、察せざるを得なかった。

 屋根から見下ろす少年には行進の全てが見える。しかし大通りの両脇に集った人垣からは、目の前を通る行進しか見えない。だから王太子の登場に沸き立った群衆は、その後ろから現れた不吉な一行に戸惑ったようにざわめきを溢れさせた。失速した昂揚を物ともせず、王太子の後ろを、黒い騎馬が堂々と歩いていた。


 その様は漆黒だった。

 黒い馬に跨がった者は、皆、煤黒い甲冑に身を包んでいた。そうした黒の騎兵が十に満たない程、王太子の後ろを一糸乱れずに追従している。

 戸惑いざわめく烏合の衆の上で、少年は眉を顰めた。

――弔いだ。

 胸に浮かぶ感慨は言い得て妙であろう。黒い甲冑は薄汚れ、繕いもしない風体はいっそこれから戦に向かうようでもある。

 腕を吊っている者、真新しく顔を十字に刻まれた者、連なる行進は祝賀とは程遠い。葬送だ。華やかな王太子の集団と、相反する辛気臭い行列に、歓喜の声を打ち消された民衆は困惑を隠し切れないでいるようだった。

 少年は葬列の先頭を眺めた。煤黒の甲冑の男は未だ年若い。兜を外した下には、濡れ羽色の髪とそれよりも深い漆黒の瞳。精悍な相貌は王太子にも引けを取らない程の美貌であるが、その眼光の鋭さと眉間に刻まれた皺が女たちの黄色い声援を寄せ付けない。

 あれが次期ノルデュール領主だろうか。思い少し身を乗り出したのがいけなかったか。馬上の甲冑の男が、不意にこちらへ目をやった。

 深淵がこちらを見据えていた。漆黒の眼光に貫かれ、少年は息を飲む。

(っ黒い……獣……)

 刺すような眼差しは、束の間少年を捉え、しかし直ぐに興味を失ったように反らされた。助かった。いつの間にか強張っていた肩を下ろし、少年は自身の抱いた感情に苦笑する。まるで魔獣に相対したかのような緊迫感に襲われていた。とてもではないが人に思う感慨ではない。

 屋根の上、冷や汗を掻く少年を余所に、パレードは進んで行く。その向かう先を眺める少年は、ふと、不自然に彷徨く人影に気付いた。

 少年のいる通りの対面、人集りの間をちょろちょろと動く小柄な姿があった。ぎゅうぎゅう詰めの人と人との隙間を器用にすり抜ける様は、一見するとスリのようにも見える。

だが遠目にもきらきらと好奇心に輝く瞳が、只その小さな姿の無邪気さを示していた。

(子供……か? そういえば、孤児院の子が見当たらないとか言ってたが……まさか、な)

 うろつく子供は何とかしてパレードを見ようとするも、最前列の人垣に阻まれ見られないでいるようだ。背伸びをしたりぴょんぴょんと飛び跳ねる内に、ふとその姿がよろめいた。

 後ろから押されたのか、偶々押された位置が人と人の間だったのか。止めようもなく、小柄な子供はするりと大通りへと転がり出た。

 危ない、と少年が叫ぶ間もなかった。子供が飛び出したのは、丁度王太子の騎馬が今正に通りかかる所だった。


 高らかに馬が嘶いた。

 喝采が悲鳴へと変わる。


 馬の前足が振り下ろされるのを、転がり倒れた子供が避けられる筈もなかった。

 鮮血が飛び散るのを視認するより早く、少年は力の限り叫んだ。

「――っっゴルドー!!」

 沸き上がる恐慌の合間、頭上から叫ぶ声は想像以上に響いた。何事かと仰ぐ人々を潜り抜け、こちらに走り来る大男の姿があった。

 すかさず少年は、臆することなく屋根の上から飛び降りる。地面に叩きつけられる瞬間、逞しい腕が少年の身を受け止めていた。

「っ探しましたよ、第三聖女様! こんな無謀な……っ御身に何かありましたら……っ」

「小言なら後で聞く!」

 焦りからかいつもより饒舌なゴルドーの腕から抜け出し、少年は一目散に大通りへと駆け出る。

 興奮した白馬は朱に染まった蹄鉄を踏みならし、焦った騎士団員が押さえにかかっているのが見える。その脇をすり抜け、少年は伏した子供に駆け寄った。

 びくり、びくり、小柄な身が痙攣している。踏み抜かれた胸部がへこみ、泡を吹いた口からごぼごぼと吐血している。

 一刻を争う重体なのは目に見えていた。考えるより前に、少年は子供の傍らに膝を突く。

「……大丈夫だからな」

 囁いたのは決して気休めではない。少年にはそれを為すだけの力がある。

 疎ましく思っていた筈のそれに、初めて感謝した。


 へこんだ子供の背中に口付ける。

 世界が金色に包まれた。

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