3

「……聖女様! 第三聖女様!! どちらにいらっしゃいますか?!」

「まもなく祈祷のお時間ですよ、第三聖女様!」

 口々に声を上げる神官たちが、第三聖女を探し右往左往している。自室へ繋がる渡り廊下を行き来する神官を眺めながら、少年――今や第三聖女と呼ばれるようになった少年は、茂みに身を潜めながらそっと様子を窺っていた。

「第三聖女様はまだ見つからないのか!!」

 苛立ったように声を荒げた男が、神殿から繋がる渡り廊下をずかずかと歩いて来る。縁に銀の刺繍が施されたローブの上からゆったりとした紫の外套を羽織り、高位の出で立ちながらもその動きは忙しない。第三聖女に直接仕えるヴァイマン大司祭だ。尤も仕えるとは名ばかりで、現実としては第三聖女の指導と監視を担っている。元は伯爵だったか侯爵だったか、それなりに名のある家の出自であるからか、神殿に仕える身でありながら貴族主義を隠そうともしない。

 それ故、平民上がりの第三聖女とは、頗る相性が悪かった。

「申し訳ございません、気付いた時にはお姿がなく……その、具合が悪いからと伏せっておられた筈なのですが、気付けば丸めた寝具が布団の下に……」

「何をしている、第三聖女様は奔放なお方だと知っているだろう! 目を離したら何をしでかすか分かったものではない!」

 大概が酷い言い分である。茂みの中で、少年は顔を顰めた。

 いきり立っていたヴァイマン大司祭は、不意に下卑た笑みを浮かべた。怒りを募らせる内に、平民出の聖女を貶めることに愉悦を見出したらしい。急に怒りを収めると、くつくつと喉を鳴らしながら焦る神官たちを見回した。

「全く、第三聖女様にも困ったものだ………また夜遊びの相手でも探しに出られたのだろう、なあ?」

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべ同意を求める大司祭に、聖女を探して慌てふためいていた神官たちは足を止め、追従して笑った。嫌な笑い方だった。

「聖女の勤めを何だと思っているのか」

「これだから、平民出の聖女は」

 楽しげに悪口を口ずさむ神官たちは、日頃少年の身の回りの世話をする者たちだ。好かれていないことは知っていたが、だからといって貶されて心地良い訳がない。

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる少年の耳に、まあまあと取りなす声が聞こえる。

「お前たち、不敬だぞ。……だが、気持ちは分からないでもない。直接仕える聖女が、これ程に奔放だとな」

 同情したような大司祭の声音は、神官たちを慰めるようで聖女を蔑むことに余念がない。

 蓄えた焦げ茶の顎髭を撫でつけながら、嫌らしく笑う大司祭を始めとして、末端の神官に至るまで神殿関係者全てに少年の出自は知れ渡っている。

 娼婦の子と呼ばれていたことも――少年が自分の身を使って、何をして来たのかも。

 誰にでも体を開く、夜毎男を漁る阿婆擦れだと。そう口さがなく噂されているのを知っている。そんなことに少年は一々傷ついてなどやらない。だが、不快に思わない筈もなかった。

 これまでして来たことを恥じてはいない。それでも、望んでそう在った訳ではないのだから。

「参りましたね、聖女の勤めを何だと心得るのか」

「王家に直訴した方がよろしいのでは?」

「幾ら癒しの力が稀少とはいえ、これ以上の特別待遇は……如何なものかと」

 日頃の鬱憤を晴らすかのように神官たちはここぞとばかりに大司祭に訴え出る。周りの同意に気を良くした大司祭は、鷹のような目を眇め、厳めしく頷いて見せた。

「流石に目に余るものがあるな。私の方から直訴しておこう。……平民上がりの者に聖女は荷が重かった、とな」

 嘲笑を携えながら、大司祭と神官たちは渡り廊下を引き返していく。少年に与えられた別館には立ち寄るつもりはないらしい。


「……全く、好き勝手言いやがって」

 大司祭一行がいなくなったのを見計らい、少年はがさがさと茂みから這い出た。立ち上がると簡素な貫頭衣についた葉っぱがはらはら落ちる。普段、聖女として少年に与えられているのは、大司祭らが纏っているような、金の刺繡がふんだんに散りばめられた華美なローブである。動き辛く権威を笠に着るだけのそれを、少年は好まない。

 聖女としての勤めがない時は――今日のようにサボろうとしている時分も含め、使用人が身に付けるような簡易な衣服を身に付けている。それが尚更周囲の人間の顰蹙を買うとは知っていたが、改めてなどやらない。見た目で他者を図る人間の底の浅さを、少年は知っている。

 麻の白い貫頭衣に心ばかりの装飾品である金細工のベルトをじゃらりと鳴らし、振り返った時だった。

「…………第三聖女様」

「っう、おぁ……?! ビビらせんなよ、ゴルドー!!」

 背後にいつの間にか立っていた大男が、のっそりと少年を見下ろしている。青を基調とした兵服に錆びた鎧を着込んでいる、第三聖女付きの護衛兵、ゴルドーだ。

 背丈は見上げる程に高く、南方出身特有の浅黒い肌にごつごつとした骨格、分厚い体躯は貴族出身者に占められた兵たちの中で随分と浮いている。表情の変化の乏しさやぶっきら棒な態度から、貴族や神殿の者たちからの覚えはめでたくない。しかしその実力は折り紙付きだ。先の国境付近の紛争では獅子奮迅の働きを見せ、戦線を押し上げるのに尽力したと言う。その功績と国への献身を認められ、一代限りの子爵籍を賜ったという実力者だ。

 しかし貴族社会での立ち居振る舞いには慣れておらず、妬まれ疎まれた結果、こうして外れ聖女のお守りを掴まされることになった訳だ。さしもの少年も、些か同情する。

「見てたんなら声かけろよ、って毎度言ってるけどな?」

「……第三聖女様をお守りするのが、自分の仕事ですので」

 部屋を抜け出し公務をサボる聖女を諫めなくて良いのか、と疑問に思わなくもないが、少年にとっては都合が良いと言える。愚直なまでに職務に忠実なゴルドーに、あっそ、と素気なく返事をし、少年は茂みの合間を縫い庭を進んだ。

 神殿の離れに与えられた少年の部屋から、繋がる庭はやたらと広い。おまけに本殿にある配置から枝の長さまで全てが整えられた庭とは違い、手入れはされているものの雑然と草木が生い茂っている。

 庭の奥の方には南国から取り寄せたという背の高い木々が並んでいる。その陰に隠れた少年は誰に見咎められることもなく、庭の隅、外壁との境へと到達した。

「い、っよっ……と、」

 かけ声と共に長い木の幹に足を掛ける。椰子状の幹は枝も葉も高い位置にしかないが、大した足掛かりも要せず少年はするすると器用に上った。

 ゴルドーの背よりも高い位置まで上ると、丁度外壁の縁が眼下に見える。小さく掛け声をかけ、白い縁に飛び乗った少年は、そのままの勢いで塀の外に飛び降りた。石畳に着地した足裏がじんじんと痛む。顔を顰めながら左右を伺うも、少年に気付いた衛兵はいないようだった。

 こんなにもあっさり脱出出来るということは、進入も容易ということに他ならない。離れとはいえ国の要である神殿、更には王宮に繋がる庭園である。その警備のザルさは如何がなものかと思うが、少年の知ったことではない。

 背後からひそりと追随するゴルドーの気配を感じつつ、自然を装って人垣の中へ身を投じる。

 ふと、振り返った先、白亜の宮殿は少年に何処までも白々しく、余所余所しい。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 〝選定の儀〟の後、招かれた神殿の奥には、一人の女が佇んでいた。

「あなたが三番目の子ね」

 ふわりと笑う女の髪は、黄金に輝いていた。

 少年よりも深い緑の瞳が柔らかく弧を描く。目尻に寄った皺が、彼女の過ごしてきた長い年月を示していた。確か御年五十を迎えると聞く。しかし少年の前に佇む彼女――大聖女は、まるで少女のように無垢な笑顔で、少年を迎えていた。

 まさに、〝聖女様〟だ。大聖女の問いかけに、少年は不遜にも鼻を鳴らして応じた。

 ぎょっとしたのは周りに控えていた神官たちで、直ぐ様少年に詰め寄ろうとするのを、大聖女が手を挙げ制する。実に鷹揚、聖女の器に相応しい。

 少年にはそれが酷く不快だった。その白いヴェールに包まれた穏やかな貌が歪むのを見たいとさえ思ってしまう。

「その三番目、ってのが良く分かんないんだけど。……そもそも、いきなり連れて来られて聖女だなんだって、訳分かんねぇし」

 乱暴な少年の口調に、再び周囲が色めき立った。何と不敬な、そうしたざわめきが聞こえて来る。神殿の者たちはどうやら、〝聖女〟というものに過分な期待を抱いているらしい。

 尊い者に対する礼など知りようもない。ぎこちない形ばかりの礼を取るよりも、少年は普段の態度で、大聖女に対面することを選んだ。

 まあ、と大聖女は深い緑を瞬かせる。ゆらめく深淵は海のようだ。神官たちを片手の動きだけで宥めながら、大聖女はそっと少年の顔を覗き込んだ。

「貴方、〝聖女〟というものをご存じかしら?」

「……名前だけは。何か、あれだろ。癒しの力を持ってるっていう……」

「そうね。それも力の一つ。貴方にも備わっているのよ」

「癒し、ねえ……」

 〝選定の儀〟において奇跡が起こったのだから、それは確定なのだろう。少年が聖女であると宝珠は示した。間違いも偽りも起こり得ない。だからといって少年に聖女としての自覚があるかと言えば、また別問題だった。

 儀式が終わった後、当然のように少年は孤児院へは戻らず、碌な説明もされないまま身支度を整えられ、そうして神殿の奥で、大聖女と対面している。不本意だ何だと異論を述べる間もなかった。だから、多少の無礼な態度も許されて然るべきだ。少なくとも少年は、そう思っている。

 神殿の奥の、小広い部屋だった。宝珠の示した奇跡によって少年はこの場にいる。祝福を表す黄金は、どうやら聖女の姿形にも現れるものらしい。首筋にかかる後れ毛を少年は軽く撫でた。この国で金髪は大して珍しいものではない。だがこの場に居合わせる聖女の髪は皆、祝福を示す黄金に彩られていた。

 中央に佇む大聖女は少年のよりも尚鮮やかな金色の髪、そしてもう一人、背後に控える神官たちの合間で、淡い金色の下でエメラルドの瞳が好奇心旺盛にこちらを伺っている。

「ねえ! 貴方が聖女なの? 本当に? 私、男の聖女って初めて!」

 きらきらと好奇心で目を輝かせた淡金の女は、大聖女の後ろからずいと身を乗り出して来た。少年よりは年がいっているが、大聖女よりは遙かにうら若い。

「あ、とごめんなさい、私はこの国の第二聖女をやらせて貰ってます」

 くりくりとしたエメラルドを瞬かせ、第二聖女と名乗った女性は、不器用ながらも愛嬌のあるカーテシーを披露した。

 後で聞き齧ったことによれば、止ん事無き侯爵家のお嬢様であった大聖女とは違い、第二聖女の生まれは貴族ではないらしい。王都の豪商の一人娘だった彼女は、外交官である王家の縁者の元に嫁ぎ、持ち前の好奇心で以て夫と共に国内外で聖女の力を振るっているとのことだ。

 振る舞いのぎこちなさを持ち前の明るさで補っているだろう第二聖女は、少年を見ながらこてりと首を傾げた。

「私も最初、癒しの力なんて言われても、どうすれば良いか分からなかったの。そんなもの、使ったことも使おうとしたこともないし。そもそも聖女なんて、急に言われてもピンと来ないものね」

「……あんたも、そうだったのか?」

「そうよ。〝選定の儀〟で聖女だって言われて、ここに連れて来られて、どうしたことかと思ったけど。姉様が癒しの力を教えてくださったから」

「姉様?」

 第二聖女は嬉しそうに後ろを仰いだ。穏やかに微笑む姉様と呼ばれた大聖女は、静かに首肯する。当然実の姉ということもないだろうが。聖女の作法は少年には分からない。

 伸ばされた大聖女の両の手のひらが、そっと少年の頬を包んだ。皺だらけの感触は馴染みがなくどうにも居心地が悪い。

 触れた手のひらが、仄かに熱くなる。顔の横で、祝福の黄金が、きらきら、きらきら、舞い始めたのに気付き、少年は瞠目した。

 狼狽える少年に、奇跡の持ち主は変わらず柔らかく笑んでいる。

「貴方の中に、魔力が巡っているのが分かりますか」

「わ、分かんねぇけど……」

「自分の中に在るその力を他者に与える、それが聖女の力です」

「っだから、分かんねぇって!!」

 戸惑いから怒鳴る少年に構わず、頬に触れた大聖女の手のひらが黄金の熱を帯びる。溢れ出た熱は頬から首筋へ、喉を伝って腹へ、胎の奥へ――

 その感覚を知っていた。昨日唐突に少年に訪れた体の昂揚、正にそれが聖女の力であると知らしめるかのように、黄金の奇跡が熱く身体を巡る。

「……っぅ、あ……っ」

「分かりましたか。これが、貴方の魔力です」

 激しい祝福が胎の内で弾ける寸前、ふっと大聖女の手が離れる。

 ずるずると、少年はその場に崩れ落ちた。それは確かに、昨日少年の身を駆け抜けた欲望と同じ容をしていた。

 少年は思い出す。昨日、孤児院の男に張られた頬が、いつの間にか痛みを失っていたことを。大聖女に触れられた頬は今や完全に治っている。

 これが、聖女の癒しなのか。こんな、不純で、不埒なものが。

 へたり込んで息を切らす少年に、驚いたように第二聖女が目を瞬かせる。

「何か、何で、そんなことになっちやってるの? 私の時は、ぽわー、って光って、あったかくなっただけだったけど」

「……んなこと、俺が聞きてぇよ」

 ぐってりと座り込んだ少年は、第二聖女の問い掛けに力なく答える。他者に、それも異性に、己の発情する様を見られたのだ。屈辱でしかない。

「どうやら貴方は、内に向かう力が強いようですね」

 少年の痴態に動揺することもなく、大聖女が穏やかに告げる。第二聖女は興味深そうに瞬いた。

「自分を癒す力が強い、ってこと?」

「ええ、風邪に患り難かったり、傷が治り易かったり。感じたことはありませんか?」

 正に遂先日、身を以て知ったばかりである。ふい、と目を反らす少年の頭に、温かな手が触れる。

「大丈夫、直ぐに慣れます。己の力を自覚すれば、それを他者に転換することも容易になるでしょう」

 別に、そんなことはしたくない。何が嬉しくて他人を癒したりなどしなければならないのか。――誰も少年の境遇を憐れんで、手を差し伸べてはくれたりなどしなかったというのに。

 それでも、もうどうしようもないことは分かっていた。既に少年の身は聖女として認知されてしまった。本来の少年の身分では会うことの敵わない大聖女と、こうして対面していることがそれを示している。

 後戻りは出来ない。それがどうしようもなく、癪だった。

「……慣れたくなんか……俺は、聖女になんて、なりたい訳じゃない」

 せめてもの抵抗とばかりに、少年は床に座り込んだままふいと大聖女にそっぽを向く。さしもの神官たちも黙っていられないのか、不遜だ不敬だと口々に罵りながら詰め寄って来る。

 この国において、女神の祝福を受けた聖女の存在は絶対だ。それを蔑ろにすることは、例え聖女自身と言えど、信仰に生きる神殿の者にとっては許し難いのだろう。

 周囲の剣呑な空気も物ともせず、大聖女はゆるりと笑んでいる。

「貴方に女神の祝福があらんことを」

 言祝ぎはまるで呪詛のように少年の耳に響いた。宿命を受け入れた聖女たちに見守られ、受容など出来ようもない少年は神官たちに引き立てられながら、只々俯くしかない。

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