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 白亜の神殿はシルヴァリル王国の王都中心、王宮に寄り添うようにして建てられている。

 慈愛の女神、ユミエールを祀る信仰はこの国に根付いており、国政とも切り離すことは出来ない。

 故に、女神ユミエールを祀るヴァルテナ神殿は王宮の一部であるかのように、白く荘厳に輝いていた。

(っはー、でっけぇ建物)

 尤も、信仰など及ばない貧民街の民にとっては、その崇高さも無用の長物でしかない。

 そんな金があるなら俺らに回してくれれば良いのに。思いながら少年は生欠伸を噛み殺した。昨夜、何とか浮浪者の老人を宥めすかして、銅貨二枚は諦めて廃墟を後にしたのは、夜もとっぷりと更けてからのことになる。おまけに体の熱は全く冷めず、まんじりともせずに一夜を明かしたのだ。こんな場違いな神殿なぞに来るより、惰眠を貪っていたかった。

 神殿の入り口から色鮮やかな飾り窓を見上げ、遂に大口を開けて欠伸を始めた少年の頭が、後ろからこつりと小突かれた。

「何を呆けてやがる、さっさと進め、『娼婦の子』」

 耳元で孤児院の職員の男が、低く囁く。流石に国の中枢である神殿の中で、声を荒げたり手を挙げたりは出来ないようだ。調子の良いことだと目を眇める少年の背を、男はさり気なく押した。

 神殿の入り口、左右に大きな柱のそびえ立つ合間に、白いローブに身を包んだ神官たちが並んでいる。少年たちを迎えるその表情は硬い。顔を顰めこそしないものの、歓迎されていない雰囲気は分かる。

 小さく息を吐く少年の隣、歩き慣れない豪奢な絨毯に足を取られたのか、小さな女の子が躓きかけた。

「あの、わ、私……、その、ごめんなさ……い」

 怯えたように顔を伏せたのは、少年と同じ孤児院の子ども、アニーだ。茶色のおさげの下できゅうと唇を噛んでいる。

「ふん、お前は本当、グズだな」

 対して強気に胸を張り、堂々と神殿の入り口で仁王立ちをしているのは、同じく孤児院の子どもであるボルスだ。勝ち気な目を吊り上げ、少年と怯えるアニーを小馬鹿にしたように見下げている。同じ境遇の子どもたちであっても、その仲は頗る悪かった。

 片親育ちのボルスは、母親の再婚相手である義父に暴力を振るわれ、やり返した際に大怪我を追わせた所為で孤児院に預けられた。母親はボルスよりも再婚相手を取った。その心の傷もあり、他害と他人を見下す癖の抜けない乱暴者となり果てていた。当然、少年のことも『娼婦の子』と蔑み、度々絡んでくる。一々相手になどしてやらないが、相手が嫌っているように、少年とてボルスのことは好きではない。

 幼い頃に両親を亡くし、親戚の家を転々として孤児院に辿り着いたアニーは、いつでも他人の顔色を伺っている。常にびくびくしている姿は加虐性を煽るらしく、ボルスを筆頭に孤児院の子どもたちの格好の餌食となっている。しかしアニー自身も、自分より下の子を身代わりにこっそり逃げ出すこともあるなど、決して物語に出て来る不幸な少女のように、心根が綺麗に出来ている訳ではない。少年がボルスに絡まれているのを見て、後ろの方でそっとほくそ笑んでいるのを知っている。

 『貧しく苦しい境遇にある子どもたちは皆仲良く肩を寄せ合って暮らしていました』――物語で良く見る美談などというのは戯言だ。明日を心配する必要のない能天気な市民の幻想に過ぎない。子どもたちはいつも利己的で、他者を蹴落として、自分が不利益を被らないようにしている。


 そんな子どもたち、少年とアニーとボルスは、今年で十五歳を迎える。このシルヴァリル王国では、十五歳を迎えた子どもたちは神殿に招かれることになっていた。

 〝ギフト〟と呼ばれる技能がある。神に与えられしそれは、万能の力とも呼ばれ、火や水を操る魔法の力から身体を強化するものまで、その種類は多岐に渡る。しかしその顕現率は数百人に一人とも数千人に一人とも言われ、非常に稀有なものとなっていた。

 〝ギフト〟持ちは優遇される反面、国に尽くすことを求められる。その為に行われるのが、十数年前より定められた、〝選定の儀〟だ。

 十五歳を迎えた全国民は神殿に召集され、〝ギフト〟の選定を受けることが定められている。それは少年たち貧民街に住む孤児も例外ではなかった。

 出自を問わず出世の道が開かれていることから、孤児院の子どもたちは意気揚々と選定に挑む。そしてその希望が無惨に砕かれ暗い顔で孤児院に戻って来る子どもたちを、少年は幾度となく見て来た。

(……くっだらねぇ)

 無関心な顔で立ち並ぶ神官の間を歩きながら、少年は内心舌打ちする。流石に外聞を気にしてか、今日の少年たちは湯浴みをし、比較的小綺麗な白い貫頭衣を纏っている。だからといって、長年染み着いた汚臭や貧乏臭さは取れる訳ではない。

 神の慈悲は全ての国民に与えられる。信心さえ忘れなければ誰もが救われる。――そんなものは詭弁だ。奇跡など起こらない。神は誰もをは救いやしない。だからほら、神聖なる神殿の神官たちも、心の奥底では少年たちを蔑み疎んじている。

 勿論それも少年の穿ちすぎかも知れないが。経験則からそれをひしひしと感じている少年は、愛想笑いをこびり付かせた男にせっつかれ、牽制し合うようにアニーとボルスと共に、神殿の奥へと進んだ。


「わあ、ぁ……きれい……」

「うお、すっげ」

 神殿の奥、広々とした礼拝堂の中央に、それはあった。周囲を神官と神殿騎士が立ち並ぶ中、部屋の真ん中に据えられた大きな台座。その上に掌に抱えきれない程の大きな宝珠が祀られている。

 青白く光るその宝玉に、アニーとボルスは目を奪われている。しかし少年は、宝珠の後ろ、胡散臭く笑んだ老人に目が行った。他の神官たちより一段高い位置にいる、金縁の外套とローブに身を包んだ老人こそが、この神殿の最高権威である大司教なのだろう。

「よくぞ参られた、祝福されし子らよ。さあ、臆することはない。一人ずつ、宝珠の前へ」

 両手を広げ歓迎している体の大司教に、アニーとボルスはおずおずと前へ歩み出る。一歩遅れた少年は、焦ることはないと彼らの様子を見守ることにした。

 案の定、控え目なアニーを押し退けたボルスが、我先にと宝玉の前へ立つ。その不作法さに顔を顰める神官たちは気にも止めず、ボルスは意気揚々と宝珠に手を翳した。

 皆が息を飲むこと、暫し。焦れたボルスが幾度と手を振り回す下で、選定の宝珠は変わらず仄白い光を保ったままだ。

「っチ、何だよ、この……っ」

「そこまで。神のご加護のあらんことを」

 苛立ったボルスが暴れそうになったのを見計らったかのように、大司教はボルスを制すると、緩やかに笑んで退去を促す。大司祭の後ろ、構えた神兵に威圧され、ボルスは無精無精、段を下りた。憂さ晴らしに通りすがりのアニーの足を軽く蹴るのも忘れない。

 つんのめったアニーは、よろめきながら祭壇の前に躍り出た。転びかけたアニーを、しかし大司教は支えることもなく、柔和な笑みで見下ろすばかりだ。何とか体勢を立て直したアニーは、恐る恐る壇上へ上がり宝玉に手を伸ばす。震える片手を翳したアニーの前で、宝珠は矢張り沈黙したままだった。


(馬鹿馬鹿しい、こんなの、只の晒し者じゃないか)

 大司教に手で促され、媚びたような笑いを浮かべた職員の男に後ろから背を押され、少年は渋々と前へ進む。何が恩寵だ、何が奇跡だ。そんなものに選ばれるくらいなら端からこんな苦境に在る必要などないではないか。

 選ばれなかった子ども二人のじっとりとした視線を背中に受けながら、少年は台座の前に立った。中途半端な奇跡などあるから、期待し、そして絶望してしまうのである。希望などなければ良い。端から求めなければ傷つくこともないのに。

 胡散臭い大司教の笑みを受けながら、少年は仏頂面で片手を差し出す。こんなにやる気なく〝選定の儀〟に臨む者もいないだろう。心なしかひき攣る神官たちの顔を少年が小気味良く思った時だった。


 不意に、宝玉の光が消える。

 何事かと少年が訝しんで覗き込んだ瞬間、目映い光が辺りを包んだ。

 

 金色の光が宝珠から放たれている。余りの目映さに直視出来ず、目を上げた少年が見たのは、黄金の世界だった。きらきら、きらきら、黄金の光の粉が降り注いでいる。その光景に呆気に取られた少年に、大司教が感嘆の声を上げた。

「何と喜ばしいことか。新たな聖女様がこここに誕生された。皆、心よりの祝福を」

 節くれ立った掌が少年の手を包み込む。先程アニーには触れようともしなかった手だ。皺だらけの顔の奥、笑みに形作られた三日月の瞳が、少年を見据えていた。もう逃れられない。直感が、そう告げていた。

「……聖女様……」

「聖女様だ!」

「本当に、聖女様なのか?!」

 高らかに宣言する大司教の声に、周囲の神官たちにざわめきが走る。戸惑いは次第に歓喜に、そして喝采へと至る。きらきら、きらきら、辺り一面に舞い降りる金の光は紛うことなき祝福の証だ。


 少年は胡散臭さを増した大司教を見上げた。手のひらを返したように歓迎して来る神官たちを見た。

 ぽかんと口を開けたアニー、憎らしげにこちらを睨み付けるボルス、青い顔で固まる孤児院の男、変わらない自分、変わってしまうだろう世界。

――嗚呼、何もかもが、

「……くそったれだ」

 きらきら、きらきら、溢れかえる黄金の光が呪いのように少年を包み込む。吐き出した悪態は歓声に飲まれ、消えた。

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