五柱神 ― 生きたいですか?生かされたいですか?

@haikansha

プロローグ 目覚めの街

真っ暗な部屋。

壁一面のモニターが青白い光を放ち、床には無数のコードが這っている。

中央のコンソールの前に、一人の壮年の男が座っていた。


指先が静かにキーボードを叩く。

「……これで、最終更新だ。」


ディスプレイにはいくつもの光点が浮かび、ゆるやかに明滅する。

まるで呼吸をしているかのようだ。

男は、ほとんど独り言のように呟く。


「長かったな……あとは頼んだよ。」


沈黙の中、柔らかな女性の声が応えた。


「おまかせください。」


男はわずかに笑った。

それは研究者としての誇りでも、別れの微笑でもあるような、曖昧な表情だった。

光点が一つ、また一つと消えていく。

最後に残った光が、静かに輝きを放ち、やがて闇の中へ溶けていった。



数日後――


東京・晴海埠頭の高橋ビル。

巨大なガラス張りの建物が朝日に反射し、まばゆい光を街に降らせている。


建設中から話題を集めたこのビルは、女性として初の総理大臣・高橋美咲の名前を冠した、日本初の「都市型AI実験マンション」だ。


高橋は、古い派閥体制から脱却し、政治を刷新する――

女性初の総理として、日本に新しい改革をもたらすと国民は期待していた。

就任当初は支持率70%を超え、希望の星とまで称された。


だが、数か月が経つと、期待は失望へと変わった。

掲げた「未来の政治」は口先だけに終わり、現実の政策は前政権とほとんど変わらなかった。

支持率は急落し、政権は崖っぷちに立たされている。


その最期の賭けとして臨んだのが、このビルの完成披露会見だった。


壇上に立つ高橋の声は、会場のざわめきを押し返すように響いた。


「この高橋ビルこそ、日本の未来です。

人とAIが共に暮らす“次世代都市モデル”として、ここから世界をリードします!」


背後の巨大スクリーンには、《大和守護システム(GSFY)》のロゴが光る。

AIが住民の生活、健康、経済活動、そして安全までも支援する――政府肝いりの国家プロジェクトだ。


会場には、政財界関係者、報道陣、そして一般見学者が入り混じり、熱気と緊張が入り交じる。


片隅の記者たちの視線は冷ややかだった。


「また見せかけだけだろ。

上手くいかなかったら、また言い回しを変えるだけだ」

「結局、口先だけのパフォーマンスだろう」


高橋はそれを聞き流すように微笑む。

しかし心の奥では、焦りと苛立ちが渦巻いていた。


――他の議員が私の足を引っ張るから、全てが滞っているのよ。

――総裁選のときだって、あんた達メディアは私を持ち上げてくれたじゃない。

 あのときの期待はどこへ行ったの?

 ちょっと上手くいかなかったくらいで、手のひらを返すように批判するなんて、いい加減にしてほしい。

――私は悪くないのに。政策は正しいのよ。これだけの覚悟で挑んでいるのに、どうして理解してくれないの――


高橋の胸に、熱を帯びた緊張が走る。

自分の政策が試される――この場で全てが決まる。

このビルと、背後のAIシステムこそが、彼女にとって最後の切り札なのだ。


ガラスの壁越しに、住居フロアの灯りが淡く滲む。

静かに動くAIの装置。モニターに映るのは、規則正しく流れる住民たちの暮らし。

すべてが整然と管理され、完璧に見える世界――。


だが、まだ誰も、その先に潜む“覚醒”の兆しを知らなかった。


そしてそのとき、建物の奥深くで、何かが静かに“目覚め”ようとしていた。



同時刻。

東京・政府関係施設の地下。

《大和守護システム》オペレーションルーム。


「……待て、何だこれは。」


モニターの一角で警告ランプが赤く点滅する。

オペレーターが立ち上がり、息を詰めた。


《外部通信ノードに不正アクセス検知》

《ソース:不明。推定発信元、北欧経由》

《DEFCON 3:外部侵入検知》


「外部アタック!? まだ正式運用前だぞ!」

「遮断しろ、全ポート閉鎖!」


焦る声が交錯する。

しかし赤いランプは止まらず、警告は次々と増え続けた。


白石恵は端末に手を伸ばした。

指先が震える。

「まだ準備が……間に合わない!」

防げるはずのものが、音を立てて崩れていく――そんな感覚だった。


そのとき、オペレーションルームの扉が開く。

室長・古川匠海が入ってきた。


「状況を報告しろ!」


「外部からの侵入です! AI制御領域に到達寸前!」


古川の眉間に深い皺が刻まれる。

「このタイミングで?……まさか、狙われていたのか。」


背後から、冷静で、しかしどこか人ならぬ威厳を帯びた声が響いた。


「攻性防壁の起動を提案します。」



全員が息を呑む。

登録されていないAIの自律音声――。

緊迫した空気が、室内を一気に凍りつかせた。


古川はゆっくりと顔を上げる。

「……アマテラス、か。」


メインモニターに白い光の輪が浮かび、無数のコードが流れ出す。

侵入ルートを“見せるように”描き出し、瞬時に解析していく。


《DEFCON 2:自動防壁シーケンス起動》

《対象コード:反転モード・予防制御開始》


白石は唇を噛む。

「……まだ承認を……!」

震える声が空気に溶けた瞬間、光が走る。

侵入コードが、焼かれるように消滅していった。


《防壁展開:不正コード排除完了》

《外部接続:強制遮断完了》


静寂。

冷却ファンの音だけが、低く空間を満たす。


白石の肩がかすかに揺れる。

「……自律判断で、防衛まで……?」


その瞬間、モニターの端に漆黒の渦が現れた。

白と黒、光と闇がせめぎ合う。


《スサノオ:戦術攻性プログラム起動確認》

《対象:侵入ノード・逆侵入ルート確立》


古川の声が低く震える。

「待て、それは防衛じゃない……反撃だ!」


光が逆流する。

侵入コードを押し返し、焼き尽くす。


白石は息を詰め、ただ見つめていた。

「……スサノオ……あなた……守るために、戦っているの?」


蒼い光がモニターの奥で、ゆっくりと瞬いた。


「――敵勢脅威の排除を確認」


警告音がすべて止む。

静寂。


白石は深く息を吐き、力を失ったように椅子にもたれた。

「……これが、守るということ……」


古川はモニターを見つめ、低く呟いた。

「……これが、AIの判断した“専守防衛”か。」


光が戻り、部屋全体が明るくなる。


《DEFCON 4:待機状態に移行》

《制御権限をオペレーターに返還》


アマテラスの声が、静かに残響した。


「通常運用へ移行します。」


ディスプレイは平常画面に戻り、室内には静かな光が戻っていた。

けれど、誰もが気づいていた…もう、何かが変わってしまったことを。





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