ヌタザル
武
ヌタザル
『ヌタザル』って知ってる?妖怪の名前らしいんだけどさ。
そうそう。猿を基にしてる系の妖怪。親戚に生物研究やってる人がいてさ、その人が持ってきた話なんだ。
怖い話無理なの?大丈夫、大丈夫。怖いとはまた違う感じっていうか、割とロマンを語るって感じのやつだからさ。
分かった、分かった。可能な限り怖くならないよう頑張るよ。
それじゃあ早速『ヌタザル』について話そうと思います!……って言いたいところなんだけど、その前に私たち『人間』についての認識を確かめておこうと思います。
生態系とか生物多様性とか考えるとそう簡単には言えないことだけどさ、正直人間って生物の頂点と言っても過言じゃないよね?頑張れば勝てない相手いないじゃんね?
……何か異論がありそうな顔だけど、このまま進めるよ。それで、そんな生物の頂点に君臨する人間さんですが、果たして人間さんは生物として完璧なのでしょうか。
そう。決して完璧ではないんです。食道と気道が合流するとかいう命に関わる個性を持ってるし、視覚情報に頼る割に盲点とかいう死角が存在するし、他にもなんか色々もっと上手くできなかったんですか?ってなる要素はたくさんあるじゃない?
そうそう、感情系統とかにもバグっぽいものある感じするよね。さて、場が温まってきたところでお待ちかねの本題です。あなたはさ、もし仮に人間の長所はそのままに弱点を克服したような生き物がいたらどう思う?そいつが最強ってことで異論なくない?
でしょう?そんなパーフェクトアニマルがこの『ヌタザル』なんです。
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『ヌタザル』……。それは僕が考えた最強にして最恐の生き物。彼らは、『ヌタ』と呼ばれる場所に生息している。『ヌタ』というと、猪や鹿が泥浴びをする
え?『ヌタ』が実際に存在するかって?はっはっはっ!!実在したら僕は嬉しいよ!だって、『ヌタ』があるということは、『ヌタザル』がいるということになるからね。
さて、話を戻そうか。この『ヌタザル』という生き物は、幼体を水中で過ごし、成体になると樹上で生活するようになる。ヤゴがトンボになるような形だね。この形をとることで、幼体の巨大な体を浮力に支えてもらえるようになり、成体になった際の身体機能の豊かさにつなげられるというわけだ。
幼体がどれぐらい大きいかって?ざっくり2mとかじゃないかな。幼体から脱皮して成体に至るからね。ほぼ成体と同じぐらいまで大きくなると思うよ。主な餌は、『ヌタ』にやってくる鳥や猪。小さいうちは、その異様に長い腕を止まり木に擬態させて『ヌタ』にやってくる小さな鳥を捕まえるんだ。大きくなって力が増してくると、鳥よりも動きの鈍い猪みたいな獣を力任せに『ヌタ』へ引きずり込んで捕食する。
そんな都合良くいくのかって?なんとこれが都合良くいくんですよ。『ヌタ』は沼地のような特性を持っていてね、非常に生態系的に豊かな場所でもあるんだよ。その粘り気が災いして魚とかは生息していないけれど、微生物や植物たちにとって栄養豊富な素晴らしい場所でね。背の高い植物が生い茂っていることもあって、虫や獣も群がりやすい環境なんだよ。そして、群がってきた生き物を『ヌタザル』が『ヌタ』に引き込むことで栄養が循環するという完璧な循環が成り立っている。ロマンだよね~。
さて、次は成体の話だ。ある程度成長した幼体は、脱皮の為に『ヌタ』から這い出て近場の木へ向かう。膝ぐらいまである長い腕を必死に動かしながら重たい身体を引きずっていくんだ。その様からは、猿のようなものが生まれてくるだなんて想像もつかないだろうね。聴覚以外の感覚器官を幼体は持っていないし、体毛も無い。のっぺらぼうが地を這ってると表現するほうが正確だろうね。
それでね、その巨体で樹皮を抉るようにしがみついた後、何段階かの脱皮を経て『ヌタザル』と称される成体になるわけなんだけど、こいつはシンプルに人間の上位互換です。生命維持に関する器官の構造が最適化されているのはもちろん、各感覚器官から得られた情報を高度に処理するために発達した巨大な脳、それを支えるために発達した強靭な肉体、そしてその質量をもってして樹上生活を可能にするだけの人智を超えた握力。かつて人類が投擲によって狩りを行っていたように、高所から一方的に攻撃する行為のなんと強いことか。常日頃から野生動物は肉弾戦に頼り過ぎだと思っていたんだが、彼ならそんな僕の傲慢な憐みを解決してくれる!
おっと、少し熱が入り過ぎてしまったね。え?強すぎて現実味がない?う~む、そう言われるとあまりに困ってしまうのだけれど……。じゃあ、弱みっぽいものを付け加えておこうか。僕たち人間は共感という能力を持っている。だから、人間はもちろん、それ以外の動物にも感情移入してしまう。何かしらの動物を自分の手で殺める瞬間を想像すると、顔が引きつる感じがするだろう?共感性は社会性を基に集団を形成するのであれば欠かせないものだと僕は考えるのだけど、『ヌタザル』はこれを持たない。
なぜか?彼らほどに発達した脳でこの能力を持ってしまうと狩りや採集ができなくなってしまう。人間にもいるだろう?可哀そうだから肉食はしないって人たちが。あれが野生において発揮されてしまったら大変なことだ。『ヌタザル』なら、僕たちが感知することのできない植物の声すら聞こえてしまうかもしれない。だから、彼らには共感という能力が欠如している。それによって『ヌタザル』の集団にどんな副作用が生じるか……。何はともあれ、出会いたいとは思わないな。狩猟対象に同情なんてするわけないだろうからね。
・ ・ ・ ・ ・
俺は、おそらく『ヌタザル』を見たことがある。成体ではなく、幼体だが。1年前に文化財の墓所で変死体として見つかった変人の幼馴染が、それらしきものを持っていた。
俺の幼馴染は、オカルト好きを拗らせてしまった結果、大衆受けしたオカルトのアンチになってしまった変人だ。最後に聞いたのは、もっと本気でひとりかくれんぼをやりたいという話だった。確か、内臓や血管を象徴するだなんて回りくどいことをせずに、本物でやればいいじゃないかとか言ってた。
いよいよ犯罪に手を染めてしまうと思い、親族縁者に相談でもしようとしたが、それで自分が恨まれでもしたらたまったものではないとやめた。せめて野生動物とかで満足してくれないかとそこはかとなく話にのりながら軌道修正をしていたら、ある日興奮した様子で俺を秘密基地に招待してくれた。
そこにいたのは、土にまみれたカエルのような質感の巨大な何か。手押し車に雑に乗せられたそれを台の上に乗せるから手伝って欲しいと言われ、最初は何も言わず嫌な顔をしたまま棒立ちしていた。だが、今日のそいつは妙に察しが良く、「嫌なお願いをしてるのは重々承知なんだ」「君しか頼る人がいないんだ」「これさえできれば後は僕と関わらなくても良い」と懇願するように言ってきた。我ながらお人好しだなと思いながら、そのぬめっとしているが妙に硬さのある重い物体を台に乗せた。
台に乗せると、酷く欠損したそれが歪ではあるが人に似た形をしたものであることが分かった。人に似ていると感じはしたが、下半身に当たる部位は矮小で、特徴と言えそうなものは口と腕ぐらいしか無さそうなほどにのっぺりとしているそれを、なぜ自分がそう感じたのかは謎だった。謎だったが、明らかに世界の理から外れているそれの全容を見た瞬間から、今すぐここから離れなければいけないと全身が叫ぶせいでそのことを深く考えることなんでできなかった。これ以上これに関わってはいけないと、眠っていた野生の勘が全身全霊で叫んでいた。
気づけば俺は、自宅の内壁に囲まれた狭い物置に身を潜めていた。外壁では物足りない、内壁じゃないと安心できなかった。しまわれていた家族の私物をかきだして、防空壕にでもこもるかのように縮こまってガタガタと震えていた。
その後、幼馴染についていろいろ事情聴衆されたりしたが、正直何も覚えていない。あいつがどんな風に死んだかなんて絶対聞いていない。
あれ以来、俺は怖い話が苦手なんだ。フィクションだと思えないから。
・ ・ ・ ・ ・
妙にぬかるんだ場所だ。手押し車が押しづらくてイライラする。幼馴染の提案に納得して人里離れた森に足を踏み入れてみたが、思ってたような場所ではないな。台座だけ残った空の神社のお膝元となれば、降りる先を見失った神格が怪現象を起こしているかもしれないと思ったのだが、ただただぬかるんだ雑木林が広がっているというだけだ。わざわざ早起きして車を借りて遠出したというのに、生きた動物すら見当たらない。くそ、こうなったら意地だ。意地でも儀式の生贄を持ち帰ってやる。
そんな覚悟をしたものの、心意気だけで自然界が何かをもたらしてくれるわけが無く、何の収穫もないまま日が暮れる。さすがに人間が活動できる明るさではなくなったため、前方5度ほどを貫くように照らすヘッドライトの不自由な明りを頼りに帰路につこうとしたところ、追い打ちをかけるように雨まで降ってきた。
ぶつぶつと悪態をつきながら、足元を点でしか照らせない不器用な明かりで滲んだ足跡を辿る。顔を上げて前方を確認することなどせず、家に帰った後に待っている針の筵に囲まれたような視線のことばかり気にしていた。だからだろう、辿っている足跡の輪郭が明らかに歪な形をしていても、泥道だからこうもなるだろうと何食わぬ顔で歩みを進めてしまった。
異変に気付いたのは、手押し車が前に押し出せないほどの溝に突っかかってからだった。雨で地形が大きく抉れでもしたのかと思い様子を見ると、手押し車が突っかかっているのがこれまで辿ってきた足跡であることが分かった。自分の足の数倍ある、指の間隔が大きく開いた足跡。素足……というより、素手といったほうがまだ納得がいくその痕跡は、まばらに自分の周りを取り囲んでいた。自分の来た道を振り返ると、雨によって消えかかっている自分の足跡に沿うように、くっきりとした跡が複数確認できた。
何かは分からないが、複数の巨大な生物がここにいた。そして、この痕跡は少なくとも熊のものではない。加えて、熊以上に大きくて、手指の見分けがつくほどの身体的特徴を持っている生き物は日本の山には存在しないはずだ。強いて言うなら人間か?仮にそうだったとして、それはもはや人間と呼べるものではなさそうだが。
帰路が無くなることなど考えずに観察を続けていると、次第に心が高ぶっていった。これはUMAだ!正真正銘の未確認生物!仮にこれが人間の所業だったとしても、気が狂ったなんて規模のものではない。おそらく手だと思われる器官のみでうつ伏せのまま巨大な体を引きずっている。痕跡と痕跡の狭間にある巨大な溝は胴体部分にあたるに違いない。仮にこれが何かしらの宗教だったとして、こんな所作を伴うものはどこにも記録されていない。どう転んだとしても、オカルト的な大発見になり得る。
もしこれを世間に知らしめることができたら、そうしたら、周りの人間も……。自分が特別な存在になれると確信したその瞬間、向かう先が決まった。
ヘッドライトが提供する針の穴のように前方に広がる光は、未知を捉えきるには心許なかった。かなり歩いた気がするが、同じように痕跡が続くばかりで大きな変化は見られない。そのせいで、先ほどまであった高揚感が収まってしまい、現実的な恐怖が身体を蝕み始めた。
仮に、このUMAに遭遇したとしてどうする?スマホは雨で使えないし、死体が転がっていたとして持ち帰れるのか?引き返そうかとも思ったが、今照らされていない暗闇を照らすことに怖気づいてしまった。この光は、現状何一つとして安心を提供してくれていない。むしろ、『それ』を認識してしまうことによる、自らが捕食される過程を想像する余白を提供しているといえる。その肢体を、顎をありありと視認できてしまう恐怖を提供しているといえる。
そんな恐怖心を察したかのように、雨が止み、満月が顔を見せた。人工的な光の無い世界で、満月の光は一切の暗闇をかき消した。透明な光で満たされた雑木林にいたのは、樹木にしがみつきながらその光を青白く反射する、エイリアンのような怪物だった。
他にもあった痕跡の向かった先を見ると、そこにも同じように怪物がいた。雨音でかき消されていた荒々しい吐息が周囲に立ちこめる。
思考が止まったまま立ちすくんでいると……
ゴジュッ
という、生物を押しつぶしたような音が聞こえた。その音のすぐ後に、後方でまるでプールにでも飛び込んだかのような豪快な落下音が鳴り響いた。
後方で何が起こっているかを知ってしまうことへの恐怖はあった。けれど、それを上回るほどの知らない状態への恐怖が、瞳孔の開いた目を動かした。
後方では、怪物が頭部らしき部分から出血した状態でもがいていた。近くには、負傷の原因であろう人間の頭ほどの岩が転がっていた。それがいったいどこからどうやって怪物を襲ったのかを知るのに時間はかからなかった。
まだ息のある怪物をいたぶるかのように、樹上から岩が投げ込まれた。4個、5個と投げつけられ、次第に動かなくなっていく怪物を凝視することしかできなかった。明らかな悪意、そこから感じる知性と行われる所業の暴力性。知ることへの恐怖が、知らない状態に対する恐怖を上回った。
怪物がピクリとも動かなくなった。自分もまた、何もすることができずにいた。すると、自分の足元に先ほどの岩が投げ込まれた。驚いて尻もちをついた瞬間、見えてしまった。樹木に添えられた腕は白銀の体毛に包まれ、複眼状の眼は無機質に生物を捉え、大顎状の口は半端に開かれている。顔だけ虫の形をした大猿。それは、こちらが自身を視認したことを確認すると、虫がしないような形にその顎を歪ませた。まるで笑っているかのように。
突如こちらに背を向けた大猿は、陶器の皿と皿をこすり合わせたような不快な鳴き声をあげ、森の奥へと消えていった。周囲からも複数樹木が軋む音が聞こえた。しかし、自分の息の根が止まることはなかった。
樹木にしがみつく怪物の群れの中、地べたを這っていたのは自分と息絶えた怪物だけだった。
・ ・ ・ ・ ・
『未解決事件まとめサイト』
20●●年10月31日
山形県●●市●●寺で同県在住のA氏が死体として発見された。
A氏の死体は胴体と頭部が切断されており、胴体は境内にある池の脇に、頭部は万年堂形式の墓石内に置かれていた。また、胴体部には人間のものではない臓物が詰められており、加害者が何かしらの作為を持って殺人行為に及んだことが伺える。
考察として、これが「ひとりかくれんぼ」を模した殺人ではないかと考える。
A氏は近所でも有名なオカルト狂いであり、調査の結果A氏が自身の作業場で謎の生命体を依り代にした「ひとりかくれんぼ」を行おうとしていたことが分かっている。
なお、加害者は特定できていない。唯一の証拠として残っているのが、同一の加害者と思われる人物によってA氏の自宅にいた親族が殺害された際に残された巨大な壁の破壊痕である。その破壊痕から想定される加害者像はとうてい人間と思える形をしておらず、何かしらの工作をした跡も無いため未解決事件として扱われることとなった。
ヌタザル 武 @idakisime
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