第三章 静寂のリンク

※視点:桐谷 朱音(フィギュアスケート)


 氷の上にいるときだけ、世界が自分のものになる。

 リンクの中央で、朱音は呼吸を整えた。

 「トリプルルッツ……決める」


 心の中で唱え、助走に入る。タイミングを測り、ジャンプ。


 ──が、回転が足りず、着氷と同時にバランスを崩した。


 「っ……!」


 氷の上に膝をつく。リンクが冷たくて、悔しくて、すぐに立ち上がった。

 コーチが無言でメモを取る。厳しい。でも、甘やかされていたらここまで来られなかった。


 練習後、更衣室の隅でスマホを取り出す。

 通知が一件。開くと、懐かしい名前が画面に浮かんだ。


「次の県大会、出ることになった。あと0.04秒で全国。……お前ら、今、どこまで行ってる?」


 ──天野 光輝。


 思わず指が止まった。

 グループチャットの画面。3ヶ月ぶりの新着メッセージ。


 誰も何も返していない。けれど、既読が一つずつ増えているのがわかる。


 (……みんな、見てるんだ)


 朱音は、スケートの帰りによく寄るカフェに足を運んだ。温かいミルクティーを片手に、画面をじっと見つめる。


 少し前までは、こういう連絡が来ても、何も感じなかった。

 でも今は、なぜか胸の奥がざわついていた。


 ──あの約束。

 ふざけてたわけじゃないけど、本気とも言い切れなかった。


 だけど、光輝は、今でもあれを“約束”として生きている。

 それが、少しだけ羨ましいと思った。


 スマホを握りしめ、文字を打ち始める。最初の一言が、やけに難しい。


「全日本ジュニア落ちた。今は次の地方大会に向けて調整中。……あんた、ちゃんと全国行きなさいよ。抜かされたくないから」


 少しだけ、口元が緩んだ。

 画面の向こうにいる光輝に、それが伝わるわけじゃない。

 でも、それでいいと思った。




 帰り道、夜空を見上げると、かすかに星が滲んでいた。

 子どもの頃、あんなに大きく見えた星が、今日はなんだか遠い。


 (あの時は、信じてたんだよね。5人で、いつか一番になるって)


 その“いつか”は、今なのかもしれない。

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