第5話 バチボコ
莉兎が荷物を持ってくれて家へ入る。
それは無理矢理全部持とうとしたあたしのせい。
「力ないくせに」
言い放たれて持ってくれる所に申し訳なさよりもあたし的にはチビのくせにと思う。
一人で頑張るなとか彼氏っぽさを無理に果たそうとするな、とか色々思いながらも彼女扱いされて嬉しいのは本音。
「ただいま」
先に家へ入ったあたしの後ろから声が聞こえる。
莉兎は「ただいま」をちゃんと言う。
それもいつだって嬉しそうに言うから
「おかえり」
あたしは振り返って返す。
一人暮らしじゃ言わない言葉。
おかえり。
そして行ってらっしゃいも。
言える事が単純に嬉しい。
莉兎も「ただいま」に「おかえり」が返ってくる事が嬉しいのかもしれない。
ピアスを外して部屋着に着替えたり。
新しいお茶碗とお箸を早速洗っていつでも使えるようにしたり。
買った服を出してハンガーにかけたり。
無意味にサングラスを二人でかけて写真を撮ってバカみたいに笑ったり。
「何してるんやろ」
「アホな時間よな」
まさにその通りだけど楽しいから何でもいっか。
あたしのスマートフォンで撮影、写真を見返す為にアルバムを開けばハッと気付いてホーム画面に戻った。
同じようにスマートフォンを覗き込んでいた莉兎は
「…なぁ、いま」
「何もない」
言いかけた言葉をかき消すように少し大きな声で放ったけどパッと奪われてしまった。
「返せ」
「莉兎が寝てる時に何しとん」
「うるさ、あーうるさ」
「何やねんこれ」
「もうええって」
莉兎はさくさくと操作してアルバムから何枚もの写真を見ながらニヤニヤしている。
忘れてた、眠れない真夜中で莉兎の寝顔ばかり撮ってた事。
どうしてこういう事をすっかり忘れてバカ騒ぎしていたんだろう。
溜め息を吐くあたしに対して莉兎はニヤニヤから嬉しそうに微笑んで
「やる事全部可愛すぎか」
わしゃわしゃと髪を撫で回す。
「全然可愛くない」
「そう思うてるのはひよだけ」
真夜中、二人きり。
暗い部屋で音もなくスマートフォンだけの光。
莉兎の腕の中でもそもそと動きながら写真を撮った事。
こっちこそ可愛いな、やのに。
莉兎の寝顔は本当に幼い子供みたい。
愛しさで撮影した数枚。
暗すぎてあまりちゃんと撮れなかったけれど。
「でも…これってずるいよな」
「なにが?」
自分の寝顔写真を見ながら莉兎はポツリと呟く。
意味不明だと思いつつ乱れた髪を整えながら聞けば
「ひよだけ莉兎の写真持ってるやん。撮らせろ」
そんな言葉が返ってきて嫌な展開。
あたしにスマートフォンを返して自分のスマートフォンを手に取る莉兎。
「マジ無理」
「ほんなら一緒に撮ろ?」
「さっき撮ったやん。データ送るから」
「え、あのつよつよサングラスのバチボコカップルの写真やろ?」
「何やねん、バチボコカップルて。そのネーミング本気で嫌なんやけど」
バチボコカップル。
めっちゃ怖いやん。
真面目に働いてます、二人共。
真面目にお日様の下を歩けます、二人共。
真面目に愛し合ってるだけです、二人共。
まぁでもそう表現したいのは分かる、サングラスのあたしと莉兎。
でもでも自分では「バチボコカップルやねん」とか言いたくない、絶対。
とりあえずデータを送っている間、莉兎は爆笑している。
「おもろ」
「もうこれでええやん」
「可愛いひよと撮りたい」
首を傾げてお願いする莉兎、何なんそのちょっと可愛さを見せてくる感じ。
そう思いながらも結局二人で撮った、何枚も。
とりあえず気にするのはビジュ。
それから背景。
その後どのアプリを使うか。
熱心に二人で模索しながら撮影した数枚を見た時
「かわよ…」
「可愛いな…」
お互いに呟いたけど、絶対お互いに対して言った言葉だと思う。
莉兎の顔可愛い。
無邪気に笑ってる顔とか最高に可愛い。
ドヤ顔でさえ可愛い。
ついでにあたしを見る横顔の瞳の穏やかさが一番胸に響く。
対してあたしは。
客観視すれば莉兎が隣にいるだけでこんな風に柔らかいんだと気付く。
莉兎を見る横顔の瞳は自分で分かる。
まるで好き!って光線が出てるみたい。
ちょっと…いや、かなり恥ずかしい。
莉兎は可愛いけど、これでお口も可愛く大人しかったら完璧?
それは違う。
やっぱりライオン級の態度の大きさとライオン級に勢い良く吠える莉兎がいい。
二人でニヤニヤしながら保存をして
「めっちゃ満足した」
莉兎はご機嫌で煙草を吸い始めていた。
その後、お互い無言でスマートフォンを見る。
一緒にいてあたし達の間に何度も流れる無言。
苦痛じゃないけど、必ずどこかが触れている。
主にあたしが莉兎に寄りかかっていたり。
反対に莉兎がべたっとくっついてきたり。
触れていないとどこかが痛いわけでも苦しいわけじゃないのに。
夏本番がやってきたらどうなるだろう。
多分暑い暑いと言いながらもくっついてるのかも。
莉兎に寄りかかりながらニュースをスクロール。
「この女優さん結婚したんやって」
「相手だれ?」
「映画監督らしいで」
「年上?」
「うん」
「羨ましいな」
「こういう子がタイプなん?」
へー、そうなんや。
確か最初出てきた時は清純派とか透明感とか表現されてた女優。
色白で黒髪でメイクもナチュラルで可愛らしい女優。
頷いてたら「違う!」と横で否定する莉兎に笑う。
「全然タイプちゃうし」
「羨ましい言うたやん」
聞いたぞ、この耳で。
笑いながら別のニュース記事をスクロールしていると
「結婚が羨ましいって事やし」
不貞腐れたようにぼやいている。
「まぁ、せやな」
莉兎の言う通り、結婚って羨ましい。
あたしと莉兎の間では訪れない事。
でもそこまで気にも留めていない、今の所は。
「その女は嫌」
「なんで?めっちゃ可愛いやん」
「ひよがいい」
「普通に言うよな、そういう事」
少し離れて見つめれば
「当たり前やん」
莉兎はドヤってきたけど呆れる。
この世界とか宇宙とか分からんけど、全空間の中でドヤってあたしを選ぶのは莉兎だけやと思う。
希少な存在すぎて呆れた表情を崩して莉兎の髪をわっしゃわしゃに撫で回した。
女の扱いが上手すぎて心配になる。
莉兎は無意識だけど、きっとこの先嫉妬する場面もあるんだろう。
その時あたしはどんな言動や行動をするんだろう。
若い頃、嫉妬した時は今の言葉で言うメンヘラが発動していた。
あたしよりその子がいいんやろ?とか。
どうせ可愛くないもんとか。
別れたいんやったら言うてとか。
逆にストレートに「別れたい」と言われたら泣いて縋ってた、本当にめんどくさい。
でも今思い返して感じる。
莉兎にも同じ事をするだろうと。
一度や二度は莉兎も宥めてくれそうだけど、回数が重なれば匙を投げられそう。
「もうええわ!」
多分、一番聞きたくない言葉。
もうええわ。
全てを放棄したそのフレーズは本当に怖い。
「…よ。ひよ?聞いてんの?」
莉兎の言葉でハッと我に返って見つめれば、あたしがわっしゃわしゃにしたはずの髪が戻っている。
乱れた髪を整えている間話しかけていたのかもしれないけれど、全然気付かなかった。
「どしたん?」
「こっちがどしたん?やねんけど。めっちゃ顔が曇り空やったで」
「嫉妬したらどうなるかなーと思って」
「え、嫉妬したん?」
莉兎は問いかけながらパッと顔が明るくなっている。
あたしの顔が曇り空と例えるなら莉兎の今の顔は快晴。
どうしてそんなに嬉しそうなんだか。
「いや、今はしてないけど今後どうかなって」
「やめろや、そんな可愛い事」
「余裕ぶって言えるん今だけやで」
だってあたしはめんどくさいもん。
自分に自信がないという所でもうめんどくさいかも。
だからメイクや服や身につけるもの達、つまりは見た目で武装する。
「つよつよ」と莉兎は表現するけど自分の自信のなさを悟られたくない。
気にしてないし、自分は自分やし。
そんなスタイルで生きてる女になりたい。
でも本当は全然違うけど。
そして更には見た目のイメージが先行して「一人で大丈夫そう」と言われる。
前に会社で男性社員と話してた時、言われた事があった。
それまでも言われてきた言葉だし自分自身のせいだけど、やっぱり少し胸が痛かった事を思い出す。
「そう?何回あっても全力で必死に甘やかすけどな」
ぽーんっと簡単に莉兎は言いながらスマートフォンをテーブルに置いて抱きしめる。
まるで「ひよがいちばん」と宥めるように。
いや、今嫉妬してたわけじゃないけど。
でも…悪くない、寧ろ嬉しい。
あたしもスマートフォンをソファに落として莉兎の背中に手を回す。
ぎゅうっとしながら
「こうやって甘やかしてくれるん?」
すっかり甘えモードに入ってしまったあたしはべったりくっつく。
まるで甘えた猫が喉を鳴らしているような状態。
「そうやけど…まず何回も嫉妬させるような事せん」
「ほんま?」
「逆に莉兎の機嫌取り考えときや」
「莉兎って嫉妬する?」
「昔は全然やったけど、今はバチバチに嫉妬すると思う」
莉兎の顔が雷空になる時、それは何となく想像できる。
明らかに不機嫌!を全面に出してる時を仕事上でも見た事があるから。
顔に出やすいタイプ。
きっと正直なんだと思う。
でもそれを営業先では出せないから必死で隠して会社に帰ってきた後、気が緩んで出てしまうのかも。
不機嫌な時の莉兎は言葉も態度も荒い。
もしもあたしが嫉妬させてしまった場合は
「莉兎のご機嫌取りなぁ…とりあえずあたしのご飯食べさせてみる」
考えた答えがそれ。
子供の機嫌をコントロールするみたいなもので怒るかな?と思ったけど
「唐揚げだったら許す」
莉兎はボソッと呟くから笑えてしまった。
「唐揚げでチャラかよ」
「ちょっと、ちょっとだけ許す」
「唐揚げとじゃがいもも揚げて…たまご焼き作っておまけに鮭おにぎり作ったらどう?」
「……結構許す」
「チョロすぎやろ」
二人で笑う、ぎゅうっとしたままで。
そして少し離れて繰り返すキス。
多分莉兎が本当に嫉妬したらご飯だけじゃ許さないと思うけど、ほんの少しでもあたしのご飯がご機嫌取りに効果がある事は嬉しい。
触れる唇。
リップがとれていく。
頭では分かってるのにやめれるわけがないキス。
目を瞑って莉兎の唇の感触に酔いしれて。
再び目を開ければ当然一番近くに莉兎がいる世界。
「なぁ、」
「なに?」
話す都度、唇が触れるくらい近く。
吐息が顔を掠めてそれさえも愛おしい。
煙草味の苦いキス、もう一回。
ちゃんと一度触れてから
「すき?」
聞けば莉兎は目を細めて笑う。
その反応、おかしいんやけど。
普通に聞いただけなんやけど。
何も言わない莉兎に
「すきちゃうん?」
唇を尖らせたらむにむにと唇が当たる。
「すきじゃなくてあいしてる」
「ずる、」
「すき?って聞くのが可愛いねん」
「うそ。ウザイやん」
「ウザイわけないやろ。聞きたくなったら何回でも聞いて」
喋る度に唇を触れ合わせながら見つめたまま。
これってかなり恥ずかしい事では?
だってメイク直してないし。
絶対ファンデとれてるし。
帰ってから速攻カラコンも外したし。
でもそれを考えるより、もうお互いにすっぴんを知ってるしいいかな。
いや、待て待て。
中途半端なメイクの状態ってやばくない?
そう思いを巡らせるけど、止められない。
莉兎との愛しい空間を崩したくない。
「…すき?」
「あいしてる」
「ちゅき?」
「ごめん、何が正解なん?」
その言葉にお互い爆笑。
離れて大笑い、間違いない反応。
その言葉大正解。
自分でも分かってないもん。
ただ何か言うただけやもん。
莉兎も爆笑の後「やばい、分からん」とツボに入っている。
「バカにすんな」
放った言葉が震えているのはあたし自身もツボに入ってるから。
「だ、って分からんやん。正解教えてや」
「自分で考えろ」
「ひよってほんま分からん事ぶっ込んでくるよな」
「なに?」
「よく言うてるすきすきも正解分かってないからな?」
「あれは正解や」
お互いに笑いながら言い合った所で
「正解だったらええわ」
莉兎はニッと笑って親指を立てる。
すきすきして、から言い合う言葉。
りとすきすき。
ひよすきすき。
甘えすぎたらそういう答えのない事を言ってしまうあたしの変な癖。
今だってそう。
ちゅきの答えなんか知らない。
だって今初めて言った言葉なんだから。
発したあたしでさえ分からないんだから莉兎が分かるわけない。
こういう所、直したい。
でも多分直らないんだろうなぁと思う。
「もっかいチャンスちょうだい」
「ええよ」
ぎゅうっとくっついてテイク2がスタートする。
こんな事を真面目にしてる三十歳のカップルがいたら知りたい。
知った所で何なん?という感じだけれど。
さっきと同じようにキスを繰り返して。
ほんの少し離れて見つめ合う。
「ちゅき?」
唇を動かせば莉兎の唇に触れる。
最初は頭にあったリップがとれる、なんてもう忘れていた。
あたしのバカバカしい問いかけに
「だいちゅき」
莉兎は目を細めた柔らかい笑顔で一言。
そしてあたしの頭をグッと掴んで本気のキス。
リップ音、漏れる声、互いの熱。
触れるだけのキスからもっと濃く甘く深く。
ちゅきの答えはだいちゅき。
もう大正解。
多分莉兎が放つ返答は何でも大正解だったと思うけど、嬉しい。
こんな事に真剣に付き合ってくれる莉兎の気持ちが嬉しい。
頭を掴んでいた手がゆっくりと下降していく。
背中を撫でて腰に到達、服の裾を捲って侵入。
そして今度は上昇。
その手と差し込まれた舌があたしの口内を動き回る気持ち良さに体を震わせながら漏らした声は、甘くソファの下へポトリと落ちた。
クソ真面目に愛し合って気付けばお腹も空いて。
途中でソファからベッドに移動、今は莉兎があたしの上にいる。
薄い布団を纏って素肌を重ねた間には熱。
かぷっと莉兎が噛む。
セックスの最中も噛まれたけどどういう意味なんだか。
でも気持ちいい。
肩が噛みやすいらしくてそこに集中される噛み痕。
首筋を噛む時、加減している事は分かっていた。
きっと痕が残ったら悪いと考えてるんだろう。
だから肩なら思い切り噛んでも大丈夫。
そう判断してるのかもしれないけど
「肩、痛い」
あたしの左肩を噛んでる真っ最中の莉兎と目が合う。
呟けばその後ぺろっと舐めた。
…毎回そう。
噛んだ後舐める。
まるで飴と鞭みたい。
どっちも気持ちいいけど。
「痛すぎた?」
「痕残ってる?」
「歯型だけ」
「それならええけど…オフショル着れんやん」
カットソーやニットのオフショルのトップス。
割と好きで何着も持っている。
オフショルの隙間から噛み痕が見えたら?
考えただけで恥ずかしい。
莉兎の長い髪がくすぐったいと思いながら撫でていると
「着らんでええやん」
普通に言われてイラっとしたから撫でる事をストップした。
「何でやねん。仕事でも着て行くのに」
「余計噛むで」
「莉兎のものーって事?」
「そう」
「アホか」
寝返りを打って背中を向けたいけど莉兎が上にいるせいでできない。
悔しいと思っていたら今度は肩にキス。
噛まれる痛さ。
舐められる気持ちよさ。
キスをされる愛しさ。
色んな感情を抱く。
「ひよの仕事の服ってエロいねん」
「それ思うてるん絶対莉兎だけ」
普通におしゃれを楽しんでるつもり。
服装自由といえども少しは抑えてたりするのに。
それに他の子達…特に若い子はもっと露出の多い服を着ていたりするのに。
莉兎の言葉に唖然としてしまう。
「オフショルはエロい。噛みつきたくなる」
「狂犬病なん?」
「犬ちゃうねんけど」
その会話に笑える。
ちゅっとキスをして額を合わせる。
寝転んでたら身長なんか分からない。
でも莉兎の方が小柄っていうのは分かる。
オフショルがエロいと言われてもあたしは着続けるけど。
寧ろ莉兎が噛みつきたい気持ちを抱えてる事を知ったから今まで以上に着たい。
だってそう煽っておくと後々…
こういう考えがドMなんだと思う。
今自分で思ってつくづく嫌になった。
まるでお仕置きを期待してわざと悪い事をしてるみたい。
「でも莉兎だってオフショル着るやろ?」
「普段はな」
「あたしも着てええやん」
「普段はな」
「仕事で着るなって言いたいかもしれんけど着るから」
「ひよの肩、他のアホな奴らに見られてんで」
「誰も見向きもしてないわ」
さえちゃんがオフショルを着たら…そりゃもう男性社員は見ると思う。
ふわふわしたさえちゃんにセクシーさがプラスされて男性社員にとっては大喜び案件。
でもあたしがオフショルを着ていてもセクシーさなんてない。
それに誰一人見ないというよりどうでもいい。
笑い飛ばしていたら莉兎は呆れた表情を浮かべながら
「ほんまそういうとこ、無意識やねん」
溜め息を零してあたしの上から離れた。
横にごろんと背中を向けて寝転がる。
纏っていた布団がずるずると引っ張られてしっかり二人で被れるよう直す。
どういう意味だかさっぱり分からないけど背中を向けられると寂しい。
莉兎の三日月を見るよりも目についたのは引っ掻いたような赤い線。
そこで気付く。
「…背中傷つけたかも」
長い髪を避けて見つめるとあたしの爪痕。
こんなに痕がついて痛かったはずなのに莉兎は何も言わなかった。
首を動かして顔だけ振り返った莉兎は
「そんなんええよ」
少し笑っていて安心。
爪痕より背中を向けられた事に対する寂しさが和らぐ。
ぎゅうっと抱きついて
「でも痛かったやろ」
ちゃんと振り返ってほしくて。
向かい合わせになりたくて。
莉兎の爪痕にキス。
もちろん三日月にもキス。
「全然痛くない」
「、こっち向いて」
「無意識直すなら」
「分からんやん、そんなん」
「ひよは自分の事怖がられてるとか自分なんかとか思ってるかもしれんけど」
「…うん」
「ほんまはさえより慕われてるし事務員の中で誰より頼りにされてるし」
「そう?」
信じられない言葉。
みんなさえちゃんにはラフに話しかけたりするから。
あたしに対してはビクビクしてるし。
事務員の中では一番勤続年数が経っているせいもあると思う。
でも若い子だって十分頼られてるはず。
莉兎の話を聞きながら背中の痕を指でなぞる。
三日月とあたしの爪痕。
「男にも女にも人気ある。そこが一番腹立つねん」
くるりと振り返った莉兎は腕枕をしてくれる。
いつも通りそれを受け入れながら笑う。
「絶対ない」
「ほんま無意識の無自覚よな」
莉兎は少し不機嫌になりながらあたしをぎゅうっと抱きしめる。
包み込むような、ではなく本当に痛いくらいに。
この小さな体のどこにこんな力があるのかと思うほど。
「い、たい」
「痛いくらいがええ」
「何でよ」
聞いた途端パッと離された。
莉兎は顔を覗き込んで
「痛みは尾を引くやろ。莉兎の事忘れんやん」
真剣にそんな事を言う。
何をそんなに恐れる事あんの。
不安な事なんか何もないやん。
あたしの方から奪うように唇を重ねた。
勢いが良すぎて少し痛かったけど何度も何度も啄むようにキスをして。
離れてもまた同じキスを繰り返して。
やっと落ち着いてゆっくり解放してあげると
「あたしがどんなに好きか分かる?」
莉兎を見つめて真剣に呟いた。
本当にあたしの事をいいなと思ってる人が会社にいても。
それが男性なのか女性なのか、何なら誰なのかさえ知らないけど。
「莉兎以外いらんねん」
「歪な愛し方しかできんで」
「何言うてんの。愛してくれるならどんな形でもええ」
「ひよみたいにちゃんと生活できんし」
莉兎がそんな言葉を言うとは思わなかった。
いつでもポジティブなのに弱気な発言。
もしかして莉兎の弱点ってあたし?
そう考えるとちょっと嬉しい。
でもあたしは言いたい。
「莉兎がさっき車乗る前に言うた言葉借りるけど…黙ってあたしの横におれよ、うさぎ」
ふふんと笑ったら莉兎は驚いた顔をした後、同じように笑った。
お互いにぎゅうっとしながら
「バチボコカップルなんやろ?」
あんなに嫌だったネーミングをさらっと言ってしまっている不思議さ。
「おん、バチボコや」
「負ける気せんやろ」
「負けん。絶対誰にも負けん」
「よしよし」
莉兎の髪をわっしゃわしゃにすれば莉兎もわっしゃわしゃにあたしの髪を撫で回す。
乱れた髪の隙間から見える莉兎の嬉しそうな顔、可愛い。
先に惚れた方が負けとか言うけど本当は違うと思う。
どっちも負け。
多分、答えはこれ。
付き合って数日。
一週間経っていないけれど、あたしは本気。
だって莉兎が本気であたしに向かってきてくれたんだから。
本気には本気で返す、当たり前やろ。
莉兎が行くなら必ず一緒に行く。
その先が闇でも病みでもどこへでも。
「お腹空いたよな」
「空いたー」
「でもくっついてたい」
「ほんまそれ」
笑いながらキス。
一日の中で何回キスするんだろう。
カップルの平均を知りたい。
それを聞いたら上回ってやろうと必死になると思う。
でも案外あっさり超えてるものかもしれない。
めちゃくちゃ余裕で。
ベッドで寝転がってくっついたり離れたり。
キスをして笑って。
くだらない話を延々として。
素肌が重なっている部分がずっと気持ちよくて。
でもやらなきゃいけない事はたくさん。
ご飯を食べてお風呂に入ってお弁当の準備をして眠る。
あたしは眠らなくても平気だからいいけれど、莉兎は眠いだろう。
動くかなぁ…と思いながら筋を伸ばして
「とりあえずお米炊かんと」
起き上がろうとすれば莉兎の方が先に起き上がった。
きょとんとしていたら布団を被せてくれて
「何合?炊くわ」
その言葉がシンプルに嬉しい。
「炊いてくれるん?」
「それくらいできるもん」
「とりあえず三合かな…二人分のお弁当あるから」
「お弁当…!」
思い出したようでふにゃっと笑う莉兎が子供っぽくて可愛い。
「その前に夕飯どうする?」
「何でもええ…っていう答えはあかん?」
「何でもいいって言うてくれるんやったら親子丼くらいになるで」
「最高」
莉兎はいそいそと数時間前に脱ぎ捨てたTシャツを拾い上げて着ている。
あたしはお米を炊いてくれるだけでどんなに有難い事なんだろうとしみじみ感じたりして。
今までは当たり前に自分でやってきた事だけど、お米を炊くって面倒な時が多い。
だから普段は多めに炊いて冷凍保存したりするけど莉兎が炊いてくれる事が嬉しい。
親子丼で喜んでくれるのも簡単でこっちとしては楽。
お互いに別行動。
莉兎はお米を炊いて、あたしはお風呂を沸かして。
それが終われば少しの一服を挟みつつ、莉兎がお風呂に入る。
その間あたしは親子丼の準備をしながら感じた。
きっと一緒に住んでもこんな感じなんだろう、と。
臨機応変に分担してお互い生活をしていく。
例えばゴミ出し。
例えば掃除。
しっかり役割分担した方がいいのか、ざっくりでいいのか。
まだ分からないけど一緒に住む前に莉兎と話し合いたい。
今までは一人だったから好きに暮らしていたけど、これからは違う。
生活というものを二人で作っていく。
でも一人が二人になるというのは味方がいるという事だから心強い。
それに寂しくないし。
何よりあたしの心のバランスがとれるかも。
あぁ、莉兎は眠れないあたしを。
寂しがりで甘ったれのあたしを。
一人にしたくないんだと今更気付く。
一緒に住まん?と言われた時は驚きと喜びで考えが追いつかなかったけど、そういう事かも。
それを考えたら柔らかく笑ってしまう。
しっかり守られてて、考えてくれてて嬉しい。
有言実行やん。
ほんま莉兎と一緒におって幸せしか感じん。
急にぶるっと震えて心がふわふわと浮いて愛おしさで爆発してしまう。
洗面所はもうシャワーの音色が聞こえてこない。
「莉兎、こっちきて」
ちょっと大きな声で呼ぶ。
聞こえないかな。
そう思ったけどドアが開いて
「どしたん?」
バスタオルで髪を拭きながら問いかける莉兎。
ちゃんと聞こえていてまだ水滴を全部拭き取ってなくて濡れてるのに顔を出す莉兎がもっと愛おしくなった。
「ちゅきー」
「だいちゅき」
「すきすきして」
「ひよすきすき」
「早くぎゅうして」
「三十秒待って!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます