第10話

その夜、私は蒼に電話をかけた。

声が震えないように、奥歯を強く噛みしめる。


「もしもし、莉愛?」

電話の向こうから、優しくて、大好きな声がする。

胸が、ナイフで抉られるみたいに痛んだ。


「……蒼くん。話があるの」

「どうしたの、改まって」

「別れよう」


一瞬の、沈黙。

時間が、止まった。


「……え? 何、言ってるの?」

蒼の、戸惑った声。

当たり前だ。昨日まで、あんなに笑い合っていたのに。


「ごめん。他に、好きな人ができた」


嘘。

大嘘。

人生で、一番、最低な嘘。


「……嘘だろ」

「嘘じゃない。もともと、パパの一人だった人。やっぱり、お金持ってる人がいいなって」


私は、マシンガンのように言葉を続けた。

昔の私なら、平気で言えたはずのセリフ。

なのに、一言発するたびに、心がズタズタに引き裂かれていく。


「蒼くんとの生活、正直、もう疲れたんだよね。貧乏くさいし」

「待って、莉愛。何か、あったんだろ? 話、聞くから」

「何もないよ。これが私の本性。やっと目が覚めただけ」


お願い。

信じて。

私を、軽蔑して。


そして、私のことなんて忘れて、あなたの人生を生きて。


「……そうか」

電話の向こうで、蒼が、か細い声で呟いた。

「……そっか。ごめん、気づかなくて」


違う。

謝らないで。

お願いだから、私を罵って。


「じゃあ、そういうことだから」

「莉愛」


蒼が、私の名前を呼ぶ。

その声が、あまりにも優しくて、涙がこぼれそうになるのを、必死でこらえた。


「……幸せになれよ」


ブツッ、と。

電話が切れた。


途端に、私はその場に崩れ落ちた。

「……あ、……ぁ、あ……っ」


声にならない嗚咽が、喉から漏れる。

胸が苦しくて、息ができない。

心臓を、鷲掴みにされているみたいだ。


ごめんね、蒼くん。

ごめんね。


私は、あなたの幸せを壊す、寄生虫だ。

あなたの隣にいる資格なんて、なかったんだ。


床に散らばった、蒼との思い出の品々。

二人で選んだマグカップ。

UFOキャッチャーで取ってくれた、歪なクマのぬいぐるみ。

その全てが、キラキラと輝いて、私を罰しているようだった。


もう、無理だ。

蒼のいない世界で、生きていくなんて。


私は、ふらふらと立ち上がると、引き出しの奥にしまい込んでいた、カミソリを手に取った。

冷たい、金属の感触。

久しぶりに見たそれは、暗い部屋の中で、鈍い光を放っていた。


これで、全部、終わりにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る