第5話

その日は、結局、当たり障りのない話だけをして別れた。

蒼は本当に、私の身体に触れようとしなかった。

ただ、私が飲むコーヒーを、じっと見つめたり、窓の外を眺める横顔を、静かに見ていたりするだけ。


別れ際に、彼は約束通り、分厚い封筒を差し出した。

「約束なので。また、会ってくれますか」


「……考える」

そう答えるのが、精一杯だった。


家に帰って、封筒の中身を確認する。

きっちり、10万円。

たった2時間、お茶しただけで。


普通なら、喜ぶはずなのに。

やった、ラッキーだって、思うはずなのに。


なぜか、胸がザワザワする。


『目が、笑ってない』


蒼の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。


そんなはずない。

私の笑顔は、完璧なはず。

角度も、口角の上げ方も、全部計算してる。

今まで、誰にもバレたことなんてなかったのに。


イライラして、スマホで自分のインスタを開く。

最新の投稿。

ブランド品に囲まれた、私。


『莉愛ちゃん愛されてる〜😍』


コメントを、指でなぞる。

愛されてる?

私が?


違う。

愛されてるのは、この「莉愛」っていうキャラクター。

ブランド品で塗り固められた、偽物の私。


本当の私なんて、誰も知らない。

誰も、見ようとしない。


……ううん、違う。

一人だけ、いた。


『蒼 (aoi_0321)』


無意識に、彼のDMを開いていた。

アイコンの、青い空。


**莉愛:なんで、わかったの?**


送るつもりのない言葉が、指先から滑り落ちる。

送信ボタンを押してから、ハッとして、すぐに「送信取消」を押そうとした。


でも、その前に。


ピロン♪


**蒼:わかった、というか。**

**蒼:僕も、同じだから。**


画面を見つめたまま、固まる。

同じ?

何が?


**莉愛:どういう意味?**


**蒼:僕も、ずっと笑えなかった。**

**蒼:笑い方が、わからなかったんです。**


息が、詰まる。

この人も、私と、同じ?


**蒼:だから、わかるんです。あなたの、その寂しさが。**


ダメだ。

これ以上、この人と話しちゃダメだ。

私のテリトリーに、土足で踏み込んでくる。

分厚い鎧を、いとも簡単に剥がそうとしてくる。


怖い。

この人に、私の全部を見透かされるのが。


でも。


心のどこかで、叫んでる。


もっと、知りたい。

この人のことを。

私のことを「同じだ」と言った、この人のことを。


気づけば、私は返信していた。


**莉愛:……次は、いつ会う?**


それは、私が見せた、ほんの少しの隙間だった。

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