第6話 風の最愛

 フィオレンティーナの歌は風に運ばれ、竜の耳元で響いた。


 子供達を優しく包む歌に、竜はまるで酒に酔ったようにふらふらし、終いには地面に墜落した。

 ジェラルドが歌声ごと切り取るように運んだため、フィオレンティーナの周囲の人間には何も聞こえず、眠りに落ちることもなかった。


 ジェラルドを休ませてフィオレンティーナが恐る恐る地面に落ちた竜を見にいくと、地響きのような寝息が聞こえてきていた。どうやらぐっすり眠っているようだ。


「フィオレンティーナ……お前が竜を眠らせたのか」

 声をかけてきたクラウディオは信じられない様子だった。

 フィオレンティーナは何も答えられず、クラウディオにただ一度だけ、深く頭を下げてその場を離れた。


(ジェラルド様が怪我をしている)

 手当てをして、他愛無いおしゃべりをして……いつも優しく包み込んでくれる彼の腕の中で休みたかった。



   ☆☆☆



 四大貴族達の怪我が癒える頃、黒竜の討伐を祝って、王宮で宴が開かれた。

 ジェラルドは「嫌です目立ちたくないんです!」と嫌がるフィオレンティーナをパートナーとして連れて行った。


「黒竜を倒したのは君のようなものなのだから、君がいなければ主役がいなくなってしまうだろう」とジェラルドは譲らなかった。


 華やかなドレスに身を包んだフィオレンティーナを、同じく華やかな正装のジェラルドがエスコートしてくれる。

「今日の君は抜群に綺麗だ。自信を持って良いよ」と耳元で囁かれる。


 ジェラルドと何曲かダンスを踊り、宴が中盤に差し掛かった時、フィオレンティーナの隣に水の伯爵クラウディオがやってきた。

「フィオレンティーナ」

「!」

 その声にフィオレンティーナは震えてしまう。


 もう彼の声から怒りは感じられないのに、話しかけられるとあの夜の彼の顔と声を思い出してしまうのだ。

———「フィオレンティーナ……水の伯爵の最愛の者に手を出したことを後悔してもらおうか」


「これは水の伯爵。私のフィオレンティーナに何か用かな?」

(ジェラルド様!)

 クラウディオの姿を遮るようにジェラルドが立つ。


「……『私の』?」

 訝しげに繰り返したクラウディオに、ジェラルドは余裕のある大人の笑顔を見せた。

「ああ。実は近く、彼女にプロポーズをしようと思っていてね」

「「えっ!?」」


 突然の話に、クラウディオとフィオレンティーナの両方が素っ頓狂な声を出してしまった。

「わた、わた、し、ぷ、プロ?」

 フィオレンティーナの舌は驚きすぎて回らない。

「意外だったかい? 私としては、ずっと君に愛を囁いていたつもりだったけれど」

 ジェラルドはフィオレンティーナを見て静かに告げた。

「せっかくだからこの場で問おう、フィオレンティーナ。私との婚約が嫌なら、これから私がすることを拒むんだよ」


 ジェラルドは優雅な仕草でフィオレンティーナの顔を上向ける。

 この展開についていけていなかったフィオレンティーナは、ジェラルドの綺麗な顔が自分に寄せられる所でハッとした。


「いっ、いけません、こんなところで……っ」

 周囲にはクラウディオ含め、沢山の人がいる。

 これから何が起きるのかと注目を浴びている。

「見せつけてやれば良い。麗しい君を袖にした男なのだろう」

 耳元でジェラルドに囁かれ、ぐっと腰を引き寄せられれば抗えない。


 フィオレンティーナはジェラルドにされるがまま口付けを受け入れた。強引で優しい、彼そのもののような触れ方だ。

 その口付けの美しさに、周囲のご婦人達からため息が漏れる。


「ようやくいなくなった」

 短い口付けの後、ジェラルドがフィオレンティーナと額を合わせ、甘い声で囁く。

「?」

「君が私だけを見つめてくれる日を待っていた。フィオレンティーナ」


———「私以外の人間が心に棲んでいるのなら、追い出してしまわなければ」

 いつかジェラルドが口にした言葉を思い出す。

 確かにフィオレンティーナはクラウディオを見ても、以前のように心が喜びで沸き立たなくなった。


 代わりに最近はジェラルドの眼差しに宿る優しさと熱に出会うたび、ドキドキと胸が早鐘を打ち始めるのを感じる。

(ジェラルド様も何というか、最近は声も笑顔も甘すぎる気がする)


「ジェラルド様。私はジェラルド様にとって、睡眠薬のような存在だと思っていました。それだったらそばに置きたがるのも納得だなぁと」

 ジェラルドは吹き出した。そうして笑う顔は少年のように無邪気だ。


「それもあるかもしれないが、私は君を一目見た時から、既に君に心を奪われていたよ。川で拾った時は運命だと思った」


 フィオレンティーナにとろけるような笑みを見せた後、ジェラルドは打って変わって、フッ、とクラウディオの方に勝ち誇ったような笑みを見せた。


「……失礼する!」

 水の伯爵クラウディオは何とも不満げな表情でその場を去った。



   ☆☆☆



 水の伯爵家の庭園からは、今日もおしゃべりが聞こえてくる。

「なぁエル、風の侯爵がフィオレンティーナとイチャイチャするのを見せつけてくるんだけどどうすればいい?」

「あら」


「あいつ絶対、俺がエルと一年間恋人になれないのを知ってる! 風魔法で全部聴いてる!」

「でもそれはクラウディオの素行の悪さがそもそもの原因だから」


 ジェラルドとフィオレンティーナの婚約が正式に発表されたのは、それからすぐのことだった。

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