第5話 黒竜の出現

 ディアマンテ王国を揺るがす大きな事件が起きたのは、フィオレンティーナがジェラルドの屋敷で暮らすようになって、しばらく経った頃だった。


 王都の空に突然、巨大な黒い影が現れた。

 黒竜である。


 その黒竜は王宮庭園に咲いた『聖樹』の花を喰い、我が物顔で王宮で暴れているという。

 四大精霊に愛される四大貴族達は、この竜の討伐を命じられた。


(黒竜は、ディアマンテ王宮恋物語のラスボス)

 馬に乗り王都へ駆けていくジェラルドを見送った後、フィオレンティーナは王都上空を滑空する黒い影を目で追いつつ必死で前世の記憶を辿った。


 ゲームの世界ではどうやって退治をしていたか。

(アリーチェが)

 主人公が『聖樹』の力を借りて倒していた。

 そして同時にこのゲームのバッドエンドも思い出してしまった。


 アリーチェと互いに想い合う特別なキャラクターがいなかった時、『聖樹』はその力を発揮できないまま、主人公達は黒竜に敗れる。

 でも今、この王国のどこにも『アリーチェ』が存在するようには思えない。まるで彼女がいないままゲームが進んでいるような不気味さだ。


(四大貴族達が……ジェラルド様が命を落とす)

 フィオレンティーナは世界が真っ暗になったように感じた。

 何か、ジェラルドを助ける方法はないか。

 フィオレンティーナは必死で考えた。



   ☆☆☆



 王命に応じて王都に集結した、水の伯爵クラウディオ、火の男爵、地の公爵、そして風の侯爵ジェラルドの4名とそれぞれの一族だったが、黒竜の抵抗は激しく、精霊達の魔法はことごとく弾かれた。


「損害が大きい。火と地の一族は一旦退け」

 ジェラルドの声にクラウディオは苦笑する。

 竜に吹き飛ばされ、鋭い爪で服や皮膚を切り裂かれ、この場に留まる人間の誰もが惨い状態だった。


 年長者であるジェラルドの指示に従い、火と地の一族は撤退を始める。

「侯爵閣下も余裕があるようには見えませんけど、ね!」

 軽い調子で言いつつ、クラウディオは片手を上空の黒竜に翳して氷の矢を放つ。黒竜の鱗は硬く、氷の矢を粉々にした。


「火も水も氷も効かない、岩は避けられてしまう」

 クラウディオは苦々しい表情で呟く。

 黒竜はクラウディオに反撃をしようとするが、その身体を竜巻が包み込んだ。


「こちらだ黒竜!」ジェラルドの声がする。

 竜巻の中で体勢を取り戻した黒竜は、ジェラルドに向かって飛びかかった。

(そよ風のよう、か)

 ジェラルドは心の中で忌々しげに呟いた。


 凄まじい威力であるはずの竜巻の魔法すら、黒竜には通じない。

 そして黒竜のスピードはどんどん上がっているようにすら感じる。


(これは死ぬかもしれないな)

 黒竜の攻撃を避けながら、ジェラルドは屋敷に置いてきたフィオレンティーナのことを考えた。


(君はどうか逃げて、生きて)

———「死な……せて、ください……」

 川から助けた直後の彼女の言葉と表情を思い出し、ジェラルドは戦闘中にも関わらず微笑んだ。

(この世界に生きる価値があることを、知るんだよ)


 ジェラルドが竜の爪を避けた時、その爪の衝撃で爆発するように飛び散った建物の瓦礫が彼の身体にいくつも襲いかかった。

「く……っ」


「ジェラルド様!!」


 瓦礫の下敷きになったジェラルドの耳に、信じられない声が聞こえてきた。

「フィオレンティーナ……!」

 どこかから駆け寄ってきたフィオレンティーナは、ジェラルドの上の瓦礫を一つずつ取り除こうとしている。


「どうしてここに」

 焦って黒竜の方を見ると、今は何とか黒竜をクラウディオが引き付けてくれていた。

 フィオレンティーナは瓦礫を細い手で急ぎどかしながら、ジェラルドに答えた。


「ご存知ですよね? 私、死ぬのは怖くないんです」

 冗談めかして言う彼女の顔は、涙と土に汚れている。

「でも、ジェラルド様が先に死んじゃダメです」

 大きな瓦礫を体重をかけてどかすフィオレンティーナ。


 息を切らして最後の瓦礫をどかし、彼女は告げた。

「私の命はジェラルド様のもの、ですよね? ジェラルド様が死んじゃったら私も生きていけないじゃないですか。言い出した者としての責任を考えてください」


 そう語る彼女は、今までで一番生命力に溢れているように見えた。

 だがジェラルドは言い聞かせるように言った。

「今すぐ逃げなさい、フィオレンティーナ」

(君が逃げる隙くらいは作れるだろう)


 ジェラルドの言葉に、フィオレンティーナは首を横に振る。

「嫌です、ジェラルド様。とりあえず今は死ににきたつもりではありません、策があります」

「策?」

「はい」


 フィオレンティーナは黒竜を見上げて言った。

「私の歌を届けられますか? あの竜に」

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