第3話 君の命は私のもの

(……寒い)


 水の冷たさに震えてしまう。

 しかし誰かが、そんな身体を強く抱きしめ、大きな手で手足を温めるようにさすってくれていた。


「……う……」

 こぽ、と嫌な音がして、水を吐いてしまった。

 それでもその誰かは、フィオレンティーナの身体を撫でるのをやめない。


「気をしっかり。もうすぐ着くからね」

 低く穏やかな声が耳元で生まれる。

(違うんです……私は死にたくて)

 水の冷たさも苦しみも私にはお似合いの罰だ。


(水に沈んで死んでしまえるなら、彼も……クラウディオも、私を許してくれるかもしれないから)

「死な……せて、ください……」

 フィオレンティーナの言葉が届いたのか、その人物は動きを止めた。優しく薫ってくる、白檀の香り。

「悪いがそれは聞き届けられないな」


 振動を感じる。馬車の中にいるのだろう。

 フィオレンティーナはすすり泣いた。

「私、なんて……誰からも、必要とされてない……生きていてはいけない人間です……」

 その人はフィオレンティーナの頬を撫でた。


「……ならばその命、私が貰い受けよう」

 そっと、壊れ物に触れるように涙が拭われた。

「これから君の命は私のものだ。覚えておくように」

 そこでフィオレンティーナはやっと、自分を抱えている人物の顔を見ることができた。


 肩口にこぼれる長い黒髪。整った顔立ち。

(この人は)

 ディアマンテ王宮恋物語の攻略キャラの中で最年長の男性。


「君は、これから私だけを見つめておいで」

(風の侯爵ジェラルド・サルヴィ……!)

 ゲームに登場する、火・水・地・風の精霊に愛される四大貴族の家の一つ、風の一族。

 彼は、前世のフィオレンティーナが苦手とするキャラだった。



   ☆☆☆



 王都から程近くの街にある風の侯爵ジェラルドの屋敷に運ばれたフィオレンティーナは、そこで手厚く介抱をされた。


 そう、とても手厚く。

「ジェラルド様……」

「うん? どうかしたかい?」

「あの、自分で食べられますので、こういうのはもう……」


 食事のたび、フィオレンティーナはジェラルドに『あーん(ハート)』をされていた。

(やめてほしい)

 ジェラルドの美貌が間近にあると落ち着いて食べられないし、恥ずかしい。


「私の手からでは嫌だと……?」

「い!! いえ決してそのようなことはありませんが、ジェラルド様もお忙しいと思いますし申し訳ないと言うか……!」


 正直に、心臓が持ちそうにないと言った方がいいのだろうか。

 食事だけでなく、ジェラルドはフィオレンティーナが動けるようになると常にそばにいた。


 彼が書斎で仕事をしている時は「そこで本でも読んで、くつろいでいなさい」と少し離れたソファをすすめられる。


 ある日フィオレンティーナは、ジェラルドに黙って屋敷を出ようとした。

 早朝、屋敷の門をこっそりと出て速足で歩いて行くと、屋敷の角を曲がったところにジェラルドが笑顔で立っていた。


「ひっっ!!」

「フィオレンティーナ、何をしているのかな?」

「あの」

「外に出たいなら、私に相談するよう言ったはずだが」


(どうして私の居場所が)

 その疑問が顔に出ていたのか、あくまで柔和な笑顔でジェラルドは続ける。

「風はいつも君のそばにいる。君のことは風が全部教えてくれるよ」

(そうだった。この方は風の精霊に愛される風の侯爵だった……!)


 ということはこの世界にはフィオレンティーナに隠れられる場所などないではないか。

「さて、約束を守れない悪い子には、お仕置きだ」

 フィオレンティーナはジェラルドの腕の中に閉じ込められた。そのまま流れるような仕草で顎を持ち上げられ、口付けられてしまう。


(……だから!!)

 こんなお人だから前世から苦手なのだ。

「……んっ」

 フィオレンティーナはもがくが、ジェラルドは離してくれない。

 どころか頬を指の背でそっと撫で上げられて、フィオレンティーナはブルブルと震えてしまった。


 怖い。

 相手に拒否されても毛ほども動じないジェラルドの神経の図太さがシンプルに怖い。

 ジェラルドは唇を離すと、フィオレンティーナの瞳の奥を覗き込んだ。


「……君の心の中には誰かがいるね」

 そして、フィオレンティーナの胸を……心臓の近くを、指で指すように優しく触れる。不思議とその指の動きに、下心のようなものは感じられない。


 フィオレンティーナの脳裏に浮かぶのは、自分に怒りを向けるクラウディオの姿だ。

「私以外の人間が心に棲んでいるのなら、追い出してしまわなければ」


 そしてフィオレンティーナはジェラルドの寝室へと誘われた。

(いや乙女ゲームの主人公もびっくりな急展開でしょう……もっと情緒というものをですね)


 もはや自分の人生などどうでも良いと諦めきってしまっていたし、抵抗しても無駄に思えたので素直について来てしまったが、自分も大概自衛が甘い。

 寝室の大きなベッドに座らされ、隣にジェラルドも座る。白檀の良い香りがする。


 ジェラルドが動いてフィオレンティーナはびくりとしたが、彼はフィオレンティーナの太ももの上に頭をのせただけだった。

(何だか、とても……思い上がった勘違いをしてしまったような……)

 ジェラルドも紛らわしいことを言わないでほしい。


(これはこれで色々と思う所はあるのですが!)

「……歌を」

「え……?」

「歌を歌ってくれないか」

 ジェラルドは心地よさそうに瞳を閉じていた。長い睫毛がすぐそばにある。


 フィオレンティーナは迷った挙句、自分が前世でよく歌っていた歌を口ずさんだ。

 仕事で何度も歌っていた、子守歌を。前世では可愛い子供たちのお腹をトントンしながら歌っていた。


「やはり……君の声は、素晴らしい」

 ひとりごとのようにそう呟くと、ジェラルドは寝息を立て始めた。

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