守護者センチネルといたいけな灰かぶり

夕凪

籠の鳥1


 エリオットの視界はいつも暗かった。

 頭から麻袋をかぶせられているからだ。目と口の部分が丸くくり抜かれてはいたけれど、部屋自体に窓はないから、麻袋がなかったとしても視界は悪いままなのかもしれなかった。どちらにせよ脱ぐことはゆるされていないから、エリオットにそれを知るすべはない。


 四角い部屋の中央には、寝台がひとつ置かれている。清潔なシーツの敷かれた、木製の寝台だ。しかし誰もこの寝台に近寄ろうとはしない。

 頭に麻袋、体には薄汚れた貫頭衣、という揃いの格好をした人間は、室内に十数人ひしめいていた。

 全員が、ドアとは反対側の壁にへばりつくようにして固まって座っている。痩せた体を寄せ合い、身を縮こませる様は、まるで全員でひとつの塊のようだ。


 よくよく見れば、エリオットを始め、その場の全員が腕になにかを抱えているかの姿勢をとっている。彼らの手は時折、腕の中の『モノ』を撫でる仕草をした。

 常人の目では捉えらぬ『それ』は、幻獣と呼ばれている。


 エリオットの幻獣は、エリオット同様に薄汚れた灰色をした、両のてのひらで包めるほどの小さな鳥の雛だった。名を、プティーという。鳴き声からつけた名だ。

 本来であればほわほわのやわらかな感触であるはずの羽毛は、みすぼらしくまばらで、それでもエリオットが撫でてやれば気持ちよさそうに「プティ」と鳴く。


 エリオットが幻獣持ちだからと言って、他人の幻獣が見えるわけではない。だから隣で「よしよし」と声に出さずにつぶやきながら、なにかを愛でている誰かの手の先に、どんな幻獣が居るかはわからない。

 それでも、この場に居る全員が互いの幻獣を尊重していたし、おのれの幻獣が居るからこそ正気を保てているのだとわかっていた。


「……僕の子、もうほとんど動かなくなっちゃった」


 細い声が、不意にかなしげにポツリと響く。


「きっと次は僕の番だ」


 声音には、諦観とともに安堵の色も滲んでいた。それを耳にした誰かが、すすり泣きを漏らした。泣いても意味はない。わかっていながらも涙が出るということは、まだそれだけの気力や体力があるということだ。もしかしたら、最近ここに連れて来られた子なのかもしれない。全員が麻袋をかぶっているので、個々人の判別が難しい。


「誰か、僕を前に出して」


 幻獣を喪いかけている人物が、誰にともなくそう乞うた。もう自分で動くことができないのだ。

 すすり泣く声が大きくなった。それを聞きながら、数人がずりずりと這いずるように動き、壁際からひとりの体が押し出された。

 そのとき、エリオットの小鳥が「プティティ」と鳴いた。他の幻獣も同じく騒いだのだろう。全員に緊張が走った。


 ガラガラガラ、と二重扉の向こう側が開く音がした。次いで、内側のドアが開かれる。発光石の白い光が見えた。そして、大きなひと影が。


「くそっ! 頭が痛くてかなわない! さっさと癒せ!」


 部屋中に横柄な声が響き渡った。全員が声もなく、壁に背を押し当てた。ひとり前に残されたのは、先ほど押し出された人物だ。床に横たわるその姿は、まがうことなき生贄だった。


「おまえでいい、来い!」


 男が細い腕を掴んで、乱暴に寝台へと放り投げた。そして、華奢な体にのしかかり、その両手をおのれの胸に無理やり沿わせた。


「整えろ」


 命令が落ちた。小枝のような腕が、震えるのが見えた。気づけばエリオットの体も震えていた。いま、なにが行われているのか、エリオットにはよくわかる。エリオットだけじゃない。ここに居る全員が、この男に『調律』を強要されてきたからだ。


 部屋に軟禁されている者たちは皆、ガイドと呼ばれる能力を有していた。それゆえに男に捕らわれ、家族と引き離されて、この屋敷の隠し部屋に閉じ込められることとなったのだ。

 男の名は、ヴィクトル。ヴィクトル・クローヴェル。クラウディウス皇国の偉大なる皇帝から領地を賜り、この辺境の地を治めることとなった貴族である。


 ヴィクトルが領主として君臨して以降、のどかであったリングル村は劇的な変貌を遂げた。

 彼は領主としての手腕を遺憾なく発揮し、領内の寒村をまとめ上げ、民たちの生活を豊かなものとした。ヴィクトルが来て以降、農作物は実り、狩猟の成果は上がり、天災による被害は激減し、新たなる商売で富を得た。

 というのもヴィクトルは、特殊な能力を有していたのだった。


 この世には、大別すると、三種類の人類が存在する。

 まずは人口の多数を占める『ミュート』。彼らは特殊能力を有しない、一般の民である。

 そのミュートを束ねるのは、超人的に五感の発達した特殊能力を有する『センチネル』だ。

 センチネルの能力は、個人差はあれど凄まじく、一人のセンチネルで一国を滅ぼしたという逸話が残るほどである。

 しかしセンチネルの数はミュートに比べると格段に少ない。そして、その能力も無尽蔵ではなかった。


 センチネルはおのれの力を使うたび、感覚の制御が難しくなり、適切なケアを受けなければ昏睡状態……最悪の場合死に至ることもある。つまり、能力は強大だが、それにともなうリスクも限りなく大きいのである。

 センチネルのケアを、一般の民ミュートが担うことはできない。ふつうの医術ではセンチネルを癒せない。

 それができるのが、『ガイド』という人種である。


 ガイドは希少なセンチネルよりなお、その数が少ないとされる。

 エリオットはガイドであった。おのれがガイドである、ということをエリオット自身は知らなかった。村では誰も、そんなことを気にしていなかったから。

ある日森の中でプティーと遊んでいるところをヴィクトルに見つかり、そのまま屋敷へと連行された。そのときに初めて、幻獣が見えるのはガイドだけだと知らされたのだ。


 エリオットが捕らえられたとき、ヴィクトルの屋敷の隠し部屋には、他にも幾人ものガイドの姿があった。全員が麻袋をかぶせられていたので、見知った顔があるのかどうかもわからなかった。

 おまえたちは俺のものだ、とヴィクトルは言った。

 ガイドはセンチネルのためのものであるから、俺の役に立て、と。


 そこからエリオットの地獄が始まった。

 ガイドがなんであるかもわからないまま、ヴィクトルに『使われる』こととなったのだ。


 ヴィクトルはガイドたちを『使い捨て』た。

 頭に麻袋をかぶせ、『モノ』として扱い、使えなくなったら捨てる。

 エリオットは自分よりも(恐らく)年長のガイドのひとりに、ヴィクトルがセンチネルだと教わった。


「領主さまはセンチネルの能力を使って村を治めているんだ。そのために僕たちが必要なんだよ。僕たちは、領主さまが領地を繁栄させるための人身御供だ」


 そう語った彼は、ひと月後には物言わぬ死体となって、部屋から連れ出されていった。




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