第3話 奇跡の一歩
外は正に世紀末そのもの。
地面が裂け、空の割れ目から闇が降り注ぐ。
爆風を真正面から受け、熱い砂埃が肺を焼いた。
義足は壊れていたが、どうにか装着できた。
金具は歪み、重心は傾いている。
それでも歩ける。
歩かなくては。
あの人に――
夜空に、会うために。
道路は波打ち、ひび割れていく。
遠くで建物が崩れる音。赤黒く染まった空を稲妻が走る。
強烈なガスの臭いが喉の奥を刺激する。
思い通りにならない義足を引きずりながら、私は
――あと少し。月の影公園まで。
いつの間にか指先に生温かい血が滲んでいる。いつ、どう転んで怪我をしたのかさえ、思い出せない。
痛みは感じなかった。
ただ、夜空の言葉だけが頭の中を巡っていた。
いつしか無機質なテキストは温もりを帯び、聴いた事もない彼の声が重なる。
「いつか、この世が終わる時が来るのなら、さくらに逢いたい」
会いたい……私も。
やっとの思いで辿り着いた公園は、焼け焦げた鉄の匂いに満ちていた。
噴水の縁は崩れ、水は縦横無尽に筋を成している。
その向こうに一人立つ影が視界に映り込んだ。
黒髪の短髪。
しゃんと背を伸ばして空を見つめる男性。
夜空……?。
そちらに手を伸ばした瞬間、足元の地面が爆音と共に砕けた。
世界が崩れ落ちる。
重力も、音も、熱も、光も、全てが遠のいていった。
私の人生は、もう終わったのだ。
夜空の背中を胸に焼き付けて、私は意識を手放した。
* * *
穏やかな風がやけに優しくて、オレンジ色を映すまぶたを開けた。
「え? ここは……」
どこか懐かしい匂いと共に、あおあおとした世界が視界を染める。
セミの声が響いている。
草の匂い。土の匂い。太陽の熱。
あの赤黒い終末とは正反対の、まぶしい夏の田園風景。
イメージとは程遠い死後の世界に、私は息を呑む。
背の高い夏草の中に横たわっていたようだ。
体中を這うような痛みを感じながら、上半身を起こした。
――ここは……。
懐かしいはずの光景に、吐き気が込み上げる。
視界の先には、町営住宅の長屋。
風が吹けば崩れ去りそうなおんぼろ長屋は、不衛生で隙間風だらけだという事を、私は知っている。
ボロを隠すように塗られた壁はわざとらしく白い。
私が七海と知り合うまで暮らしていた団地だ。
「どういう事?」
あの団地はもう、とっくに取り壊されたはず。
あの頃の記憶が
ぼろぼろになった義足をどうにか地につけて、立ち上がった。
ガクン、ガクンっと不安定に揺れる体を支えながら、辺りを見渡した。
紛れもなくここは私が生まれ育った町。
夏休みだろうか? 遠くで子供たちの声がこだましている。
「おにいちゃーん、まってーー」
舌ったらずの女の子の声。
そちらに視線を向けて、思わず呼吸が止まった。
小学生ぐらいの男の子の自転車を、三輪車で追いかける小さな女の子。
「え?? そんな、バカな」
忘れもしない、この光景。
それは、事故にあう前の私だったのだ。
反射的に立ち上がり、義足を引きずりながら駆け出した。
灼けたガードレールで体を支えながら、5歳の私を追いかける。
ダメ! そっちはダメ!!
この後の交通事故で、私は右足を失う。
足元はふらつき、呼吸が乱れる。
あの角を曲がった先で、トラックにはねられる。
「待って! 行かないで!」
叫んでも、子供の私は振り返らない。
風が声をさらっていく。
これは夢だろうか?
死ぬ前に
幼い兄妹は、横断歩道のない曲がり角に差し掛かる。
「止まって! お願い」
あの角を飛び出したら、トラックが――。
私は歩道の小石につまずき、倒れ込んだ。
義足が滑り、したたかに膝を打った。
5歳の私は今まさに、兄の自転車を追いかけて、角を飛びだす寸前。
「ダメーーー!! 危ない!!」
そう叫んだ時だった。
視界を黒い影が横切った。
思わずぎゅっと目を閉じた。
キキキキーーーーっとブレーキの音が響く。
「危なねぇな! バカが! 子供、ちゃんと見とけよ」
怒鳴り声が聴こえて、そっと目を開けると、5歳の私は、スーツ姿の男性に抱き上げられていた。
「すいません」
男性は汗を拭いながらトラックのドライバーに頭を下げると、5歳の私を優しく地面に下ろした。
頭をポンポンと撫でながら、何やら話しているが、ここからはなんて言っているのかは聞き取れない。
「え? もしかして……」
変わった?
私が大声を上げた事で、人が動いてくれた。
助かったの? 私……。
運命が……変わった?
そう認識した途端、ないはずの右足に激痛が走った。
忘れたはずの痛みが、骨の奥から
幻肢痛だ。
何度も何度も、こうしてどうしようもない痛みに耐えて生きて来たのだ。
「ううううっ、あああああああーーーーーー」
思わずうなり声を上げると、先ほどのスーツ姿の男性がこちらに駆けよって来た。
「大丈夫ですか? お怪我……ですか?」
薄着でボロボロの私に、驚きを隠せない様子。
「いえ、大丈夫です。足が……痛むだけなので」
「足?」
男性は私の投げ出した足元に屈み込むと、義足の状態を確かめるように、触れた。
「いや! やめて!」
義足だと知られたくない。
「痛みますか? 少し擦り傷が出来てますけど、見たところ、骨折はなさそうですね」
心配そうに眉根を寄せた後、
「え? こっせつ……?」
慌てて右足をさすると、これまで感じた事のない感覚を覚える。
「あーーーーーー!!! 足!!」
泣き笑いのような声が、自分のものだと気づくのに、少し時間がかかった。
義足が生身の足に変わっている?
私の右足は、いつの間にか温もりを取り戻していた。
擦り傷だらけで、ぼろぼろだけど、
「あ、ああ、ありがとうございます。本当に、助けて頂いて、ありがとう……ございました」
これまでの人生で、喜びの涙など、流した事があっただろうか?
きょとんとする男性の足元に泣き崩れ、私はその場からしばらく動く事ができなかった。
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