6話 ロシアより愛を込めて

マグライトとランタンを両手に、アギトはゆっくりと地下へ降りていった。

階段は海風を含んだ湿気で冷え、鉄骨の匂いが鼻を刺す。


──ラズリのことも、もう頭にない。

目の前の作業に集中する時、彼はスイッチを切り替える。

そのせいでデートをすっぽかし、高いプレゼントを買わされたことが何度もあるが、本人はどこ吹く風だった。


資料によれば、この地下施設は地下三階まで。

地下1階には何もなく、地下2階には「例の宝箱」があったが、人が入った痕跡がくっきり残っていた。


蓋を開けると、ぎっしり詰まった軍票。

だがそれは“想定内”。


普通なら、本命はさらに下──地下3階だと考える。


干潮を狙って来たが、案の定、地下2階から3階へ降りる階段は海水で満たされていた。

潜ることもできたが、アギトは即座に切り捨てる。


──先客も同じ判断をしただろう。

ならば地下3階は既に空だ。


だからこそ、彼は“最新式の磁場測定器”を持ち込んでいる。


一度1階に戻り、バックパックから測定器を取り出す。

プローブの先端で壁をゆっくりなぞると、三つ目の部屋で反応があった。

コンクリートにわずかなクラック。


呼吸を整え、掌底で軽く叩く。

普通の人間では気づかない微細な差──空洞だ。


表面だけラスモルタルで整え、その上から古いブロックを左官で均した痕跡。


プラスチックハンマーで叩くと、壁は静かに“回転”した。

七十年も電磁錠が生きているわけがない。


奥の小部屋には、大きな箱に収められた手提げ金庫ほどの木箱。

蓋を開けると三つの仕切りに分かれており──


左には金のインゴット。

中央にはダイヤモンドなどの宝石。

右には昭和初期の二十円金貨。


おそらく戦時中、民間から徴収した“表に出ない資金”だ。


黄金の山というより、これは“戦争が地下に落とした影”だ。

自然とそんな言葉が脳裏に浮かんだ。


モンテ・クリスト伯の財宝も確かこんな感じだったな──

アギトは金貨を数枚、ダイヤを四粒だけポケットに入れた。


* * *


トレーラーに戻ると、革ツナギ姿のラズリが007のテーマをBGMに

ワルサーを片手に、猫を抱いて出て来た。

今日のFMは映画音楽のリクエスト特集だ。


「どうだった?」

「ああ、お宝がいっぱいだった。」


アギトは軍票の束を机に置いた。

続けて額縁の小さな油絵──子犬を描いたノーネーム作品を並べる。


ラズリの目が柔らかく揺れる。


「可愛い……これ、気に入って持ってきたのね?」

「なんとなく、波長が良かった。」


「多分これ、セザンヌよ。でも保存がとても良いわね。」


「分かるのか?」

「何枚も見てきたけど、同じ“振動”がある。」


ラズリは美術品と宝石の鑑定役。

波長で判断するのが彼女らしい。


アギトは同時に、地下室で弾薬を保存するのに使っていた楢崎流風水が、

絵画の保存にも役立つ事を、改めて認識する。


「じゃあこれは?」

アギトはブリリアントカットのダイヤを見せた。


ラズリはダイヤより先に、ダイヤを持つアギトの“指の動き”を見ていた。

その癖は、職業病であり──恋の予兆でもあった。


ラズリは一瞥して頷く。

「本物。しかも五カラット。──おめでとう、婚約のプレゼントだわね?」


冗談めかした声だったが、アギトは静かに言った。


「俺じゃいけないか?」


ラズリは一瞬だけ固まり、それからゆっくり微笑む。


「それって……プロポーズの予行演習?」


アギトは首を横に振った。


その瞬間、FMがちょうど曲間の“無音”へ切り替わる。

静寂が二人の間を満たし──

その沈黙自体が「言え」と背中を押しているようだった。


「──いや。本番だ。」


地下の冷気がふっと蘇るような声だった。

ラズリの胸がかすかに震え、ラピスが小さく啼く。


「……嬉しい。喜んで。」


「ではニューグランドホテルを貸し切りにするか?」

アギトが笑う。


FMはちょうど、マット・モンローの

『ロシアより愛をこめて』 に切り替わった。


アギトがラズリを抱き寄せると

「ダメよ、ホコリだらけでしょ」

「じゃあシャワーを浴びて来る、そっちも着替えていてくれ。。」


ラピスが足元で頭をすり寄せた。

その仕草だけが、この奇妙な宝探しに、やわらかな現実味を残していた。


アギトがシャワーを浴びていると──インタフォンが鳴った。


一度無視したが、数秒後にもう一度鳴る。更に数秒後にもう一度。


「郵便配達は二度ベルを鳴らす……だっけか?

誰か知らんが、野暮な奴め。。」


アギトはお気に入りのアロハシャツを羽織り、

同じく男モノのワイシャツ姿のラズリを伴って入り口ハッチの前に立つ。


夜気が冷たい。

前面道路には赤いカローラオーリス。


チャイムを鳴らしたその人物は──赤井 彗だった。


アギトは露骨に眉をひそめた。


「……お前、なんでここにいる。」


「いやぁ……胸騒ぎがしてさ。

先輩、今日なにか“重大イベント”を起こす気がしたんだよね。」


アギトとラズリが視線を交わす。


ラピスが足元で「にゃあ」と鳴く。


赤井はそれを見て、さらに意味深な顔になる。


赤井は内心激しくショックを受けていた。


金髪ショート。

無機質なまでに整った横顔。

ワイシャツの袖から覗く、陶器のような白い肌。

そして──ワルサーを持つ細い指。


「……人造人間18号……?」


思わず心の中で呟いてしまった。


赤井にとって18号は、

“究極のクール系美少女”の代名詞だった。


そのクールな美少女人造人間を3次元に置き換えた様な金髪の女の子が、

男モノのワイシャツ姿で、しかも”ワルサー”を持って立っているのだ。


アギトは額に手を当て、低く呟いた。


「頼みがある……今すぐ帰れ。」


問答無用にとアギトがトレーラーのハッチを閉めると──


外に取り残された赤井は、缶コーヒーを持ったまま放心する。


今までも人の3倍のスピードで振られることはあったが、

今日は3倍速で追い出され、

一言も話さないうちに恋が終わった。


キャンピングトレーラーを振り返って、赤井は

「やるじゃないか、アギト先輩、覚えてろよ!」


エンジンチューンを済ませたばかりのカローラオーリスのエンジンを掛ける。

FMから流れて来るのは、コミュナーズの「ネバーキャンセイグッバイ」。


「ア・バ・ヨ!」

普段の3倍のスピードでスタートしていった。


トレーラーの中ではFMから流れるマット・モンローの歌声が、

“フロム・ロシア・ウィズ・ラブ” とフェードアウトしていく。


アギトとラズリは畳ベッドに倒れ込んだ。


ラズリの手が、空中でそっと誰かを抱くように揺れた。

それは──兄ラピスを想う時、彼女が無意識に描く軌跡だった。



四部 完

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『ダークヒーロー志願ー笑う蠍ー』 白乾兒 @naruko143

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