雷鞭スパァァク子爵令嬢 ~この口は禍の元ですが、何としても年下幼馴染美少年と添い遂げて見せるのです~
第八のコジカ
伯爵令嬢のお茶会にて
「口は禍の元」。
あの日。その事を身に染みて理解したつもりだったのですけれど……。
ああ、そういえば。まだカトリーナ様にはキチンとお話ししておりませんでしたね。はい。全てお話しいたします。アントワーヌとドナテラも。お二人にはもう何度も聴いて頂いたけれど。もう一度、お付き合い頂けると嬉しいわ。
ありがとう。そういったお話をする為の「お茶会」ですものね。ふふ。では、張り切っていかせて頂きますわ!
あの夜。アタシ、この子爵令嬢。マリッサ・ツー・ラトビリスが。カトリーナ様とお会いする直前に。ペラペラと喋ってしまう、この「口」のせいで、どのような禍に合っていたのか――
皇宮舞踏会には、ヨハンと連れ立って出席しておりました。ヨハンというのは、アタシの婚約者でして。はい。幼馴染の。彼の方がアタシより、ひとつ年下なんですけど。あ、そうです。ハルディーノ子爵家の長男で。
舞踏会場にはかなり早い時間に着いておりましたんです。豪華なビュッフェのテーブルを前に『せっかくだから、社交で忙しくなる前に料理を頂いておこうよ。』と、ヨハンが言い出しまして。それで各々好きなものを皿に盛り、窓際のテーブルについて食べ始めました。
アタシは色んなお料理を少しずつバランスよく頂いたのですけれど、ヨハンったら肉料理ばかり選んでいて。昔から偏食気味で改めるよう言ってるのですけれどダメで。それで、肉料理の付け合わせの、あの人参を甘く煮たものがありますでしょ? あれを別で取ってきて、彼の皿に数個、取り分けたんです。
『はい、ヨハン。これもお食べなさい。』
って。未来の妻といたしましては、今からでも夫の健康に気を配らないとと思い。いっそこの機会に偏食を改めさせてしまおう、と。
『甘ぁく煮てあって美味しいわよ。』
そう言いましたら、なんだかヨハン、ムッとしちゃいまして。
『よしてくれよ。僕がそれ苦手なの知ってるだろ?』
なんて言うなり、フォークでこう、フイっと皿の端にのけちゃうんですのよ、マナーの悪い。それでその露骨な態度にアタシも少々腹が立ったもんですから、意地になってしまいまして。こう、クイッと、持っていたフォークで人参を皿の中央に戻してやりましたんです。
『もう子どもじゃないんだから。いい加減、好き嫌い言わないで食べられるようになりなさい。』
『母親気取りはやめてよ。』
それからはもう、本当にマナーも何もあったものではなかったのですけど。フォークでカチャカチャ、人参をあっちにやったりこっちにしたり。
『母親違います。妻です。未来の妻。』
『妻なら旦那の言う事には従うものじゃないの?』
『その旦那様の健康を思って言ってるんですぅ!』
それでその流れでつい、言ってしまったのです。
『ヨハン! そんなんじゃアナタ、大きくなれないわよっ!』
前々から、その、ヨハンが背の低いのを気にしていると知っておりましたもので。それをつい絡めて言ってしまって。
『…………。』
しまった、と思ったときにはもう遅くて。ヨハンたら、かつて無いくらいに顔を真っ赤にして。手もワナワナ震わせて。あ、コレはマズイ。相当に怒らせてしまったぞ、と。それですぐさま、
『ごめんなさい。ヨハン。でも、そういうつもりじゃなくて』
取り繕おうとしたんですけれど、彼はテーブルをガチャーン! といわせながら立ち上がって、
『悪かったなチビでっ!』
声を上擦らせて怒鳴ってきたんです。
『チビなのがそんなに心配か! 隣にチビが並んでたらそんなに恥ずかしいか! あぁ申し訳ないね申し訳ないねぇ!』
『違う。アタシ、ヨハンのこと「チビ」だなんて思ってな』
『嘘だっ! 身長が170センチ未満の男に人権はないとか思ってるんだろ、どうせさぁっ!』
どんどんヒートアップして。もう被せるようにワーッと言われたものですから。アタシもパニック状態で。それでついはずみで。また「口」にしてしまったんです。ええ、この状況で更に、です。でもこれだけは誤解しないで頂きたいのですけれど、悪意は微塵もございません。むしろアタシとしては、まったき好意のみなのです。
『ア、アタシは今の、そのままのヨハンが好きよ! アタシより1センチ背が低くても、女の子みたいに華奢でも、肌も白くて髪もサラサラでも。でもむしろ、それがイイ! 可愛くて愛らしいアナタのことが、アタシは昔からずっとずっと大好きなんだから!』
……分かっておりますわ。カトリーナ様。アントワーヌにドナテラも。そんな白い眼をなさって、アタシをお責めにならないで。いたたまれなくなりますから。それに発言の責めはもう、その場でキッチリ受けさせられました。他ならぬ、ヨハンの言葉でもってして。
『こ、ここ、婚約破棄だぁぁっ!』
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。
「クソデカ溜め息」も出ようってものですわ。「クソデカ溜め息」。巷で最近流行っている庶民言葉ですのよ、カトリーナ様。
それにしても。本当にあの瞬間は生きた心地がいたしませんでした。まさかヨハンの口から「婚約破棄」だなんて言葉が出てこようとは、夢にも思いませんでしたから。アタシ、もう涙目で、立っているのもやっとで。
――そんな時でした。彼らがやって来たのは。アタシとヨハンの、この危機的状況を回避させてくれる、天の御使いが如き御仁たちが現れたのです――
『よぉ。ヨハン、マリッサ。なんだ? まぁた姉弟喧嘩してやがんのかぁ?』
コチラを小馬鹿にした物言い。それに追従する複数の嘲笑。その天の御使いは、服装こそアタシたちと同じ下級貴族のそれですが、各々に酒杯を手にした、見るからにガラの悪い五人のならず者たちでした。
『聴こえたぜぇ? ヨハン。お前ら、婚約破棄するんだって?』
言うなり、馴れ馴れしくヨハンの肩に腕を回し、酒臭い息を吹きかけてきた男の名は、ロイド。ロイド・ツー・ダンブルデン。ダンブルデン子爵家の三男坊です。アタシとヨハン共通のゆ、知人で。彼ともまぁ、言ってみれば幼馴染のようなものなのですが、
『おめでとう。マリッサ。前々からヨハンみたいな「チビ」と、お前みたいに良い女とじゃ、不釣り合いだと思ってたんだよ、俺ぁ。』
という具合で。関わり方の大半がいじめっ子のソレなので、ほぼ交流など無いに等しいのですけれど。どういう訳か昔からよくアタシたちに絡んでくるのです。
『どうだ? 次の婚約者には、このロイド様がなってやろうか?』
『結構よ! 酒臭い口で、デリカシーの無い戯言をまくし立てる方と婚約なんて。まっぴらごめんですわ。』
『言うじゃねぇか。だが、コイツと別れるってんならよ。俺の他に、お前みたいな「口」から先に生まれてきたような女、貰ってくれる男は居ねぇと思うぜぇ?』
いつもであれば、少し強く言えばすぐ引くのですけれど、あの日は妙にしつこくて。しかもロイドの奴、不遜な笑みを浮かべ、さも諧謔を弄する俺
『嫌ですわぁ、ロイド。本当に嫌ですわぁっ! アナタ、なにか勘違いなさってなくて? 酒癖が悪い、女癖が悪い、おまけに金遣いも荒ければ、およそ紳士としての物言いも態度もなってない。そんなアナタが、アタシを「貰ってくれる」ですって? え? 「貰ってくれる」? ほほ。何様のつもりですのぉ? アタシ、生まれ過ぎた仔猫じゃございませんのよ。一人の、れっきとした淑女ですの。どなたを愛し、一生を添い遂げるのかは、アタシ自身が決めること。アナタのような、ただ貴族の家に生まれたというだけで、何の努力も研鑽もせず日々ダラダラと飲み暮らしているだけの、人型をした廃棄物とこのアタシが結ばれる、なぁんて事は絶対にあり得ませんわ! お酒で頭がおやられになっているのでしょうけど、寝言はどうぞ、ベッドで寝てから言ってくださいましっ!!』
ほぼ一息でまくしたててやりましたの。ですが、殿方の自尊心というものを公衆の面前で追い詰める事の危うさ。やはり、この「口」は禍を呼び寄せてしまいました。
『こ、テメェッ!』
ロイドが手にしていた酒杯を床に叩きつけました。口で言い返せなかった憤りを、唐突な暴力に変換させた訳ですわね。すでに酔いで赤ら顔だったのを怒りで更に紅潮させて。粉々に砕けたグラスは、赤い葡萄酒と共に周囲に飛び散っていましたわ。
『マリッサァ。下手に出てりゃペラペラ調子に乗りやがって。どけゴルァッ!』
『あ、ヨハン! きゃっ。』
一方的に肩を組んでいたヨハンを突き飛ばし、更にテーブルまでも蹴倒して。あろうことかロイドは懐から短剣を取り出し、アタシに向けて突き付けていたのです!
『どういうおつもり?』
『言われなきゃ分からねぇか?』
『そうですわね。愚問でしたわ。』
いいえ、カトリーナ様。肝が据わっている、というのとは少し違うと思います。何と申しますか、妙に白けた、という感じだったのです。だってそうではありませんか。場所は皇宮の舞踏会場。その日は皇子殿下の御誕生日。このめでたき日に、下級貴族の三男坊が個人的な諍いで他家の令嬢に刃傷沙汰を起こそうだなんて。いくら酒に酔っているとはいえ、少しでも考える頭があるなら、後に自分や家がどのような処分を下されるか位、分かろうというものですわ。
『要するに、何も考えていらっしゃらない、と。』
『あぁっ!?』
加えて、ロイドがテーブルをひっくり返した事で、すぐ侍女の一人が衛兵の方へと走って行くのが見えましたから。ほどなくして駆け付けた屈強な兵らに、ロイドは取り押さえられてしまうでしょう。状況説明の為、アタシたちも聴取を受ける事になりますから、それは面倒だな、と思ったくらいで。
『随分と余裕じゃねぇか? マリッサ。お前、この状況分かってんのか?』
『そのお言葉、そっくりそのままお返ししますわ。』
アタシの鼻白んだ態度に、ロイドの取り巻きたちも状況のマズさを察したようで、チラチラと周囲とロイドの顔色を窺っておりました。でも当のロイドは全く気付いていない様子で。ジリジリと短剣を構えたままアタシへ迫ろうとします。
ところへ――
『やめろ! 乱暴はよせっ!』
なんとヨハンが、アタシをその背に庇い、果敢にもロイドの前に立ち塞がってくれたのです!
『ヨ、ヨハン。いいのよ、アナタはそんな事しなくても!』
『何を言うんだマリッサ。君が危ない目に遭っている時に護ろうとしないで、どうして僕が、許嫁だなんて言えるんだ!』
……本当に、そんな時でも場合でも無かったのは重々承知しておりますが。アタシは彼を後ろから強く抱き締めたい衝動に駆られました。
『う、うわあああああああっ!!』
一世一代の勇気を振り絞り、ヨハンは果敢にもロイド目掛けて体当たりを繰り出したのです。残念ながら押し倒すまでには至りませんが、必死に相手の腰回りにしがみつき、何としてもアタシを護る! という気概はヒシヒシと伝わってまいりましたわ。
『このチビ、放しやがれっ!』
『マリッサ! 今のうちに逃げてぇっ!』
逃げずとも、もうすぐに衛兵たちが騒ぎを治めてくれる、そうは思ったのですが。でもヨハンの、アタシを想ってくれての行動が嬉しくて誇らしくて。アタシは反射的に彼が望むとおりの「許嫁に命懸けで護られる可憐な乙女」を演じ切ろうと思ったのです。
『あぁっ。ヨハン!』
なんて声まで漏らし、目に涙さえ浮かべてみせて。でも内心では、
(きゃぁあああーっ!! アタシのヨハン! アタシの旦那様最高ぅぅぅぅーっ!!)
と、花畑で宙返りするような心持ちでした。
……カトリーナ様。お叱りはごもっともです。アントワーヌ、ドナテラ。お二人の『ちょっと、それはどうかと思う。』という諫言、肝に銘じておきたいとも思うわ。共感、分かって頂きたい、なんて甘い事は申しません。でもコレだけは断言いたします。アタシ、あの瞬間、この胸を高鳴らせておりましたのっ!
とにかく駆け出しました。どこへ? 分かりません。『逃げてぇっ!』と言われたので、とりあえずロイドたちとは逆方向へ。
『おい、お前ら! マリッサを逃がすな!』
ロイドに檄を飛ばされ、ハッと我に返ったのでしょう取り巻きたちは、すぐさまアタシを追い掛けて来ましたわ。
『待て! 逃がさねぇぞ!』
そんな言葉に紛れて、ヨハンの『きゃっ!』という可愛い悲鳴が聴こえた気がして。ロイドに殴られるか振り払われるかしたのだと思います。よっぽど戻って、ロイドの喉笛をこの口でもって嚙み千切り、ヨハンを手厚く介抱しようかとも考えたのですけれど。ここまでのせっかくのヨハンの頑張りを無駄には出来ない。そう思い直し後ろ髪をガッツリ引かれつつも駆け続けました。
舞踏会場の扉をくぐり、皇宮の長い廊下を抜け、建物の外へと飛び出し、庭園の樹々の間を縫うようにして。
『まてぇ! おい、本当にまてってぇ……!』
追っ手の男たちの声は随分と遠くから発せられていたように思います。ふと気付けば、アタシは見知らぬ場所へと迷い込んでおりました。
『あ、あら? ここは……?』
見れば、数頭の馬たちが平屋の建物の窓から首だけを出し「ブルルッ」と、アタシを窺うように鼻を鳴らしていて。
『馬小屋。』
いくら無我夢中だったとはいえ、随分と遠い所まで逃げていたようです。アレはおそらく庭園東側の外れ。厩舎の立ち並ぶ一角だったのだと思います。距離にすると舞踏会場から数百メートルは離れていたでしょうか。
おりしも空は黒雲に覆われ始め、夕陽を遮って辺りを不穏な感じに暗くしていて。ゴロゴロと低い響きで遠雷までもが聴こえてきておりました。
『居たぞっ! こっちだーっ!』
咄嗟にアタシは厩舎の中へと逃げ込みます。中は外よりも薄暗く干し草と
その中のひとつに馬が居ない
(シィッ。)
アタシはその馬に人差し指を唇へあてるポーズをして。それから扉の陰に身を潜めたのです。
ほどなくしてバタバタとロイドたちの足音が聴こえてきて。
『……ハァッ、ハァッ! もぉ逃がさねぇぞ? えぇマリッサァッ! ウェッゴホ、ゴッホ!』
酔っ払っていたせいなのかそれとも日頃の運動不足のせいなのか。男たちは皆一様に息を切らせ、中にはえづいている者までいる始末でしたわ。でも、
『ハァハァ。おい、お前。反対側の、ハァッ、いり、入り口に回れ。』
悪知恵だけは回るようで。追っ手たちはアタシを挟み撃ちにするつもりです。
跳ね上げ式の窓を開け、壁を乗り越えれば再び外へと逃げられますが、どうせ気配で察せられてしまうだろうし、もういい加減アタシも決着を、と思い覚悟を決めました。
――そのとき。コツン、と。足先に何かが触れて。
『コレは!』
アタシは偶然にも地面に落ちていたそれを拾い、顔を上げました。すると先程の黒馬と再び目が合って。彼は「やるのかい? お嬢さん。」とニヒルに笑い掛けているように思えて。思わずアタシもニヤリと笑みを返しました。
『マリッサァアーーッ!! 出てこいよぉ? 鬼ごっこの次はカクレンボでもしようってのかぁ?』
厩舎内にようやく呼吸を整えられたらしいロイドの大声が響き渡りました。それと同時に男たちが入口の方から順に馬房内を覗き込み、アタシが隠れていないかを確認している様子が窺えます。
また時を同じくしてとうとう雨が降り出しました。建物の屋根を打つ雨音がみる間にその激しさを増していき、雷もどんどんコチラに近付いているようでした。
(ええい、ままよっ! だわ。)
アタシは意を決し、先程拾ったそれを右手に強く握りしめて通路へ飛び出しました。
『おぅ、マリッサ。もう、カクレンボは終わり』
スパァンッ!
ロイドの言葉を遮るようにして、横薙ぎで一閃。厩舎の柱をそれで打ち据えました。そうです。地面に落ちていたのは乗馬鞭。いわゆる短鞭と呼ばれるもので、革製の、70センチ程の長さのものでした。
『随分と物騒なモノ持ってんじゃねぇか。』
『短剣手にした殿方が。まさに「おまゆう」ですわね。』
自らの言動を棚上げした相手に「お前がゆうな。」の意でもって煽る庶民言葉。煽り成分が多めですので、コレを言われた相手はだいたい自動的に怒りで我を忘れます。
『あぁもぅ! ああぁもうっ! つくづく口から先に産まれた女だなお前はっ!』
『どういたしまして。』
『あああああっ!!』
癇癪を起こし、地団駄を踏んだロイドのように。
『それよりも! さっきはよくも恥をかかせてくれたなっ! どう詫るつもりだ? それともなにか? その物騒なモン振り回して、俺らとやり合おうってのか?』
(さて。どう切り抜けたものかしらね……。)
短鞭を油断なく構え、どうしようかと思案していたとき。ふいに馬房から首を伸ばし、かの黒馬がアタシの肩の辺りを噛んできたのです。
『え?』
思わず振り向けば、彼は目を細め『ここはオイラに任せな。』と言ってくれているような顔をしていて。
それで、ひらめきました。
アタシは頷き、次いで勢い良く彼が収められていた馬房の扉を開きました。更に景気づけに一撃。スパンッ! と黒馬の引き締まった臀部を鞭で打ちましたわ!
『ヒヒィィィィンッ!!』
『うわっ! うわあああああーっ!!』
黒馬は鋭く嘶き、前脚を持ち上げ立ち上がりました。頭が厩舎の天井に届きそうな程の高さで。ロイドたちは突然飛び出してきた黒馬に驚き、それを避けようとするも、
『ぐわっ。』
『げっ。』
逞しい馬体を当てられ、ドンッ! と壁際へ跳ね飛ばされてしまいました。それから黒馬は一足飛びに出口まで駆けると振り返り『さぁ、お嬢さん!』という顔!
『ありがとう!』
アタシも彼に続けと、悪漢らが怯んだ隙を突いて駆け出します。
『あ! テメッ!』
そんなアタシを逃がすまいと、男が手を伸ばしてきましたけれど、
『いやぁっ!!』
スパァンッ!
その手を短鞭で強かに打ち据えてやりました。すると! 何たる偶然か! 厩舎の直ぐそばへ、アタシの一撃に合わせるようにして雷が落ちたのです! こう、ピカッ! スパァ、ピシャァァァンッ!! って具合に。
『ぎゃああああーっ!!』
男はまるで電撃を喰らったかのように、打たれた手を押さえ地に伏し痙攣しておりました。
『やりやがったなァっ!!』
すかさず別の男が飛び掛かって来ましたけれど。アタシは冷静にそれをかわし、また一撃。世界を白く染め上げるような強烈な光の中、男の頬めがけ短鞭を振り抜いたのです。
スパァッ!
ピシャァァァンッ!!
まさに神がかり的タイミング! またもやアタシの一撃に合わせ落雷が起こったのです!
……分かる。分かるわ。アントワーヌ。ドナテラ。何遍聴いても、このエピソードの「ここだけは信じられない」って、そのお顔。アタシだって、いまだにアレは夢だったのじゃないかと疑うくらいだもの。でもね、考えてもみて? 「口から先に生まれた女」とまで呼ばれたアタシだけど、嘘や作り話が得意な訳ではないの。多少の誇張が入っているのは否めないけれど、アタシは確信してる。あの時、あの場においてだけ、アタシは雷を操れていたのだわ!
『ぎゃぁぁぁぁーっ!』
頬を打ち抜いてやった男も、あたかも感電したかのように地面で痙攣しておりました。そんな雷にやられたかのような仲間の様子を見て、
『な、なんだ? どうなってる?』
男の1人が明らかに混乱し始めておりました。
『は? なぜ、この女が鞭を振るうと雷が落ちてくる? え? 偶然? いや、まさか……この女、雷を操れる魔女? 魔女なのかっ!?』
言うに事欠いて、とは思いましたが。アタシは相手の動揺に浸け込む事にいたしました。アタシ自身、半ば本気で雷を操れている気にもなっておりましたし。
アタシは、天空に再び強力な気が満ちてゆくのを感じながら、ゆっくりと鞭を振り上げました。そして、その瞬間を捉え、力一杯に振り抜き地面を打ちました!
スパァァァンッ!!
ドォオオオオオオオオンッ!!
辺りは一瞬、真昼のように明るく、そしてひと際大きな雷轟が響き渡りました。ちょうど厩舎のすぐ脇の立ち木に落雷が直撃し、木がバァンッと、爆ぜるようにして真っ二つに裂け、燃え上がって。
『えええええーっ!!?』
加えて、ゴオオーッ! と、窓から厩舎内に突風が吹き込んできて。干し草が舞い踊り、馬たちが驚き暴れ回ります。それを目の当たりにしたロイド達は、まさに恐慌状態。尻餅までついて、
『ややや、やっぱり魔女だ! この女! 雷撃を操れる魔女だったんだ!』
『バ、バカ野郎っ! そんなわけあるか! ただの偶然だ、偶然!』
『でもロイド!』
『常識で考えろって! 人間に、しかもこんな「口」だけの女に、雷なんかを操れるわけないだろがっ! えーっ? ない? ないよなぁっ!?』
腰砕けの状態で言い合いながら、後退りするロイドたち。その情けない姿を見てアタシは必死に笑いを堪えながら、勝利をより確定的なものにするため、ダメ押しをしたのです。
『……ロイド。どうやらアナタ達は、知ってはいけない秘密を知ってしまったようね……。』
外連味たっぷりに嗤って。まんまとロイドらの妄想に乗っかってやりました。
『ひいっ。』
『お察しの通り、アタシは魔女……。』
ゴロゴロゴロゴロ……。
アタシは怯え竦む男たちの前に立ちはだかり、見せつけるように、もう一度、ゆっくりと鞭を振り上げて。
『わ、わ、やめっ。』
『待ってくれぇ、マリッサ!』
『そう! アタシの正体は! 雷を自在に操る、雷撃の魔女・マリッサなのよっ!』』
スパァァァンッ!
ピシャシャァァァァンッ!!
『『うわあああああああああーっ!!』』
ロイド達は悲鳴を上げ、我先にと出口へ向かい逃げ出しました。でも、
パカンッ!
『『ぐえぇっ……。』』
あえなく。出口付近で待ち構えてくれていた黒馬の、その後ろ脚に顎の辺りを鋭く蹴り上げられ、その場に気絶してしまいました。
『ブルルッ♪』
楽しそうに黒馬が鼻を鳴らしたので、アタシは感謝と、そして、やったね、の意味を込め、黒馬に向かって左手の親指を立てました。やれやれ、ようやくこれにて一件落着。
――そう思ったのですが。
『このアバズレがぁっ!』
『きゃぁっ⁉』
1人だけ、反対側の入り口から迫っていた男の事をすっかり失念しておりました。不意を突かれ、背後から首に腕を回されて、絞め上げられるような格好になってしまいましたの。しかも咄嗟の事に驚いて、せっかくの短鞭をも取り落してしまって。まさに大ピンチです。
『う、くっ。はな……し……。』
男は本気でアタシを絞め上げるつもりで、足が地面から持ち上がっていて。あ、まずい。これはまずい。このままでは本当に絞め殺されてしまう。男の腕に両手の爪を立て、必死に抵抗したのですが一向に敵わず。
(もう……ダメェッ!!)
そう思ったときでした。
『うわあああっ! 僕のマリッサを、放せぇぇーっ!』
おもむろにヨハンの声が響いて。そうして、男の脳天を背後から木の棒で殴り付ける、ドゴッ! という音が聴こえました。
『うぎっ。』
男は呻き、アタシを絞め上げていた腕を緩め、その場にドサリと崩れ落ちました。
『大丈夫かい? マリッサ!』
危ういところで解放され、その場にへたり込んでむせるアタシを、ヨハンは優しく抱き起こしてくれました。心配そうにアタシの顔を覗き込む彼の頬に手を伸ばして。
『あぁ、ヨハン! 来てくれて嬉しいわ。本当に嬉しい。』
『ううん。マリッサが危ないときに遅くなってごめんよ。』
『さっきは色々と余計な事を言ってしまって、本当にごめんなさい。』
『もう、いいんだ。僕も悪かったよ。婚約破棄だなんて、心にも無いことを言ってしまった。許しを請うべきは、僕の方こそだ。』
『いいえ。アタシの方がだわ。この口の軽率さを、きっと叩き直してみせるから。だから……。』
『勿論だよ。これからも君は僕の、そして僕を君の、婚約者で居させてくれるかい?』
『はい、喜んで!』
アタシたちはヒシと抱き合い、そうして互いの無事と、婚約の継続を喜び合ったのです。
手を取り合い厩舎の外に出てみれば、いつの間にか雨も雷もやみ、黒雲はすっかりと霧散しておりました。美しい夕陽が赤々と空を染め上げています。
『ヒヒィィィンッ!!』
まるでアタシたち二人を祝福するかのように、黒馬の甲高い嘶きが夕焼け空に木霊しましたわ。
……というのがまぁ、アタシの「口」から発した禍の一部始終でございます。この後に、カトリーナ様と出会ってこの命を救って頂くわけですが。そして、ロイドらに向かって言った「雷撃の魔女」なる言葉が、また別の禍を引き起こしていく訳なのですが……。それについては、先にアントワーヌとドナテラの話を聴いてから、またゆっくりと。ですわね。
雷鞭スパァァク子爵令嬢 ~この口は禍の元ですが、何としても年下幼馴染美少年と添い遂げて見せるのです~ 第八のコジカ @daihachi-no-kojika
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