第24話 響子と怜奈の友情の深化
あの雨の夜から数日が過ぎた。藤原誠人と篠宮怜奈の関係はその本質を何一つ変えなかった。しかし、その形は静かに、そして確実なものへと変容していた。二人の間に横たわっていた一方的な力学は互いの魂を縛り合う共依存へと昇華した。その絆は以前よりもさらに強固なものとなっていた。
そんなある日の昼下がり、怜奈は夕山響子を再びカフェへと誘った。前回と同じ、蔦の絡まるレンガ造りのお洒落な店だ。響子は怜奈からの突然の誘いに少し驚いたようだったが、その穏やかな瞳に柔らかな笑みを浮かべ喜んでそれに応じた。
店内は平日の昼下がりということもあり客の姿もまばらだった。窓際の席に座った二人の間には、アンティーク調のテーブルがある。運ばれてきたコーヒーとハーブティーがその上で静かに湯気を立てていた。
「急に呼び出してごめんなさい」
先に口火を切ったのは怜奈だった。その声にはいつものような計算された明るさではなく、ごく自然な響きがあった。
「ううん、うれしいよ。篠宮さんとまたゆっくりお話がしたかったから」
響子の声は人を安心させる不思議な力を持っていた。怜奈は、その穏やかな声に耳を傾けながら目の前の友人を静かに観察していた。自分とは全く異なる性質を持つこの人になら話してもいいのかもしれない。そんな思いが彼女の胸の内にふと芽生えていた。
「この間の話の、続きがしたくて」
怜奈はコーヒーカップを手に取りながら切り出した。
「夕山さんは、愛とは『受け入れること』だと言っていたわね」
「うん。私はそう思うかな」
「私は違う。愛は『創造するもの』だと思っている。……ねえ夕山さん。もし相手がそのままでいることが苦痛な人間だとしたら、それでもあなたはただ受け入れることが愛だと言える?」
その問いは明らかに藤原誠人のことを指していた。響子は怜奈の真剣な眼差しを受け止めながら、ゆっくりと言葉を探した。
「……そうだね。もしその人が変わりたいと願っていて、その手助けをすることがその人の本当の幸せに繋がるのなら。それはとても素敵なことだと思うわ」
「そう。彼はそうだったの」
怜奈は誰に聞かせるでもなく、自分自身に言い聞かせるように語り始めた。
「彼は自分に価値がないと思い込んでいた。灰色の世界でただ息をしているだけだった。でも、私には見えたの。彼の内側にある素晴らしい才能と誰よりも誠実な魂が。だから私は決めた。私が彼をこの世界で最も輝く男に作り変えてあげようって」
それは彼女の「育成計画」の紛れもない告白だった。もちろん、その計画が盗み聞きと秘密の共有という背徳的な土台の上に成り立っていることまでは話さない。しかし、その言葉の端々からは誠人に対する、歪んでいるが本物の愛情が確かに滲み出ていた。
「私は彼に服を買い与え、髪型を変えさせ、話し方を指導したわ。彼が最も苦手とする公の場に彼を立たせた。劣等感の象徴だった男と対等に話せるようにまでした。それは私のエゴだったのかもしれない。私の理想を彼に押し付けていただけなのかもしれない。でも……」
怜奈の言葉がそこで一度途切れる。彼女の瞳がわずかに潤んでいるのを響子は見逃さなかった。
「彼が変わっていく姿を見るのが何よりも嬉しかったの。自信を持って前を向いて歩くようになった彼を見るたびに、私の心はどうしようもなく満たされた。彼を創造することがいつしか私の生きる意味になっていたのよ」
そして、怜奈は意を決したように最後の真実を告げた。
「……私たちは先日、結ばれたわ」
その言葉の意味を響子は正確に理解した。怜奈は自分の処女を藤原誠人という男に捧げたのだ。
「それは私の育成計画の最終段階だった。でも、違った。あの瞬間、私は初めて支配者でも創造主でもなく、ただの一人の女になったの。彼の腕の中で私は生まれて初めて本当の意味で救われた気がした」
怜奈の頬を一筋の涙が伝った。完璧な美少女の仮面の下に隠されていた、生身の、脆く、そして愛を求める一人の人間の姿がそこにはあった。
響子は何も言わなかった。ただ静かに彼女の話に耳を傾けていた。そして、怜奈が全てを話し終えるのを待ってから、ゆっくりと自分のカップをそっと両手で包み込んだ。
「……そっか」
その一言には驚きも軽蔑も同情も含まれていなかった。ただ深い、深い受容だけがあった。
「篠宮さんは、すごいね」
響子は心からの賞賛を込めてそう言った。
「自分の信じる愛の形を貫き通して、そして本当に一人の人間を変えてしまったんだもの。それは誰にでもできることじゃないわ。とても強くて、そして美しい愛の形だと思う」
その言葉は怜奈が誰かに言ってほしかった一番の言葉だったのかもしれない。
「愛の形はきっと一つじゃないのよ」
響子は穏やかに微笑んだ。
「篠宮さんのように相手を導き創造する愛もあれば、私のようにただ相手の弱さごと丸ごと受け止めたいと願う愛もある。どちらが正しくてどちらが間違っているなんてこと、きっとないんだと思う」
響子のその言葉は怜奈の心を優しく、そして温かく包み込んだ。彼女は、この友人に自分の全てを話して本当に良かったと心の底から思った。
そして、響子もまた怜奈の話を聞きながら自分自身の愛の形を再確認していた。朝倉隼人。彼のあの不器用でシャイな弱さ。それこそが自分が愛おしいと感じるものであり、自分の持つこの受容的な愛が最も輝ける場所なのではないか。
怜奈の強烈な愛の物語は皮肉にも、響子の心に隼人への想いを再び強く燃え上がらせていた。
「……ありがとう、夕山さん」
「ううん。私の方こそ、ありがとう、怜奈さん」
二人は互いの名前を初めて親しみを込めて呼び合った。窓の外では傾き始めた西日がカフェの店内を優しいオレンジ色に染め上げていた。全く異なる愛の形を持つ二人の間に、この日、誰にも壊されることのない固い友情が確かに結ばれたのだった。
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