秋色化粧

シンカー・ワン

君は君らしく

 夜のとばりが落ち、初秋の風が吹く、レジャー施設の広大なパーキング。

 ほとんどが出払い、まばらに停車しているうちの一台、右ハンドルの外国製ツードアクーペ。

 乗員はふたり、社会人らしい男と女。

 車内の空気は重く、沈黙が支配している。

「――別れよう」

 静寂を破るように口にしたのは、見栄えの良いブランドものに身を包んだ運転席の男。

 若く見えるが高級外車乗り、三十路は超えているだろう。

 言葉を投げかけられた助手席の女は、突然の別れ言葉に、顔色を失くしていた。

 女の見た目も男と似たブランド品で固められており、きつめのメイクも装いに合わせてのものだろう。

 正直合っておらず、背伸びをしている感がありありで、実年齢は二十代半ばといったところか。

「……えっ?」

 乾く唇を震わせて、戸惑いながら女が言う。

「ど、どうして? わたし、何かした? だったら直すよ、改める」

 そんな女から、男はあからさまに顔を逸らし、舌打ちがてらに吐き捨てた。

「――だからっ。お前のが、嫌になったんだって」

 つきつけられた言葉に、ショックを隠せない女。

 そういうところ? 男の好みになることを強いたのはそちらだというのに?

 女から顔をそむけたまま、男が続けた。

「お前、重たいんだよ。あと、つまらない。だから、別れよう」

「だ、だからって。一方的過ぎるよ、そんなのっ」

「――あー、もうっ」

 食い下がる女への苛立ちをあらわに、男は車を降りる。

 助手席側へと回ると乱暴にドアを開け、なにか言ってる女を無理やり車から引っ張り出した。

「――ぅ」

 アスファルトに打ち捨てられる女。

 そんな女を見下ろし、男は財布から取り出した万札を数枚投げつける。

「クリーニングとタクシー代だ。じゃあなっ」

 運転席に乗り込みながら言い捨て、シートベルトも掛けず車を急発進させた。

「――っ」

 名を呼びすがろうとした女をしり目に、車は走り去っていった。

 ひとり取り残された女。

 男が投げつけてきた万札を握りしめたまま、車が走り去った方向へこみ上げた感情を吐き出す。

「バッカヤロー――――ッ」


  §

 

 朝日を浴びる郊外の住宅街。いくつも並ぶ古い建売住宅の一軒。

 『今森いまもり』と表札のさげられた家から、力なく「行ってきます」と言いながら出てくる妙齢の女性。

 こざっぱりとしたスーツに身を包んだ、いかにもな勤め人。

 が、これから仕事へ向かうにしては、いささか生気が乏しく感じられた。

 仕事が楽しいやる気満々ですという勤め人もそう多くはないだろうが、女から放たれる負のオーラは、そういうたぐいではなさげである。

 トボトボというか、どことなく引き摺るように足取りで、『鈴木すずき』の表札のある隣家の前を通り過ぎようとしたとき、かけられる声。

「スミちゃん、おはよー」

 道に面した部屋の窓から、快活な朝の挨拶をしたのは若い男。

 少年ぼさの残る顔つきからは、成人してまだそんなに経ってはいないだろうことがうかがえた。

 女は若い男に一瞥をくれて、そのまま過ぎ去ろうとする。

「挨拶を返さないとか、社会人としていかがなもんですか~?」

 咎めるようでどこかからかう風に若者が言うと、女は脚を止め、仕方なさそうに言葉を返す。

「おはようリクオ。……これで満足? じゃ、あたし急いでるから」

 付き合うのもメンドクサイって空気をまとわせて、歩みを再開しようとした女――スミちゃん――へと、臆することなくリクオが言う。

「スミちゃん、またフラレたんだって?」

 その言葉に、スミちゃんは電光石火で振り返り、リクオに詰め寄った。

「な、なんでアンタが知ってんの?」

「こないだスミちゃんの母親おばさんから聞いた」

「かぁさんんんんんんっ」

 あっけらかんと返すリクオに対し、スミちゃんは自身の母親への怒りを小声で吐き出す。

「ど~せまた背伸びした付き合いしてたんでしょ? いいかげん身の丈合った相手にしなよって」

 ケラケラとリクオ。

 口ぶりからすると、スミちゃんは無理目な恋愛を何度かしており、その度にフラレている模様。

「うっさい。大学生のアンタになにがわかるってぇのよ。社会人には社会人の恋があるんだって」

「言うけどさぁ、中坊のころから年上にアタックしては玉砕してたの、俺、何度も見てきてますがぁ」

「ぐぬぬ……」

 言い返してはみたものの、過去の黒歴史を掘り起こされ、ぐぅの音も出ないスミちゃんである。

「スミノ、あんたまだ居たの? 時間大丈夫?」

 膠着状態のリクオたちへと投げかけられたのは、表の騒ぎに気が付いて玄関から顔を出した、スミちゃん――スミノが本名のようだ――母の声。

 ハッとスマホで時間を確かめ、顔に焦りの色を浮かべるスミノ。

「お、覚えてなさいリクオっ。――母さん、帰ったら話があるからっ」

 それぞれへと顔を向けて捨て台詞を吐き、スミノは最寄り駅へと駆け出して行った。

 去っていく後姿を見送るスミノ母、リクオは手なんか振っちゃってる。

「――あの子、いつになったら気がつくんだろうねぇ?」

 リクオの姿を見、なにか申しわけなさそうな視線と声音を送るスミノ母。

「……」

 スミノ母の言葉を、苦笑いで返すだけのリクオだった。

 

  §

 

 昼休み、休憩室代わりの小会議室でランチを済ませていたオフィスワーカーの女性陣。

「スミノ、あんた営業の具島ぐしまと別れたんだって?」

 同僚のひとりが唐突に放った言葉に、飲みかけていたペットボトルの緑茶を詰まらせ、盛大にむせるスミノ。

 とてもわかり易いその反応に「あー、なるほど」「事実かぁ」などど宣う同僚たち。

「な……なんで知ってんのルナ?」

 呼吸を正し、口元をハンカチで拭って問いかけるスミノ。

具島ほんにんが営業のフロアで吹聴してたんで、一応確認までと」

 サラッと返された同僚ルナの言葉に、スミノの顔が歪む。

「……な、なんて言ってた、あのヤロー具島さん?」

 平静を装いつつ、スミノが再び問う。

「ん~。『ブランド着てても中身が安っぽいんだよ。服に着せられてるの、気付いちゃないしで笑える。話題も乏しくて相槌ばっか。の方もあんまよくねーし。だから別れたんだ。ホント、付き合ってたの、時間と金の無駄だったわ』だと」

 ルナが具島の口調を真似して告げると、スミノ以外の同僚たちも「似てる似てる」「言ってた言ってた」と口々。

 スミノの脳内で、具島がどんな顔をして言いふらしていたのかが、リアルに再現された。

 ひきつった笑顔に、ビキビキと音を立て青筋が浮かぶ。

 

 ――ああん? なんだって? なんだって? なんだってえぇぇぇぇ!

 胸のうちにどす黒いなにかが膨れ上がり、弾けたところでスミノはブチ切れた。

「プライドだけは高くて、安っぽい中身、ブランドで誤魔化してたのはてめぇだろっ。口開きゃゴシップやくだらないネタ話ばかりして、こっちの話は聴こうともしてなかったくせに。もみこすり半でイッて、てめぇだけが満足して『よかったろ?』なんてほざいていましたよなあぁぁぁ?」

 一気にまくしたてるスミノ。

 突然な変化に、同僚たちの目が点になる。

 早口で唾をまき散らしながらも、ヤバイと思い、心の中で必死に自分を制しようとスミノは試みる。

 ――落ち着くのよスミノ。ここで怒りのまま振舞ったら、あいつと同じレベルに堕ちる。それは嫌。

 必死に自分を落ち着かせようとするスミノ。

 ――セルフコントロール、セルフコントロール。あたしは大丈夫……。

 残念なことにスミノの自制心が効力を発揮したのは、具島に対する鬱憤をすべてぶっちゃけたあとであった。

 なにごともなかったようにひきつった笑顔のまま、体裁を整えるスミノ。

 皆が生暖かい目で眺めていたのは、言うまでもない。

 

 スミノが平常心、場が落ち着きを取り戻したあと、同僚のひとりが思い出したように口にする。

「そういや具島。フリーになったからって、秘書課の一河いちかわさんに粉かけ出してるってさ。昨日の今日で、ホントどういう神経してんだろね?」

 新しい社内ゴシップの波に乗る、姦しきワーキングウーマンズ。

「一河さん? うわぁ高嶺の花じゃんか。具島のやつ、どんだけ自分高く見積もってんだか……」

「まぁ、営業成績はそんなに悪くない、専務の親戚ってコネもあるしで、昇進の候補に上がっちゃあいたけどさ」

「今回の件で、外面良く見せてただけってのがバレたから、もうダメでしょ」

 ある意味関係者でもあるので、同僚たちのお喋りに口を挟まず、スミノは聞き役に徹した。

 

 彼女らの勤める会社では、社内での恋愛は一応認められている。

 ただし、あまり表向きにしないようにと、やんわり釘が差されていた。

 会社という狭い組織、痴情のもつれから人間関係が壊れることを危惧した、社則には載せられていない暗黙のルール。

 ゆえに度を越した言動や行為には、それなりの処分が科されることになる。

 社内恋愛していたこと破局したことをわざわざ吹聴し、あまつさえ交際相手を貶め、さらに間を置かず別社員へ求愛するなどという具島の行いは、十分に処罰の対象。

 無自覚の行動、ゆえに本性の暴露。彼の出世の道は断たれたといってよかった。

「余計なこと口にしないでだまっときゃいいのに、なんで自分から撃たれに行くかな?」

「見栄っ張りだからでしょ~? なんであれ主役になっときたいわけなのよ」

「はぁ~。ガキじゃんか」

「だから見栄張って高級外車乗ったり、似合ってもないブランドスーツ着てんのよ」

「まぁそれで騙されてるのもいた訳で……おおっとぉ」

 うっかり口を滑らせた同量のひとりが、慌てて手で口元を抑えスミノから顔を逸らす。

 少し気まずくなった雰囲気の中、ルナがスミノへと顔を向け、フッと笑みを浮かべ言う。

「人身御供になってくれた、スミノに感謝だな」

 口角を引きつらせながらあげ、形だけ笑い返すのが精いっぱいのスミノだった。


 後日、人事部からスミノに聞き取り調査があり、彼女は自身が知りうる事実だけを述べた。

 営業課々員たち、秘書課・一河アリスも、同様の聞き取り調査が行われたと言う。

 

 それから十日ののち、営業課所属・具島リョウマに対し、減俸三か月、及び地方支社への転勤処分が下された。

 

  §

 

 具島が地方へと飛ばされてから、迎えた休日の昼。

 スミノは自宅二階の自室でゴロゴロしていた。

 ルナをはじめとする友人たちが遊びに誘ってくれたのだが、なんとなくはしゃぐ気になれず、辞したのだ。

 で、ベッドに寝転がりダラダラ過ごしている訳なのだが、したいことやりたいことも無い。

 誘いに乗っときゃよかったなぁ~とか、後悔していたそんなとき。

「スミちゃんや~い」

 階下から自分を呼ぶ声。

 声の主が隣家の大学生なのはすぐにわかったが、相手にするのは面倒だなとか思って、返事も返さずにいたところ、軽やかに階段を上がってくる音が。

 迎える体制をとろうとするよりも早く、足音は自室の前までやってくる。

「いるよね~、開けるよ~」

 軽いノックのあと、かけられた声へ答える前に扉が開く。

「スミちゃん、暇してる? してるよね?」

「返事する前に開けるなっ。デリカシーが足りないぞ」

 躊躇もなく女の部屋の扉を開けたことへ、抗議の態度を示してみるものの「あ、ゴメンね」と、どこ吹く風なリクオである。

「で、なんなのよ? いきなりやって来て」

 鬱陶しそうに応じるスミノへ、リクオは快活に言い放つ。

「スミちゃん、ドライブしよっ」

 

  §

 

 高速道路を軽快に走る旧式の国産車。その助手席でスミノは流れる景色をだらっと眺めていた。

 ドライバーシートに座るのはリクオ。こちらは輝くような笑顔を浮かべて、ハンドルを握っている。

 半ば無理やり引っ張り出され、あれよあれよとナビシートに座らされ、なし崩し的にドライブモードだ。

 市街を抜け郊外でハイウェイに乗り、そのまま、ただ流れるように車を走らせているだけ。

 会話もない中、ボ~ッとしているといろんな音がスミノの耳に入ってくる。

 風を切る音、忙しなく回るエンジンの唸り、ボディのあちこちから軋みも。

 具島の高級車からは、けして聞こえてこなかった音の数々。

 けど、不思議と不快に感じない。

 具島の外車より一回りは小さくて、ぺったんこ。

 キャビンだって狭苦しくて、シートはきつい。後席はあるけど、とても大人が乗れそうにない。

 なにもかもが劣る。

 でも、あの車からは感じられなかったがあった。

 いつの間にか、口元がゆるんでいるのをスミノは感じていた。

「……ゴメンね~、音楽のひとつも流せなくて。音響系の交換はまだなんだ」

 退屈していると思ったのだろう、申し訳なさそうにリクオが言う。

「さすがに今どきカセットテープは使えないからさ、USB対応にするんだけどユニット本体が届いてないんだ」

 そんな言葉につられて、スミノが中央コンソールへと目をやると、古めかしいラジオチューナーとカセットテープの挿入口があった。

 

 この車はリクオの祖父が、昔乗っていたもので、マツダの初代RX7というそうだ。

 さすがに古くなり過ぎていたので処分するつもりでいたのを、免許取りたてのリクオが譲り受けたのだとか。

 コツコツとアップデートを続け、ようやく走れるようになり、記念すべき初ドライブが今。

 ひとりで行くのも味気ないから、暇してるスミノを誘ったのだと、リクオは言っていた。

「……ね」

「ん、なに?」

「なんであたし?」

「ん~。スミちゃんだから、かな」

「――そっ」

 言ってスミノは視線を外へと戻す。

 口元が自然と笑みの形になるのを、リクオに見られるのは、なにか恥ずかしかった。

 

  §

 

 ふたりのドライブは続き、途中サービスエリアで小休止はとったが、あとはずっと走りっぱなし。

 たまに言葉を交わすだけ、会話らしい会話もないまま。

 でも不思議と退屈ではなかった。無言でもふたりのコミュニケーションはとれていた。

 夕暮れの迫るころ、高速道路を降りて辿り着いたのは、どことも知れぬ土地の波止場。

 クルマを降り、夕日を浴びるふたり。肌をくすぐる潮風が心地よい。

 波に揺れるトレジャーボート、オレンジにきらめく海辺、空を漂う海鳥たち。

 秋の日の夕陽が、世界を黄金色に染め上げる。

 目に入る全てがスミノの心を癒し穏やかにしていく。

 心の隅のどこかに引っかかっていた、なにかが剥がれていくのが感じられた。

 ――気持ちのデトックスって、こういうものかぁ。

 笑みが顔に浮かぶ。取り繕ったものではなく、心からの。

 腕を上げ伸びをして、体をほぐす。

 お腹から深呼吸し、ため込んだ空気を言葉と一緒に解き放つ。

「――バッカヤロ~~~~ッ」

 海に向かって思い切り叫ぶ。

 澱んでいたいろんなものが流れて消えていく。

 夕陽の赤が化粧したような、上気した顔で楽しげに笑うスミノ。

 そんなスミノへリクオは言う。

「うん。スミちゃんはスミちゃんらしい顔が一番だ」

 ニッコリと笑ってリクオは続ける。

「好きだよ、スミちゃん」

 いつもと変わらぬ、自然体の笑顔で。

「もう背伸び止めてさ、俺でいいじゃん。俺が一番スミちゃんに合うって」

 照れも、気負いもなく告げるリクオである。

「――あ、えっ、とぉ……」

 対し、突然の告白を受け止めきれず、困惑するのはスミノ。

 パニクる頭の中で、いくつも否定の言葉を浮かべようとするけれど、それらはすべて別の感情に上書きされてしまう。

「あ、あたし、年上で」

「たったの五才差」

「つ、付き合ってた人いたし」

「何人かは知ってる」

「……もう経験済みで」

「その歳でまだの方が驚き」

「――ええっと」

「――スミちゃん」

「な、なに?」

「スミちゃんは俺のこと嫌い?」

「そ、そんなこと……は、ない」

「じゃあ、いいじゃん」

「……」

「あ~、もう」

 リクオは言うなり、スッと近づき、スミノを抱きしめた。

「俺と、幸せになろ?」

 スミノからの返事はない。けど拒絶もなかった。

 夕日がひとつになってるふたりを、ただ照らす。

 

  §

 

 それから。

「スミちゃ~ん、ドライブいかない? カーオーディオ付いたんだ」

「あそこの波止場、連れてってくれる?」

「いいよ~、行こ」

 

 軽やかな排気音が響き、旧いスポーツクーペが走り出す。

 幸せに向かう、ふたりを乗せて。

 

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