第19話 王様

 黄金の扉が、ゆっくりと軋む音を立てて開かれていく。

 その隙間から、ひやりとした空気が流れ込んできた。


 「……っ」

 思わず息を飲む。


 そこは、圧倒的な“王の間”だった。

 天井には光を放つ無数の水晶が散りばめられ、まるで夜空を閉じ込めたかのように輝いている。

 壁一面には、古代の英雄譚を描いた巨大な壁画が連なり、過去の戦いの熱と誇りを今も宿していた。


 だが、俺たちの視線を最初に釘付けにしたのは――その両脇に整列する、無数の兵士たちだった。


 鎧が水晶の光を反射し、整然とした列が延々と奥まで続く。

 その数、ざっと百は下らない。

 誰一人、微動だにせず、呼吸さえ音を立ててはいけないような静寂。


 (うわ……これ、物語で設定したよりも何倍も怖い……!)


 心臓がドクンと鳴る。

 空気が重く、冷たい。

 まるで一歩でも間違えれば、瞬時に斬り伏せられるような緊張感だった。


 龍雷の肩がわずかに強張っている。

 あの龍雷が、だ。

 師匠でさえ、背筋を正し、口を引き結んでいた。


 その奥、階段の上に――王が座していた。


 玉座は白金でできており、背後には天へと昇る竜の彫刻。

 ステンドグラスを透過した光が、王の銀髪を淡く照らしている。

 蒼の瞳は空のように澄み、ただ見上げるだけで、膝が自然と折れた。


 「……よく来たな、勇敢なる者たちよ」


 声が響いた瞬間、広間全体が震えたように思えた。

 低くも透き通った声――だが、不思議とその響きは温かい。


 師匠が膝をつく。

 龍雷もそれに倣い、俺も慌てて頭を下げた。


 「陛下。このたびの戦――」


 師匠が口を開いた瞬間、王はゆるやかに手を上げた。


 「よい。報告はあとで聞こう」


 穏やかな笑みが浮かぶ。

 その優しさに、兵士たちが纏っていた冷たい空気が一瞬にしてやわらいだ。


 「まずは――無事で戻ってきたことを、王として、ひとりの人間として、心から嬉しく思う」


 たった一言。

 その一言で、広間にいた全員の表情が変わった。

 兵士たちが誇らしげに胸を張り、龍雷は小さく息を吐く。

 師匠も、静かに頷いていた。


 「恐れながらも進む者――それこそ真の勇者だ。

 お前たちは、それを示してくれた」


 ステンドグラスを通して光が差し込み、三人の足元を照らす。

 まるで天からの祝福の光のようだった。


 「誇れ。我が国の英雄たちよ」


 その言葉に、広間全体が静まり返る。

 やがて兵士たちが一斉に胸に手を当て、剣を掲げた。

 甲冑が擦れる音が重なり合い、荘厳な金属の響きが空気を震わせる。


 ――威厳。

 そして、慈愛。


 この王には、その両方が同居していた。


 「……さて」

 王は立ち上がり、ゆるやかに階段を降りてくる。

 その歩みは静かで、しかし一歩ごとに空気の密度が変わる。

 兵士たちは誰一人として顔を上げず、ただ、王の足音だけが高く響いた。


 「まずは、剣聖ダビル」


 「はっ!」

 師匠が姿勢を正し、膝をついたまま頭を垂れる。


 「そなたの剣は、数千の命を救った。

 敵軍を退け、王都を守り抜いたその働き――まさに国の盾であった」


 「身に余るお言葉にございます」


 王は微笑み、師匠の肩に手を置いた。

 その瞬間、空気が柔らかくほどける。


 「だが、あまり無理をするな。

 そなたはいつも誰よりも前に立つ。……家族に、心配をかけるなよ」


 師匠の目がわずかに揺れた。

 照れくさそうに笑いながらも、どこかで必死に涙を堪えている。


 「……陛下にまで、そんなことを言われるとは」

 師匠は小さく笑い、深く頭を下げた。


 王は次に、龍雷へと視線を向ける。


 「そして――龍雷」


 その名が呼ばれた瞬間、龍雷の背筋がピンと伸びた。

 額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


 「若くして、己の命を省みず、敵陣へ突入したと聞く。

 その勇気と力、まさしく英雄の名にふさわしい」


 「恐れ多いお言葉です。

 ですが、僕は……自分のために戦っただけです」


 「自分のために、か」

 王の瞳が細められる。

 叱責ではなく、理解の色。


 「それでいい。

 誰かを想う心、自ら信じるもののために剣を振るう者こそ、真に強い」


 その瞬間、龍雷の表情が緩んだ。

 彼の瞳に宿ったのは、ようやく報われた者の静かな安堵だった。


 そして――王の視線が、俺に向いた。


 「……そして、大和」


 その名を呼ばれた瞬間、背筋が勝手に伸びた。

 喉が乾く。膝が床を打つ。


 「異国の者でありながら、この国を救った。

 己の“力”の正体も知らぬまま、それを恐れず、仲間を護ったと聞く」


 「い、いえ……俺はただ、みんなを守りたくて……」


 声が震える。

 けれど、もう逃げようとは思わなかった。


 王は優しく頷く。


 「それで十分だ。

 人は誰しも、己の中に“恐れ”を抱く。

 だが――恐れながらも踏み出せる者だけが、世界を動かすのだ」


 胸の奥が熱くなる。

 その言葉が、まるで心臓に直接届いたように。


 (この王様……物語で読んだより、ずっと“人間らしい”)


 「大和、龍雷、ダビル。

 そなたら三人には、この国の“英雄章”を授ける。

 そして、いずれそれぞれの道を歩むだろう。

 だが――心に刻め。

 国が栄えるのは、力ある者の剣ではなく、想いがある者の手によってだ」


 玉座の背後のステンドグラスから、虹色の光が差し込む。

 その光が、俺たち三人の肩に降り注いでいた。


 「よく戻ってきてくれた。

 ――我が国の、誇りたる者たちよ」


 その瞬間、兵士たちが一斉に剣を掲げた。

 光が反射し、無数の輝きが広間を包み込む。


 俺はただ、その光景に見惚れていた。

 まるで、世界の“物語”の中に、俺自身が生きているようだった。


 「そんな君たちに、何かお礼として贈与したいと考えておる。――何か望むものはあるかね?」


 まだ、この世界の余韻に浸っているところに、王が静かに切り出した。

 声の響きは柔らかく、それでいて大理石の床に反響するほどの重みがある。


 「望む……ものですか?」


 師匠は少し驚いたように問い返す。

 王から“望みを聞かれる”など、並の功績ではあり得ない。

 それは、名誉と信頼の証だった。


 「あぁ、そうだ。土地でも、爵位でも、宝でも良い。

  そなたらの功は、王都の誰もが知っておる」


 (いやいや、土地とか爵位とか……スケールでかすぎるだろ)

 心の中で思わず突っ込む。けれど、王の眼差しは冗談ではなかった。


 師匠はしばし沈黙し――やがて、静かに頭を垂れた。


 「陛下。恐れながら、私の望みは“剣を置ける世”にございます」


 その一言に、玉座の間がしんと静まり返る。

 王の瞳が、穏やかに細められた。


 「……剣を置ける世、か」


 「はい。誰もが剣を取らずとも、笑って暮らせる国であれば――

  それこそが、私にとって何よりの褒美にございます」


 その声は静かで、それでいて不思議と胸に響いた。

 戦場をいくつも越えてきた男の言葉には、重みがあった。


 王はゆっくりと立ち上がり、師匠の肩に手を置いた。


 「……ダビルよ。

  その志、確かに我が胸に刻もう。

  剣を捨てても笑って生きられる国――共に目指そうではないか」


 師匠は深く礼をした。

 王と剣聖――二人の巨人が交わした静かな約束は、

 まるで光となって玉座の間を包み込んでいくようだった。


 「ですが、一つだけお願いがございます」


 師匠が顔を上げて言った。


 「なんだ、遠慮なく申してみよ」


 「この戦で、城壁周辺が荒野となってしまいました。

  もし叶うなら、あの地をもう一度、緑で満たしていただきたいのです」


 王は一瞬目を見開き――そして、にこりと微笑んだ。


 「うむ、良い願いだ。直ちに、城壁周りを豊かにせよ」


 その声に、周囲の兵士たちが一斉に頭を下げる。

 その光景を見て、胸の奥が温かくなった。


 王は次に、龍雷へと視線を向ける。


 「そして……龍雷」


 呼ばれた瞬間、龍雷の肩がピクリと動いた。

 普段あれほど堂々としている彼が、まるで少年のように背筋を伸ばしている。


 「何か望むものはあるかね」


 龍雷は少し間を置き、真剣な表情で口を開いた。


 「この戦で……服がボロボロになってしまいました。

  もしよければ、新しい服を一着、頂けないでしょうか」


 王は一瞬驚いたように目を見開いたあと、優しく微笑む。


 「欲のない者よ。ならば――其方には、海のダンジョンの魔物より紡いだ、

  最高位のコートを授けよう」


 龍雷はその言葉に、しばらく呆然としたまま頭を下げた。

 王の笑みは、玉座の間に柔らかな光を落としていた。


 「そして――大和、お主は何を望む」


 王の声が玉座の間に響いた瞬間、脳内がざわついた。


 ――『おい、大和! あれ貰え! 王の腕輪だ!』


 突然、頭の中でミラの声が跳ねた。


 (……は? 腕輪?)


 王の右腕には、淡い青光を放つ腕輪があった。

 重厚な銀の装飾、宝玉の鼓動。まるで生きているかのように脈動している。


 ――『間違いねぇ。俺と同じ波動を感じる! あれは只者じゃねぇ!』


 (いやいや、何言ってんの。そんな設定してないし!)


 ――『設定とか関係ねぇ! 俺の勘だ! 早く言え!』


 (……ほんとに知らんからな。責任取れよ、ミラ)


 「お、おそれ多いのですが……」

 声が裏返る。兵士たちの視線が一斉に俺へと突き刺さった。


 「私の望みは――陛下の腕にある、その腕輪です」


 玉座の間の空気が、一瞬で凍りついた。

 師匠も龍雷も息を呑み、兵士たちがざわめく。

 ただ一人、王だけが静かに俺を見つめていた。


 「……この腕輪、か」


 王の声は穏やかだった。

 けれど、その言葉の裏に潜む力は、床石を震わせるほどに重い。


 「理由を、聞いてもよいか?」


 (り、理由!? そんなの知らねえよミラ!!)


 ――『言え。“引かれている気がする”って。波長が合うんだ!』


 (むちゃくちゃだな……!)


 「……なぜか分からないのですが、

  その腕輪に――強く惹かれる感覚があるんです」


 沈黙。

 王は目を細め、長い時間をかけて俺を見つめた。


 やがて、ゆるやかに腕輪を外し、玉座の階段を降りてくる。

 一歩ごとに、空気が震えた。


 「この腕輪は、王家に代々伝わる“神々の遺産”のひとつ。

  だが……不思議と、お主の手に渡るべきもののような気がする」


 その手が、俺の掌に腕輪を置いた瞬間――

 青白い光が弾けた。


 ――『ま、間違いねぇ……! これは、“始まりの器”の一部だ……!』


 (始まりの……器?)


 俺の頭の奥で、何かが軋むように鳴った。


 王はその様子を見つめ、微かに微笑む。


 「どうやら、運命というものは、我らの想像をも超えるらしいな」


 玉座の間の空気が、静かに――しかし確実に揺れた。


 始まりの器。

 俺はそんな設定を残していない。

 考えてもいない。


 けれど、今この瞬間だけは分かる。


 ――この世界は、もう“俺の物語”じゃない。

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